本田雅一のAVTrends

200回

“圧倒的8Kクオリティ”に挑んだ、ソニー初の85型8Kブラビア「Z9H」開発の裏側

今年3月に発売開始された、ソニー初の8Kチューナー搭載ブラビア「KJ-85Z9H」

“このコロナ禍にあって”という言葉を、まさかオーディオ&ビジュアルのトレンド連載で書くことになるとは思いもよらなかった。一方で、ここ数カ月に書いた記事の大半に(冒頭ではないにせよ)添えている言葉でもある。新しい生活様式“ニューノーマル”という言葉も生まれているが、世の中のありとあらゆることに変化が訪れているからだ。

そこではジャンルを超えたモノの価値に変化が生まれている。白物家電の世界では、電気圧力鍋やブレンダー、スチーム美顔器が2~3倍の売り上げに跳ね上がる一方、外食や化粧品といったジャンルは大きく落ち込んでいる。食、美容などの切り口で、それぞれの“おうち化”が進んでいるとも言える。

“おうち化”の進行でにわかに活性化しているテレビ市場

そんな中で、東京オリンピックというイベント延期から売り上げ不振が懸念されたテレビ業界は、期待以上とは言わないものの、現時点では期待値に近い売り上げが出ているという。正式な売り上げ実績データはこれから出てくるだろうが、売り上げが伸びている要因は大きく分けて2つある。

ひとつは“2台目の4Kテレビ需要”だ。

家族が一緒にいることが増えたことで、趣味趣向が異なる家族が、それぞれ別のテレビで映像を楽しむことが増えている。さらに比較的小型の4Kテレビを在宅ワーク時のパソコン用ディスプレイとして使う動きも、これらを助けていると思われる。

もうひとつは“劇場エンターテインメントのおうち化”だ。

映画館や演劇、演芸シアターに足を運ぶ人がいなくなり、また日本では根強く残っていたレンタルDVDなどにも足が遠のいている。昨年から見られる、TVerユーザー増加なども映像のネット配信サービス需要増加を促している。

こうした動きも具体的な数字が近くまとまってくるはずだが、Netflix、Amazonビデオなど有料契約のビデオ配信サービスは、いずれも4K撮影・配信が当たり前になっており、最新テレビのもつ表示能力を活かせる環境が幅広く普及してきたことも、ネットへの親和性が高いテレビへの需要を高めていると言えるだろう。

と、ここまではよくある話なのだが、8Kパネル採用の85型ブラビア「KJ-85Z9H」(約200万円)が現時点で想定している2倍以上も売れ、メーカーであるソニー自身も驚いているという。

KJ-85Z9H

待望の“8K放送を活かせる”テレビ

8K放送はご存知のとおり、BS衛星(左旋)を通じてNHKが放送しているのみだが、今年は東京オリンピックが8K放送される“はず”だったが、'21年に延期されたことでキラーコンテンツが存在しない状況になっている。

一方の受像機は、昨年よりシャープが高精細化しやすい液晶パネルの特徴を生かし、幅広いサイズラインナップで孤軍奮闘してきたが、価格の高さや(パネル開口率の低さからくる)暗さなどもあって、なかなか良い映像へと繋げられていなかった印象だった。

今年になってシャープの8Kテレビも低価格化が進み、60インチモデルならば手の届きやすいところにまで下がってきているが、60〜70インチサイズとなると8K化による高精細の効果を画面の暗さが相殺する部分もあり、またHDRを生かした映像となると、少々物足りなさが残ることは否定できない。

シャープが4月に発表した、フラッグシップのアクオス8K「CX1」。写真左から60型「8T-C60CX1」(約45万円)、70型「8T-C70CX1」(約60万円)

一方でLGは8Kチューナ内蔵の8K OLEDテレビ「88ZXPJA」(88型、約370万円)と、「77ZXPJA」(77型、約250万円)を発売した。OLEDならば、局所コントラストの高さやHDRの表現能力などもあって、投資に見合う映像が得られるはずだ。筆者も8Kチューナー非搭載の世代をテストした経験があるが、液晶とは異なる世界観がそこにはある。

8Kチューナーを内蔵した、LGの88型テレビ「OLED 88ZXPJA」
77型テレビ「OLED 77ZXPJA」

しかし、同サイズでは今後も他メーカーから製品が登場することがアナウンスされている。東芝が開発中だった試作モデルを見たが、まだ映像を追い込む前にもかかわらず、素晴らしい映像を見せていた。他メーカーの動向も考えるならば、現時点ですぐに手を出すのは難しいというのが本音だろう。

8Kレグザエンジン搭載の88型8K有機ELディスプレイ(試作品)

もし今年、東京オリンピックが開催されていたならば、それに合わせて8Kテレビの購入検討する消費者も多かっただろうが、本格的な8K映像配信サービスが行なわれていないことも考えると「急がなくてもいい」「来年に向けて選択肢が出揃うまで待つか」となりそうなものだ。

そんな中で、およそ200万円という値付けながら「想定の2倍以上」というのは、そもそもの想定数が少なかった可能性も否定できないが、やっと“8K放送というフォーマットを活かせる大型テレビが登場した”ことへの期待感の現れとも言える。

ということで、残念ながらコロナ禍の中では実機を囲んだ取材が行なえない上、製品サイズが巨大であることもあり、テレビの取材をリモート会議システムで実施するという、これまでに経験したことがないことを、手探りで行なうことにした。

対応していただいたのは、ソニーホームエンタテインメント&サウンドプロダクツ、TV事業本部商品設計部門 商品設計1部 井川直樹氏と、同事業本部品企画部プロダクトプランナーの馬場彩香氏、商品設計2部 萩尾淳二氏だ。

写真左上から時計回りに、井川直樹氏、萩尾淳二氏、筆者、馬場彩香氏

2019年の「Z9G」投入見送りと、2020年に投入した理由

まずは直近のテレビ製品のトレンドの話から始めたが、今回の主題はブラビア「Z9H」についてだ。

ブラビアの型名はテレビのパネル方式、グレード、世代の組み合わせで構成されており、Zは液晶、9は最上位の特別グレード、そしてHは2020年モデルを表している。

液晶の、最上位グレードの製品には、方式の弱点を大きく克服した「Backlight Master Drive(BMD)」が採用されてきた。しかし、海外ではBMD採用8Kモデルの「Z9Gシリーズ」として98型と85型の2サイズが投入されたものの、日本は見送られてきた経緯がある。

CES2019で北米などへの投入が発表された「Z9G」
海外モデル「98Z9G」。価格は約70,000ドルだった

米欧中市場で展開しながら日本で発売されないことに、日本のAVファンは歯痒い思いをしていたかもしれない。この点について、ブラビアの画質設計で業界では馴染みの井川氏は次のように話す。

「Z9Gは8Kパネルの長所を最大限に引き出すため、8Kのために開発したX1 UltimateとBMDを用い、その解像度を活かせるサイズに絞って提供した製品でした。ただ、日本では8Kの実用放送開始というイベントがありました。開発時には“どのようなコンテンツが、どのぐらいの品質で放送されるか”が実験放送からしか類推できなかったため、実用放送が始まってから、コンテンツに合わせたチューニングを行なった上で、自信を持って8Kチューナ内蔵モデルとして発売したのです」(井川氏)。

ソニーホームエンタテインメント&サウンドプロダクツ TV事業本部商品設計部門 商品設計1部 井川直樹氏(写真右)

このため、すでに発表時に伝わっているように、Z9GとZ9Hの液晶パネルやバックライトの構成は全く同じ。国内の民生用途としては98インチモデルは展開されないが、Z9Hの85インチモデルがZ9Gと同じ液晶パネル、バックライト、映像エンジンを元にしていることは間違いない。

しかし同じものかといえば、実はそこには明確な違いがあるという。

ブラビア:バックライト マスタードライブ説明動画:Z9Hシリーズ【ソニー公式】

“日本人の肌、表情、日本の風景”を強く意識した画質開発

商品企画を担当した馬場氏は、今回のZ9Hに対してこのように語る。

「迫力や臨場感といった抽象的な言葉だけでは表現できない美しさを、Z9Gには感じることができました。まるで手に触れられるようなリアリティある質感、それに旅行先の窓から広がる美しい風景を思わせる写実的で立体感のある映像。その“まるで本物のようだ”と感じられる感覚を、さらに日本の8K放送に合わせて追い込むことをリクエストしました」(馬場氏)。

このため、年末時期は8K向けに製作されたファクチュアル番組やスポーツ中継、紅白歌合戦といった実際に放映されたコンテンツを中心に、Z9Gをベースにしつつも、さらに進化させるべくチューニングではなく、新規開発を行なっていったという。

「Z9GとZ9Hを並べて評価する機会はないと思いますが、画像の質という面で大きく進化させることができました」(馬場氏)。

ソニーホームエンタテインメント&サウンドプロダクツ TV事業本部 商品企画部 企画1課 馬場彩香氏(写真左)

5月時点ではほとんどの社員が出社していなかったソニーでの取材は行なえなかったが、その画質は銀座ソニーストアや一部量販店の売り場で確認することができる。すでにZ9Gで、その素性のよさ、従来の液晶にはないリアリティやOLEDにはない明部の圧倒的な輝きなどは知ってはいたものの、確かに新たなる領域に踏み出した印象は受けた。

井川氏は「画質の開発やチューニングは、その過程や具体的な内容ではなく、結果としてどのような画質が得られるかだと思います。今回は結果を出すために、8K実用放送で実際に流れている映像を見ながらチューニングしただけでなく、X1 Ultimateで使っているデュアルデータベースを新しいものにした上で、バックライト制御のアルゴリズムに関しても(発売時期の違いから)進化させています」と話す。

このためパネルもバックライト構成も同じながら、もともとほとんど目立たなかったローカルディミングによるハロの発生が気づかないレベルにまで減り、SN、解像感ともに向上しているという。

日本の放送事業に合わせたデータベースの再構築

井川氏がいうデータベースとは、X1 Ultimateが参照しているデータベースのことだ。

X1 Ultimateはノイズ低減、超解像の両面でデータベース参照型の高画質化処理を行なっている。データベースは実際の映像を用いて構築するが、4K/8K実用放送の実映像を用いてデータベースを更新したという。

X1 Ultimate

映像処理においてノイズ処理と超解像は表裏一体のもので、映像ノイズをあらかじめ抑えることができれば、より積極的な超解像処理を行なえる。ノイズが多く混入している状況で超解像をかけると、ノイズを被写体のディテールとして復元しようと試みてしまうなどの副作用が起きるからだ。

データベースの更新に関しては、筆者の「実際の8K放送での圧縮ノイズや使われているカメラの特性、放送時の調整などに合わせて何か変えているのか?」という質問への答えだったが、“技術部門としてはきちんと評価して今年モデルとして追い込んでいます”ということで「あとは実際に見ていただければ解っていただけると思います」と自信を見せた。

デュアルデータベース分析

なお、これはZ9Gから変化していない部分だが、8Kブラビアでは8K用と4K用に、異なるデータベースを用いている。それぞれ元信号が異なるのだが当然だが、本機においてもそれは変わっていない。

サブウーファー不要、画音一致の特別版アコースティックマルチオーディオ

内蔵されるサウンドシステムもまた、過去のあらゆるテレビ製品を超える品質に仕上がっている。こちらはZ9Gとハードウェアの面で進化しているわけではないのだが、そもそもの完成度がきわめて高く、さらにチューニングが追い込まれた部分だ。

ソニーの開発陣はよく「画音の一致」という言葉を使う。

これは大画面・高画質になり、映像への没入感が高まっていけば、その映像に見合うだけの音質・音場感、それに音像定位が得られるべきという考え方だ。

Z9Hのサウンドシステムコンセプト

特に85型という画面サイズともなれば、音の定位はとても重要になる。これはプロジェクターなどでサラウンドシステムを組んだことがある方ならば、容易に想像できるだろう。画面サイズが大きくなると、役者の口元から遠く離れた場所からセリフが聞こえてくると違和感を覚えるのだ。

そこで、一部の液晶ブラビアに搭載されていたアコースティックマルチオーディオでは、ツイーターを上部に取り付けることでセリフを持ち上げていた。しかし、ツイーターだけでは帯域が限られるため、持ち上げ効果が限定される。

そこでZ9G/Z9Hでは45mmの中低域用ドライバーユニットをデュアル搭載、さらに20mmのソフトドームツイーターと組み合わせ、これを上下それぞれの筐体デザインに合わせて設置している。上下それぞれに形状は異なるものの、萩尾氏はひとつひとつのユニットを聴き比べながら特性を合わせ込み、同等の音質に仕上げたという。

ソニーホームエンタテインメント&サウンドプロダクツ TV事業本部 商品設計部門 商品設計2部 音響技術課 萩尾淳二氏(写真右)

このように、同等特性のスピーカーを4つ配置し、セリフを慣らす場合はその真ん中に仮想音源を定位させることで、画音一致を目指している。

その目論見は成功しており、背面に配置したサブウーファーと共に、別途、何らかのスピーカーを買い足さなくとも85型の画面に見劣りしない音質を実現した。

真円のスピーカーを薄型ベゼルに収納するため、ユニットの半分がパネル裏に隠れることになるが、その時、ユニットから放出される音の波形をWave Guideというフィン構造を通して外部に放出することで反射周期を短くする仕組みを導入。

振動板が隠れている部分では、パネルに背面に音が一度ぶつかり、その反射が内部定在波を生み出して周波数特性を乱すが、Wave Guide構造で定在波の周波数を非常に高い周波数まで押し出しているという。

スピーカー設計コンセプト
独自のWave Guideについて

この効果、なるほどと納得する音質は、言葉で説明するよりも実際の製品で体験する方がいいだろう。店頭展示機でも、説明抜きで違いを実感できる。それほど他製品に対して 抜きん出ているからだ。

筆者が以前に聞いたシステムはZ9Gのものだったが、前述したようにZ9Hではさらなるチューニングが施され、8K放送の映像に合わせて音場の基礎を揺るぎないものにするため、特に低域の質と量を高めるよう再調整が行なわれたという。

このサイズとなると、AVアンプなどのサラウンドシステムと組み合わせたい、というニーズもあるだろうが、高品位なスピーカーシステムと組み合わせ、本機をセンタースピーカーとして使うセンタースピーカーモードで使った場合にも、大きな不満がないぐらい完成度は高い。

“液晶でもハイエンド”が可能であることを証明した1台

そのサイズや価格を考えれば、本機を購入できるユーザーは限られている。しかし、高画質テレビのトレンドがOLEDへと傾いていく中、液晶であってもコストをかければOLEDとは異なる“高品質テレビ”が実現できることを証明したという意味で、業界にとっては重要な製品に仕上がったと思う。

65型以下のサイズにおいて、OLEDが画質面で有利であることは確かだ。

OLEDの弱点と言われてきた階調特性も大きく改善され、局所コントラストの良さも黒潰れが改善されたことで、より優れた画質へ寄与しているように感じられる。そこに映像処理エンジンの進化も加わり、高画質4KテレビはOLED全盛の時代を迎えている。

いずれ、OLEDも大型クラスで全盛を迎える可能性はあるだろうが、現時点のZ9Hは液晶ならではの“長所”を上手く引き出せている。

OLEDにはないピーク輝度の高さ、暗部階調の滑らかさ、そして85型という画面サイズなど。前者二つはハロの発生が目立ちにくいBMDというバックライトあってこそのものであり、またバックライト光学設計と前面フィルムの組み合わせで実現した広視野角技術のX-WideAngleがあってこそだ。

もう少し掘り下げれば、85型というサイズだからこそ、BMDという技術も生きてくる。もしこれが65型だったなら、BMDを用いても“OLEDとは異なる価値がある”という領域までは画質を引き上げられなかったはずだ。

「それでも局所コントラストの高さでOLEDと比べれば……」と、方式の違いによる差を想像する向きは多いはずだ。価格差はあるが、ここまでの大型・高額製品ならば、77型のOLED製品が出そろった際に比べてみたいという方もいることだろう。

ソニーはこの数年「液晶かOLEDかの選択は、デバイスの特徴をどのように活かすかの違い。優劣ではなくそれぞれの長所を生かして、どれだけ価値のある製品に仕上げるか」だと言い続けてきた。

願わくは「OLEDとの選択で迷う」という状況が、60〜70型クラスでも訪れること望みたい。

本田 雅一

テクノロジー、ネットトレンドなどの取材記事・コラムを執筆するほか、AV製品は多くのメーカー、ジャンルを網羅的に評論。経済誌への市場分析、インタビュー記事も寄稿しているほか、YouTubeで寄稿した記事やネットトレンドなどについてわかりやすく解説するチャンネルも開設。 メルマガ「本田雅一の IT・ネット直球リポート」も配信中。