本田雅一のAVTrends

スポーツ界を変える「ホークアイ」審判補助システム

-競技と判定システムの融合で娯楽性をプラス




ポール・ホーキンスCEO

 先月、本連載で英BBCによるウィンブルドン中継の現場をレポートしたが、実はこの時、Hawk-Eye Innovationsという英国企業のCEOポール・ホーキンス氏を紹介していただいた。ホーキンス氏は経営者としてのセンスを備えつつ、実はスポーツファンなら誰でも知っているシステムを開発したエンジニアでもある。

 テニスというスポーツの観戦方法、戦い方を変えたとも言われるチャレンジシステム(ライン判定が不服な場合に、プレーヤーがコンピュータ判定を求めるシステム)を生んだ、ホークアイ審判補助システムを開発したのがポール・ホーキンス氏である。

 ホーキンス氏は、1999年にイギリスのRoke Manor Research社で脳手術の補正システムやミサイル追跡システムなど、動きの軌跡をコンピュータで正確に予測するシステムを研究しているときに、現在の判定補助システムを思いついたという。

Hawk-Eye Innovationsのロゴマーク

 では、なぜこれがオーディオ&ビジュアルと関連しているのか。全く関係ないように思えるが、ホーキンス氏によるとホークアイのビジネスは主に映像エンターテインメントの方向を向いているのだという。2001年にHawk-Eye Innovationsが設立された後、様々な分野での応用が提案され、2011年3月にはソニーがこの会社を買収。その後も独立した組織として、主にビジネス開発を行なっているという。

 ホーキンス氏は「動くものを正確に追跡し、もっとも確かな位置を特定する技術はすでに完成されたものです。実はその応用部分に面白さがあります」と話した。



■ スポーツ界で導入が進むホークアイ審判補助システム

コートでの様子

 ホークアイ審判補助システムが導入された全英ローンテニス協会のNo1コートで行なわれている試合を観戦していると、自分が知っているテニスの試合とは雰囲気が異なることがよくわかった。微妙な判定が生まれることを、観客が期待しているのだ。

 微妙なライン判定に選手が顔をしかめると、観客は期待を込めた手拍子を刻み始める。ライン判定に不服なら、ホークアイ審判補助システムにプレーヤーはお伺いを立てることができるが、自分の判断が間違っていると“チャレンジ”の権利を1つ失ってしまう。セットあたり3つの権利が与えられ、すべてなくなるとチャレンジができなくなる。このチャレンジで判定の結果が覆ることは決して少なくない。

No1コートに設置されているHawk-Eye用カメラセンターコートに設置されている毎秒350フレームの高速カメラ。今後はソニーとカメラの共同開発も

 2007年からホークアイ審判補助システムが導入された全英テニス選手権では、試合のルールにライン判定システムを組み込むことで、単なる審判補助の領域を越えてテニス観戦の娯楽性、試合の戦略性を高める重要なエレメントとして根付いているのだ。

 複数角度からのカメラ映像を分析し、ボールの軌跡を割り出すホークアイ審判補助システムは、現在、テニス、クリケットの判定補助で使われている他、7月5日にはFIFAがゴール判定システムとしての公認を与え、公式試合への採用も可能となった。ホーキンス氏に話を伺ったのは、まさにFIFAによる承認が降りたその日のことである。

オペレーションルームの様子。芝は毎日コートの凹凸が変化するため、毎朝監査が入り再調整を行なう3D中継車内にある3Dホークアイの画面とオペレータ
3Dホークアイのコントロール画面。ボールの軌跡は当然ながら3Dデータとして管理しているため、見る角度を様々な方向に変えながら、ホークアイの判定画面を3Dで流すことができる。実際、今年の放送でも使われていた

 これまで英国にゆかりのあるスポーツを中心に商談と開発が進んできたが、今後は米国で人気のあるスポーツにも応用が進む見込みだ。さらにラグビー、アメリカンフットボール、スヌーカー、野球などのプロ競技団体によって、その応用方法に関する評価が進んでいるという

・サッカーにおける活用イメージ(Goal-line technology: Hawk-Eye explained)
http://youtu.be/exEHTO-YnuE

サッカースタジアムにカメラを設置スヌーカー、野球などでのホークアイの応用方法に関するイメージ

 時速200キロを越える小さなテニスボールの軌跡を、ミリ単位で正確に判定できるシステムへの信頼性は高く、あらゆる分野のスポーツで技術的な困難なくシステムを作れるとホーキンス氏は話す。次々に新しい競技での認定が進んでいるホークアイ審判補助システムは今後も多種多様な競技へと応用ができる。


■ 高精度な判定システムを観客と共有。戦略分析アプリも

 しかし、ホークアイ審判補助システムが注目を集めている理由は、その判定精度の高さだけではない。競技と判定システムを組み合わせ、新しいエンターテインメント・ビジネスへと昇華させるアイディアが生まれ、スポーツ中継に新しい要素をもたらしたり、競技場建設時に観客向けの新たなサービスとして導入されるなど、判定そのものではなく、その先の観客とのコミュニケーションに応用できると考えられているからだ。

テニスではサーブパターンのデータを視覚化

 ホーキンス氏は「ホークアイ審判補助システムは、ほとんどの判定に応用できます。たとえば、サッカーならオフサイド判定、野球ならストライク判定にも活用できます。しかし、競技団体はそうした機能を望んでいません。これらの判定を機械的に行なっても、競技の愉しさは変わりません。彼らが望んでいるのは、観客の審判に対する不満を緩和することです。ゴール判定などは時折、大きな議論になります。また、ウィンブルドンでの例のように娯楽性を高め、試合をより楽しめる要素として定着できる方法を考えだすことです」と話す。

 例えば、インドのクリケット・プレミアリーグでは判定だけでなく、戦略分析やシミュレーションの材料をスマートフォンやタブレット向けに配信しているという。もともと、ホークアイは判定補助だけでなく、ボールや人の動きを追いかけ、統計化して戦略シミュレーションを行なったり、スポーツ・コーチ向けに試合の正確なデータを提供するアプリケーションも提供している。

 これらをテレビおよび現地試合会場で観戦しているファンに向け、インターネット経由で提供している。筆者はクリケットの試合ルールに明るくないが、戦略性が重要なスポーツとのことで、スマートフォン、タブレット、パソコンなどのセカンドスクリーンを通じて、試合観戦を楽しむためのプラスアルファを機能をホークアイで加えている。

クリケットの活用例

 インドの事例では、有償のサービスに2万人が登録し、セカンドスクリーンでの戦略分析に参加。ソーシャルネットワークで、ああすべき、こうすべき、と自分が監督になったように戦略をつぶやき、意見・情報を交換しながら盛り上がっているという。

 ホーキンス氏は「実は判定精度に関しては、ロンドンオリンピック開催1年前には委員会でのお墨付きをもらっています。2012年になってから営業し始めただけなのですが、25競技で審判補助用に採用が決まっています。このように信頼性に関する疑問はなく、判定システムとして議論の余地がないものに仕上がっていますが、一方で判定システムそのものの売上による収益は、全体の25%でしかありません。残りはテレビ局に対する映像、資料提供や、観客に対する直接的なエンターテインメントサービスを提供することによる売上なんですよ」と話す。


■ ソニーグループ内に編入されたホークアイの今後

 先述したようにHawk-eye Innovationsは、昨年ソニーに買収されたが、それによってさらにエンターテインメント向けに新たな挑戦ができると話している。ソニーグループ内に編入されたことで、ソニー製の業務用高速カメラ(ホークアイ審判補助システムでは毎秒350フレーム以上の高速カメラが用いられる)や映像処理のためのソフトウェア、半導体技術、さらには英国外にも拡げることができるマーケティングのネットワークを活用したためだ。そしてホーキンス氏が狙っているのは、競技場建築時における映像システムの一括納入だという。

 今後、新たに建設される、あるいは大規模改修工事を控える競技場には、あらかじめホークアイ審判補助システムが組み込まれた設計になっていることが多いという。特に欧州の競技場は、導入が当たり前という機運になっているが、アメリカンフットボールや野球での導入が進めば、この流れは北米市場にも可能性が広がっていく。

 「新しく計画されている競技場の多くが、他に多様な商業施設を組み合わせた総合エンターテインメント施設として企画されています。無線技術を用いて競技に関連する情報を配信するIT化された観戦システムも導入されていきます。ここでホークアイ審判補助システムが提供するボールの軌跡情報などが応用できます。たとえばクリケットにおけるセカンドスクリーン情報サービスがそうですし、ウィンブルドン選手権の中継でも使われた打点やボールの軌跡を追いながら、各選手の特徴や調子について解説するといった使い方です」

 「ホークアイ審判補助システムでは、多くのカメラを光でネットワーク化しますから、判定用だけでなく、あらゆる監視カメラのネットワークをつなぐことで、一貫したシステム設計が行えます。また、ソニーはFeliCaでのノウハウを生かした近接通信システム(NFC)を用いた商業施設向けサービス、デジタルサイネージ、隣接する映画館向けの映写機など、ソニーが優位性を持つ他の多様な業務用システムと組み合わせることが可能です。それぞれを単体で提供するのではなく、各要素を有機的に結びつけ、導入する競技場専用に作った提案パッケージにできます。ホークアイ審判補助システムは、他に代替のない信頼性の高いシステムですから、これを連動させることで競技場のシステムを丸ごと受注する案件が増えています(ホーキンス氏)」

 ホーキンス氏はスポーツ観戦の概念を変え、競技場に足を運ぶことの楽しさを高めるとともに、セカンドスクリーンを応用した情報サービス、さらにはテレビ放送の質を高める工夫などを行なうことで、“テレビでのスポーツ観戦の楽しみ方”を変えていきたいとしている。AVシステムを通して、大規模スポーツイベントを楽しむ我々にとっても、彼らの取り組みの行方は楽しみなものになっていきそうだ。

(2012年 8月 30日)


本田雅一
 (ほんだ まさかず) 
 PCハードウェアのトレンドから企業向けネットワーク製品、アプリケーションソフトウェア、Web関連サービスなど、テクノロジ関連の取材記事・コラムを執筆するほか、デジタルカメラ関連のコラムやインタビュー、経済誌への市場分析記事などを担当している。
 AV関係では次世代光ディスク関連の動向や映像圧縮技術、製品評論をインターネット、専門誌で展開。日本で発売されているテレビ、プロジェクタ、AVアンプ、レコーダなどの主要製品は、そのほとんどを試聴している。
 仕事がら映像機器やソフトを解析的に見る事が多いが、本人曰く「根っからのオーディオ機器好き」。ディスプレイは映像エンターテイメントは投写型、情報系は直視型と使い分け、SACDやDVD-Audioを愛しつつも、ポピュラー系は携帯型デジタルオーディオで楽しむなど、その場に応じて幅広くAVコンテンツを楽しんでいる。

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[Reported by 本田雅一]