藤本健のDigital Audio Laboratory
第696回 「シンセサイザーで音作り」の真髄に迫るイベント。“冨田勲サウンド”再現も
「シンセサイザーで音作り」の真髄に迫るイベント。“冨田勲サウンド”再現も
2016年10月17日 14:09
9月25日、東京・渋谷のレッドブル・スタジオ東京で、「マニピュレーターズ・カンファレンス」というイベントが開催された。
これはJSPA(日本シンセサイザープロフェッショナルアーツ)がレッドブル・スタジオ東京とともに開催するイベントで、「スペシャルなプレゼンテーターによる最新(あるいは最古?)のシンセサイザーとDAWに関するレクチャーと参加者同士の討論によるカンファレンス」と定義。今後月に1回のペースで定期的に開催されていくという。その初回に参加してきたので、どんな内容であったかを紹介しよう。
主催するJSPAは1988年に設立した団体で、今年の5月までは日本シンセサイザー・プログラマー協会だったのが、組織の大幅見直しなどにより日本シンセサイザープロフェッショナルアーツへと変更になった。
このJSPAの代表理事は松武秀樹氏、また理事として藤井丈司氏ほか4人がいるという組織だが、このマニピュレーターズ・カンファレンスは藤井氏の企画として行なっているイベント。
その第1回目となる今回のプレゼンテーターが松武氏だった。この二人の名前を見て、「おお! 」と思う方も少なくないはず。松武氏はYMO=Yellow Magic Orchestraの4人目のメンバーともいわれ、シーケンス部分を支えてきた人物。そして藤井氏は、YMO後期に松武氏を引き継ぐような形でプログラミングを行なってきた人物なのだ。その二人が行なうイベントだから、YMOの話かと思いきや、今回のテーマは5月に亡くなったJSPAの元会長である冨田勲氏のシンセサイザー・サウンド。
約3時間ほどのイベントであったが、前半は師弟関係にあった松武氏の冨田氏に関するエピソード、後半は松武氏による冨田サウンドの再現というものだった
その前半においては、まず「マニピュレーターズ・カンファレンス」というタイトルにおけるマニピュレーター、マニピュレートとは何か、というところから始まった。英語でmanipulateとは「操作する」、manipulatorは「操縦者」といった意味だが、現在シンセサイザー、音楽の世界では、シンセサイザーの音作りをしたり、シーケンサでの打ち込み作業、DAWの操作をする人といった意味で使われている。
「これをマニピュレーターと言い始めたのは坂本龍一さんのマネージャーである生田朗さんが最初。1980年のYMOの2回目のワールドツアーで、メンバー紹介のときに、ボクのことを何って呼ぼうか…と話していたんですが、シンセサイザー・プログラマーじゃ恰好悪いからって本番でマニピュレーターって呼んだんですよね。それが最初だったと思います」(松武氏)。「でも、YMOが解散した後、マニピュレーターという言葉も廃れちゃったんですよね。その後90年代中盤、第二期テクノブームあたりふと浮上してきて、定着したんじゃないですかね」(藤井氏)と、いまでは常識的な用語の語源について冒頭から飛び出してびっくり。ちなみに、「プリプロ」という言葉は「ポスプロ」に対する言葉として藤井氏が言い出したものなのだとか……。
冨田勲氏による音の作り方とは
ここからは、松武氏と藤井氏のやりとりの形で見ていこう。
藤井:さっそくですが、松武さんと冨田先生の出会いのキッカケを教えてもらえますか? 冨田先生がシンセサイザーを使ったアルバム「月の光」を発表したのが1974年でしたが、その前だったんですよね?
松武:ボクが冨田先生の事務所に入社したのは1971年4月。入ったキッカケは父がこの業界にいて、冨田先生の奥さんの弟さんを知っていて『ウチにバカな息子がいるんだけれど、電気と音楽だけは分かるんで、入れてやってもらえないだろうか? 』とお願いして、入れていただいたんですよ。で、なんとその年に、冨田先生がMOOG IIIPというシンセサイザーを購入するということになったんです。
藤井:じゃあ、冨田先生がMOOG IIIPを買うことも知らずに入ったんですね?
松武:そう、全然知らずに。ボクは大阪万博でシンセサイザーという存在を初めてしって、こんなものを触れたらいいな……と思っていたら、その1年後に出会うことになっちゃった。本当に偶然のことです。
藤井:松武さんが今使っているのはIII-cですよね、IIIPとは何が違うんでしたっけ?
松武:Cはコンソール、Pはポータブルの略で、Pは3つのモジュールに分かれて、持ち歩き可能になっていたんですよ。まあ、このCもこうやって持ち歩いているわけですけどね。有名な税関事件などを経て、1971年の秋に冨田先生の自宅にMOOO IIIPがやってきたんです。たしか、和室に鎮座する形で置かれていましたよ。
藤井:実際、やってきてどうだったんですか?
松武:もちろん先生がいろいろ使っていたんですが、「ボクが寝ている間とかは自由に使っていいよ」と言われ、社員が三交代制だから8時間ごとに交代して使っていました。もちろんボクは一番下っ端だから、使えるのは深夜・明け方。先輩社員もいて順番に使っていたので、24時間電源は入れっぱなし。そのほうが安定していたというのもあるんですよね。ただ、先生からは、こうやって音を作る、こうすれば音が変えられるといったことは一度も教わらなかった。唯一教えてくれたのはVCO-VCF-VCAという流れでつないでいくということだけ。「あとは全部自分で考えなさい!そうしないとこの良さが分からない」って。
藤井:シンセサイザーについてはどうやって覚えていったんですか? 基音があって、倍音があって、それをフィルターで……みたいな。
松武:そんなこと以前に、そもそもどうやって音が出るのかすら、さっぱり分からない。辛うじてオシレータを出力すれば音が出ることまでは分かったけど、ブーーー!という音だけで、どうやって止めるかもわからないし、キーボードで演奏できるところまでが、長い道のりだよね。しかも、みなさんお分かりかと思いますが、こんなに大きいシンセサイザーなのに出る音は1つだけで、和音すら出ないんですからね。そんな感じだから、音色づくりにたどり着くのは遥か先でしたね。
藤井:でも、冨田先生が「月の光」を発表したのはその1年半後だから、すごいですよね。まあ、先生は、MOOG IIIPが初めてというわけじゃなく、シンセサイザーには触れていたんですよね?
松武:そう、シンセサイザーとはいわないけど、エフェクタ、さまざまな電子楽器はたくさん持っていて、生の楽器につないだりして、いろいろな作品は作っていましたから。また電気バイオリンなんていうのも使って、スタジオに持ち込んでエフェクトを掛けたりして使っていましたね。
藤井:冨田先生、そういうのが面倒だから、シンセサイザーを買っちゃった?
松武:いや、そんなことはないだろうけど。でも有名な話ではあるけれど、自分のオーケストラが持ちたくて、シンセサイザーを購入されているんですよね。いつでも自分で音を出すことができ、ミュージシャンが疲れない。そういうものが欲しかった、と。
藤井:でも、これがオーケストラとして使えるなんて保証はどこにもなかったわけでしょ。これでストリングスの音が出るとか、口笛みたいな音が出せるなんて、当時誰も分からなった。
松武:そうだね。たぶんだけど、冨田先生も95%は失敗だったんじゃないかと思うな。やったはいいけど、使えない音ばかり。それの繰り返しをしながら、「月の光」を作っていたんでしょう。
藤井:そうそう、昨日、この年表を整理して気づいたんですが、松武さんは、冨田先生が「月の光」を出すより前に独立されているんてるんですよね。
松武:そう、1973年には社員を辞めたから、結局、冨田先生のところにいたのは2年くらい。辞めて、南佳孝さんの「摩天楼のヒロイン」というアルバムとかをやりだしたんですが、その時には、このMOOG III-cを手に入れていたんですよ。
藤井:ええ? そんな何千万円もするものを買っちゃった?
松武:いやいや、パトロンというわけじゃないけど、投資してやるから、これで稼いで来い、って言ってくれる人がいて買ってくれたんですよ。1ドルが360円の時代で、5,000~6,000ドルくらいだったから、金額にしたら200万円ちょっと。でもぜいたく品という扱いで膨大な税金がかけられて1,000万円以上になっちゃったんですよね。
藤井:まあ、それで佳孝さんのアルバムを1973年に出しているんだから、シンセサイザーを使ったアルバムという意味では、冨田先生より先に、松武さんが出したわけですよね。
松武:うーん、そうともいえるけど、別にシンセサイザーだけの作品じゃないからね。これはキャラメルママがバックを演奏しているいいアルバムですよ。
藤井:そうすると、松武さんは「月の光」の制作には立ち会っているんですか?
松武:ボクが直接、制作に参加するということはなく、すべて先生おひとりでやられていたけど、最初のころは見ていましたね。また「月の光」だけでなく、テレビのCMや番組の曲制作でもMOOG IIIPを使われており、それを運ぶ作業なんかも我々がしていたわけです。
藤井:え? 自宅に来てくれるというわけじゃなく?
松武:そりゃ、今と違って、自宅スタジオなんてものはないし、Pro Toolsだってない時代だからね。もちろん、気軽に持ち歩けるようなものではないけれど、スタジオに持ち込まない限り使えないからね。そうやって運ぶと、先生がすぐにパッチを組みだして音を作っていく。それをこっそり見て、メモするわけですよ。
藤井:その時のノートが、ここにあるんですよね。
松武:そうやって勉強するわけですよ。先生だって、本当に試行錯誤の繰り返し。だいたい、このシンセサイザーを買ったときについてくるのは回路図だけ。それに製品のパンフレットくらい。
藤井:ええ!? じゃあ、モーグ博士は、音色サンプルとかを提示せずに、これだけを売っていたわけですか?
松武:まあ、そういうことですよね。だから、自分でやりなさい、ということですね。買った人の責任だ、と。だいたい、この上部分にあるシーケンサなんてね、「将来、いずれ役に立つ装置になる」って書いてあるだけ。だから自動演奏に使え、なんてことは一切書いてない。確かにSequential Controllerとは書かれていたけど、直訳すれば「連続の操作」みたいなもんだから、意味が分からないですよね。そもそも0~5Vの電圧が選べるだけの装置だからねぇ。
こうしたお二人のやり取りに続いて、「月の光」の試聴会に。ここではSACDを使った4chのサラウンドでの再生が行なわれた。松武氏によると「この作品では、どっちが前とか後ろとか、センターいうことはなく、どっちの方向を向いて聴いてもいいと、冨田先生はおっしゃっていましたよ」とのこと。実際にセンターに定位している音はなく、トミタ・サウンド独特なサラウンドを実現している。まず最初に「夢」がプレイされた。
松武:ん~、素晴らしいね。グッと来るね。
藤井:いやぁ、どうやって作ったのか、まったく分からないですよ。
松武:いろいろと難しいけど、何といっても一番難しかったのがテンポコントロールじゃないかな。今のDAWみたいに自由にテンポを変えられるわけじゃないしね。ただ、ひとついえるのは、通して一度に録っているのではなく、何度も切ってつないでいる。
藤井:一つのマルチにあるシーンを作って、それを別のマルチに移しているんですかね?
松武:ボクも実際の作業を見ていたわけではないので、いい加減なことは言えないけれど、たぶんそうだったんじゃないかな。当時よく先生は「今日は最初の20秒くらいしか作れなかった」とおっしゃっていたのを覚えていますから。たぶんテンポのコントロール用には、このアナログの音を鍵盤で叩いたコツ・コツという音を録っておいて、それでシーケンサをトリガリングしたんじゃないかな、と。先生は、この16ステップのシーケンサを3つ持っていらっしゃったのでで、48ステップ分はそれで作れたはずだから。今、ボクらが言うところの(リズムマシンの)クリックとかドンカマというのをこれでコントロールしていたんだと思う。たとえばストリングスのサウンドなんかは、かなり多重録音で重ねているんだけど、当時先生は8トラックのレコーダーを使っていて、このアルバムを制作する後半で16トラックへと移行していったんです。だから、とくに最初に作った曲はピンポンの嵐だったと思うよ。
藤井:いまでいうバウンスですね。
松武:当時、そのピンポンの仕方は教えてもらったことがあるんです。先生は可変スピードのテープレコーダーを2つ持っていて、片方に7ch分のストリングスが入っていて、それをもう片方にまとめて録音していくとするでしょ。そして、両方のテープレコーダーにドンカマを入れておき、ヘッドフォンで1台目のドンカマを左から、2台目を右から鳴るようにして、両方のテープレコーダーのスイッチをガーンと同時に入れる。そして、そのドンカマがセンターで聴こえればちゃんと同期しているわけ。ズレないように目をつぶってスピードを調整するんだよね。でも、時にはわざとズラしたりもする。だから、フェージングとかフランジングとかも起きる。
藤井:いやいや、待ってくださいよ。それが何小節目なのか、そもそも音が両方で合っているかの確認はどうするんですか?
松武:音なんて聞いてない。ドンカマしか聞いてないないから、ズレない。だから、そこはボクらから考えてもあり得ない。
藤井:一方で、曲の盛り上がっていくところとか、ダイナミクスも大きく変化してますよね。
松武:そこは全部ミキサーで操作している。ただし、どこでどう盛り上げるかとかは予め、完璧に決めているわけ。だから、そこでフィルターを開いていくとか音作りのほうは事前にしっかり作りこんでいて、最後にダイナミクスを決めるんだよね。でも、そんな作り方をしているから、まさに失敗の繰り返し。物凄く手間がかかっているわけですよ。また先生の作品はシンセサイザーで作っていて、楽器の胴鳴りなんてものはないですから、遠近感はすべてリバーブとかディレイで作っているわけ。それも、録るときではなく、あとでミックスダウンの際にコントロールしているんだよね。
藤井:あとはサラウンドのPANもミックスダウンのときですよね。
松武:そうそう、それもスゴイんだよ。今みたいにジョイスティックでのサラウンドPANがあるわけじゃないから、4つのフェーダーを両手を使って動かしていくの。それ、ボク見ましたから。フェーダーでサインカーブを指を使って描くような……。あれは今でも真似できないですよ。
「パピプペ親父」など、シンセサイザーの歌声を会場で再現
2曲目は、「アラベスク」を4chで再生。ここには、通称「パピプペ親父」と言われる、不思議なシンセサイザーの歌声が登場してくる。これを会場のみんなで鑑賞して、前半を終えたのだ。まだボコーダーもない時代ではあるが、冨田氏最初のアルバムで、すでに人工の歌声を入れ込んでいたわけだ。そう考えれば、晩年に初音ミクを取り入れた「イーハトーヴ交響曲」を作り上げたのは、当然の流れだったようにも感じる。
そして、後半では、この「パピプペ親父」のサウンドのほか、「月の光」でのシンセサウンドを、松武氏の手元に残るノートのメモを元に再現するという実演に入っていった。
ここではキーボード奏者に三輪学氏が加わってデモが行なわれていったのだが、その一部をビデオで撮影した。
会場に集まった人達から質問も多数寄せられたり、来場者が機材を触って音作りにチャレンジするなど、予定時間を大幅に越えたイベントとなり、大盛況なうちに終わった。
藤井氏によれば、「これからもさまざまなテーマ、さまざまな人を呼んで『マニピュレーターズ・カンファレンス』を実施していくので、ぜひ、興味のある方は遊びに来てください」とのこと。ちなみに参加費は一般が2,000円でJSPA会員は1,000円と手ごろだが、毎回先着30名程度になるとのことなので、希望者は早めの申し込みが必要になりそうだ。次回は10月30日、フランス在住でシンセサイザー・デザイナーである生方ノリタカ氏をゲストに「シンセサイザーを『作る』ということ」をテーマにArturiaやSynthMasterの情報を交えつつシンセサイザーの設計について議論していくとのこと。また、その後も浅田祐介氏、Shinnosuke氏、砂原まりん氏などをゲストに招くことを予定。詳細については、JSPAのサイトで案内されるという。