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DAPでクラシックが聴けるか!? 真空管搭載Astell&Kern「SP3000T」を麻倉怜士が聴く
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2024年6月25日 08:00
DAPでクラシックが聴けるか、Astell&Kern「SP3000T」を試す
「ポータブルプレーヤーでクラシックが聴けるか?」という大命題に取り組む。用意したのは、Astell&KernのフラッグシップDAP「A&ultima SP3000T」(55万円)と、比較用として以前から気に入っている「A&futura SE300」(直販299,980円)である。
SP3000Tは非常にマニアックなDAPだ。通常の信号増幅ICのオペアンプ(Operational Amplifier:演算増幅器)の音と、真空管の音を聴き比べられるのである。真空管は古典的なRAYTHEON「JAN6418」。通信機器や補聴器用として活用されたポータブルタイプのミニチュア管で、オーディオ用にもしばしば使われる。これまでも他社DAPでの搭載例もある。
しかし、製造から年月が経過したビンテージ管をステレオで搭載するのだから、左右の音量、歪み、周波数などの特性マッチングには相当苦労したことは想像に難くない。製品資料には「1本1本入念に測定し、ペアリングを実施。徹底した選別により、左右チャンネルの出力偏差を最小限に抑えた」とある。モードとしては「OPアンプモード」、「TUBEアンプモード」と、両者をミックスする「HYBRIDアンプモード」を備える。
音楽鑑賞デバイスとして、視覚的なエモーションにもこだわった。画面の下の「ホーム、VUメーター、アプリ、戻る」のアイコン選択で「VUメーター」を選ぶと、画面全体に上下の2つのVUメーターが表示され、信号の電圧レベルに連動し、針が動く。四隅が黒ずんで、いかにも時代もののアナログメーターという雰囲気だ。
背面は「TUBE」と「HYBRID」モードを選ぶと、LEDによる赤い真空管的なイルミネーションが点灯。DACチップは、今やハイエンドDACの必須となった旭化成のデジアナ分離チップ「AKM4191EQ+AK4499EX」をデュアル構成で採用している。
挑戦的なプレーヤー「A&futura SE300」
もうひとつのAK DAP「A&futura SE300」もなかなかに挑戦的なプレーヤーだ。
DACに、現代の主流のワンビット/ΔΣ型ではなく、原点に戻ったマルチビットR-2R(抵抗値が2つ)型を搭載。
さらに、サンプリング周波数のモードとして、NOS(ノンオーバーサンプリング)/OS(オーバーサンプリング)の2つを用意。NOSでは、基本周波数(CDでは44.1KHz)だが、OSモードを選ぶとFPGAを使い、最大8倍のオーバーサンプリング再生する。ノイズの少なさではOSが有利だが、オリジナルの音はあくまでもNOSだ。
もうひとつの音質変化機能が、アンプのA級とAB級の切り替え。A級は常に通電し、低効率だが歪みが少なく、音質が滑らか。AB級は2つの素子を使い、高効率で増幅。歪みはA級より多い。つまり、NOS/OSという2つのサンプリング周波数と、A級/AB級アンプという順列組み合わせが可能なのだ。
「A&futura SE300」でクラシックを聴く
ではA&futura SE300を使い、組み合わせを順番に聴いていこう。再生するのは、オーケストラとピアノ独奏の2曲。1曲目がカール・ベーム/ベルリン・フィルハーモニーのモーツァルト交響曲第41番「ジュピター」の第4楽章。壮大なる大フーガを堅固な構築力で描き切った、名演だ。1962年3月にベルリンはイエス・キリスト教会で録音された、192kHz/24bitのハイレゾファイルだ。
2曲目が名ピアニスト、イリーナ・メジューエワが1925年製のニューヨーク・スタインウエイのビンテージを弾いた、ベートーヴェンの「ワルトシュタイン」第1楽章(96kHz/24bit)。試聴用のヘッドフォンは、finalの「D8000」でアンバランス接続だ。
44.1kHzの基本サンプリング周波数を選び、AB級とA級の比較する。
DAPの基本として、NOS + AB級から確認しよう。しっかりとした音調で、くっきりと奏されるが、弦が硬く、ほぐれず、金属的な響きだ。62年前の古録音なので、そう聴けるのかもしれない。各楽器の旋律線の流れは分かるが、アンサンブルとしての響きの質感は、硬質。
NOS + A級に変更すると、格段に違う。音と音の間、各パートの間の響きが緊密になり、この時代の録音なのだが、音像だけでなく、音場的な空気感も感じられるようになった。マッシブが主体だが、明らかにABより解像感が高く、音場の見渡しも明瞭。ABで感じたメタリックさは、かなり姿を潜め、細部までかなりスムーズな質感になった。
OS + A級はどうか。先程のNOSと比べ、歪みが格段に減った。スムーズな音進行で、楽譜が麗しく流れていく。NOSとは違って、歪みや音の硬さが大幅に減ったので、それでカバーされていた格調の高さ、オーソドックキシー、厳然たる進行感というベーム/ベルリン・フィルのモーツァルト演奏の本質が、より深い部分まで透徹して聴けた。弦の張り、木管のヌケ、金管の煌めき……という本演奏の美質が、より堪能できた。特に低弦の対旋律、木管のオブリガートの表情が繊細にして、明瞭になった。
NOS + AB級では、実に剛毅なサウンドだ。ひとつひとつのタッチの立ち上がり/立ち下がりが鋭く、鮮明。演奏者の気迫が十全で、ディテールまで力が漲る。音像はセンターに正確に定位するが、音像はやや平面的。A級は音の構造がまるで違う。打鍵、メカニズムがアクション、ハンマーを叩き、遂には音が発せられるという、ピアノの発音構造のダイナミクスがリアルに想像できる、非常に生々しいサウンドだ。直接音に加え、間接的な響き成分が、格段に増え、そこに豊かな倍音が乗っている。
ソノリティが深く、AB級では音場がフラットだったが、NOS + A級に切り替えると、奥行き方向にも高さ方向にも拡張され、ソノリティが豊かなコンサートホールの良い席で聴いている雰囲気。ニューヨークスタインウエイならではの敏捷で、色彩豊かなダイナミックサウンドを堪能。
OS + A級。A級アンプでオーバー・サンプリングすると、さらにしなやかにして、メジューエワならではの剛力が増し、艶々した質感が加わった。響きの音色がたいへん美しい。 ヌケの天井が高くなり、一音一音のレスポンスがさらに俊敏になり、まるで音が自発的に呼吸しているような弾力感が聴ける。ハンマーで叩かれた弦の振動がそのままリニアに、空気を振動させている様子が、眼前で聴いているような臨場感だ。
「A&futura SE300」のまとめ
NOS + AB級でははっきり、くっきり明確に、OS/AB級で質感が加わり、さらにOS/A級ではこまやかなニュアンス感、情緒性、しなやかさが加わる……という音変化は、オーディオ的に実に興味深い。
音源の質やキャラクターに応じて、最適な音調が選べるのは面白い。高音質のクラシック音源には、OS + A級の組み合わせが適していよう。
「A&ultima SP3000T」でクラシックを聴く
本命のSP3000Tのオペアンプ、真空管、ハイブリッドを順次、聴いてみよう。
カール・ベーム/ベルリン・フィルハーモニーの「ジュピター」第4楽章
非常に力感がある。1962年の古い録音だが、ベールを外して新鮮に甦った印象だ。一音一音が明瞭に、くっきりと奏され、高弦と低弦の対旋律、弦部と木管の対話……という有機的な音構造が鮮明に聴ける。それは低音の安定感、中域の情報量の多さ、高音のヌケ感と各帯域での音力が勁いからだ。
特にベルリン・フィルならではの低弦の強さが印象的だ。左の第一ヴァイオリン、センターの内声弦、右の低弦という音像配置が確実に描かれ、音場の空気感も濃い。特に第4楽章のフーガ形式の複数パートでの旋律線の移動の様子が、とても明確に捉えられる。その意味では、カール・ベームがベルリン・フィルを振った意味、意義が明白に見いだせる音再生だ。
「ドレファミ」の主題旋律が、左の第1ヴァイオリンから非常に繊細に、抜き足差し足で、そっと部屋の中に入っていくような細やかで、しなやかに奏される。センターの中声部のビオラが波打つようなオブリガードで支え、右から低弦が力強く低音を記す……という音像的なシークエンスが自然な音調で、たおやかに流れる。
オペアンプとの違いは明白だ。冒頭の「ドレファミ」オペアンプ高域まですっきりと伸ばし、弦の少しメタリックな倍音にくっきりとした存在感を与えている。一方、真空管は、基音も倍音もどちらもふくよかに、音が厚い。全合奏では、オペアンプは各パートが細部まで観察できるような解像感で奏すが、真空管は、細部も明瞭であることに加え、オーケストラの音の全体像として包み込むような、マッシブ感が特徴だ。
喩えてみると、オペアンプが多数のマイクをオーケストラの中に設置したマルチマイク収録、真空管はホールの客席に建てたワンポイント・ステレオマイク録音というイメージだ。二元論でいうと「微視と巨視」だ。もちろんどちらも、その要素もそれなりに持つわけだが、そのブレンド比が、オペアンプは微視寄りで、真空管は巨視寄り……ということだ。
感覚的には実に心地好く、耳と脳が音楽の闊達な進行に喜んでいる。真空管音の快感は、明らかに二次倍音(完全8度)の完全協和がなせる技だが、確かにスピーカー鑑賞でも部屋の空間を介して、そのメリットは聴ける。だが、耳の至近距離で聴くヘッドフォンリスニングでは、まさに二次倍音がダイレクトの脳髄を刺激するのである。弦の音像感はオペアンプではストレートにすうっと伸びる印象だが、真空管ではその場に滞留し、像の体積を膨らませているような時間的な伸張が聴ける。すがすがしくも、人肌感覚なグロッシー音に感動だ。
なお「真空管」「ハイブリッド」では電流を三段階に変化させる「Tube Current」機能はhighにして聴いた。本体に衝撃を与えると、高周波でピーッと発振するのが、いかにも真空管らしく愛おしい(10数秒で消える)。
オペアンプの明瞭さと真空管の人肌感覚がちょうどうまくミックスされるのが、ボリューム3だ(五段階)。5では真空管的な音が強く、1ではオペアンプ的になる。3では、オペアンプ的なヌケのよい剛性感、くっきりさに加え、真空管的な温度感が高く、しなやかなテクスチャーも。それはそれでハイブリッド的な愉しみではあるが、私的には、もっとモードでの個性を尊びたいのでオペアンプ、もしくは真空管モードで楽しみたい。
ドゥタメル/ロサンゼルス・フィルハーモニーのチャイコフスキー:「くるみ割り人形」から行進曲
さすがハイエンドモデルだけあり、直接音も間接音もひじょうに情報量が多い。ディテールの表情の細やかさ、弦の倍音の豊潤さはまさに刮目。低域から高域までレンジが広く、透明感が高い。解像度が高いだけでなく、音色が清涼で、まことに瑞々しいのである。冒頭のトランペットとホルンの弾む旋律が、広く会場に拡散され、それが美しくも、厚い響きを生みだし、ヴァイオリンの明瞭な旋律線と、低弦の上昇ピッチカート、さらに木管の対旋律……と、スコアの内容がたいへんクリヤーに分かる。
会場のアンビエント情報も、きわめて透明。冒頭、右で奏されるトランペットとホルンの合奏音は、その対向のホール左側に響き溜まりを形成していることが、音場解像力がひじょうに強い本機では、手に取るように分かる。ベーム/モーツァルトの時代と異なり、ホールトーンを豊かに収容する現代の録音では、直接音と間接音のバランスが課題だが、そもそも本録音はそれがたいへん高い水準にある。本機はディテールまでの丁寧な描写と、豊かなソノリティ描写で両者を満たす。特筆すべきは、空気の透明度がひじょうに高いこと。だから音場をきれいに見渡せ、奥行き方向の音像位置も正確なのだ。
オペアンプモードも素晴らしかったが、真空管は別の良さがある。まず楽器の音色。冒頭のトランペットとホルンの合奏に艶がる。アンサンブル的にも、ハーモニーを奏すホルンの音が、より明瞭に聴ける。倍音をたっぷり放出している第1ヴァイオリンの抜けの良さとグロッシーな音色感を堪能。少し奥に位置する木管の確実さ、美しさも刮目だ。弦楽と共に奏される木管の対旋律もファゴット→→クラリネット→→ファゴット→→クラリネット→→オーボエ+クラリネット楽器を変え、音色を変えていくチャイコフスキーのスコアの素晴らしさがたいへんクリヤーに艶々とした質感で聴ける。
ひとつひとつの音がより弾力的になり、鮮やかな生命力が与えられた。低域のピッチカートも面積が前後方向に大きくなる。それは直接音の件だけでなく、放射され、壁で反射する間接音も暖かく、空気の質が濃密に、官能的になった。ロサンゼルスのウォルト・ディズニーホールのリッチなソノリティにも耳を奪われた。音場に華麗な空気が舞い、音が発せられてから広い会場に拡散していく様が手に取るように分かる。最良の座席で、響きの美しさに包まれながら聴いている私を熱く想像できる。
ボリューム3で聴くと、オペアンプの解像感の高さ、ディテールまでの丁寧な表現と、真空管のグロッシーで個個の楽器の質感の艶やかさが、巧みにブレンドされた音が楽しめた。
メジューエワの「ワルトシュタイン」第1楽章
剛毅で、ハイテンションなサウンドが、ひじょうな高解像度で再生される。左の低音の連続C音の上に乗る右手の速いパッセージが鮮明で、鮮烈だ。ごく些細な弱音から、大向こうを張る強烈な強音までメジューエワがニューヨーク・スタインウエイを自在に駆る音楽的ダイナミックレンジは圧倒的だ。
強靱と、その正反対の微細なタッチへ即座に応えるニューヨーク・スタインウェイのレスポンスも、たいへん見事だ。音楽的にはメジューエワの演奏は、開放的で、明晰なベートーヴェンだ。音の粒子のサイズがひじょうに細かく、音場内部でそれらが緻密に絡み合っている。空間に音の情報が重なりあう様が実にリアル。
真空管は輪を掛けて素晴らしい。まずソノリティ。鍵盤を押して発する音の響きの温度感がひじょうに高く、文字通り熱い音が、空中に舞う。オペアンプは、その放出の勢いがストレートで直線的だったが、真空管では一音一音の音の体積が増え、それが空中に円弧を描いて漂うように射出される。
ソノリティ的な音の浮遊感も豊かだ。空間に飛び散る音の粒子の数が多く、ひとつひとつに強靭な音楽的意志が籠もり、ホールの空間に綺麗に消えゆく。色はたいへん艶々して、パッセージングが実に爽快。特に低音のエネルギー感が豊潤で、音の肉付けもたっぷりとしている。奥行きが深く、骨格がしっかり締まったボディのなかにも、真空管的なしなやかで艶々した輝きがある。
他曲と同様、両者のよいとこどりには違いないが、個人的には、オペアンプと真空管で、それぞれの美質を濃く聴きたい。
A&ultima SP3000T×qdc「EMPEROR」も聴いてみる
モードの差を聴いたわけだが、それ以前に、基本的に高品位で高質感の音だ。どのモードでもモーツァルトの交響曲、チャイコフスキーのバレエ音楽、ベートーヴェンのピアノソナタ……という時代も、ジャンルも異なる音源を見事に、その世界観に沿って再生してくれた。
オペアンプや真空管は素材の持ち味を巧みに引き出する調味料だ。真空管サウンドといっても、決して人工的に倍音を強調する(まったりする)ようなものではなく、音楽の味わいを濃くするエッセンスという形容が正しいだろう。音源と気分で、モードを切り替えるとよい。
ここまでは試聴にヘッドフォンを使っているが、屋外ではイヤフォンの方が使いやすい。そこで、最後に、話題の5ウェイ・トライブリッド15ドライバー搭載のqdcハイエンドイヤフォン「EMPEROR」とSP3000Tを組み合わせ、真空管モードで聴いてみた。接続はバランス接続だ。
繊細さと剛毅さが同居した実に堂々たる、言ってみると文字通り「ジュピターのような」雄大な音調だ。
ドレファミのジュピター音形がしっとりと左の第1ヴァイオリンで始まり、次にビオラと低域のチェロ、コントラバスが加わり、トゥッティになだれ込むというシークエンスでは、各パートが実にクリヤーに解像し、トゥッティでは、まさにスコアの隅々まで、内声部まで「見える」ほど。この重層的な微視感と共に同時に細部が積み上がって重奏し、アンサンブルが形成されるという構築性が明確に聴ける。
特に、固定旋律を各パートが時間差で追いかけるというフーガ形式の再生は、本DAPと本イヤフォンで聴くと、実に明瞭で、スリリング。直前のメロディと今のメロディが重複しながら同時に調和するというモーツァルトのスコアの驚異を造形的に再現したベーム/ベルリン・フィルの名演奏を、文字どおり構築的に名再生する本イヤフォンの高品位な再現性に感動した。
SP3000T+EMPERORは、高品質でクラシックを愉しむ、刎頸(ふんけい)のコンビネーションと言っても過言ではないだろう。