プレイバック2024

4部15時間の超大作「ニーベルングの指環」にどっぷり浸かった by山之内正

2024年の個人的な重要イベントは、《ニーベルングの指環》の通し公演をベルリンで観たことだ。約15時間に及ぶ長大な4部作の連続上演を体験したのは、1987年のベルリンドイツオペラ来日公演、2002年のベルリン国立歌劇場に続いて今回が3回目。たった3回とはいえ、1サイクル続けて観た後の衝撃の深さは単独作品の個別上演とは次元が異なり、ワーグナーの沼が想像していたよりも遥かに深いことを思い知らされる。

今回のシリーズ上演は劇場こそ第1回目と同じベルリンドイツオペラだが、当然ながら37年前に東京で観た舞台とは演出も配役も異なり、現代のワーグナー上演の最前線を目の当たりに体験することができた。

しかも、今回の公演は2021年11月にシリーズで上演したときのライヴ映像がBlu-rayで発売されている。その記録映像を見ることで、ベルリンで観た実演の記憶を呼び戻し、演奏と演出の細部を映像と音響で再確認できるのだ。

舞台の記憶はいまも鮮明に残っているとはいえ、15時間に及ぶ舞台を隅々まで憶えているわけではないし、クローズアップを含む映像を見ることで、歌手の表情や微妙な所作にあらためて気付くこともある。実演で観たあとライヴ映像でもう一度じっくり舞台を体験することに特にオペラでは重要な意味があるのだ。

シュテファン・ヘアハイムの演出はオリジナルとは異なる時代設定に変更する「読み替え」のアプローチで取り組んでおり、台本には存在しない人物を舞台に登場させるなど、踏み込んだ解釈には賛否両論の反応が混在する。

たとえば《ヴァルキューレ》第1幕にジークリンデとフンディングの息子と思われる少年が黙役で登場しているのを観たときは、私も強い違和感を感じた。歌わない演技だけの役とはいえ、フンディング家に迷い込んだジークムントを含む3人に積極的に絡む演技が煩わしく感じられるほどで、あまり意味がないのではと感じられたのだ。

劇が進行し、ジークムントが剣(ノートゥング)をトネリコの幹から引き抜くと同時にジークリンデが少年の首を掻き切り、フンディング家との決別の意思を示すに至ってようやく演出家の意図が理解できるのだが、それもBlu-rayの映像でジークリンデの表情を読み取れたことが大きい。実演では釈然としない後味の悪さが残り、受け入れるのが難しいと感じたが、映像を見て、それもありかと思い直すに至った。

《ヴァルキューレ》第2幕の第1場と第2場はヴォータン、フリッカ、ブリュンヒルデの3人を軸に物語が展開する。

婚姻の神であるフリッカは夫である主神ヴォータンの不実を詰り、実の兄妹関係にあるジークリンデとジークムントが結ばれることを認めようとしない。一方のヴォータンはその非難に応じることなく、夫婦が激しく対立。

その後、フリッカの主張を認めざるを得なくなったヴォータンが、娘のブリュンヒルデに向かって、英雄の登場で神々の滅亡を食い止める計画を語る重要な場面が続く。この2つの場面には難民を連想させる群衆が舞台に登場し、夫婦、そして父娘の間の緊迫したやり取りを注視する役割を演じる。

この群衆も台本にはない設定なのだが、彼らの動きや表情の変化を媒介にして、主役たちの思惑や潜在的な闘争心が浮かび上がり、物語への集中度を高める効果をもたらす。聴衆に与える効果の大きさは第一幕の黙役をはるかに上回り、演劇的緊張感をもたらす意味が大きいと感じた。群衆の秀逸な演技と濃密な表情を伝えるBlu-rayの映像がなければ、この場面も中途半端な印象にとどまっていたかもしれない。

激しい会話の応酬は現代の聴衆にとっても他人事とは思えないリアルな緊張を孕んでいて、ワーグナーの台本の完成度の高さに舌を巻くしかない。群衆の存在が、作者の意図をより明確に伝え、長大な場面の緊張を持続させる。演出家の関与が明らかにプラスにはたらいている。

舞台中央のグランドピアノ、旅行鞄を積み重ねて建物やドラゴンを表すなど、舞台設計の基本的な手法は4部作を通して一貫しており、巨大な布とプロジェクションマッピングを併用したダイナミックな演出がもたらす効果もきわめて大きい。

SFやファンタジーのアプローチで《ニーベルングの指環》の世界観を表現する例も少なくないが、今回の舞台はそこまで派手な装置を使うことなく、大きな効果をもたらすことに成功している。しかも、演出や美術が音楽から主導権を奪うことなく、歌唱と管弦楽の流れを阻害することがない。そこが今回のシリーズ上演の最大の長所といえるだろう。

《ニーベルングの指環》に限らず、ワーグナーの作品はオーケストラが歌唱と同等またはそれ以上に雄弁に歌い、語る。数小節のライトモティーフが現れただけで、台詞からは読み取れない意図や感情が聴き手に伝わり、ときには劇の進行を先取りする伏線として機能することもある。その緻密な細部の組み立てが、やがて訪れる世界の終末を予感させ、ディテールの積み重ねのなかから壮大な物語の全体像が浮かび上がる。

その緻密で壮大な世界観を劇場で共有できるので、4夜を費やしてでもシリーズ上演を体験する意味はある。何年後になるかわからないが、また機会を作って連続鑑賞に挑戦してみたいものだ。

山之内正

神奈川県横浜市出身。オーディオ専門誌編集を経て1990年以降オーディオ、AV、ホームシアター分野の専門誌を中心に執筆。大学在学中よりコントラバス演奏を始め、現在も演奏活動を継続。年に数回オペラやコンサート鑑賞のために欧州を訪れ、海外の見本市やオーディオショウの取材も積極的に行っている。近著:「ネットオーディオ入門」(講談社、ブルーバックス)、「目指せ!耳の達人」(音楽之友社、共著)など。