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ドイツのライカ本社に行ってきた。聖地ウェッツラー「ライツパーク」見学レポート

2025年は、全ての“ライカ”の原点である初号機「ライカI」の発売から100周年。それを記念して、誕生の地であるドイツ・ウェッツラーで記念イベントが行われた。なお、日本でも10月に東京で100周年記念イベントが開催予定だ。

この記事では、ライカ本社のある「ライツパーク」がどんな場所なのかを紹介したい。なお、100周年記念イベントの詳細については僚誌デジカメ Watchでもレポートしているため、併せてご覧いただきたい。

ライカと“動画”の関わり。誕生の背景

AV Watchでライカの話をするのは唐突かもしれない。しかし、ライカの原点は「映画用フィルムを流用した小型のスチルカメラ」だ。これを考案したオスカー・バルナックは、顕微鏡メーカーとして有名だったエルンスト・ライツ社(そのカメラ事業が現ライカカメラ社)で機械工として働きながら、プライベートでも写真や映像を撮影していた。

1912年にオスカー・バルナックが作った、35mmフィルムを使う映画記録装置。バルナックはこれで日常の風景や時事問題の映画を撮影して楽しんだ。

そしてバルナック自身がぜんそく持ちで体が弱かったこともあり、機材一式で18kgにもなったというガラス乾板カメラに代わって携帯しやすいカメラ。それも映画用のロールフィルムを使って連続撮影が可能なものを検討したのが後のライカである。フィルムの長さは人が両手を伸ばした長さに由来する1.6mで、結果的に36枚撮りとなった。

35mmフィルムを流用したスチルカメラ自体は、ライカが初めてではない。しかし、そうだと言ってもツッコまれることが稀なほど、100年後の今でもライカは突出してポピュラーな存在だ。

1925年に発売された「ライカI」。今でも中古カメラ店で普通に取り扱われており、日々撮影を楽しんでいる人も少なくない。100年前の自社製品がライバルになっている会社とも言える。

35mm映画フィルムの1コマ分である18×24mmを2コマ使った36×24mmというフォーマットを選んだのは、当時のフィルムとレンズの性能を基準に、写真として十分に鑑賞に堪える画質を目指したため。それが100年後も“35mmフルサイズ”として一つのスタンダードになっているところも、ライカというカメラの登場が後に与えた影響の大きさだ。

これがライツパークだ!

ライカ本社は、ドイツ・ウェッツラー(Wetzlar。ヴェツラー)のライツパークというエリアに所在する。ウェッツラーはドイツ中部のヘッセン州にあり、フランクフルト国際空港からアウトバーン(高速道路)を通って小一時間という距離。のどかな景色の中に、突如として近代的な建物が現れる。

ライカカメラ本社。カメラレンズの鏡筒や双眼鏡をモチーフとした形状で、「ウェッツラーの丘に着陸した宇宙船」というイメージ。

この社屋は2014年に稼働。その際にも世界から1,200人ほどを招いたイベントが行なわれ、ライカが誕生の地ウェッツラーに帰還したとして大いに盛り上がった。1階部分には誰でも自由に入れる見学コースがあり、生産工程の一部や、歴代製品のアーカイブを見られる。

見学コースの入口。レンズの製造工程について、ガラスに投影された映像をタッチしながら学べる。
壁面にはヒストリー。前身の顕微鏡メーカー「カール・ケルナー光学研究所」を含めると170年を超える歴史に。
歴代ライカが並ぶ。1920年代の試作機からレアなモデルも含めて網羅されている。
こちらは1954年に誕生したライカMシステム。いわゆるレンジファインダーカメラのM型ライカがずらり。
M型ライカのファインダーとピント合わせの機構は127のパーツで構成。最新のデジタル機「ライカM11」も、基本的には昔と同じフルメカニカルな仕組みでピント合わせを行い、フィルムがデジタルセンサーになったイメージ。
1970年代には日本のミノルタと提携して一眼レフのライカRシステムに注力し、M型ライカを辞めるという判断もあった。
しかし1980年代にM型ライカの独自性が見直され再興。2000年代には、その慣れ親しんだスタイリングのままデジタルカメラ化に取り組む。

2018年には、ライツパークの次の段階としてエリアを拡張。ホテルとミュージアムが作られた。ホテルは周辺地域のホテル需要に応えたもので、ライカではなくホテルチェーンが運営。それでも廊下や部屋には多くの写真が飾られ、ライカらしいモチーフも多用された、ライカファンには楽しい場所だ。129部屋があり、レストランや会議室、フィットネスルームもある。

2018年に拡張されたライツパークの新エリア。ライカ本社から道路を挟んだ反対側に位置する。左がエルンスト・ライツ・ホテル、中央のカメラ型の建物が「Leica Welt」で、ミュージアムやギャラリー、ライカストアがある。右はLeitz Cineのブランドでシネマレンズを生産する拠点(旧CW Sonderoptic)。

エルンスト・ライツ・ミュージアムは、ライカが作った写真とカメラの博物館。写真の仕組みや撮影のアイデアについて親しめる作りになっている。これほどの施設を、ウェッツラーという決して人口の多くない田舎町に常設しているあたり、器の大きさを感じさせる。

エルンスト・ライツ・ミュージアム。
様々な写真のアイデアが書かれたプレートがあり、その効果を体感できる。
記念撮影スポットにも好適な、鏡に囲まれた部屋。
レジェンド写真家をメンターとした体験型展示の数々。風を浴びたり、影のパターンを自分に映したりしながら写真を撮れる。小学生の社会科見学に遭遇した時は、皆さんテンションMAXだった。
それぞれの体験型展示で撮影した写真を“ネガ”として、暗室での引き伸ばしをバーチャル体験できる部屋。
歴史上の重要な製品を展示・解説するコーナーも。例えば右下は、日本限定で2021年から販売されている「Leitz Phone 1」。
バルナックが“ライカ”を考案するまで——「エルンスト・ライツ・ミュージアム」勝手にガイドツアー

写真界における“ライカ”を伝える映画が制作中

今回の目的はライカ100周年記念イベントの取材。ライツパークだけではなく、街中のアリーナで行われる式典にも出席した。各国の顧客や写真家が招かれ、関係企業や我々プレスも一緒に100周年を祝った。

「ガラディナー」という、筆者こと庶民は聞いたこともなかった華やかな場に出席(取材です)。せめてもの蝶ネクタイ。
シャンパンと特別なカクテルが用意されていた。
テーブルで振る舞われるワインも、ライカ100周年仕様の特別デザイン。

式典の中では、映画監督ライナー・ホルツェマーによるライカ100周年を記念したドキュメンタリー映画『Leica, A Century of Vision』のプレビュー上映もあった。世界的な写真家とその創作活動、写真界におけるライカの重要性を伝える内容で、2025年内に正式公開が予定されている。

ディナーの途中、テーブルに配られたポップコーン。これから映画が始まるという合図だった。味は塩とキャラメルの2種。
映画のあとはコンサートも行なわれ、帰るころには日付が変わっていた。

オークションも開催。ライカ試作機が10億円超え

現在ライカは、カメラと写真のオークション「ライツ・フォトグラフィカ・オークション」も運営している。カメラ界隈には知られたウィーン発祥のオークションハウスが、2018年からライカの傘下に入った。今回は「ライカI」100周年ということで、それにちなんだカメラも多く並んだ。

ライカ量産前の1920年代に作られた、20台ほどの試作機(通称“ヌル・ライカ”)のうちの1台。720万ユーロ(約12億3,400万円。20%の手数料込み)となった。
シリアルナンバー700000の「ライカM3」。オーストリアのスキーヤー・写真家のシュテファン・クルッケンハウザーに贈られた個体。通常の「ライカM3」は“700001”番から始まるため、特別な位置付けで製造されたことが伺える。336万ユーロ(約5億7,600万円。手数料込み)で落札。
出品された全400アイテムが本社内にずらりと展示。落札検討中の品はケースから出してもらえる。「ライカI」に連なるバルナックライカ(スクリューマウントライカ)が多かった。

オークションは会場、オンライン、電話で入札可能。目の前にいる人が2億円ぐらいまで札を上げていたりして、筆者こと庶民はまたしても異空間に紛れ込んだ感覚に陥る。

楽しいお土産を買って帰ろう

さて、オークションに出るようなライカには手が出なくても、そもそもライカに手が出なくても、エルンスト・ライツ・ミュージアムには楽しいミュージアムショップがある。トートバッグやキャップといったライカグッズ、ライカに関連のある写真集と一緒に「地元のロースターが焙煎したコーヒー豆」や「近くの牧草地で採れたハチミツ」も売られていたりする。これを見ると、世界のライカといえども、やはりどこか田舎町の光学工場というムードが残っていて嬉しくなる。

ミュージアムショップ。ポスターやトートバッグ、ノートなどライカ印のお手頃アイテムも。
ウェッツラー旧市街にあるロースターのコーヒー豆。ラベルがエルンスト・ライツ・ミュージアム仕様になっている。ここ3年ぐらいの新製品で、来るたびに買っている。一袋9.5ユーロ。
今年初めて見た新製品。ライツパークの牧草地と周囲の森に咲く花から採れたハチミツだとか。一瓶7.5ユーロ。お土産に買った。
ライツパークの飛び出すポストカード。2枚買った。
ライカの工場で着る帯電防止服の生地から作られたというバッグ。謎すぎて買った。

このライツパークとライカが生まれたウェッツラーの旧市街までは、写真好きならカメラ片手に歩けるぐらいの距離。本社とミュージアムでライカの歴史を知り、その足で100年前の景色を多く残す旧市街を訪れ、35mmカメラの原点に思いを馳せる。カメラ好きにとって価値ある旅になること間違いなしだ。

ライツパークから3kmほどの距離にある、ウェッツラー旧市街のアイゼンマルクト。オスカー・バルナックが後に「ライカ」となる試作カメラで最初に試写した景色として有名。
こちらが1913〜1914年にオスカー・バルナックが撮った写真。この景色を守るため、老朽化で取り壊されかけた建物をライカファンが買い取ったというエピソードも。
鈴木 誠

ライター。デジカメ Watch副編集⻑を経て2024年独立。カメラのメカニズムや歴史、ブランド哲学を探るレポートを得意とする。インプレス社員時代より老舗カメラ誌やライフスタイル誌に寄稿。ライカスタイルマガジン「心にライカを。」連載中。日本カメラ財団「日本の歴史的カメラ」審査委員。趣味はドラム/ギターの演奏とドライブ。 YouTubeチャンネル「鈴木誠のカメラ自由研究」