西川善司の大画面☆マニア
261回
映像機器・技術を追い続けた善司の20年と、夢破れたSED/FEDの話
2021年2月26日 08:00
AV Watchが創刊20周年を迎えたとのこと。おめでとうございます。
実は、自分が抱えている“西川善司”名義の看板連載の中で、最も長く続いているのがこの「大画面☆マニア」だったりする。
筆者もそこそこにキャリアが長いので、1990年代から色々な冠連載を手がけてきた経験があるが、ネタ切れ等の諸事情で終了したり、あるいはその掲載メディア自体が消滅するなど、大体平均すると5~6年が連載の寿命という感じがする。そんな中で約19年間も続いているというのは、色んな意味で凄いことである。
いろんな意味で、というのは文字通り、色んな要素のことを指すのだが、何よりもAV Watchというメディアが20年間も読者から支持を得られ続いていることが素晴らしい。筆者もAV Watchは数あるオーディオ&ビジュアル(AV)機器のオンラインメディアでは唯一、定期的にチェックしているメディアだ。
ハードウェア製品のみならず、物理メディアのコンテンツからデジタルコンテンツ、その他ネット配信サービスの情報や、きょうだい媒体の○○Watchとまる被り気味のIT機器までをも網羅する、欲張りなところがいい(笑)。コアとなるAV機器のみならず、周辺情報までを得られるからだ。今後とも独自の編集方針がブレることなく、さらなる発展を遂げていって欲しいと思う。
大画面☆マニアのルーツ
という感じで、上手い具合に祝福コメントがまとまったところで、大画面☆マニアの19年間を振り返ってみたい。
まずは、この連載が始まったきっかけから。大画面☆マニアが始まったのは2002年5月だった。
第1回:大画面ならやっぱりプロジェクタ? ~その1 フロントプロジェクタのススメ~
筆者がAV機器に興味を待ち始めたのは1980年代中期で、アナログレコードがCDへ移行している最中の時代だった。このあたりは筆者もケツの青いガキだったのでお金もなく、やっすいダブルカセットデッキにレコードプレーヤーがドッキングされたAIWA製の激安ミニコンポを使っていた。
1980年台後期に高校生となった筆者は、当時のゲームメーカー(ウルフチームや工画堂スタジオなど)からPC88系のゲームソフトをシャープのパソコンに移植する仕事を請け負う副業をし始め、10代の学生にしてはそこそこお金を稼いでいたので、KENWOODブランドの「ESPACE(エスパス) 07」という、当時としてはかなりの高級コンポを購入した。
その後、しばらくは音楽を聴くことに明け暮れたが、その1年後にはコンピュータ音楽制作の方に傾倒していった。このあたりのエピソードは、筆者のOh!MZ/Oh!Xなどの活動を知る人にはお馴染みかもしれない。
もともと映画も好きだった筆者は、レーザーディスクにDolby Digitalが収録されるようになった1990年代中盤あたりから、自宅での高品位な映画視聴環境の構築に興味を持ち出す。西川善司の「大画面への渇望」はこの頃から始まった。
当時は、大画面といってもディスプレイデバイスはブラウン管が主流。しかもアスペクト比4:3のものがほとんどだった。当時もプロジェクターは存在したが、ブラウン管を用いた三管プロジェクターが主流。ただ、三管プロジェクターは非常に重い機材で、一軒家の持ち家でないと設置は無理と判断。
当時は直視型の高品位モニターの、ソニー・スーパートリニトロン管採用PROFEEL PRO「KX-29HV3」を購入した。画面サイズは29型。29型と言えば、現代ならば大画面のカテゴリーには入らない画面サイズだが、当時は、これでも大きかったのだ。
1996年にはDVD規格が本格始動。このタイミングでDVDシステムを中核にしたホームシアターの構築を夢見出す。この頃になるとプロジェクターも液晶方式が脚光を浴び出す。よく1997年には、筆者はさいたま市に自宅の建設を開始。念願のホームシアターをリビングに構築することを決意する。もちろん男らしい25年ローンである(笑)。
ただ、この頃の民生向けの液晶プロジェクター製品は明るくても600ルーメン程度で、100インチサイズの大画面に投影するとかなり暗かった。どうせ買うならば、いいものを選びたい。ということで、当時としては珍しい「今、ホームシアターを構築するならばこの液晶プロジェクターだ!」という感じの企画をソフトバンク系の某誌に持ち込んだ。そう、新築で完成したばかりの筆者宅のリビングホームシアターで映像の見比べを行ないベストバイを選ぶ企画である。
当時の筆者宅のホームシアターは、ヤマハのAVアンプ「DSP-A1」を中核とした9.2chサラウンドシステム、パイオニアのDVDプレーヤー「DV-S9」、キクチ科学研究所のスクリーンは設置済みだったが、肝心のプロジェクターの機種選定が出来ていなかったのだ。筆者は、この雑誌企画で購入候補としたプロジェクター機種を全て借り、時間を掛けて、一機種一機種評価した。
そう、他誌で行なったこの企画こそが本誌「大画面☆マニア」のルーツだ。「なんでそこまで調べるの?」という狂気すら感じるマニアックな評価はここから始まったといえる。
この一連の評価の末、1998年に購入したのが日本ビクター(当時)の「DLA-G10」だ。当時としては破格に明るい1,000ルーメン。解像度も当時としては最高位レベルの1,365×1,024ピクセル。光源ランプは水銀タイプではなくキセノンタイプが採用され発色もよかった。
なお、このDLA-G10は、反射型液晶(LCOS:Liquid Crystal On Silicon)プロジェクターの元祖的な存在で、今もなお続くビクターのD-ILA(Direct-drive Image Light Amplifier)プロジェクター「DLA」シリーズの初代モデルに相当する(業務用の超大型機を除く)。
キセノンランプは寿命が短く、それでいて交換ランプ「DLA-G10-LAMP」の値段がとても高かったので(9.98万円)、ランニングコストはあまりよろしくなかった。とはいえ、筆者の大画面☆マニア精神を健全に育んでくれた名機として今も感謝の念に堪えない。ただ、5年後に売却したときの引き取り価格が購入価格の“100分の1”だった時には軽く失神しそうになった。
大画面☆マニア連載開始秘話
当時はそれなりに満足のいくホームシアター環境を構築できたことで、ハッピーな大画面ライフを送れてはいたのだが、2000年前後に、けっこう大きなホームシアターブームが到来する。
きっかけの筆頭要素はDVDの普及が大きかった。画質面、音質面の両方で、当時の映画館に迫る品質で映画コンテンツが自宅で楽しめるようになったのだ。2000年に発売されたゲーム機、ソニーのPlayStation 2にDVD再生機能が標準搭載されていたことも少なからず影響していた気はする。
そして新方式のプロジェクターが登場したのも大きな要因だった。当時、高輝度性とコンパクトさで他方式を圧倒したDLPプロジェクターが台頭してきたのだ。
当時のDLPプロジェクターは、画質的にははっきりいって大したことがなかったのだが、多様なメーカーが新製品を市場に投入してきたことから、ホームシアター向けプロジェクター市場全体にこれまでにはなかった価格競争が起こり始めた。
1990年代後期、ホームシアター用プロジェクターは、最安価機でも60万円前後はするものだったが、2000年代に突入してからは低価格化が加速し、主戦場は30万円前後にまで引き下げられた。ちなみに30万円前後の当時のホームシアター機の映像パネル解像度はアスペクト比4:3の800×600ピクセル程度。まあDVDが480p解像度だったので、これでも必要十分だったのである。
この時代、プロジェクターで健闘していたのがパナソニックだった。
2001年に発売された「TH-AE100」は、アスペクト比4:3の800×600ピクセルではなく、858×484ピクセルという、アスペクト比16:9の480pパネルを採用していた。というのも、当時のホームシアター用プロジェクターは、実際のところ、ビジネス用のデータプロジェクターのカスタマイズ/チューニングモデルが多く、だからこそアスペクト比4:3のパネルが支配的だった。
第2回:低価格プロジェクタ4機種を試す ~その1 Panasonic「TH-AE100」編~
しかしTH-AE100は、DVD視聴に割り切った仕様にすることで実勢価格を20万円未満にまで下げてきたのだ。しかも、3板式液晶機でありながら軽量コンパクト。かなり優秀なモデルだった。その後、パナソニックは、価格上昇を最低限に抑えつつ解像度を1,280×720ピクセルにまで上げた「TH-AE500」を2003年に発売。これもヒット商品となった。
第27回:カジュアルシアターがリアル720p表示に対応!! ~動的光量制御も備えた松下電器「TH-AE500」~
この頃の筆者は実はちょっと焦り始めていた。というのも、自分が購入したDLA-G10よりも劇的に安価で、しかも画質性能にも優れたモデルが続々と出てくるようになったからだ。
「きっと自分はいずれプロジェクターを買い替える時が来る」「その時自分は最良の製品を選べるのか」そんな自問自答をする日々。「自宅を建てたときにやった“気になるモデルを一気に集めての評価”……あれをもう一度やりたいが、どうしたらいいか」。実は“あの企画”を承諾してくれた雑誌は、数年後に休刊していたのである。
どういう経緯たったのかは忘れたが「その企画、うちでやりましょう」と手を差し伸べてくれたのがAV Watchだった。
かくして、プロジェクター機器をとことん評価する連載として「大画面☆マニア」は誕生することになった。第一回から数回は「プロジェクターを中核とするホームシアターの構築ノウハウ」や、当時に出ていた人気プロジェクター製品のレビュー記事となっている。
2002年、2003年までの大画面☆マニアは完全にプロジェクター機器の専門連載として続いている。この間の筆者のモチベーションは、「次買い替えるプロジェクタの選定」だった。評価をする立場としては、ある種、究極的に純粋な動機といえよう。ただ、この動機が良くも悪くも記事の長さの長大化へと向かうことになる。
歴代の担当編集から「そこまで調べなくていいです」「そんなとこほじっても誰も気にしないです」「もっと短くお願いします」と言われているが、たしかに連載最初期と最近回を比べると過去回は短い。ちなみに、原稿料的には長く書いても短く書いても同じなので、長くなる理由は、単純に「興味を持って調べ出すと止まらない」ため。というわけで、最近は意識して長すぎないように気を付けるようにはしている。
ところで、DLA-G10は2003年に処分している。後継の購入はなし。この頃はホームシアターブームの影響もあってハイペースで各社からプロジェクター製品が発売され、大画面☆マニアの仕事も結構なハイペースで行なっていたため、大好きな映画視聴は、大画面☆マニアの評価スケジュールに合わせて楽しむようになっていた。
機種によっては、返却期間を年単位に設定してくれたメーカーもあったため、そうした機種も活用した。東芝の720pのDLPプロジェクタ「TDP-MT8J」などはそんな感じで、長期活用したモデルなので少し思い入れがある。
第18回:Carl Zeissレンズ装備のHD2採用モデル ~入力8系統のコンパクト機「TDP-MT8J」~
なお、2004年からは直視型のテレビも大画面☆マニアで取り上げるようになっている。
これは、液晶やプラズマなどの直視型テレビ製品に50型以上が登場し、頑張れば一般の方でも手が届くようになり、「大画面=プロジェクタ」という定義が揺るぎ始めたためだ。液晶テレビやプラズマテレビが憧れの存在だった2000年代前半は、大型普及機が37型前後。46型にもなれば超大型モデルだった。しかし、2005年前後になると、65型くらいを超大型と呼ぶように。たしかに60型クラスになると、かつてはプロジェクターを使って投影して楽しむ画面サイズだった。これが直視型で実現出来るのであれば大画面☆マニアとして取り上げることにも妥当性が出てくる。
かくして、2006年あたりからは液晶、プラズマ製品を普通に、プロジェクターと同列に取り扱うことになったわけだ。
大画面今昔物語 EPISODE1 ~ 消えたリアプロ、実現しなかったSED/FED
2020年代が始まったばかりの現在、市場で新品として購入できる大画面デバイスは、大体以下のようなものになっている
【プロジェクター】
・液晶プロジェクター(透過型)
・LCOSプロジェクター(反射型)
・DLPプロジェクター
※光源は普及モデルで水銀ランプ、高級モデルでレーザー光源が採用される傾向
【直視型テレビ】
・液晶テレビ
・有機ELテレビ
※液晶テレビの光源は完全LED化。高級機の一部でミニLED化への兆し
ここに至るまで、大画面☆マニアは、数々の大画面デバイスの栄枯盛衰を駆け抜けてきた。本稿の最後は、このテーマで締めくくろう。
2000年代は「一瞬の輝き」を見せて散っていった大画面デバイスが数多くあった。もう、ほとんどの人が忘れてしまっている可能性もあるが「リアプロジェクションテレビ」、通称“リアプロ(TV)”だ。
今でこそ、液晶テレビの85型、有機ELテレビでも77型が電気量販店で普通に買える時代になっているが、当時は65型がとても高価な存在だったし、これ以上の大画面はプロジェクターを使った投写式でしか実現が難しかった。
そこで誕生したのが「投写式の大画面性」と「直視型の利便性と設置性」を両立させたリアプロだった。原理的には本体最下部にプロジェクタを組み込み反射鏡を組み合わせて投写距離を稼いで表示面たる画面(スクリーン)に、後ろ(リア)から投写(プロジェクション)する仕組みだ。
大画面のわりには、価格はそれなり。大画面のわりには、省電力性能もまあまあ。寿命は数千時間と短めだが、光源ランプを交換すれば新品の輝度に立ち戻れる。商品としてはよく出来ていたのだが、市場からの引き合いはそれほど強くなかった。
まず、デカくて重い。「1インチ1キロ」とも言われ、60型クラスで60kg程度。ブラウン管ほどではなかったが奥行きは40cmくらいはあった。「次世代テレビは薄型軽量」の触れ込みが浸透していた中で、パッと見、ブラウン管の親玉みたいに見えたのも影響したのかも知れない。
それと、日本メーカー勢が、リアプロを普及機として売らず、液晶機やプラズマ機の上の高級機としてランク付けして商品化したのも裏目に出たのだと思う。今でこそ、新しいものには及び腰の日本メーカー勢だが、当時は、名だたる大手メーカーがこぞってリアプロテレビを発売したのも今思えば面白い事象だった。
2004年、セイコーエプソンが「LIVING STATION」として発売。2005年には日本ビクターが「ビッグ スクリーンエクゼ」、ソニーはブラビア「Eシリーズ」を登場させた。いずれも2~3年後に生産を終了している。
一方、リアプロで頑張り続けたのは三菱電機だ。日本メーカーの中では三菱電機は唯一、投写コアにDLPプロジェクタを採用しており、DLP技術の開発元TI(テキサスインストゥルメンツ)がDLP技術を年次改良し続けていたことが後ろ盾となっていた。大画面市場の本場、北米で三菱のリアプロTVがそれなりに人気商品となっていたことも、延命効果に一役買っていたかもしれない。
他メーカーがリアプロ完全撤退後の2010年に、三菱電機は光源をRGB3原色レーザーにして3D対応まで行なった「LASERVUE」シリーズも投入。この後、三菱電機は2012年までリアプロTVをやり続けた。
なお、三菱電機はリアプロ終了後も、この期間に培ったレーザー技術を応用した液晶テレビなどを開発。独自性をアピールし続けた。
今でも語り草になる「一瞬の輝き」を放った大画面技術といえば、キヤノンと東芝の共同プロジェクトで進めていた「SED」(Surface-Conduction Electron-emitter Display)だろう。
「1画素1画素が微細な単色ブラウン管」「これを200万個,平面に配置してディスプレイパネルとなす」という動作概念は、当時も多かった「ブラウン管至上主義」の大画面☆マニア達を惹き付けた。
原理としては、当時までに研究されていた電界放出ディスプレイ「FED」(Field Emission Display)の1つだったが、「液晶でもプラズマでもない新ディスプレイ技術」「自発光なので黒が綺麗」「日本のキヤノンと東芝が共同開発」というキャッチコピーは、誇張なしで本当に全世界に行き届いた。
2004年に試作機を初お披露目、2006年には量産前のプロトタイプ機までを公開し、量産工場を姫路に確保、2007年の市場投入まで秒読み段階となっていた。
第71回:SEDに高画質の未来を見る ~「SEDは全てフルHD」。暗部発色にも注目~
しかし、この後、状況は急転。
2006年、FED関連技術の基本特許を抑えていた米Nano-Proprietary(現Applied Nanotech Holdings)社からキヤノンが特許使用契約違反で訴えられて訴訟沙汰となる。詳細は省くが、要するにNano-Proprietaryのいいぶんとしては「我々の特許使用をキヤノンに対して許諾していたのに、勝手に東芝と組んでビジネス進めているんじゃねえよ。東芝も特許料払えよ」みたいな話である。
「だったら!」ということで「東芝との共同プロジェクトじゃなかったことにしよう」ということで、キヤノンはSEDを開発するために東芝と設立したSED株式会社をキヤノンの完全子会社にしてライセンス違反にならない体裁を整える(記事参照)。
が、しかし「今さらそれは遅いっす。許さんぜよ」と訴訟が泥沼化(記事参照)。まあ、よくある「パテントトロール(特許料をせしめる法定ビジネス案件)にしてやられた」という見方も強いが、キヤノンと東芝の脇の甘さもなくはなかった事象だった。
で、結局、当初は2007年発売予定だったSEDテレビの製造は白紙撤回。
訴訟には勝利する(記事参照)ものの、ドロ沼訴訟に時間を費やしている間に、液晶テレビはLED光源化され、直下型バックライト技術の低価格化も実現。さらには有機ELテレビの製品化の兆しが出てきていたために「時機を逸した」ということで、2010年にキヤノンはSED製品化の断念を発表した。
実は、このSED事件の裏側で、ソニーが米Nano-Proprietaryの特許を回避する形で同系技術のFEDパネルの実用化を目指して、子会社FETを設立(記事参照)して頑張っていたのだが、2009年に解散している。
ちなみに、このソニーのFET解散報道(記事参照)直後、面白い見出しの記事が出て業界では話題となったことも思い出される。ソニーがFETのFED技術を「友達に譲渡」したというのだ(記事参照)。
え!? 友達に譲渡? 引っ越しの際に積み残した漫画やDVDをあげる感覚で!? んなわけはなく、友達とは台湾の大手液晶パネルメーカーAUO(友達光電)のことだった(笑)。
というわけで、我々の住む世界では、FED(SED)技術採用のディスプレイパネルは実用されなかった。
現在、有望な次世代ディスプレイパネル技術としては、FEDではなく、サブピクセルそのものをLED化するマイクロLED技術の方に目が向けられている。件のソニーもまさに、そのマイクロLEDディスプレイ技術開発のトップを走っており、今後の展開が楽しみである。
おわりに
ディスプレイ技術漫談は、2010年前後までしか行なえなかったが、2010年から2020年までについては、要望があればやることにしたい。
なぜ、ここでやめるかって?
「大画面☆マニアは本文が長すぎる」というツッコミを回避するためである(笑)。まあ、今回も短くはないが……。