藤本健のDigital Audio Laboratory

第587回:DSDにも近い? フルデジタルスピーカー「Dnote」とは

第587回:DSDにも近い? フルデジタルスピーカー「Dnote」とは

開発元のTrigenceに聞く。スマホ/PCオーディオにも展開

Dnoteを使ったクラリオンの車載スピーカー「01DRIVE」

 '12年にクラリオンから最初の車載スピーカーが発売され、昨年のCEATEC 2013の同社展示でも話題になった「フルデジタルスピーカー」。「CDやプレーヤー、アンプの途中までデジタルなのは分かるけど、その先はアナログなのでは!?」と不思議に思った方も少なくないだろう。

 その後、オンキヨーなどもデジタルスピーカーに取り組んでいるようだが、これらデジタルスピーカーに共通するのは、内部にTrigence Semiconductorという秋葉原にあるベンチャー企業が開発したDnoteというチップが入っていること。このチップをやや特殊な構造のスピーカーに接続するだけで、DAコンバータ(DAC)も不要でそのまま音が出るというのだ。この説明だけではちょっと分からないと思うが、「フルデジタルスピーカー」とは一体、どんなものなのだろうか? そのDnoteを開発するTrigence Semiconductorのセールス&マーケティング マネジャーの落合興一郎氏に話を聞いてみた。

デジタルスピーカー技術を開発したTrigenceとは?

──まず、Trigence Semiconductorの概要を簡単に教えてください。

Trigence Semiconductorのセールス&マーケティング マネジャーの落合興一郎氏

落合:当社は2006年に法政大学・理工学部の教授、安田彰先生が設立した会社で、一貫してデジタルオーディオ技術を開発し、最先端技術のライセンス供給を行なっています。独自のデジタル信号処理技術であるDnoteは、デジタル信号を直接スピーカーに送ることによって、消費電力を大幅に削減しつつ音質を格段に改善できることを特徴としています。

 インテル キャピタルのポートフォリオとして出資を受けているほか、3月には産業革新機構からの出資を受けたところです。いわゆるオーディオ機器だけでなく、モバイル機器など省電力化のニーズの高い分野に対しても力を入れていこうとしているところです。私自身は2010年に参加したのですが、それまではテキサスインスツルメンツでBurr-BrownのPCMシリーズの開発を行なっておりました。

──高級オーディオ機器だけにターゲットを絞った技術、というわけではないのですね。

Dnoteのロゴ

落合:もちろん、高級オーディオの分野も狙っていきたいと考えていますが、オーディオ機器にはいろいろなものがあるし、そこで求められる機能や性能もさまざまです。音質はもちろんですが、入力の数であるとか大きさ、またBluetooth接続のような接続性、またバッテリーで駆動できるのか、そして長時間持ち歩けるのか……。

 アメリカやアジアなどの海外メーカーも音質にこだわっていないわけではないけれど、よりニーズをよく考えて製品作りをしており、そのニーズをどうやって実現するかに力を注いでいます。そこに当社の技術であるDnoteを採用することで、さまざまな目的を簡単に、そして早く実現できるというのが大きなポイントだと考えています。

CEATEC 2013のクラリオンブースでは、Dnote搭載のホームオーディオ用スピーカーやヘッドフォンも展示された

DSDにも共通する思想と、マルチビットの利点。PCオーディオにも

──Dnoteはデジタル信号の入力に対して、そのままスピーカーを鳴らす、というものですよね?

落合:その通りです。こうした考え方自体は特段新しいものではありません。1980年代にCDが出だしたころに各メーカーともに取り組んでいました。16bitだから16個のスピーカーユニットを使うなど、各社とも開発競争を行ない、数多くの特許や文献も出されています。ただ、当時のデジタルスピーカーは音を出すところまではいったけれど、頑張ってAMラジオやせいぜいFMラジオの音質を実現するのがようやっとで、それ以上の音質向上ができなかったため、フェードアウトしてしまいました。

──なるほど、考え方自体は以前からあったのですか……。とはいえDAコンバータを使わないで直接スピーカーを駆動する、という点が、どうもよく分かりません。

落合:スピーカーというのはコイルに電流を鳴らして発生する磁力を利用してコーンを振動させる形になっています。そこで16bitある各ビットごとに別々のコイルに接続していくのです。この際、重みづけをするために、それぞれのコイルの巻き数も変えていく必要があり、非常に難しかったのです。試作で1つ作ることはできても量産というのは現実的ではなかったのです。

──それが24bitなどとなったら、ますます大変なわけですね。


クラリオン「01DRIVE」の同軸スピーカーユニット中央部。1つのスピーカーに6チャンネルのマルチボイスコイルを組み込んで、それぞれを同時に鳴らす

落合:そこで、Dnoteでは24bitだから24個取り出すのではなく、3~8の出力を持ってきて、しかもコイルに重みづけをしない、という手法をとったのが大きなポイントです。8オームを4つ巻くとか、4オームを4つ巻くといったイメージです。ただし、4オームを4つ巻いたとしても、製造過程でどうしてもバラツキがでてしまいます。あるものは4.1オームで、あるものは3.9オームなど……。これらのバラツキに関しては信号処理でキャンセルしてしまう、というのがDnoteの特徴で、そうした誤差があることを前提につくっているのです。この方法自体も特殊なものではなく、ダイナミック・エレメント・マッチングという一般的な手法です。これはBurr-BrownのDACなどでも利用しているもので、それをスピーカーに転用したものなのです。

──24bitを3~8のコイルですか? すみません、やはりよく分からなくて……。

落合:では、ちょっと話題を変えてみましょう。最近、ハイレゾ音源というものが流行ってきていますが、この音源の24bitが理論通り再生されているかというと、実はまったくそうはなっていないのです。信号処理の観点でいえば、回路を通せば通すほど音質は落ちていき、とくにアナログ回路であると音質劣化は顕著です。また電源電圧がいろいろあると、ますます音は悪くなります。実際の機器を見てみると、オーディオ用のDAC部は5Vの電源が、その後段には8V、さらにアンプは10Vとか20Vとバラバラになっており、それだけ音は悪くなります。しかも直流成分が入ると困るので、DCカット用のキャパシタを入れたりするので、ますます落ちて、24bitといっても実際の精度は20bitあればいいほうで、実際には18bit程度と考えたほうがいいでしょう。これはやはりもったいない。

 せっかくデジタルのデータなのだから、デジタルを保ったままスピーカーの入り口まで持っていくのが得策です。もちろん音はアナログなので、最終的にはアナログに変換しなくてはならないけれど、スピーカーを使ってアナログにするというのがDnoteでの手法です。スピーカーのインダクタンス成分、それによる振動で音を出すのです。ここでは、PDM(デルタシグマ変調)を用いるのですが、さすがにコーンがMHzのオーダーで動作したりはしないので、これが結果的にメカニカルなローパスフィルターとして効くことになります。

──お話を伺っていると、DSDの1bitオーディオとよく似た感じですね。

落合:その通りで、考え方は非常に近いものがあります。ただ、我々設計屋にとって1bitは扱いにくく、理論上の性能が出せないという問題があります。確かに周波数を上げていけば、理論上いくらでも音をよくできるのですが、実世界においてはクロックのジッターという問題があります。クリスタルのクロックを使った場合で50ピコとか100ピコのジッターがでてしまうのです。その1bitに対しマルチビットのほうがよりジッターに強くなるし、同じジッター量であれば、いい意味で鈍感になります。だからマルチビットで取り出しているわけです。

──そのDnoteから取り出されたマルチビットの信号を直接スピーカーに接続するわけですよね? その際、スピーカーはかなり特殊な形状ということですか?

4コイルのシステムを図式化したもの

落合:先ほども少しお話ししたとおり、3~8のコイルを巻いた構造なので、普通のスピーカーと違うことは確かです。複数のコイルが巻かれ、その分、取り出し口である端子の数が増えていますが、違うのは、そこだけ。あとは、すべて普通のスピーカーと同じだから、製造コストも大幅に上がるわけではありません。コイルの抵抗の精度も±10%を許容しているので、その点でも、無理なく作ることができるのです。この4コイルのシステムを図式化したものがこれです(右図)。

──この図を見ると「0 -1 -1 -1」とか「0 0 +1 +1」という見慣れない表現がありますね。

落合:ここでは2bitの「0 0」が「0」、「1 0」が「1」、「0 1」が「-1」と定義しています。「1 1」については未定義ですね。それを各コイルへと展開してやるのです。この際、重みづけをしていないので、どこのコイルに出力してもいいのですが、すべてに万遍なく信号が行くような処理を行ない、誤差をなくしているというわけなのです。こうした高速な処理は現在の信号処理技術をすれば簡単ですが、こうした研究がされていた80年代、90年代にはできなかったため、消えて行ってしまったのです。

──3~8の出力を持って、それぞれが別のコイルにつながっているとのことでしたが、やはりコイル数が多いほうが性能的にはよくなるわけですよね?

落合:その通りです。あとは目的や予算に応じて、どのように使うかは製品次第です。8出力すべてを使って1つのスピーカーに接続するのもいいですし、3出力×2と2つに分けて、1つのチップで、ステレオスピーカーを駆動するのもいいでしょう。また、ツイータを2コイル、ウーファを6コイルにするといった使い方も可能です。

8出力すべてを使って1つのスピーカーに接続できるほか、3出力×2と2つに分け、1つのチップでステレオスピーカーを駆動することなどもできる

他にも様々な構成が可能
ツイータを2コイル、ウーファーを6コイルにするといった使い方も

1.8V駆動のチップでも0.2W+0.2Wの出力が出せる

 現実問題、小さいスピーカーだと3つとか4つのコイルしか巻けませんが、大きいスピーカーであれば、多くのコイルを巻くことができるので、大きさも関係してきますね。それなりに大きいスピーカーでもDnoteから直接駆動することが可能で、非常に消費電力が少なく高効率なところも大きなポイントです。たとえば現在量産している3.3V駆動のチップの場合は2.7W+2.7Wの出力が、もうすぐサンプル出荷する1.8Vの電圧のものでも0.2W+0.2Wの出力が出せるのです。そのためスマートフォンでの採用検討など、多方面から話をいただくようになりました。

──Dnoteはスピーカーとの接続方法によって、ずいぶん違った使い方になるわけですね。何コイルのものをいくつ使うのかといった設定はどうするのでしょうか?

落合:これは、PCソフトを使った専用のツールで設定することで、簡単に切り替えられるようになっています。また、スピーカーの特性によって、ある程度、音を調整する必要が出てくることもあるでしょう。そうしたときのために、イコライザやダイナミックレンジコンプレッサの調整も可能になっています。やはりデジタル機器のいい所は、後から調整ができるということですね。


PC用ツールでの設定画面
イコライザやダイナミックレンジコンプレッサの調整も後から行なえる

──先ほどの図を見ると、I2Sの信号もUSBの信号も受けられるのですね。

幅広い製品展開と機能追加が可能

落合:はい、USBの場合、アシンクロナスでのオーディオコントロール機能も内蔵しているので、いわゆるPCオーディオに利用するための製品も簡単にできます。もちろん、それぞれを組み合わせたマルチユースの機材も簡単につくることができます。

──以前、クラリオンのスピーカーは見たことがあるのですが、その後このシステムを採用しているメーカーは増えているのですか?

落合:すでに公表されているクラリオン、オンキヨーのほかにも国内で数社が動いており、海外メーカーも増えてきたため、現在国内外合わせて15社ほどになります。最近は中国のメーカーも、かなりいい精度の製品を安く、また早く作ってくれるので、日本のメーカーも、ぜひ頑張ってほしいところですね。

BluetoothスピーカーやUSBヘッドフォンなども開発

 このインタビューとともに、実際の機器の試聴もさせてもらったが、驚いたのはその音質と音量だ。最初に聴かせてもらったのは、水色のプラスティックケースに収められた小さなスピーカー。これをDnoteを積んだ試作基板に接続して音を出してもらったところ、見た目からは信じられないようなクリアで、パワフルな音が飛び出してきたのだ。また、シースルーのいかにも試作というスピーカーも結構いい音が出てくる。いずれも、決して高級オーディオ機器の音というわけではないのだが、これだけの音が出れば、多くの人にとって満足のいく音質だと思う。

Dnoteを搭載したスピーカー(左)と試作基板(右)でPCの音楽を再生
ユニットを左右両側に、パッシブラジエータを中央に備えた試作機

 さらにCQ出版が発行する「トラ技エレキ工房No.4」の別売品扱いのUSBヘッドフォンの組み立てキット「DNHR001TGKIT」についても試聴させてもらったが、USBでAndroidスマートフォンに接続するだけで、そこそこいい音で鳴ってくれた。さらに赤い小さいスピーカーはBluetoothスピーカー。この中にはDnoteとBluetoothチップが搭載された基板が入っている。

スマホの音源をUSBヘッドフォン「DNHR001TGKIT」で試聴した
小型のBluetoothスピーカー
右がDnote、左がBluetoothチップ

 まだまだ進化していく技術で、音質面に改善の余地もありそうだが、すべてがデジタルで完結するスピーカーというのは、ユニーク。今後どのように発展していくのかが楽しみだ。

藤本健

 リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。  著書に「コンプリートDTMガイドブック」(リットーミュージック)、「できる初音ミク&鏡音リン・レン 」(インプレスジャパン)、「MASTER OF SONAR」(BNN新社)などがある。またブログ型ニュースサイトDTMステーションを運営するほか、All AboutではDTM・デジタルレコーディング担当ガイドも務めている。EPUBマガジン「MAGon」で、「藤本健のDigital Audio Laboratory's Journal」を配信中。Twitterは@kenfujimoto