藤本健のDigital Audio Laboratory

第871回

ライブ業界を救え! ヤマハの次世代ライブビューイング「Distance Viewing」の挑戦

このコロナ禍において、苦境に陥っているライブハウス。連日のように、ライブハウス閉鎖の知らせなどが流れてくるが、ミュージシャンの演奏の場がなくなると同時に、ライブに携わるPAエンジニア、照明エンジニア、ローディーなど、さまざまな職種の仕事が奪われている。

そうした状況を大きく変えることができる可能性を持つ、ユニークなシステム「Distance Viewing」なるものをヤマハが開発した。一言でいえば、ライブ会場の音響、照明、映像を丸ごとアーカイブし、別の時間、別の場所で丸ごと再現できるというものだ。

先日、東京・渋谷で音楽ユニット「ORESAMA」のライブが、このDistance Viewingを用いて行なわれたのだが、その直前にプレス向けの体験会が実施されたので参加してきた。Distance Viewingは自宅でライブ映像を見るのと何が違うのか、そして従来からあるライブビューイングとはどこが違うのか、レポートしてみよう。

ライブビューイング「Distance Viewing」とは

ヤマハ社内において「Yamaha COVID-19 Project」なるプロジェクトが始動したのは、今年4月下旬。

プロジェクトリーダーの畑紀行氏は「コロナにおいて音楽業界が大きなダメージを受けています。これに対応しなくてはという社員みんなの危機感から生まれたプロジェクトです。目的は社会貢献やニューノーマル時代への変革に向けたアイディア募集と実現。社内から寄せられたアイディアを関連部署と共有しながらプロジェクトを推進しています」と話す。

プロジェクトリーダーの畑紀行氏

実際、このプロジェクトから、楽器演奏用のフェイスシールドが考案され、製作用データや製作方法が無償公開されたり、先日も記事で紹介した「SYNCROOM」では、使い方をビデオにして無償公開するなど、様々な活動がスタートしている。

今回取り上げるDistance Viewingは「ライブ業界を救いたい」という強い思いから立ち上がったもの。具体的な説明に入る前に、Distance Viewingの様子を収めた動画があるので、まずはご覧いただきたい。

下記動画は、ボーカルのぽんさん、サウンドクリエイターの小島英也さんからなる音楽ユニット「ORESAMA」が、渋谷のライブハウス「Veats Shibuya」で10月19日に行なったDistance Viewingの様子だ。

ORESAMA Distance Viewing
ORESAMA
会場のライブハウス「Veats Shibuya」

どこまで雰囲気が伝わるかは分からないが、ライブ会場に行って、Distance Viewingを体験すると、まさにライブそのものを味わっている感覚になる。

実は、この動画撮影の前日、ORESAMAは同じVeats Shibuyaでライブをしており、その様子をアーカイブし、再現したのが19日に行なわれたDistance Viewingなのだ。

Distance Viewingのシステム概要

映像はステージにあるスクリーンに映し出されているものなので、ここにどこまでリアルさを感じるかは人によって評価は分かれるが、PAを通じて出てくる音は、ライブ本番とまったく同じ。ライブハウスにあるラージスピーカーを使った大音響なので、自宅のテレビやパソコンから出てくる音とは全く違うホンモノ。これはそうした設備があるライブハウスでないと味わえないものだ。

写真中央を見ると、ステージ上にスクリーンがあることが確認できる

照明も実際のライブとほぼ同じ状況を再現。天井などに配置する照明機器が動きながら、会場内を演出するので、テレビやディスプレイからだけでは味わえない臨場感。この音と照明により、まさにライブハウスで実際のライブを楽しんでいるような体験を提供するのだ。

Distance Viewingでの照明の様子

基礎技術開発の発端は「見られないライブをありのまま再現したい」

Distance Viewingを考案し、開発してきたのがヤマハ デザイン研究所の柘植秀幸氏だ。

聞けば、前述のYamaha COVID-19 Projectの1つとして5月から急ピッチで開発して実現させたというのだが、もちろんその短期間だけですべてを開発するのは不可能。実は、何年も前からDistance Viewingのベースとなる仕組みを開発しており、その一部を実用化させたのが、今回のシステムだったわけだ。

ヤマハ デザイン研究所の柘植秀幸氏

ベースとなる仕組みは「Real Sound Viewing(RSV)」というもの。これは、コロナ以前から柘植氏が研究を重ねてきたテーマであり、頭に描いていたのは「世の中には見たくても見れないライブがたくさんある。これをなんとか見れるようにできないか」ということだったという。

例えばチケットが取れない、遠くて行くことができない、すでにバンドが解散してしまった、そのアーティストが亡くなってしまったなどなど。もちろん、これまでもライブを収録したCDやDVDは存在するし、YouTubeなどでも見ることは可能だ。中にはライブビューイングといったことを行なっている例もあったが、それでも見ることができないライブもいっぱいあるのが実情である。

それにCDやDVD、YouTubeで見るのと、ライブハウスやコンサートホールに足を運んで見るのとでは、格段の差があるのも事実。そこで、ライブを真空パックしてパフォーマンスをそのまま残して再現することを試み、RSVの研究・開発を進めてきたのだという。

実現しようとしたのが「音のデジタル処理技術+楽器の自動演奏+映像投影」というものだ。

中でも楽器の自動演奏は、これまでのレコーディングとは大きく異なり、ピアノ、ベース、ドラムといったアコースティック楽器そのものを自動演奏するため、まさにホンモノさながらの音を再現できる。大きな会場であれば、すべての音がPAを通るため、楽器の自動演奏自体にそれほど大きな価値は見いだせないかもしれないが、小さなライブハウスの場合、とくにドラムの音などは生で伝わるため、オーディオとは異次元のものとなる。波動が直接観客に伝わるため、オーディオ機器では絶対に再現できない音、衝撃を再現することができるのだ。

ヤマハが開発する、楽器の自動演奏システムの例

とはいえ、楽器の自動演奏は容易ではない。そこで、このコロナ禍において、楽器の生音を再現する自動演奏はいったん棚上げして、実現させたのがDistance Viewing。結果としてアーティストの姿を映像で伝えるとともに、PA・音響の音はそのまま再現し、照明・空間演出も同じように実現させるものとなっている。

柘植氏によると、5月に企画を立ち上げてから社内で実験を繰り返すなど急ピッチで開発を行ない、7月には一通りのシステムが完成したとのこと。ただ、これまでに誰もやったことのない初の試みであるため、いろいろと探した中、ビクターエンタテインメントが運営する渋谷のライブハウス「Veats Shibuya」が協力してくれることになったという。

また、この企画に参加してくれるアーティストの協力も必要だった。今回のDistance Viewingでは映像、音響とステージ演出の複合を再現するので、ファンが熱狂する高い音楽性、魅力的なパフォーマンス、そしてステージ演出へのこだわりを持つアーティストが望ましいと探した中、ORESAMAにたどり着いたという。

そのようにして実現したのが冒頭の動画だったわけだが、では、実際に何をどのように実現しているのだろうか? この辺を柘植氏に聞いてみた。

「まず音については当社のデジタルミキシングコンソールであるCL5を使ってレコーディングからフェーダー操作の再現まですべて行なっています。そのため、アーティストによるライブ本番での音とまったく同じ音をDistance Viewingで再現できます。一方、照明のほうは当社のシステムではありませんが、これも当日の動きを完全に再現できるように記録しました。具体的にはDMX信号として記録することで、音と完全に同期する形になっています」(柘植氏)。

ライブハウスで使用されたミキサー「YAMAHA CL5」
照明システムのパネル
レコーディングシステムのパネル

映像でも、スクリーンに映し出されている映像の中に見える照明と、実際に再現している照明が完全に同じ動きをしているのが見て取れると思う。だからこそ、まるでアーティストがいるかのような臨場感を得られるのだ。

今回は、ORESAMAが演奏したのと同じライブハウスで再現したが、異なるライブハウスであっても、再現は可能という。もちろん、最適化するためには、各ライブハウスで最適化するように、PA側の調整が必要になるが、音源自体はすべてのトラックが揃っているので、現地のPAエンジニアに任せていきたいと柘植氏は話す。

一方で、照明は各所で異なるが、これについては全国のライブハウスの照明データベースがあるので、それを利用してコンバートしていくことで、かなり再現できるはずだという。そうなれば、映画などと同様、全国で上映ならぬ“全国Distance Viewing”が可能になり、移動が制限される今、広い展開が可能になるかもしれない。

柘植秀幸氏

ライブのあり方を変える、大きな可能性を秘めたライブビューイング

非常に夢の多いシステムだが、まだ発展途上の段階にあるのも事実。

実際に見ていて、少し物足りないかなと感じたのはアーティストを映し出す映像の輝度。これは1点のカメラで捉えた映像をプロジェクターで投影しているのだが、激しい照明があるせいなのか、もう少し光量があってもいいのかもしれない、と感じた次第。柘植氏によれば、プロジェクターの台数を増やし、重ねていくことでもう少し明るくできるはず、とのことではあった。

撮影に使用したカメラ
投影に使用したプロジェクター

初音ミクのライブなどでは、半透明のスクリーンを使い、より立体的に映し出すという試みが行なわれているが、こうした事例を参考にして改善していくこともできるのかもしれない。ただ、実際に演奏している人物の動きを捉えるのであれば、今回のように1点のカメラで収録し、普通のスクリーンに投影するというのが一番現実的なのかも、とも思うところ。この辺はぜひ、もっとアーティストをリアルに感じられる映像にできるよう、研究を進めてもらいたいところだ。

演者側は、このシステムをどう見ているのか? 発表会では、ORESAMAの小島英也さんからビデオメッセージが寄せられ「以前とは日常のライブの在り方がガラッと変わってしまった今、Distance Viewingという新たな試みに挑戦できてうれしく思います」、そしてぽんさんからは「最近のライブは配信が主流になりつつありますが、私たちとしてはもっと現場を復活させていきたい、共有したい、一人でも多くの人に体感してもらいたい、という気持ちが日増しに強くなる中、こういった技術がライブの可能性を広げてくれるのではないか、と期待しております」とのコメントがあった。

ビデオメッセージを寄せた、ORESAMAの小島英也さんとぽんさん

ライブハウス側もかなり期待を寄せているようだ。ライブハウス「Veats Shibuya」の店長を務める川上貴也氏は、まず現在の窮状を次のように語っていた。

「会場の足元をご覧いただくと分かる通り、足跡のマークが1mの間隔を置いて貼ってあります。現在の規制のため、来場者には距離感を保ちながら、静かに見ていただく形になっています。ちょうど2年前にオープンしたばかりのライブハウスですが、コロナ前は1カ月に16,000人程度の方々に来場いただいていました。しかし、現在はようやく400~500人程度。非常に苦しい営業状況となっています」。

ライブハウス床には、距離を保つための張り紙が貼られている

「これからメジャーへと駆け上がっていくミュージシャンもこうしたライブハウスが音楽の始まりの場所なのです。一方、ライブハウスは終わりの場所でもあると思います。バンドが解散し、アコースティックの弾き語りをソロで行なう場所だったり。もちろん、最近は生配信などの手段もありますが、ライブハウスでないと体験できないものも多くあると思います。それを続けていくための可能性がDistance Viewingにあるのではないか、と今回ヤマハさんから声をかけていただいたので、協力しました」と川上氏。

ライブハウス「Veats Shibuya」の川上貴也氏

現在はまだ、ライブハウスへの規制が残り、来場者数を制限せざるを得ない状況だが、それではどう考えても利益がでないどころか大赤字になってしまう。それはライブハウス側も、そしてミュージシャン側も同様だろう。

しかし、Distance Viewingであれば、1度演奏したものと同じものを何回も繰り返し上演できるメリットがある。また前述の通り、全国展開ということも可能なわけで、収益化という面で大きく貢献できる可能性がある。川上氏も「ライブハウスはわざわざ来てもらう必要があるけれど、それだけの価値を体験できる場」とライブハウスの意義を強調する。

繰り返し上演できるのであれば、単価を大きく下げることが可能というのも、今後大きなポイントだと川上氏。昨今のライブへの入場価格は高騰していることもあり、高校生や大学生が気軽に来れるところではなくなっているが、これならば著名なミュージシャンであっても、1,000円程度のチケット代で気軽に来てもらえる可能性がありそう、とも語っていた。

もちろん設備やシステムの構築もあるので、どこでも簡単に導入できる段階ではないとは思うが、Distance Viewingは今後のライブハウスの在り方を大きく変えるかもしれない。

藤本健

 リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。  著書に「コンプリートDTMガイドブック」(リットーミュージック)、「できる初音ミク&鏡音リン・レン 」(インプレスジャパン)、「MASTER OF SONAR」(BNN新社)などがある。またブログ型ニュースサイトDTMステーションを運営するほか、All AboutではDTM・デジタルレコーディング担当ガイドも務めている。Twitterは@kenfujimoto