プレイバック2021

“音声宅録”の悩みと向き合い、新たな道が開けた1年 by 橋爪徹

筆者の自宅にあるホームスタジオStudio 0.x

2021年は、筆者にとってまったく新しい出会いがあった。コロナ禍がきっかけで生まれた貴重なご縁と、それを受けた新しい挑戦について書いてみたい。

筆者は音響エンジニアでもあるのだが、今年の2月頃から自分の経験や知識を自宅で録音、いわゆる宅録をしているナレーターや声優の方に役立ててもらう取り組みを始めることになった。具体的には、ノウハウ記事の公開、オンラインでの宅録アドバイス、そして自宅のホームスタジオ見学会の開催などだ。

自分のセミプロエンジニアとしての15年間は本職の方に遠く及ばないものの、宅録経験は豊富だ。一般層にとって宅録のハードルが高かった2000年代初頭から取り組んでいた試行錯誤の経験が、今挑戦している演者の方々の役に立つならとても嬉しいことだ。これらの取り組みは筆者の自主的な活動として大切なライフワークになりつつある。

きっかけは、本当に偶然だった。YouTubeなどの広告動画の音声が尋常じゃなく酷い録音だと感じていた今年の初め頃、ちょうどclubhouseというサービスが流行っていた。clubhouseは、今やTwitterのスペースに取って代わられている気がする懐かしい(?)音声SNSである。芸能人や著名人がひょっこり一般人の会話の中に入ってきたりして、iOS端末を持っているネットユーザーの中で話題騒然だった。

筆者は1月下旬に知合いのアナウンサーの方から招待してもらい、いろんな会話に入ったり立ち上げたりしていたのだが、そこで偶然にも宅録ナレーターの方々と知り合う機会に恵まれた。会話の中で「YouTubeとかの広告動画の音質が気になってるのですが、皆さんはどういう録音の仕方してますか」みたいな話題を音響エンジニアとして振ってみることもあった。何度かそういうルームに入っていたら、これまた偶然にもMAエンジニアの方と知合いになれた。

MAとは、映像コンテンツに音楽や効果音、音声を付けて聞きやすく整えるお仕事のこと。一般家庭の部屋で適当に録ったような音声が溢れていた当時、「若者があのような音声ばかり聞いた結果、この程度の録音や整音状態でもプロになれると勘違いしたら怖い。何か全体のクオリティアップのために行動したい」と私が漏らしたのが全てのはじまり。

エンジニアの方は「直接会っての活動はコロナで難しいけど、ナレーターさんから自宅で録った音声を送ってもらって、それにコメントするくらいならできるのでは」とアドバイスをくれたのだ。いま思えば、何気ない会話のワンシーンだったと思う。

私は、すぐにアクションを起こした。Twitter上で「宅録でナレーターや声優をやられている方、自宅で録った音声素材を送ってください。感想を簡単にコメントします」と告知。

5回に渡って募集したところ、のべ27人の方の音声を拝聴した。予想を超える反響にとても驚いた。Clubhouseで音声会話の交流があった方が拡散してくれた効果もあったが、宅録界隈でまったくの無名、スタジオ勤務の経験もない底辺エンジニアの自分にこんなにも依頼が来るとは嬉しさと同時に少し動揺もした。

この背景を次のように筆者は分析している。音楽について自宅で録音したりミックスしたりするノウハウはネットに溢れるほどあるが、宅録でナレーションや台詞を録音するノウハウはそれに比べると極端に少ない。情報が音楽寄りに偏っており、音楽をやらない人にとってDTM向けの情報は難解で参考にするのはハードルが高かった。結果、私のようなエンジニアにも「宅録音声を聞いてほしい!」という希望が寄せられたのだろう。

ご依頼には無償で答えたとはいえ、その人の人生を左右するかもしれない内容だ。できる限り誠実に対応した。何人もの宅録音声を聞いていると、ある程度傾向が見えてくる。今後も無料で音声を聞いてコメントし続けるのもいいが、この経験をまとめていつでも見られるコンテンツにするのはどうだろうと思った。

そこで考えたのがnoteでの記事化だ。筆者は、音響エンジニアを2006年からセミプロで続けており、2015年からオーディオライターとしても活動している。なら自分にできるのは文章で伝えることだと思って、こんな記事を書いた。

「宅録音声クオリティ向上術 ~ナレーター/声優の方へ~」(前半は無料、後半は有料記事)

3万文字を超える大長編。ネットの記事としては長すぎるのは自覚している。宅録音声を聞いて見えてきた傾向をまとめ、その対応策を提示、さらに「自分ならこうする」というノウハウ部分も盛り込んだ。音声を送ってくれた演者の方々に感謝の気持ちもあったし、中途半端な状態で出したくなかった。妥協無く書き切った結果、躓きやすいポイントを網羅し、その対策についてもフォローした珍しい記事になったと思う。

ネットで有料記事を販売する、しかもターゲットとする読者層は、これまで自分が活動していたオーディオの世界とはほとんど交わりもない。売れても10部、20部売れたら奇跡と思って公開したが、これが予想を超えるヒット。思わずスピンオフ編も作ってしまった。本編とスピンオフを合わせた販売部数は100部を超えている。読んでくれた方には感謝の気持ちでいっぱいだ。

今では「宅録音声聞いてコメント」企画はいつでも受けられるサービスとして公開している。『つなぐ』というクラウドソーシングサービスに登録して、対象者に合わせてサービスを2種類公開。一時期は、総合ランキングで累計販売数1位にランクインするなど、有料にしてからもご依頼が継続している誠にありがたい状況だ。

現在、新たに実施しているのは筆者の自宅にあるホームスタジオStudio 0.xの見学会だ。

オーディオルーム
収録ブース

オーディオやホームシアターの体験や、収録ブースでのハイレゾフォーマットによるレコーディング体験、機材システムの説明や質問タイムなどがその内容である。自宅に録音スペースを用意したり、組み立て式の録音ブースを設けるナレーターや声優の方は、技術面に必ずしも明るくなく、手探りで環境を用意する方も少なくない。

筆者も元々は声優志望であり、他の人と違うことがしたくて録音を始めたので、演者が本命でエンジニアリングも平行して学ぶことの大変さは実感してきた。自分は、機材やソフトウェアが好きになれたのでまだ恵まれていたが、苦手な方も当然いる。筆者に寄せられる相談は、宅録するナレーターに女性の方が多いということもあって、女性からの相談が圧倒的に多い。肌感覚としては、様々なことに苦労されているのが伝わってくる。

自宅収録の世界が広がったり、日々の宅録ワークに活力をチャージできるなら、自分のスタジオも作って良かったというものだ。

今後は、コロナ禍の状況を見つつ、宅録界隈で集まるオフ会などもやりたい。例えば使っているマイクやオーディオインターフェースを持ち寄って比較しまくるとか。普段、声で表現することを生業にしている面々が、自らの宅録機材を見せ合う(試し合う)というのはそうそう無いだろう。機材レビューはやはり音楽向けに偏っているし、自分たちで録って聞いてみればより理解も早い。

そんなこんなで、宅録でも活躍するナレーターや声優の方々と知り合えたのは、今年一番の貴重な出来事だった。コロナ禍で一気に層が厚くなった宅録音声界隈。自分の経験を活かして音声クオリティの底上げに少しでも貢献できたら、こんなに嬉しいことはない。そのためには、筆者もエンジニアとしてこれまで以上にスキルアップしなければいけないし、オーディオライターとしての経験や知識をエンジニア業にフィードバックしていきたいと思う。2022年、ついに私も40歳になるが、この年齢になってもまだまだやりたいことがいっぱいだ。

橋爪 徹

オーディオライター。ハイレゾ音楽制作ユニット、Beagle Kickのプロデュース担当。Webラジオなどの現場で音響エンジニアとして長年音作りに関わってきた経歴を持つ。聴き手と作り手、その両方の立場からオーディオを見つめ世に発信している。Beagle Kick公式サイト