藤本健のDigital Audio Laboratory

第712回

“音のVR”を実現するゼンハイザー「AMBEO VR MIC」。360度音響はどうやって作る?

 いまエンターテインメント系で欠かせないキーワードの一つといえばVRだろう。ヘッドマウントディスプレイを使っての360度映像は、ゲームやビデオの世界でさまざまな作品が登場してきている。またリコーのTHETAなど誰でも簡単に360度の画像を作れるカメラやツールも手ごろな価格で登場してきているが、オーディオのVR作品の作成ツールというのは、まだ少ないように思う。そんな中、昨年末のInter BEE 2016で参考出品されていたのが、ゼンハイザーの360度マイク、「AMBEO VR MIC」だ。

AMBEO VR MIC

 すでに海外では発売が開始されており、国内でも発売に向けての準備が進められている段階だという。このVR MICとはどんなもので、どんな使い方をするものなのか、ゼンハイザージャパンに話を聞いた。今回、取材に対応いただいたのは、マーケティングマネージャーの大澤広輔氏と、CDAE(カスタマー・ディベロップメント・アプリケーション・エンジニアリング)担当の久保田阿佑美氏のお2人だ。

マーケティングマネージャーの大澤広輔氏(右)と、CDAEの久保田阿佑美氏(左)

ゼンハイザーがVR音響を手掛けるAMBEOとは?

――昨年のInter BEEで参考出品されていたAMBEO VR MICについて、いろいろおうかがいしたいと思います。

大澤:実際に製品の説明に入る前に、まず「AMBEO」について説明させてください。これは2016年にスタートした立体音響(3Dオーディオ)を包括的にサポートしていこうというプロジェクトの名称です。目的としては3Dオーディオ市場の支援と普及に向けて、録音から再生までのフローを包括的にサポートするために技術、製品、ノウハウを提供します。よく、このVR MICの名称だと勘違いされてしまうのですが、製品名というわけではないのです。確かに製品のほうが、AMBEOというプロジェクト名よりも先に登場したのですが、AMBEOはハードウェアだけでなく、ソフトウェア、ソリューションと“上流から下流まで”をサポートしていくプロジェクトです。

立体音響の歴史

久保田:立体音響へのアプローチは大きく分けて3つあります。ひとつは当社でもKU100というダミーヘッドのマイクを1973年に発売し、いまも現行製品としているバイノーラル音響です。これは2chのヘッドフォンで立体的な音を再現していきます。2つ目はマルチチャンネルで数多くのマイクを立ててレコーディングする手法であり、たとえばMKH 800 Twinといったコンデンサマイクを複数使って録っていくのですが、再生もマルチチャンネルのスピーカーを使って、リアルな空間を表現します。そして、いま注目されているのが「VR音響」です。こちらはヘッドマウントディスプレイなどと組み合わせて音響空間を再現するというもので、ゼンハイザーのAMBEOとしては、これらの3種類に対して、総合的にソリューションを提供していきます。

AMBEOの立体音響へのアプローチ

久保田阿佑美氏

――なるほど、AMBEOのプロジェクトの中に、従来のKU100も入るということですね。では、今回はAMBEOというよりも、VR音響に対するソリューションについてフォーカスを当てて説明をお願いします。

久保田:まずハードウェア製品としてお見せすると、AMBEO VR MICのパッケージには、このように4つのパーツが入っています。マイク本体、専用のケーブル、マウント、そして風防です。一方これを活用するためのソフトウェア「AMBEO A-B FORMAT CONVERTER」はドイツ本社側のWebサイトから誰でも無料ダウンロード可能(英語)となっており、Windows用とMac用があります。

AMBEO VR MICの内容
プラグインソフトの「AMBEO A-B FORMAT CONVERTER」

大澤:このVR MICの発売時期および価格は未定ですが、海外では昨年の秋冬頃から販売を開始しており、ヨーロッパでの値段は1,789ユーロ(税込)、アメリカでは2,059.95ドル(税抜)となっています。

大澤広輔氏

――見た目は普通のマイクっぽいですね。以前、Inter BEEで見たときは、ゴツゴツとしたマイク素子が見えていましたが。

外観は普通のマイクに見える

久保田:グリルを外すと四面体のマイク素子が出てきます。前方左上、後方左下、前方右下、後方右上と4つの方向をキャプチャすることで、360度の音を取り込むことを可能にしています。

グリルを外したところ

 それぞれの素子はエレクトレット・コンデンサマイクとなっており、当社のME 5004という上のレベルのワイヤレスマイク用マイクカプセルと同じヘッドを使用しています。ちなみに、ME 5004ひとつで8~9万円するので、どうしても価格的には上がってしまいます。もちろん、4つのマイク素子はすべてバランスがとれるように選別済みです。

普通のマイクと、仕組みや録音/制作方法はどう違う?

――マイクの端子を見ると、かなり特殊な仕様に見えますが?

久保田:その端子に、付属ケーブルを接続することで3つのキャノンのコネクタに変換されます。これを4つの入力を持ったレコーダーやオーディオインターフェイスに接続して使うので、4chの入力さえあれば、何でもごく一般的な機材で利用することが可能です。ただし、4つともコンデンサマイクであるため+48Vのファンタム電源の供給は必要となります。

マイクの端子

付属のケーブルで端子を変換

――実際のレコーディングも普通に録ればいいだけなんですか?

久保田:レコーディングにおいては、まずマイクの向きをどうするかを決めるところから入ります。特に決まりはないので、縦に置いても横に置いても、マウントを使ってマイクスタンドに設置しても、逆さに吊るしても大丈夫です。ただし、マイクの向き、角度だけはしっかり記録しておいてください。これが後々ミックスする際に重要な情報になるからです。あとは普通に4chのマルチでレコーディングしていくだけです。

マイクの向きは上下どちらでも、横方向でも使える

マウントを着脱可能

大澤:VR MICの何がいいかというと、4本のマイクを持ち出したり、セッティングする必要なく、これ一つだけ、シングルポイントで360度の音を収録できるという点にあるんです。

久保田:こうして録れた結果が、Ambisonicsの「Aフォーマット」というものになります。

――Ambisonicsとは何ですか?

久保田:Ambisonicsは1970年代にイギリスで発案されたワンポイント録音で、空間全周を球状に丸ごとキャプチャし、空間音場を再現する立体録音、処理技術です。考え方としてはM/S(Mid/Side)マイクなどと近いものであり4つのマイクで録音した音の和、差を使って360度の音を自由に表現できるようにするというものなのです。このAmbisonicsにはAフォーマット、Bフォーマットなどいくつかのフォーマットが存在しますが、四面体のマイクで収録したままのものがAフォーマットということになります。

Ambisonicsを用いて360度の音を表現

――MSマイクでいうところのMS RAWがAmbisonicsのAフォーマットということですね。

久保田:その通りです。これを無料配布しているソフトウェア「AMBEO A-B FORMAT CONVERTER」を使うことで、AフォーマットからBフォーマットへ変換可能です。このソフトではM/Sマイクの処理と同様に和・差を利用することで、W=無指向の音圧情報、X=前後、Y=左右、Z=上下の情報に展開でき、その後の加工でさまざまな音を容易に作り出すことが可能になるのです。

――でも、なぜAmbisonicsという、そんな古い技術が、360度VRの世界に登場することになったのでしょうか?

久保田:ヘッドトラッキング位置情報に追従して、音場定位を自在に回転させたりできる技術であり、扱いが簡単だからです。 VRコンテンツや360度動画には、立体的な空間の音場が必要になります。一般的なのは、バイノーラル、 クアッドバイノーラル、そしてAmbisonisがありますが、Ambisonicsは、録音した音声信号をそのまま使うのではなく、 エンコードして位置情報を持った音情報、つまりそのBフォーマットに変換することができます。それを360度映像に合成することで、ヘッドマウントディスプレイを装着して、振り向いたり、仰ぎ見たりしても、 音は空間内で本来の定位に留まり、視覚とリンクした聴感覚によって、没入感が得られるようになるからです。

――この変換ソフトは、プラグイン型のものになっているんですよね。

久保田:はい、WindowsのVST、MacのVST、AudioUnits、AAXの各フォーマットに対応しています。ただし、インストールすればどれでもすぐ使えるというわけではありません。Ambisonicsのフォーマットは4chに対応したものなので、4chを1トラックで扱えるマルチチャンネル対応のDAWでないと利用することができないのです。まだ、具体的なDAWとしてどれに対応しているか、細かな検証ができていないのですが、Nuendo、Reaper、Pro Tools HDX、Pyramixなどで使えると(本社の)ドイツ側から報告を受けているところです。

 実際にお見せしましょう。ここでは、Reaperを使って試してみます。1~4トラックにもともと録音したオーディオを入れます。本来はモノラルで入れるべきところですが、もともとがステレオで録れてしまったので、ここではステレオのままにしてあります。ここに5トラック目を立ち上げて、ここを4chに設定した上でプラグインのAMBEO A-B FORMAT CONVERTERを入れ、上記4トラックを順番に入力へルーティングすると、これでBフォーマットへと変換することができます。ここではリアルタイムに変換することもできるし、もちろん書き出すことも可能です。

Reaperと連携

――6トラック目は何をしているのですか?

久保田:Ambisonics Bフォーマットはリスニング用のフォーマットではありません。例えば、これをヘッドフォンで聴きたいという場合、向いている方向/角度などを設定した上で、Bフォーマットから作り出すわけですが、6トラックには、そのためのプラグインを入れています。ここではReaper専用のプラグインであるフリーのATK for Reaperというものを設定してみました。ATKとはAmbisonics Took Kitの略ですね。一方で、ゼンハイザーのドイツ本社側では、フランスのNoise Makersという会社が作っているAmbi Headというプラグインを推奨しています。これも同じく、Bフォーマットを元にヘッドフォン用の信号にエンコードするためのソフトで、189ユーロで販売されているものです。できること自体はATK for Reaperと基本的には同様ですが、より分かりやすいソフトとなっています。

ヘッドフォンで聴く場合などに、方向や角度などを設定するプラグインを利用

'70年代から存在した録音手法が、VR時代に再び注目

――ここまでのお話しをうかがう限り、今回のVR Micやプラグインが何か画期的なもので、それを新たに開発したというものではなく、既存の技術を元に、現代で使いやすい形にして製品化したという理解でいいでしょうか? マイク自体も、こうした四面体のものって、過去に存在していましたよね?

大澤:そうですね、このマイクの形状や仕組みがまったく新しいものというわけではありません。従来からある手法を元にして作ったものであるのも事実です。Ambisonicsも1970年代からあったわけですが、これで昔からVR製品がいろいろ作られていたというわけではありません。どちらかというと研究開発的なニュアンスが強いものだったと思います。それが現代のソフトウェア時代になり、ようやく実用的なものになってきた、という理解が正しいと思います。

――もう一つうかがいたいのはVR Micは万能なのか、という点についてです。つまり、これがあれば、ゲーム用のサウンドでも、映像作品のサウンドでも、さらにはオーケストラの収録でもできるマイクということなのでしょうか?

久保田:これはあくまでもVR音響を手軽にいい音で作れるというツールであって、何にでもこれ1つあればいいというものではありません。やはりオーケストラをレコーディングするのであればマルチで多くのマイクを立てる必要があり、VR Micはどちらかというと、そのなかでアンビエンスを収録するものというくらいに割り切った使い方がいいと思います。もちろんVR Micは20Hz~20kHzの範囲をフラットで収録することができる高性能なマイクです。でも、そもそも高い音と低い音では、音の回り込みや反射に大きな違いがあるので、どう使うかはいろいろと工夫をしていく必要がありますね。

――ではVR Micはどんな使い方をするのが効果的なのでしょうか?

大澤:ホールのような大きい空間ではなく、もう少し狭い部屋のような空間を切り取るというのに相性が良いと思います。例えば、(リコーの)THETAのような360度カメラと組み合わせると、一気通貫した作業が可能になると思います。また、最近は撮影した360度映像をYouTubeやFacebookの動画としてアップするというケースも増えていますが、実はこれらがAmbisonicsにも対応しているんですよ。

――それなら、こうしたカメラとVR MICで録音したものを組み合わせてアップすれば、簡単にVR映像・VR音響が楽しめるということですか?

大澤:その通りです。今後こうした需要が大きくなってくるだろうと考えています。実際に、どのようにアップロードすればいいかその手順を記載したマニュアルを用意しているところですが、まずは映像とAbmisonicsのBフォーマットのデータを(フリーの動画変換ツールの)FFMPEGなどを用いてエンコードして、MPEG-4のデータを作成します。ただ、これをこのままYouTubeなどにアップロードしても、正しく反映されないのです。

 あらかじめ、このMPEG-4のファイルに“このビデオデータの映像が360度フォーマット、音声も360度フォーマットになっている”といった情報をメタデータで入れておく必要があるのです。このメタデータを書き込むツール「Google metadata injector」をGoogleが無料配布しているので、これを使えば簡単です。このメタデータが入った状態でアップすれば、すぐに360度での再生が可能になります。

VR録音が簡単にできる日も近い?

 もし一般ユーザーが360度映像/オーディオを作ろうと思った時に、AMBEO VR MICは気軽に買える値段とはいえないが、なんとか手が届く価格でこうしたマイクなどの制作ツールが出てくるのは面白い動き。VR MICの場合は業務用機器という仕様だが、今後ゼンハイザーなのか、他社なのかは分からないが、同じ手法を用いたもっと手ごろな価格の製品が出てくる可能性も高いだろう。

 この取材の後に、あらかじめVR MICで録音された4つのWAVファイルを使って、実際にAフォーマットからBフォーマットへコンバートできるか筆者も試してみた。ドイツのサイトからWindows版をダウンロードしてVST2/VST3のプラグインをインストール。その後、ここではCubase Pro 9を起動し、1~4トラックにWAVファイルを読み込んだ。しかし、Cubaseの場合、Reaperのようにトラックの出力を他のトラックの入力へルーティングすることができないので、ここでは4chのFXバスを作成した上で、ここにAMBEO A-B FORMAT CONVERTERを設定してみた。そして各トラックの出力をサラウンドパンナーを用いて、四隅に設定したところ、うまく動かすことができたようだ。

AMBEO A-B FORMAT CONVERTERと連携
サラウンドパンナーを用いて四隅に設定し、動かせた

 さらに、Noise MakersのAmbi Headのデモ版を無料ダウンロードして組み込んだ上で、AMBEO A-B FORMAT CONVERTERの下の段に組み込んで試してみた場合もバッチリだった。Yaw、Pitch、Rollという3つのパラメータを動かすことで、音像がグルグルと動いてくれる。まさにVR音響が実現できているのだ。

Noise MakersのAmbi Headのデモ版でも使えた
正しくVRの音響となっているのを実感

 今後、ゼンハイザーがこのようなAフォーマットのデータをサンプルとして無料公開してくれれば、自分のDAW環境で正しく動作するかの確認ができ、心配なくAMBEO VR MICを購入できるようになるのではないだろうか?

藤本健

 リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。  著書に「コンプリートDTMガイドブック」(リットーミュージック)、「できる初音ミク&鏡音リン・レン 」(インプレスジャパン)、「MASTER OF SONAR」(BNN新社)などがある。またブログ型ニュースサイトDTMステーションを運営するほか、All AboutではDTM・デジタルレコーディング担当ガイドも務めている。Twitterは@kenfujimoto