第491回:DSD対応ヘッドフォンアンプ「HP-A8」インタビュー
~フォステクスが追求した「高音質ソースのためのデバイス」 ~
昨年10月のヘッドフォン祭会場で発表されて大きな話題となったフォステクスの32bit DAC ヘッドフォンアンプ、「HP-A8」。いわゆるUSB-DAC兼ヘッドフォンアンプで32bit/192kHz(Mac)・24bit/192kHz(Win)対応というもので標準価格105,000円。ユニークなのは、これが単にPCMのDACに留まらず、DSDにも対応しているという点。
リアにはSDカードスロットが搭載されており、ここにDSDファイルを含むオーディオファイルを入れると、直接再生できるプレイヤー機能も装備しているのだ。部品調達の問題から当初1月末の発売予定が1カ月後ろ倒しになってしまったが、価格や仕様面での変更はないとのこと。
HP-A8前面 | HP-A8背面。端子群の他、SDカードスロットが見える | リモコン |
DSDデバイスはまだ非常に限られている中、どんな経緯でHP-A8の開発に至ったのか、技術的なポイントがどこにあるかなどを開発チームにインタビューした。話をうかがったのはフォスター電機株式会社のフォステクスカンパニー、次長の新町政樹氏、技術課・課長の浦郷英治氏、技術課PA技術・主査の古屋一成氏、同じく技術課PA技術の山口創司氏の4名だ(以下敬称略)。
新町政樹次長 | 技術課課長の浦郷英治氏 |
技術課PA技術主査の古屋一成氏 | 技術課PA技術の山口創司氏 |
■ アマチュアからプロへ ―フォステクスの沿革
――具体的なHP-A8の話を伺う前に、まずフォステクスという会社およびブランドに関して、その概要を教えていただけますか?
カセットテープを使ったミュージシャン向けのマルチトラックレコーダ |
新町:フォステクスは1973年、フォスター電機の子会社として設立されました。フォスター電機は1949年創業のOEMメーカーで、基本的に社名が表に出ることはありません。しかし、これまで培ってきた技術を元に自分のブランドでも出したいという思いからフォステクスを作ったのです。
当初はオーディオマニア向けに自分で組み立てられるスピーカーユニットを出したり、ヘッドフォン、マイクといったものを商品化してきました。その後、80年代に入りMT事業というものをスタートさせました。オープンリールやカセットテープを使ったミュージシャン向けのマルチトラックレコーダ(MTR)です。
――私が知っているのはその辺からですね。大学時代、カタログを見ながら検討した覚えがあります。
新町:このMTRはアメリカで爆発的に当たりました。やはり、今も昔もミュージシャンってあまり自由になるお金がない。高級スタジオを借りたいけど、なかなか難しい。でもプロ用機器に匹敵する性能を持ちながら、価格が安く、ランニングコストも安いレコーダということで、広まっていったのです。
タイムコードを入れた独自フォーマット対応のD40 |
浦郷:その後、世の中はアナログからデジタルへと急速にシフトしていったのですが、われわれは、80年代後半にDATに取り組み、タイムコードを入れた独自フォーマットを作ったという経緯があります。第一号機としてD20という機器を開発し、そのフォーマットをAESに申請した結果、ほぼその形で規格化されていきました。やはりプロの世界では音声と映像の同期が重要であり、そのためにはタイムコードは必須です。こうしたものを手がけた結果、従来のMTRのようなアマチュア向け機器だけでなく、プロ用機材にも取り組んでいくことになったのです。
――なるほど、デジタルオーディオはDATがスタートだったのですね。
古屋:DATの後は、HDD、光メディアなどファイルベースのものへと進んでいきました。やはりファイルベースになるとコンピュータとの連携など技術的にも異なるスキルが必要となり、いろいろと勉強していきました。当初はSCSI、その後FireWireやUSBの技術などを習得し、製品に生かしてきています。
新町:FOSTEXというブランドで国内外で幅広く製品を展開しているわけですが、業務や経営の効率化という観点からフォステクス株式会社は2003年に親会社であるフォスター電機株式会社と合併し、現在はフォスター電機の一部門となっています。
■ 高音質ソースを良い再生デバイスで
――フォステクスというと、個人的にはFR-2LEなどのフィールド用のリニアPCMレコーダ、またNF-1Aなどのニアフィールド・モニター・スピーカーというイメージが強いのですが、ヘッドフォンアンプはいつごろから取り組んでいたのですか?
FR-2LE | NF-1A |
新町:今回のHP-A8はフォステクスとしては4機種目になります。最初に出したのは2010年1月のHP-A3。32bit対応のUSB-DAC+ヘッドフォンアンプであり、3~4万円程度で市場に投入しました。続いて、HP-A3の上位機種としてHP-A7を翌月に7万円台でリリースしています。また、ここから派生する形で、iPod用のポータブルヘッドフォンアンプ+DAC、HP-P1を6万円台で出しました。そして、今回改めてHP-A7のさらに上位機種としてHP-A8を出すことになりました。
HP-A3 | HP-A7 |
HP-P1 | HP-A8 |
――業務用として取り組んでこられたデジタルレコーダとは、ちょっと分野が異なる製品ですよね?
山口:われわれはプロオーディオの分野ではある程度のシェアを持ってきたし、その方面ではかなり研究をしてきました。ただ、プロオーディオという市場は非常に限られた世界であることも確かです。ここで培ってきた技術を応用することで、もっと多くの価値を見出せるのではないかとスタートさせたのです。われわれの取り組んできたデジタルレコーダではADの技術もDAの技術もあります。ただ、ADのほうはやりつくされた感もありました。どちらかというとビンテージのマイクプリやヘッドアンプの色づけといったほうが話題になっているくらいですし…。そこでDAに特化し、開発リソースをそこに傾けようと、深堀りを行なっていきました。
――DACとヘッドフォンアンプ、似た領域にも思えますが、もともと別モノですよね。これが一体化している背景というのはどういうことなのでしょうか?
山口:iPodやiPhoneの存在が大きかったのだと思いますが、4、5年前からでしょうか、ヘッドフォンユーザーがかなり厳しく製品をジャッジするマーケットが育ってきました。従来からのオーディオマニアの方とは別にヘッドフォンを使ってできるだけいい音を楽しみたいという人たちです。われわれとしては、そこで勝負をしたいという気持ちがありました。ここではやはりDACとヘッドフォンアンプはシームレスな関係なんです。
古屋:ここ最近でスピーカーの性能は飛躍的に向上してきたし、ヘッドフォンの性能も大きく向上しています。また音楽配信の進化に伴い、CDを遥かに超えるソースが登場してきました。またわれわれ自身もレコーダを手がけていますが、こうしたリニアPCMレコーダによって誰でも高音質で録れるようになっているのに、それを再生するデバイスがないのです。そこで、それをわれわれ自身でやってみようと開発を行なっていったのです。
■ 「PCとオーディオの関係」
――最近PCオーディオというジャンルが流行っていますが、そこをターゲットとした製品を作るということですね。
山口:PCオーディオというのは、雑誌社やメディアが作った名前、ジャンルだと思っています。われわれや、音楽制作に携わっている人から見れば、オーディオインターフェイスを使えばいい音で再生できるというのは当たり前の話。でも、ソースが高音質化してきたことなどと絡んで、音を作らない人たちも、こうしたオーディオインターフェイスなどを使うといい音になることに気づいたため、ブームになってきているのでしょう。
浦郷:ただオーディオインターフェイス、DACを含め、PCが介在すると覚えなくてはならないことが非常に多いし、分かりにくいパラメータも数多くあります。ASIOがどうこうとか、カーネルミキサーをパスする……など難しいことがいっぱい。そのことがかえって、刺激的に捉えられて、盛り上がってきているのではないでしょうか? われわれとしても従来のオーディオの世界のように100万円を超えるような高級機材を出していこうというつもりはありません。音は突き詰めていくつもりですが、従来のレコーディング機器と同等かそれ以下の価格で提供していきたいと考えています。レコーディング機器と比較するとADがないぶん、DAに開発リソースを集中できますし、より満足度の高い機材が開発できると考えています。
――フォステクスとしては新たな分野の製品ではあるけれど、開発的には従来からの延長線上にあるということですね?
FR-2 |
古屋:技術という点で、このHPシリーズに直接つながるのは、7、8年前にリリースしたFR-2というリニアPCMレコーダです。当時、他社製品は16bit/48kHzもしくは24bit/48kHzが主流であったのに対し、フォステクスだけは24bit/192kHzに対応した機材を出したのです。ここではクロック周りの技術を培ってきたし、最近ようやく話題に上ることも増えてきたジッターに対しても当時からシビアに取り組んできました。AKM(旭化成エレクトロニクス)とのつながりも当時からですし。
浦郷:AKMに関していえば、D20のころも使っていましたよ。
――フォステクスはスタンドアロンのレコーダはいろいろ出されてきていますが、オーディオインターフェイスは出してきませんでしたよね?
浦郷:やはり業務用ということを考えると、あえてPCを介在させず、絶対に落ちない機材ということで、スタンドアロンにこだわってきたところはありました。もちろんオーディオインターフェイスを検討したこともありましたが、これはハードウェアだけでなくドライバに巨大な開発リソースをとられてしまいます。やはりUIまでしっかりしたものを作っていくとなると、とても大変ということで、手をつけませんでした。ただ、もちろん社内的にはずっと研究は行なってきています。
古屋:先ほどのFR-2を含め、ファイルベースのシステムとなると、PCとの関係は非常に重要になってきます。当初はSCSI、その後FireWire、USBなどさまざまなインターフェイスについても見てきました。
■ コアに自社開発プログラム搭載。DSDのフォーマットはDSF
――さて、もう少し今回のHP-A8について詳しく教えていただきたいのですが、設計上、従来のHP-A3/A7との最大の違いはどこにありますか?
古屋:従来のものと一番の違いは、やはりコアエンジンが独自開発の新システムになったということでしょう。HP-A3もHP-A7もUSBオーディオコントローラのチップに台湾のチップメーカー、TENORのデバイスを使っていました。このTENORのチップの制限で、96kHzまでしか対応できていなかったのですが、今回は自社開発で、32bit/192kHzにまで対応できるようになりました。
――コントロールチップ自体がフォステクス開発なのですか?
古屋:いいえ、部品そのものは購入したチップを使っていますが、そのプログラム自体が完全自社開発なのです。他社のUSB-DACで同じ方法で自社開発という製品は見たことないですね。結果として、非常に自由度が上がり、16bit/44.1kHz~32bit/192kHzまでメジャーフォーマットにはすべて対応できるようになりました。具体的には88.2kHzとか176.4kHzとか……。またPCの世界では新しい技術や規格が1年単位でどんどんと出てきます。TENORはハードウェアなので、PCが変わったときに対応することができないのです。自在に対応していくためには、自社開発しかないし、発展性という面では大きなメリットがありますね。
――今回のHP-A8ではDSD対応というのが大きなポイントになっていますが、これも自社開発という点が効いているわけですか?
古屋:そうですね、そもそもUSBの規格にDSDは存在していません。実際の運用方法はOSに依存する形になるのですが、DSDの転送方法がないんですよね。確かにASIO 2.1という規格はあるのですがこれに対応したソフトが皆無です。ただ、最近になってdCSという会社が「DSD over USB」という規格を打ち出してきました。われわれもフォーマットには困っていたので、期待をしているところです。ただ、現状では設定が非常に難しく、分かりにくいのが難点ですね。
山口:そうした問題があるため、今回はDSDに関してはSDカードでの再生ということにしました。ただ、今後、周りの状況を見つつ、直接USBで再生できるようにはしていきたいと考えています。実際、いろいろとテストは行なっているので、いずれお見せできると思います。
――そのSDカードで再生できるDSDのフォーマットは、DSF、DSDIFFのどちらになりますか?
山口:DSFのみになります。先日、配信会社との打ち合わせがあったのですが、DSFを使っていくということでした。DSFはチャンクデータが簡単なので、配信会社としては管理しやすいのでしょう。ただ、データを読む側としては非常に大変なのですが、おそらく今後はDSFが中心になっていくではないでしょうか。
――実際dCSの規格に対応しているソフトウェアメーカーというのはどのくらいいるのでしょうか?
古屋:私の知っている範囲では6社で、複数の会社と連絡も取り合っています。今のところすべて海外メーカーですね。現在のところ大半はMac用のソフトなのですが、ようやくWindows版も登場してきたので、いい形で連携していければと思っています。
――ぜひPCから直接DSDファイルが再生できることを期待しています。ありがとうございました。
以上、HP-A08に関するインタビューをお届けした。なお、HP-A8の実機を使ったレビューについても今後この連載にて予定しているので、お待ちいただきたい。
開発に使うスタジオでHP-A8の音を聞かせてもらいながら取材を行なった | 山口氏(左)と古屋氏(右) |