トピック

Shure、クアッドBA「SE846」の秘密をキーマンに聞く

「SE535を全ての面で上回る」。10枚プレートの役割

SE846

 昨日Shureから発表された、3ウェイ、4ドライバのバランスド・アーマチュア(BA)ユニットを搭載した、最上位カナル型(耳栓型)イヤフォン「SE846」。想定売価が12万円前後と、ハイエンドなモデルだけあり、アコースティックなローパスフィルタを内蔵したり、フィルタ交換でユーザーが音質のカスタマイズができるなど、気になるポイントも多い。

 そこで、モニタリング・カテゴリー・ディレクターとして、イヤフォンやヘッドフォン、パーソナルモニターシステムのプロダクトマネージャーを指揮しているマット・エングストローム氏と、イヤフォンのデザイン・開発チームでイヤフォン・プロダクト・マネージャーを担当しているショーン・サリバン氏に詳しい話を聞いた(以下敬称略)。

アコースティックなローパスフィルタを内蔵

お話を伺ったモニタリング・カテゴリー・ディレクターのマット・エングストローム氏(右)、でイヤフォン・プロダクト・マネージャーのショーン・サリバン氏(左)

 まず、「SE846」の特徴をおさらいしておこう。SE215、SE315、SE425、SE535と展開しているシリーズの最上位モデルだが、筐体サイズは一回り大きくなり、実売4万円前後の「SE535」と比べ、価格面でも“別格”という雰囲気だ。

 ユニット構成も同じで、SE535が2ウェイ3ドライバ(高域×1、低域×2)であるのに対し、SE846は3ウェイ4ドライバ(高域×1、中域×1、低域×2)と、搭載しているユニット数も異なる。

内部構造
SE846。写真はサンプル品で、実際の製品とデザインの細部は異なる
カラーはクリスタルクリアー

エングストローム:3基のドライバを内蔵した商品を出した時から、“4基入ったものはいつ出るのか?”と言われてきました。しかし、ただ単に、沢山のユニットが入っているものだけは作りたくありませんでした。沢山のユニットを入れる理由や、メリットがあり、それを最大限に活かしたものが作りたかったのです。

 2009年頃から実験的に開発を開始し、検証を行ない、3ウェイ4ドライバのイヤフォンとして、2010年に正式なプロジェクトとして着手しました。最初から“3ウェイ4ドライバ”と決まっていたのではなく、求める音を実現するために、そして今回の肝になっているローパスフィルタの開発に成功した事も3ウェイ4ドライバが実現した背景にあります。

――SE846開発にあたり、目指した音というのはどのような音でしょう? 例えばSE535よりもワイドレンジだったり、低域の再生能力を向上するなど……。

マット・エングストローム氏

エングストローム:その両方です(笑)。“どの面で”ではなく、SE535を全ての面で上回ろうというのが狙いです。

サリバン:そのために、本当に何百ものテスト機を作りました。ハウジングから何本もケーブルが出ていたり、耳に入らないくらいのサイズになったり、1人で装着できないようなものもありましたね(笑)。

エングストローム:ネットワークが完成していない頃は、ケーブルがいっぱいイヤフォンから出ていたんですよ。細いケーブルなので、テストしていたら切れてしまったり、沢山壊しました(笑)。

 こうした苦労の末にアコースティックなローパスフィルタなどが完成したという事だが、詳しい構造もおさらいしておこう。

システム構成

 右にシステム構成図があるが、入力された信号は、まずネットワークに入る。ここで、高域、中域、低域の各ユニットに向け、帯域を分割する。スピーカーの場合は、高域のツイータの前に、ハイパスフィルタ、低域のウーファの前にローパスフィルタを入れるという具合だ。

 SE846でもそうしたいところで、実際にスピーカーのような電気的なネットワークが搭載されている。しかし、中域と高域用のネットワークは搭載できたが、低域向けの電気的なローパスフィルタは、パーツのサイズ的な制約で内蔵できなかったという。実際の製品でも、低域用BAの手前にレジスターが入っているが、信号全体のエネルギーを調整するためのもので、高域をカットしてはおらず、低域用BAには、中高音も含めて入力されている。

 このままでは、各ユニットの音をミックスした際に、低域BAからの中高音が、再生音に悪影響を与えてしまう。そこで、低域BAから出力した音に対して、電気的ではなく、アコースティックなローパスフィルタが開発された。

ローパスフィルタの構造図。プレートにある溝が音道、小さな穴が低域の通り道となる。手前にある比較的大きな穴は、中域と高域用

 小型のステンレス製プレート10枚を、レーザー溶接したもので、各プレートには迷路のような音道と、小さな穴が空いている。低域BAから出力された音は、経路長4インチに及ぶこの音道を通る事で高域が減衰。75Hz付近からの低域を、歪や音色の変化なく、自然にロールオフするという。

 一方で、入力段階で帯域分割されている中域、高域BAからの音は、プレートに大きく空いた穴からスルーで出力される(実際には中域BAからの音もプレートで、高域を若干抑えているという)。

 こうして得られた中高音が、ノズルの手前で合流。低域だけはノズルの外側を通り、鼓膜の直前で3つの音がミックス。ワイドレンジなサウンドとして、耳へと届けられるという仕組みだ。

【お詫びと訂正】
 記事初出時、高域、中域、低域の全てがノズルを通って鼓膜へ届くと記載しておりましたが、低域はノズルの外側を通り、鼓膜の直前で中高域と交わるという仕組みでした。お詫びして訂正させていただきます(2013年5月28日)。

ローパスフィルタの実物

エングストローム:ローパスフィルタは我々のエンジニアの発想と試行錯誤で実現したものです。非常に細かく、穴も小さく、安定的に量産するのが難しいパーツです。しかし、ローパスフィルタを入れなければ、低域BAからの、1kHzを超えるような高い音まで聴こえてしまい、音が濁ってしまいます。

サリバン:低域をどこで落とすのか、どのような音に仕上げるのかというのも難しい点です。我々2人が最終的にはゴーサインを出すのですが、それ以前に、スタジオエンジニアなど、各分野のプロを含め、沢山の人の意見を聞き、様々な音楽を聴き、我々が求めていた音を明確にしていき、そこに近づけていく。そうやって開発していきました。

内部構造
SE846。写真はサンプル品で、実際の製品とデザインの細部は異なる
カラーはクリスタルクリアー

SE535との比較。ハウジングサイズは一回り大きい

ハイブリッド型を手掛ける可能性は?

ショーン・サリバン氏

――最近では、ダイナミック型ユニットとBAを組み合わせる、いわゆる“ハイブリッド型”のイヤフォンも増えています。Shureとして、この方式はどう捉えていますか?

エングストローム:開発の検討もしましたし、ハイブリッド型の他社製品も聴いてみました。個性的で、パフォーマンスもありますが、2つの方式を一緒にする事で、避けられないデメリットもあると認識しています。

サリバン:ダイナミック型とBAではリニアリティの違いがあります。ですので、ある音量で整えても、音量を変えるとリニアリティに違いが出てしまい、結果として音量によって音が変わってしまうんです。ただ、我々がもしも作るとすれば、そのハードルは超えられると思います。

フィルタの交換で幅広いニーズに応える

 SE846のもう1つの特徴が、ステンレス製のノズルが取り外しできるようになっており、ノズル内部のフィルタパーツを、ユーザーが交換できる点だ。この交換で1kHz~8kHzの帯域で、約3~5dB音を変化させる事ができ、製品には標準的なサウンドの「バランス」と、「ブライト」(+2.5dB/1kHz~8kHz)「ウォーム」(-2.5dB/1kHz~8kHz)という3つのフィルタを同梱している。

フィルタ交換の流れ。まずはイヤーピースを外す
付属の工具を使い、カラーと呼ばれるリング状のパーツを外し、ステンレス製のノズルを取り外す

カラーを外したところ
ステンレスノズルの内部にフィルタが入っている
真ん中の白いものがフィルタ

ノズルを外した本体側

エングストローム:我々として満足できる中低域は実現しましたが、高域はユーザーごとの好みもあり、幅広いニーズに対応できるようにしました。

サリバン:3つのフィルタは、目の細かさが違い、これで高域を減衰する係数が変わります。

――皆さんが個人的に好きなフィルタはどれですか?

エングストローム:私はやはりバランスタイプですね。

サリバン:バランスとブライトを、曲によって使い分けています。高域が沢山入っていて、エナジーが強いものはブライトがマッチします。

価格について

――日本では実売約12万円で、価格帯としてはカスタムイヤフォンの領域に入る値段とも言えます。この価格については、どうお考えですか?

エングストローム:カスタムイヤフォンのマーケットは、10年前でしたら1,000ドル以上のものしかありませんでしたが、最近では200ドルのモデルも存在しますので、カスタムイヤフォンと較べてどうという考えは、もうありませんね。カスタムイヤフォンが欲しいなら、予算に合わせて選べますし、我々が作るようなユニバーサルフィットタイプで良いものが欲しいというニーズもあります。

サリバン:カスタムイヤフォンでも、SE846のようなテクノロジーを搭載しているものは存在しないと思っています。そういう意味で、SE846は唯一無二のモデルです。

 例えば、家にステレオシステム(ピュアオーディオ)を持つとして、かなりのお金がかかりますよね。歩きながら音楽を聴くというスタイルは世界的に広がっていますが、この小さなイヤフォンに、これだけのパフォーマンスを詰め込み、しかもそれをポータブルで楽しめる。そう考えると、非常にリーズナブルだと思います。

――SE846に使われている技術をコストダウンするのは難しそうですか?

エングストローム:メタル素材のプレートや、その加工技術など、どのパーツにもコストがかかっていて、低価格化は難しいですね。

ケーブル交換も可能。端子はMMCXを採用している

――SE846もケーブル交換は可能ですが、バランス駆動についてどうお考えですか?

エングストローム:数値的に、確実にメリットがあると認識した上で取り組むというのが我々の基本的なスタンスですが、バランス駆動に関しては、今のところ予定はしていません。

――SE846で3ウェイ4ドライバを実現したわけですが、4ウェイ5ドライバはできそうですか?

サリバン:うーん(笑)。パーツのサイズは小さくなっていくので沢山のドライバを入れる事は可能になるかもしれませんが、5ドライバ、6ドライバ、7ドライバにしなければならない、必然性があるかどうかですよね。それがあれば、検証していこうとは考えています。

エングストローム:最終的に出てくる音が問題ですよね。マーケティングの面で、沢山のドライバを入れようという問題ではありませんね。

――明日の5月11日に開催される「ヘッドフォン祭」に、お二人共参加予定と伺いましたが、これまでも参加されているマットさんは、イベントについて、そして日本のイヤフォン/ヘッドフォンファンについて、どのような印象を持っていますか?

エングストローム:ヘッドフォン祭は、自分と良く似たヘッドフォン/イヤフォン好きが集まる場所なので、自分の家みたいに居心地が良くて、ホッとする場所ですね(笑)。同時に、テクノロジーに興味を持っている人達が集まる場所でもあるので、我々にとって非常に興味深く、大事な場所だと考えています。昨年も、自分が持っている“Shureコレクション”を持ってきて、見せてくれる人もいて、本当に嬉しかった。

 (そういった人達に聴いてもらうことで)我々がやってきた事が正しかったんだ、やっていて良かったと強く思わせてくれて、感謝しています。SE846、そして今後のモデルについても楽しみにしていてください。

(山崎健太郎)