レビュー

イヤフォンではなく“世界最小のスピーカー!?” INAIRの音と定位がスゴイ

“世界最小のスピーカー”という触れ込みでクラウドファンディングを実施し、4,000万円弱もの資金集めに成功した「INAIR」(M360)をご存知だろうか。一見すると普通のイヤフォン、だがその鳴りっぷり、特にカッチリとハマる定位の良さは、イヤフォンで聴いたことがないものだ。

INAIR

市場には沢山のイヤフォンがあるが、その方式は、ドライバーを外耳の入り口に置くインイヤー方式と、イヤーピースで外耳道を塞ぐカナル方式の2種類に大別される。

これに対してINAIRは、外耳道の入り口にドライバーを“浮かせる”という発想で、独自のサウンドを手に入れた。イヤフォンの新しい可能性が垣間見える製品だ。価格はオープンプライスで、直販価格は11,880円(税込)。

現代に合う、音楽体験のためのスピーカーのカタチ

INAIRを開発したのはアンドカラーの佐川大介氏。元々音楽好きだった佐川氏のオーディオ原体験は、ビンテージ品のレストア従事していたリペアマン時代の、ウェスタン・エレクトリックのスピーカーだという。

劇場などに納入されていたウェスタン・エレクトリックのサウンドは、言うなれば“体験する音楽”。現代でもフェスやコンサートなどで“体験の価値”が求められているが、その一方で、スマホで定額配信サービスを、イヤフォンやBluetoothスピーカーなどで手軽に聴くのが一般的なスタイルだ。

音を浴びるように聴く、ウェスタン・エレクトリックのスピーカー体験をしていた佐川氏は、“本格的なスピーカーで音楽を聴く楽しさを広めたい”と考える一方で、“今の音楽リスニングスタイルに合わせた製品も提供したい”とも考えたという。

大きなスピーカーで再生するのが、絶対的に物量がモノを言う部分があるオーディオの世界において1つの理想だが、誰もが大きなスピーカーを買うわけではない。そこで佐川氏はスピーカーのサイズと距離の相関性に着目。“小さいスピーカーは近づけばいい”と考えた。では持ち運び出来るほど小さなスピーカーとなると? 答えはゼロ距離だ。

ハウジングは細身のメタル素材で、ケーブルは左右分岐まで布被覆。右チャンネルにはリモコン付き
ロゴマークが外を向くように装着

スポンジによる“浮いたような装着”が最大のポイント

ゼロ距離、つまり“耳穴の入り口に、小さなスピーカーを浮かせる”のが理想だ。これを実現するために、小さなドライバーユニットをスポンジに包んで耳に入れてみたところ、今までのイヤフォンとは違う感覚を得たという。

イヤフォンを装着している感覚がないのに音が出ているし、音も広がりがある。しかし低音は抜けてシャカシャカしていた。それでも突き詰めると面白い……。こうして想定するスピーカーをどんどん小型化していった結果、佐川氏はいつの間にかイヤフォンにたどり着く。これがINAIRの基本構造となった。

メーカーでは「M360」の装着に関して、カナル型の様に耳穴の奥へ突っ込むのではなく、外耳道の入口部分にある窪みにハウジング底部を置く様に装着する事を推奨している。これでスポンジがある程度反発し、ドライバーの理想的な配置である宙吊り構造が、耳穴に対して自動的に出来上がる。M360のサウンドの特長である定位の良さは、ここに起因する。

現在イヤフォンで主流となっているのは、ご存知の通りカナル型だ。だが佐川氏はINAIR構造とカナル型を比較し、「カナル型はドライバーの前方がすぼまっているという構造」と指摘する。

カナル型イヤフォンは筐体の中にユニットがあり、その前にノズル(音道管)を取り付けた構造になっている。このノズルにイヤーピースを装着し、耳穴の奥に入れて固定しているわけだ。

だが、イヤフォンを“小さなスピーカー”と考えると、スピーカーのユニットの前に、筒を置くというのは、とても不自然な配置だ。もっとも、これにより小さなドライバーでも低音が膨張されるという有利はある。しかし、低音がこもり、音の広がりが失われるという欠点が生まれる。耳の中の空間も狭くなり、音として震えさせられる空気の量も減ってしまう。

INAIR構造では、この空気の量を可能な限り大きく活用する工夫がされている。ひとつが一般的なシリコンイヤーピースを逆さ向きに付けた様な形状でドライバー部を包んだこと。僅かではあるが、これで外耳道部分の容積を増やしている。スピーカーに置き換えれば、広い部屋で鳴らすことにあたり、音のヌケが良くなる。

「AIR TUBE」Woofer Technologyと名付けられたもので、チューブ内部にも音を満たし、360度方向に音を伝達。皮膚や骨まで振動を伝えることで、低音を補う役目もあるという。

スピーカーの前に物をおいたり、筒の中にドライバーを入れたりしない様に、カナル型と比較するとINAIR方式はドライバーの前方を広く取っていることがわかる
イヤーピースは通常のカナル型を逆さ向きに着けた様な形状。これを大きなスポンジ玉で包むのがキーポイント

更に重要なのが、イヤフォン全体を包む丸いスポンジ「インエアーキャップ」。実は本機のキーテクノロジーはここにある。スポンジ部分では、音を出すと空気が狭いスペースで圧力をかけて外に出るように動き、この空気の粘性がバスレフポート代わりになって低音を増強するのである。そのため空気の粘性は重要で、スポンジがスカスカだと低音が出ず、逆に密度が高いと音がこもる。

こういった事もあり、一般的なカナルイヤフォンの様に耳の中へ突っ込んで入れる着け方では、真の実力は発揮できない。装着方法は本機を使う際に最も注意すべきポイントであり、うまく着けられれば軽い装着感と広がりのあるサウンドがストレス無く楽しめるのである。「多くの方はカナル型のイメージで突っ込もうとするので、装着方法の伝え方は今後の課題」と佐川氏は語っているが、正く装着した時の本機は、とても理に適った無駄のない構造になるのだ。

スポンジ部分は装着時にクッションとバスレフポートという2つの役割を果たす。これが音も装着感も開放的にしたヒミツ

定位と音響空間の広さに目を見張るものがある

実際に音を聴いてみると、やはり定位の良さを際立って感じる。その鳴り方はまるでヘッドフォンの様で、耳の中・頭の中で鳴る一般的なイヤフォンとは明らかに違い、より広く、アタマの周りの空間で音が鳴っている。

ただし、スピーカーの様な前方定位とまではなっていないため、「世界最小のスピーカー」と言う言葉のイメージを期待すると肩透かしを食らうかもしれない。ただ、これまでのイヤフォンの聴こえ方とはまったく異なる。圧迫感、閉塞感が無く、耳への負担も少ないため、長時間聴いていると“イヤフォン的なモノを耳に装着している事自体”を忘れてしまう。音楽だけでなくテープ起こしなどの業務に使うのもマッチする。

イーグルスの「Hotel Carifornia」を鳴らしてみると、暑苦しさが無く、スッキリと音楽が流れるカラリとしたサウンドを愉しめた。特定の音が主張することも無ければ、音の圧迫感も無い。先述の通り定位が良好で音の見通しが良く、ヴォーカルは鼻先辺りでカッチリ。ドラムとギターのステレオイメージもハッキリしていた。モニターヘッドフォン的な定位の感覚で、分析的に音を聴くときにも有利そうだ。

ヒラリー・ハーンの「バッハ・ヴァイオリン協奏曲」では、定位の良さが更に際立つ。全体的には素直で控え目なイメージながら、右手奥に居るチェンバロには存在感があり、弦楽合奏に埋もれない。とにかく定位と音響空間の広さがよく効いていて、響きが自然で聴き疲れしない。余分なエネルギーが無く、耳当たりが優しいので、普段使いで力まずに音楽を鳴らすのにピッタリだ。

ビル・エヴァンス・トリオ「Waltz for Debby」を聴くと、音の細かさはカリカリという程ではない事に気付いた。ダブルベースのマルカートな弾み方などの、アーティキュレーションはまろやかで、粒立ちもまずまずだ。

スネアのブラシなど、特筆するほどの細かさは感じない。ライブハウスの濃密な空気、という感覚は少々薄く、音に特別な煌めきがあるかと問われれば、ちょっと難しいところだ。ヒラリー・ハーンにも、ヴァイオリンの艶などに惹き込まれる音の魅力がもうひとつ欲しい。この点は、今後の機種に期待したい。

とにかく定位が良く、一般的なイヤフォンのそれとは一線を画する。長時間聴いていても疲れないため、音楽だけでなくテープ起こしなどの業務に使うのも良かったりする

INAIR方式を広めたい

INAIRは有線モデルに加えて、Bluetoothモデル「M360bt」(直販税込19,440円)も展開している。基本的にドライバー部分は同じで、音も同じになるように作ったとのことだが、無線版には結構良いアンプをおごっているとのこと。左右それぞれにアンプを充てたバランス駆動のようになっているので、音としてはかなり安定しているとのこと。「実は無線版、結構良いんですよ」(佐川氏)。

今後について佐川氏は、リケーブルやバランス駆動対応モデルなどを構想中だという。そもそもM360の“M”はミドルクラスの意味らしく、ここから上も下も考えているとのこと。音作りの視点では、まずはフラット・広帯域を提供し、ある程度以上はユーザーの手に委ねたい、というのが当面の方針だそうだ。究極目標は自身の原体型であるウェスタン・エレクトリック。元々がスピーカーから出発しているため、音の追求はまだまだ尽きないという。

無線タイプの「M360bt」も発売中。アンプに結構良いものをおごっているので、音には自信ありとのこと

INAIR方式のドライバーを中空に浮かせた構造は特許取得済み。クラウドファンディングで4,000万円弱を集めた実績もあり、業界からも注目を集めている。佐川氏も、他メーカーとのコラボレーションには前向きで、技術を独占するつもりはなく、INAIR方式を広めていきたいという。

欠点がない訳では無いが、それでも普通のイヤフォンの鳴りとは明らかに違うINAIR方式にはワクワクするものがある。特に開放的な広がりと軽い装着感を求めている人や、長時間のイヤフォン装着にストレスを感じている人は、試してみる価値があるだろう。

天野透