藤本健のDigital Audio Laboratory
第757回
初のフルデジタルスピーカー「OVO」が、小さくても高音質な理由
2018年3月5日 11:25
完全フルデジタルでスピーカーを鳴らすテクノロジー「Dnote」をご存知だろうか? この連載でも4年前に「DSDにも近い? フルデジタルスピーカー Dnoteとは」という記事として取り上げたが、日本のTrigence Semiconductorというベンチャーが作り出したシステム。アナログの回路を一切使わず、デジタル信号をスピーカーに直接接続して音を鳴らすという非常にユニークなものだ。そして、この技術を搭載した「OVO」という“フルデジタルスピーカー”が登場した。
Dnoteはこれまで徐々に広がってきており、2014年にはオーディオテクニカから世界初のフルデジタルUSBヘッドフォンが発売。昨年末にはシャープからAQUOSオーディオの新製品としてサウンドバー「AN-SA1」が、Dnote搭載の形で発売された。そうした中、東北のメーカーJDSoundが発表したのが、世界初の192kHz/24bit対応フルデジタル・ポータブルUSBスピーカー「OVO」。現在クラウドファンディングが実施されている。価格は10,000~12,000円程度と手ごろだが、フルデジタルとはどういうことなのか、実際普通のUSBスピーカーとは何が違うのかなど、JDSound代表取締役の宮崎晃一郎氏、そしてTrigence Semiconductorの製品マーケティング部 統括部長の落合興一郎氏に話をうかがった。
Dnoteの仕組みと、OVOが生まれた理由
――GREEN FUNDINGでクラウドファンディング実施中のUSBスピーカー「OVO」は、目標金額の2,000万円を大きく突破し、すでに3,250万円を超える人気のようですが、このOVOを作ることになったキッカケについて教えてください。
宮崎(以下敬称略):当社で現在発売しているGODJ Plusというオールインワンのポータブル・デジタルDJ機があります。これもスタートはクラウドファンディングで募集をかけ、製品化を実現したものなのですが、ここに搭載したスピーカーが非常に評判がよく、ユーザーの方々からも、「スピーカーだけを製品化して欲しい」という要望が多数寄せられたので、それを実現することになったのです。
――そのGODJ Plusに搭載されていたのが、Dnoteを使ったデジタルスピーカーだったんですね?
宮崎:その通りです。GODJ PlusはA4サイズのスピーカー内蔵のDJ機材です。設計する上で、いかに薄くするかということにこだわっていたのですが、そうした中、あるフラットスピーカーの会社を紹介されて、それを使ってみたのですが、どうも音質がいまひとつよくなかったんです。薄さにこだわりすぎると、難しいのかなと思っていた中、知人からTrigenceさんを紹介していただいたんです。
モノを見たところ、必ずしも薄いスピーカーというわけではなかったのですが、とても小さくて、デジタルということもあってとにかく消費電力が小さい。われわれが目指しているバッテリ駆動のDJ機器というニーズにはピッタリだったんです。ただ、実は一番ツボにはまったのは、Trigenceさんが日本の半導体ベンチャーであり、自分たちと同じ雰囲気を感じたからなんです。
私は、もともとモトローラの半導体部門にいて、そこからスピンアウトする形でファインアークというLSI設計の会社で開発をしていました。結果的にファインアークはうまくいかなくなったのですが、JDSoundのメンバーの多くは元ファインアークのメンバーなんですよ。いろいろ苦しい経験もしましたが、それと似た雰囲気を感じたんです。日本には素晴らしい半導体を作るベンチャー企業はいくつかあるのですが、成功するにはハードルも多く、下手するといい技術が埋もれてしまう。だから、心からTrigenceさんとご一緒したいと思ったんです。もちろん、その技術が素晴らしかったからこそではあるのですが。
――Dnoteについては、以前詳細をうかがいましたが、改めて基本的な仕組みを簡単に教えてください。確かDSDのような1ビットオーディオと考え方は近いけれど、1ビットではなく数ビットで処理するんですよね。
落合:1ビットオーディオも、デジタル信号を直接スピーカーに接続することで音を鳴らすことが可能です。ただ、1ビットでは分解能を上げるのに時間軸方向だけで行なうわけで、仕組み的には簡単ではあるけれど、性能を上げるには周波数を上げていくと、やはりジッターの問題も出てくるため、性能には限界が来てしまいます。そこで、性能を上げるのに時間軸だけでなく振幅方向にも分解能を持たせようというのがDnoteの考え方です。
1ビットでは+、0、-の3レベルで表現するのに対し、2ビットなら5レベル、4ビットなら9レベルとなり、周波数を上げなくてもどんどんキレイな波形になっていきます。ビット数を増やすことでノイズフロアも下がってきますから、S/Nの面でもよくなってくるのです。
――そのマルチビットになった信号を、複数コイルを巻いたスピーカーで鳴らすんですよね。
落合:はい、通常のスピーカーは1つのコイルだけですが、Dnote用のスピーカーは2ビットなら2巻き、4ビットであれば4巻きしているやや特殊なスピーカーです。特殊とはいえ、何か特別な回路があるわけではなく、単に複数のコイルを巻いているだけのとても単純な構造です。
ここに信号を送るシステムとして、Dynamic Element Matching(DEM)というものを使っています。やはりボイスコイルは4.0Ωにしようと作ってもどうしても製造上のバラつきが出てしまいます。モノによって3.8Ωだったり、4.1Ωだったり……。単なるマルチビットだと、常に1ビット目が4.2Ωのコイルへ、2ビット目が3.8Ωのコイルへと送られ、THDが悪くなってしまいます。そこで、すべてのコイルを使うことで、全部を平均化することができ、マッチングエラーをキャンセルすることができるのです。これによって、音質を向上させることができるのです。
――複数コイルを巻いたスピーカー、一般に流通しているわけではないと思いますが、どのように入手するのですか?
落合:台湾、中国、韓国のスピーカーベンダーに作ってもらっています。すでに20、30社とやりとりしているので、すでに何十種類ものマルチコイル式のスピーカーが存在しています。いわゆるOEM、ODMの会社に「こんなの作ってくれませんか? いっしょに作りませんか? 」ってアプローチしてきたんです。やはり中国などのメーカーは、「面白い」と思ったら、すぐに試作してくれるんですよ。数日で送ってくれますからね。しかもタダで。日本の製造メーカーに頼むと、前提条件がいろいろとあって、なかなか進まない。ここが台湾、中国、韓国のメーカーと日本のメーカーの違いですね。とはいえ、ただ作るだけ、という会社が多いのも事実。細部まで作りこんでくれるところはあまりないですね。そのため、こだわった製品を作る際には、やはり日本のメーカーである北日本音響さんなどに頼むケースもありますね。宮崎さんと初めてお会いしたときは、ちょうど中国のとあるメーカーからピッタリなものができあがってきたタイミングだったんです。そこで、それでプロトタイプを作ってお見せしたところ、気に入っていただけたんです。
宮崎:価格的には、当初想定していた値段よりもちょっと高かったんです。ただ、それで絶対できないというほどの値段ではなく、とにかく新しいものというのも魅力でした。GODJ Plusという一風変わった製品なので、いい飛び道具になるんじゃないかと決めたのです。結果的には市場の評価も思った以上に高く、今回のOVOへとつながったわけです。
「デジタルスピーカー」は他のスピーカーと何が違う?
――OVOは、そのGODJ Plusのスピーカー部を取り出してUSBスピーカーとしたわけですよね。これは先ほどのビット数でいうと、何ビットに対応したスピーカーなのでしょうか?
落合:4ビットなので、4コイルですね。そのため4つの端子があります。線の数でいうと8本ですね。Dnoteの仕組み的には、44.1kHzの信号を鳴らす場合、128倍または256倍にアップサンプリングした上で鳴らす形になっています。
宮崎:ここにあるプロトタイプでは、スピーカー部とDnoteのシステムがケーブルで接続されていますが、ちょうど8本の線でつながっているわけです。
――これはUSBの信号用の線ではなく、スピーカーの線だったんですね。ところでDnoteのチップ自体は、これまである各種製品、どれも同じものなんですか?
落合:一番最初に出した製品は2013年で、当時のチップの動作電圧は3.3Vというものでした。その後2015年に1.8Vのものと、5Vのものを出しました。1.8Vはイヤフォン、ヘッドフォン向けのもので、オーディオテクニカさん製品ではこれを使っています。すでに発売されているヘッドフォンに続き、先日のCESで発表されたイヤフォンも同じチップです。一方、宮崎さんのところで採用いただいたのは5Vのものですね。やはり大音量、大音圧を実現するためには5Vのものが必要でした。
――確かに、デモ機で鳴らしてもらった音、驚くほど大きい音でしたもんね。これまでのUSBスピーカーと比較して、音質も音量もだいぶイメージが異なります。なんとなくではありますが、USBスピーカーって、安かろう悪かろうという、貧弱な印象があって……。
宮崎:ほかのUSBスピーカーと比較して、バスパワーで動作するのに非常に大きな音が出せるというのもOVOの大きな特徴となっているんです。他社製品でも一瞬大きな音を出せるUSBスピーカーはあるのですが、一瞬だけで、すぐに小さくなってしまうんですよ。それに対し、OVOではかなり大きな音を安定的に出すことが可能となっています。
落合:従来のバスパワー式のUSBスピーカーだと、供給できる電力に限界があるので、大きな音を出すのが難しかったのは確かです。たとえば10Wの出力を出すためには通常10Wの電子回路が必要になりますが、USB 2.0では5Vで0.5Aだから2.5W、USB 3.0でも0.9Aなので4.5Wが最大であって、無理があるのです。ただ、10Wのスピーカーだって、常に10Wを使うわけではありません。あくまでもRMS(実効値)で10Wであって、平均的には1/10程度だったりするのです。そこで、効率よく大きな音を出すために、ピーク・パワー・アシストという機能を使うのです。つまり大容量のコンデンサというかキャパシタですね。これにより、大音量が来たときに放電することで大きな音がしっかり出せるようにしているのです。
――キャパシタってどのくらいの容量があるんですか?
落合:通常、キャパシタというと数千μFといった程度ですが、ここで使っているスーパーキャパシタなどとも言われる電気二重層キャパシタは、1Fといったものもあるんです。これだけのものを使うと、かなりの音量を出すことが可能になりますね。
宮崎:さすがに1Fのキャパシタだと、価格的に高すぎて現実的ではなかったため、GODJ Plus、OVOでは0.5Fのものを採用しています。EDM系の音圧が非常に高い曲などもいろいろと試してみましたが、最大音量のまままったく問題なく鳴らすことができました。
――スピーカーの使い方として正しくはないと思いますが、もし0dBの1kHzのサイン波なんかを出したら、まずいことになりませんか?
宮崎:そうですね。ピーィィィ……って小さくなっていきますね。
落合:その場合はさすがに大容量のキャパシタであっても放電してしまいますから。ただ、それで壊れるわけではないですから。普通に音楽を鳴らしている場合には、どんなジャンルのものでも、どれだけ音圧が大きくても、まったく問題なく再生可能です。
今後も様々な展開を予定
――ところで、低音の出方もなかなかすごいですよね。ウーファが入っているわけではないんですよね?
宮崎:はい、スピーカーとスピーカーの間の中央部分にパッシブラジエータがあり、これを共鳴させる形で低音をしっかり出しています。ここも含めて、プロトタイプは落合さんが作ってくれて、その構造を採用しているんです。
――高精細なサウンドでありながら、よくこれだけの迫力ある音量のサウンドをUSBバスパワーだけで鳴らせるものだと感心します。最近小型スピーカーというとBluetooth製品が主流になってきているし、Bluetooth製品だとそれなりに大きい音が出せるものもありますが、OVOの登場で、USBスピーカーのイメージも変わりそうですね。
落合:Dnote搭載のBluetoothスピーカーはこれまでにもいくつかありましたが、バスパワーで動くポータブルなUSBスピーカーでDnote搭載はこれが初ですからね。もちろん音質的にはBluetoothで圧縮劣化はないので、より高音質な製品といえますね。
宮崎:Bluetoothの場合、電源供給できないからバッテリーを搭載する必要があり、重たくなるし、大きくなって価格も高くなってしまいます。もちろん音質の面では絶対ワイヤードがいいと考えていましたので、いい製品ができたと思っています。ようやく金型もほぼ完成レベルのものが仕上がってきたので、生産に向けて最終調整をしているところです。
――最後にDnoteに関して今後の展開などあれば教えてもらえますか?
落合:いろいろな展開を考えているところですが、いま開発中なのがバーチャルコイルです。やはりボイスコイルが増えると生産コストも上がってしまうので、仮想的にコイルを増やすためのTime Domain Quantizerというものを使うことで、普通のスピーカーに対してマルチビットを鳴らしたり、2ビットのスピーカーに4ビットや8ビットの信号を送ったりできるようにするというものです。
さらにTrigence's 3D Soundというものも開発中です。通常、LとRのスピーカーを鳴らして中央で聴いた場合、LとRの音が混在して耳に入ってきます。そこで、信号処理をすることで、LとRの分離をよくして、より立体的に音を聴こえるようにするというものです。また、バーチャルTSパラメータという、面白いものも開発しています。普通、スピーカーの製品開発をする場合、たとえばスピーカーの振動版をもう少し軽い素材にしたいとか、磁気のパワーをもう少し大きくしたいとか、試行錯誤をして音を調整しますが、その都度作り直すのには、かなりのコストと時間がかかります。そこで、こんな特性になって欲しいというパラメーターを入力することで、わざわざスピーカーを作り直さなくても、その音になるよう調整できるようなシステムを作っているのです。
これが実現できれば、開発コストを大幅に安く、開発時間をグッと短くすることが可能になります。結果的には周波数特性や応答速度が変わってくるのですが、EQをいじるのとはだいぶ違った感じで使えるので、これをエフェクト的なものとして出しても面白いかなと思っているところです。
――TSパラメータ、すごく面白そうですね。大手オーディオメーカーでシミュレーションをしているという話はよく聞きますが、そんなことをユーザーが試せるのだとしたら、新しいオーディオの楽しみ方というのが出てきそうです。
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