第365回:Rolandのデジタルピアノ「V-Piano」開発者に聞く
~ 新開発の鍵盤と音源で“リアリティー”を追求 ~
先日のローランド発表会の記事でも紹介したとおり、「V-Piano」というユニークなデジタル・ピアノが発売される。
現在あるデジタル・ピアノというとほぼすべてがサンプリング音源によるものであり、サンプリングした音だからこそ、リアルなサウンドを実現している。しかし、今回、実売60万円前後という価格で発売したV-Pianoは、従来のサンプリング音源とはまったく異なるアプローチの音源であり、モデリング技術などを利用した独特なもの。楽器の王様ともいえるピアノのあり方に一石を投じる非常にユニークな製品だ。
実際、どのような技術を使ってこのピアノを実現させたのか、そしてどのようなデジタル処理を行なっているのだろうか? 今回その開発担当者の一人に、インタビューすることができたので、その内容を紹介していこう。
■ V-Pianoの開発は「一番の難関」
藤本:これまで電子ピアノ、デジタルピアノというと比較的地味な製品だったように思います。その一方で、SynthogyのIvoryをはじめソフトウェア音源のピアノはギガバイトクラスのサンプリングデータを使った、よりリアルなサウンドの音源の開発競争が行なわれてきましたが、それも一息ついたような感じです。最近はブラス系、ピアノ系などモデリング音源が脚光を浴びるようになってきた中、V-PianoがNAMM SHOWで発表されたわけですが、これはどんな経緯で開発されることになったのでしょうか?
開発者:たとえば弊社のV-Synthの場合は、とにかく「今までにないような音を作る」という方向で音作りをしており、クリエイターの方々に新しい音を提供してきました。それと同時に、やはりシンセということで、アナログ時代のMOOGのような、太くフィルターが思いっ切り効くような音も追求しました。
シンセサイザーに対しても、ある意味楽器としての成熟度が高くもとめられるようになってきたと、強く実感しています。そんな中、楽器そのものを突き詰めるとどうなるのだろう、という方向性が浮かび上がってきたのです。つまりギターとかブラスとか、そして最後に行き着くのがピアノです。
藤本:ローランドでは、これまでV-DrumやV-Guitar、V-Accordionなど、Vシリーズをいろいろと展開していたので、ユーザーとしてもいつかはV-Pianoというのが出てくるのでは……という期待は持っていました。
開発者:もちろん、社内でもVシリーズを展開しだした当初から、いつかはV-Pianoという考えはありましたね。でも、シンセをやっているとわかるのですが、ピアノの音というのが一番難しい。ピアノはみなさんが持っているイメージが広いこともあり、一番の難関、山でいう最高峰なんです。これまでサンプリングで山を登ってきました。その間、容量が増えたり、メモリなどのコストが下がったり、もちろんサンプリング技術も向上したことで、音のリアリティーの追及はできるようになってきました。でも、楽器のリアリティーを別の面でもっと突き詰められないかと思うようになったのです。
藤本:別の面でのリアリティーとはどういう意味ですか?
開発者:ピアノを多方面から解析していくなか、何がピアノらしくしているのだろうと考えていきました。ピアノの振る舞いというのは、それこそさまざまなものが混じっています。分析して抽出して、どういう意味があるのか探していったのです。とにかくピアノはやればやるほど難しく、奥が深い。
ピアノのリアリティーというのは二つの方向があるのではないかと考えています。つまり「音のリアリティー」と「音の振る舞いのリアリティー」です。サンプリングは前者を追及するのにいい手段です。実際のピアノをサンプリングしているわけですから、当然であり、それで演奏された音を聴いた人にとっては、それがアコースティックピアノか、サンプリングのピアノかの区別がつかないケースも多いでしょう。
しかし、サンプリング音源のピアノが、演奏者にとって、リアリティーあるものかというと、そうでもないのです。ベロシ ティースイッチやルーピングに起因する問題をはじめとして、ダイナミクスに応じた音色変化が、アコースティックのピアノとは振る舞いが異なり、演奏すれば、いくらキータッチがピアノのようでも、それがサンプリング音源であることはすぐに分かってしまいます。
藤本:つまり、音そのもののリアリティ-はもちろん、演奏者にとって、いかにピアノらしく弾ける楽器を作るかというコンセプトなわけですね。
開発者:そのとおりです。ただ、V-Pianoを見た方々から、よく「今後のローランドのピアノはすべて、V-Pianoの音源を搭載する方向に行くのですか?」と聞かれるようになりましたが、これはあくまでもV-Pianoの方向性であり、当社としてサンプリングを否定するわけではありません。音のリアリティーのみを追求するのなら、サンプリングも有効だからです。しかし、従来のピアノを超えた音作りをユーザーに提供していくのがV-Pianoの重要なミッションです。そのためには、V-Pianoにおいては、サンプリングでないまったく新しいピアノ音源が必要だったわけです。
■ 新開発の鍵盤で「音の振る舞いリアリティー」を追求
藤本:では、その「音の振る舞いのリアリティー」について、もう少し具体的に教えていただけませんか?
開発者:一例を挙げると、コードを弾いている状態で他の鍵を弾いたとしましょう。この際、ただ1つの鍵を弾くのと異なり、コード部分も一緒に響くため、ピアノ全体の音としては変わってくるのが振る舞いのリアリティーです。もっと単純な例でいえば、同じベロシティーであったとしても、高い位置から指を振り下ろすのと、低い位置から鍵盤を押し込むように弾く場合では、音色が異なります。
藤本:ベロシティーが同じなのに鳴り方を変えるということは、鍵盤側のセンサーにも違いがあるわけですね。ベロシティーは鍵盤が押されるスピードを計測していたと思いますが、この場合は加速度を見るわけですか?
開発者:そうですね、スピードの変化を見るため、センサー部を改良しています。もっとも、そうした手法自体は他社も行なっているので、いまさら自慢するものでもありませんが、ポイントはそれをどう使うかということです。いくら検出の精度が高くても、それを生かせる音源がなくては意味がありませんから。
そのため、V-Pianoにおいて、音の振る舞いのリアリティーを実現するためは、音源と鍵盤を一体で開発することが非常に重要であるという結論に至りました。そして、V-Piano用に鍵盤を新開発し、連打性を高めています。また鍵盤に専用のCPUを搭載することで、そのスピードの変化などをしっかりと捉えているのです。
MIDI端子。V-Piano2台をMIDI接続して片方で弾いた場合、それで鳴る音と、MIDI信号を受信して鳴る音では違いがあるという |
藤本:ということは、MIDIでは表現できない情報、MIDI信号としてやりとりしていない情報を鍵盤と音源の間でやりとりすることで、振る舞いのリアリティーを実現しているというわけですね。もし、V-Pianoを2台並べて、MIDI接続し、片方で弾いた場合、それで鳴る音と、MIDI信号を受信して鳴る音では違いがあるわけですか?
開発者:はい、結果的にはそうなります。V-Piano本体の鍵盤をリアルタイムに弾いてこそベストな出音が得られるということでは、V-Pianoは、音源というより楽器です。ただ、だからといってMIDIを否定しているわけではありません。MIDIはすべての電子楽器同士で共通に使える規格であり、現在でも大きな役割を果たしています。やろうと思えばV-Pianoの演奏情報のすべてをMIDIで出力することも可能ではありますが、この情報が他の音源には不要なものも多く、結局必要なのはV-Piano用の音源だけなので、出していないわけです。
■ 徹底的に分析して作り上げた「V-Piano音源」
藤本:では、その音源部分について、伺います。これは端的にいって、物理モデリング音源なわけですよね?
開発者:特に名前を付けているわけではないので、「V-Piano音源です」と、お答えしています。つまり単純な物理モデリング音源というわけではないのです。従来にもいくつか物理モデリングを使ったアコースティック音源が出されています。しかし、音の動的な振る舞いはそれなりに評価できるもののの、リアリティが低いためにユーザーに受け入れられていませんでした。
アコースティックピアノは、あれだけ複雑なシステムですからモデリングが単純過ぎると思い通りの気持ちのいい出音になりません。理論上、排除されているさまざまな要素が実は重要な役割をしています。
そのため、V-Pianoでは逆にシステムの出力であるサウンドを物理法則に則って徹底的に分析し、機能的なエレメントとその相互作用に分解し、再合成するという帰納から始めて演繹に至るプロセスを実践したことになります。さらにプレーヤーが「ああ気持ちいいね」と感じられる楽器を作ろうと、発音する客体(オブジェクト)に相対して感性を主体とするスタンスで取り組みました。ですから物理モデリングというより感性モデリングと言った方が正しいかもしれません。
藤本:なるほど、単純なモデリングではないのですね。ちなみに、サンプリングはまったく使っていないのですか?
開発者:実際のアコースティックピアノの音をサンプリングした波形は、一切使っていません。アコースティックピアノの音を徹底的に分析して、そうした分析を元にピアノの音の様々なエレメントを合成で作り出しています。開発当初は、弦が1本鳴るという、非常にプレーンな音から作っていきました。日々試行錯誤しながらのモデリング作業ですが、ピアノのコンポーネントに沿って、音のエレメント同士を組み合わせていき、その組み合わせ方や音の振る舞いに不自然さが出たら、音を確認しながら修正していく、という積み重ねです。
藤本:かなり地道な作業ですね。ちなみに、内部的には高速に演算をしてリアルタイムにピアノを鳴らしているわけですか? となると、かなり高速なDSPなどが必要になりますよね。
開発者:リアルタイムに演算して合成しているエレメントと、単純なPCMではない特殊なフォーマットで予めレンダリングされたエレメントを使っています。すべてをリアルタイムレンダリングしていたら、膨大な演算パワーが必要になってしまいますから。
実際、もしこのレンダリング処理のすべてをPCのCPUベースで動かすとすれば、レイテンシー、パフォーマンス面などでとても実用にはならないと思います。実はV-Pianoの内部にはFantomで使っている音源チップを複数搭載しています。これによって高速な処理を実現しているのです。
藤本:そのFantomの音源チップというのは、高速演算DSPなのですか?
開発者:単純なDSPではなくカスタムの強力な演算機能が内蔵されています。このDSPに加えて、さらに、別の専用のDSPも搭載されています
藤本:なるほど、シンセサイザ搭載のチップを使っているという点からも、完全に演算だけでモデリングした音源ではないことが見えてきますね。ただ、ここで少し思い出してしまうのが、ローランドのVariPhrase技術です。VariPhraseはVP-9000という機種で最初に登場したときは、内部にDSPが搭載されているからこそ実現できる機能、性能であるという触れ込みでしたが、それから10年近く経過した現在は、SONARのV-Vocal機能としてCPUで動いています。それを考えると、60万円するV-Pianoもいずれはソフトシンセとして動いてしまう日が来るのかな、と……。
開発者:確かに、VariPhraseのようなツールの場合、PCベースでDAW等にインテグレーションして利用することでの使いやすさがあり、いずれPCベースに統一される流れにあったように思います。しかし、ピアノの場合は、単に音源だけではすまないところがポイントだと考えています。いかに鍵盤側も含めてトータルに楽器として連携させるかが重要であるため、ソフト音源ですべてOKというようにはならないのではないでしょうか。
■ 音色作りは“自由自在”。再生系に工夫も
藤本:V-Pianoの音作りは、従来のサンプリングのピアノに比べるとかなり自由度が高そうですね。
開発者:そうですね。この音色作り自体も非常に楽しく、チューニングからダンパーの設定、ハンマーの設定など自由自在にいじることができ、やればやるほどいろいろなことができるようになっています。これによって、まさにマイピアノを作り上げることができるのです。
藤本:V-Pianoの発表会のデモでは全弦シルバー巻線のピアノや、すべての弦が銅巻線で低音域まで3本構成のトリプル弦を張ったピアノモデルなどが披露されましたが、こうした音はどのようにして生まれたのでしょうか?
開発者:歴歴史的なピアノを再現したVintage Pianoに対し、自由な発想で未来のピアノを作ったのが、Vanguard Pianoです。こうなるだろうという予測をしながら音作りをしたのですが、当然実物を作ることはできないので、シミュレーションしながら音作りをします。ただ、モデリングに微細構造の不整合が出る場合、最後は理論値よりも、シルバー弦をイメージに近づくようパラメータを補正し、整音しています。
藤本:最後に、お伺いしたいのが再生系です。確かに弾いて気持ちのいいピアノができても、実際の音はアンプやスピーカーを通して出てきます。そこでリアリティーが削がれてしまう可能性もあると思いますが、どうでしょうか?
開発者:ステージピアノタイプですから、どのような再生システムでも想定したサウンドが得られるというのがもちろん基本です。その点は、大変難しい点ではありましたが、十分考慮したつもりです。もちろん、クオリティーの高い再生システムになればなるほど、V-Pianoの持つ繊細な音の振る舞いの再現性が活きてきます。
さらに、音のエレメント毎にコントロールできるV-Pianoのメリットを活かしたチャレンジもしているんです。このV-Pianoにはステレオの出力が2つありますが、これはメインのPAとモニター用に同じ信号を送るということもできますが、2系統を別にした4ch再生的なこともできるようになっているのです。その中一つにグランドアンビエンスモードがあります。この再生モードでは、手前のスピーカーで演奏者が聴く音を鳴らし、後方で響板の先で聴こえる音を鳴らすといったことを実現しています。これによっても振る舞いのリアリティーを実践しているのですが、こうしたことも音をエレメント毎に合成しているからこそできる技です。サンプリングでも帯域を分けることや残響成分のコントロール等で4ch再生はできますが、それとは明らかに違う聴こえ方ですね。
藤本:なるほど、やはり再生系でもさまざまな工夫がされているのですね。今日のお話を聞いた上、改めて触ってみると、新たな発見もいろいろありそうです。ありがとうございました。