本田雅一のAVTrends
201回
ソニーの弩級ニアフィールドモニター「SA-Z1」は安い! と声を上げる理由
2020年7月17日 08:30
ヘッドフォンの解像感とスピーカーの音場感を備えるZ1。真の魅力は“コスパ”
昨年初秋のこと。まだ試作機だったソニーのニアフィールドスピーカー「SA-Z1」を聴いた時、自然に出てきた言葉が「なんてコストパフォーマンスが良い製品なんだ!」だった。
まだVAT(付加価値税)が乗せられた欧州価格しか発表されていなかった時期で、状況次第では、日本での価格は90万円を超える可能性すらあった。しかし「100万円でも安いだろう」と声をかけると、開発者の1人で、ソニーホームエンターテインメント&サウンドプロダクツ 商品技術1部の加来欣志氏はニッコリと笑ったのを覚えている。
加来氏は中核製品だけではなく「SS-AR1」「SS-AR2」といったハイエンドスピーカーのジャンルにおいて、グローバルでも競合できる品質のスピーカーを開発した人物だが、これほど嬉しそうな顔を見たのは初めてだった。まさに「狙い通り」と感じたのだろう。
褒めるところから記事を始めたくなった理由は、もちろん音が良かったからだが、音質だけであればここまでは驚かない。ソニーのエンジニア自身が、自らの名前とプライドをかけ、コスト低減よりも音質向上を最優先で開発する“Signatureシリーズ”だけに、音が良いのは当たり前だからだ。
本当に感心したのは、設置場所、環境に対する感度の低さ。つまり、デモ用のメーカー試聴室から出て、実際に顧客の部屋に置かれた時にも良さを発揮する。それを感じたからこそ“安い!”と唸ったのだ。
特別な対策をせずに、100万円の音が楽しめるスピーカー
SA-Z1は、78万円というプライスだが、設置場所の条件次第ではペア100万円、あるいは200万円程度の高級スピーカー(もちろんアンプもDAコンバータも含まない)よりも、手軽かつ確実に良い音を楽しめる。
フロアスタンディングでも、ブックシェルフでも構わないが、家庭用の高級スピーカーの実力を発揮させようと突き詰めていくと、最終的にある部分に時間や手間、コストが集中してかかるようになってくる。
電源まわりやケーブル類、インシュレータなどを思い浮かべる方もいるだろうが、良い音を求めていくときに最も大切(かつコストが高い)のが「音の良い部屋づくり」だ。良い音を楽しむには、全体の形状や天井の高さ、壁や床の素材や施工方法に至るまで配慮せねばならないからだ。
メーカーや代理店などで製品を試聴する場合、それぞれに調整を施した部屋で、置き場所や角度を調整した上で試聴が始まる(余談だがメーカーや代理店ごとに環境が異なるため、それぞれの部屋の特性を把握しておかなければならないのだが)。
とはいえ、そんな環境で聴ける人はごく一部。本気で部屋から作ろうと思えば、それだけで数百万円(あるいはそれ以上)の施工費がかかってしまう。しかも、一度部屋を作ってしまうと、基本的な形状やサイズは簡単に変えられない。音調パネルやスピーカーの位置決めなど、調整できる範囲は限られてしまう。
ところがSA-Z1のデモときたら、机の上にポンとベタ置きし、インシュレータも噛ませず、しかも壁のすぐそばに設置されていた。その向こう側に音質を調整するパネルはなく、背後を振り返ってみても、同じくいかなる細工もない。しかも、目の前から聞こえてくる音は、まさに“100万円にふさわしい音”だったのだ。お気に入りのアンプを揃え、さらに部屋の音響まで整えてといったところまでを勘案するなら、100万円どころの話では済まない。だから”安い!”と唸ったのだ。
環境の整っていない自宅でも実力を発揮!
ということで、昨秋にはすっかり惚れ込んでいたSA-Z1だが「様々な影響により国内発表には時間がかかっていた」とのこと。また発表後もあいにくソニーで試聴ができなかったのだが、感染対策もあって「では自宅で試聴を」となり、6月中旬に製品版を借りることができた。“どんな場所でも実力を発揮できる”という特徴を生かすならば、これほど良い機会はない。
設置したのは、メインシステムのある部屋ではなく、パソコンで原稿を書いている机の上。もちろんベタ置きで、壁に極めて近い位置だ。ちなみに反対側はガラス窓にカーテンで、わずか2mあまりという、試聴環境としてはあまり良くない場所である。
しかし印象は変わらなかった。
加来氏は開発する際、スピーカーユニットのセンター間を70〜80cmで試聴しながら調整していたそうだが、もちろん、もっと近くとも構わない(その場合は自分が少し近づけばいい)。そんなにバカでかい机ばかりではないだろうということで、13インチMacBook Proの左右に設置する形とした。ちょうどパソコンを使っているときに、スピーカーとの距離が最適になる位置関係だったからだ。
マニュアルには「内側に最大5度程度まで振ってもいい」といった趣旨の説明が書いてあるが、ニアフィールド(近接)で聴くのであれば正面を向けることを勧める。正面に向けた方がステレオのセパレーションがよく、前後左右に立体的な音場が展開するからだ。内振りにすると音像のフォーカスがシャープになるが、ニアフィールドで同軸設計のユニットからの直接音が耳に飛び込んでくるだけに、内側に振らなくとも十分以上の解像度を感じられるはずだ。
起動直後は規定値で-40dBにボリュームが設定される。やや低めの音量だが、この時点で情報量や音場空間のボリュームに不足を感じない。もちろん、音量を上げるにしたがって、まるで良質なヘッドフォンで聴いているかのような情報量と解像度が得られるようになるが、低音量での音の良さも本機の良さだと実感した。
いずれもソニーの試聴室で聴いた時の印象を、さらに追認しているだけなのだが、言い換えれば、場所を自宅の書斎に移し“ただそこに置いただけ”でも、本来の実力を発揮しているとも言える。
机の上で実現したハイファイ
自宅試聴後、リモートで行なった取材で加来氏は「特に低音の量感は置き場所で大きく変わります。机の上に置く事と、背面に壁がある事を考慮して設計を進めました」 と話す。
“鼓”構造と名付けられた、対向配置した2個のウーファーが振動を打ち消し合う設計や、メイン・ウーファーを補助するアシスト・ウーファーの音を広げる“音道”、アルミ材を組み木細工のように合わせて構成する高剛性のエンクロージャーなどに、その工夫のあとが見られる。
同軸配置のメイン・ツイーターの上下に配置されているアシスト・ツイーターも、そうした工夫のひとつだ。アシスト・ツイーターは、指向性の強い(狭い範囲に音が集中する)高音ユニットの特性を緩和し、広がりを持たせる。神経質なスピーカーをニアフィールドで聴くと、頭が少し揺れただけで音場感がゴロゴロと変化し、不自然な印象を抱くことがあるが、本機はそうした印象が全くなかった。
この商品を企画した同社・ホーム商品企画部の尾木加奈子氏は「ヘッドフォンユーザーが求める解像度と、ハイエンドスピーカーに慣れ親しんだ人たちが求める自然で広がりのある“スピーカーならではの音場感”を両立する目的で、この商品を企画した」と話す。
「これまでヘッドフォン、イヤフォンを中心にSignatureシリーズを展開してきましたが、ハイエンドのヘッドフォンユーザーはヘッドフォンならではの解像度に加えて、自然な音場表現を求めていました。ではそれらを両立できないか? というのが出発点でした」(尾木氏)
とはいえ、ゼロからシステムを組み上げるのはハードルが高い。そこでUSBにも対応するDAコンバータやアンプまでを内蔵した、オールインワンのニアフィールド・アクティブスピーカーという企画が生まれた。全てをパッケージ化し、音質をコントロールすれば、確実に狙い通りの音を顧客に届けることができるからだ。
GaNの採用でデジタル/アナログハイブリッドアンプでスピーカー駆動が可能に
剛性の高いエンクロージャーの背面にアンプと信号処理部を背負う設計のSA-Z1だが、実はその間はセミフローティングとも言える構造になっており、四隅をカプリングするパーツで繋いだ上で、比較的柔らかい(おそらく共振周波数が低い)素材を間に挟んで一体化させている。
デジタル部も、DSD信号にコンバートしてからソニー独自のデジタルアンプ技術であるS-Masterの信号処理プロセッサへと送られるDSDリマスタリングモードなどが搭載されているが、やはり注目はD.A.Hybrid Ampだ。
このアンプを開発したのは、ホーム商品開発部の塩原秀明氏。ソニーのSignatureシリーズに注目している方ならば、ヘッドフォンアンプ「TA-ZH1ES」の設計者であることを覚えているかもしれない。
D.A.Hybrid Ampは、デジタルアンプに入力するPWM信号を、パワースイッチング部とは別経路でローパスフィルターに入れ(アナログ信号に変調)、デジタルアンプが出力する信号と比較して差分信号を生成。これをもとに出力段の誤差信号をキャンセルするアンプだ(かなり単純化しているが、実現は極めて難しい技術でもある)。
デジタルアンプ特有の駆動力の高さや低域の力強さを持ちつつ、アナログアンプの持つ繊細な情報量がもたらす空気感を両立する方式だが、ZH1ES開発当時はまだスピーカーを鳴らすことはできていなかった。
当時から「スピーカー駆動を目標に開発をしていました。遠くないうちに実現したい」と塩原氏は話していたが、FET素子の材料にMOSではなく、より高速なGaNが使えるようになったことでスピーカー駆動が可能になったという。
SA-Z1は各ドライバユニットをバランス駆動しているため、ウーファー、アシスト・ウーファー、ツイーター、アシスト・ツイーターに、それぞれ二つずつ。つまり片チャンネルあたり8チャンネル、システムトータルでは16チャンネル分のデジタルアンプとアナログアンプが搭載されている。
きめ細やかな位相管理がもたらす至福の音場
しかし、話はここで終わらない。加来氏と塩原氏は、徹底的にニアフィールドでの体験を高めることに拘ったのだ。
近接で聴く場合、ほんの少しのツイーター/ウーファーそれぞれから耳への距離差が、帯域ごとの位相差をもたらしてしまう。ニアフィールドでマルチウェイスピーカーを作るときの難しさだ。
上記16チャンネル分の信号処理を、極めて細かく時間管理・調整できるよう信号処理を行なっているという。ただし、それぞれのチャンネルで32ビット/768kHzまでの信号を扱える必要があるため、既存のチップで対応できるものはどこにもない。そこでFPGA(プログラムで機能を変えることができるゲートアレイ)を用い、ハードウェアで信号処理を行なっている。
こうしたコストに糸目をつけない物量投入で、繊細さと力強さ、解像度と豊かな音場感などを持つ本機が構成されているわけだ。
開発者の遊び心を感じるのが、スピーカー設計者の気分を味わえる調整つまみだ。“調整”といってもイコライザなどではない。
アシスト・ウーファーはウーファーよりも狭い帯域しか再生していない(中域は再生しない)が、その際のローパスフィルター周波数を切り替えることで、低音の量感を変えることができたり、アシスト・ウーファーをそもそも“固定する”よう一定の位置にホールドしたり、ツイーターの位相をほんの少し進めたり、遅らせたりできる。
個人的には、全て“標準値”がベストだと感じたが、アシスト・ウーファーの再生帯域はちょっとした好みによる味付けにも使えそう。実にマニアックな調整だが、こうしたつまみの調整と聴き比べは、ヘッドフォンとは異なるホーム・オーディオの(セッティングという)楽しみを知るきっかけになるかもしれない。
「高音質DAPやイヤフォン、ヘッドフォンを望んでいる消費者層に、高音質ヘッドフォンやイヤフォンが持っている世界観をそのままに、かつイヤフォンやヘッドフォンでは決して味わえない心地よい音場で音楽を楽しむ体験を」という狙いは、見事に達成している。
昨年、試聴した様々な製品の中で、もっとも期待していたのが本機。ソニーのラインナップとしての意味だけではなく、ヘッドフォンブームのその先に、スピーカーで楽しむオーディオへの入り口として長く活躍してほしい製品だ。