藤本健のDigital Audio Laboratory

第942回

ヘッドフォンからAtmosまで、理想音場に補正する「SoundID Reference」

キャリブレーションソフト「SoundID Reference for Multichannel」

昨年、Apple Musicで空間オーディオのサービスが開始された事が後押しとなり、イマーシブオーディオや空間オーディオに関する技術、製品が続々と登場してきている。先日もSonarworksが「SoundID Reference for Multichannel」(DL版:71,400円/マイク同梱版:74,800円)という製品を発表し、多方面から注目を集めた。

これはステレオ(ヘッドフォン含む)からDolby Atmosまでの再生環境において、理想の音場になるようにコントロールするためのシステムで、ハードウェア、ソフトウェアを用いて実現していくというもの。世界同時発表となったが国内でも発表会が行なわれ、実際にそのサウンドを確かめることができた。どんなものなのか、紹介してみたい。

スタジオや自宅のサウンド環境を補正して理想の音響空間に

Sonarworks(ソナーワークス)をご存じない方も少なくないと思うが、同社は2012年にラトビアで設立されたテクノロジーベンチャーで、現在もラトビアの首都リガで開発を行なっているメーカーだ。数年の開発期間を経て、2015年に発売して世界的なヒットになったのがキャリブレーション・ソフトウェア「Sonarworks Reference 3」という製品。どこのメーカーのどんなスピーカーであっても、このReference 3付属のマイクを使って音響測定した上でソフトウェアを用いて補正すると、理想の音響空間をリファレンスとして実現できるというものだった。

測定用の付属マイク

ここでいう“理想”というのは、特定のスタジオを実現するのではなく、さまざまなスタジオの情報を元にSonarworksが作ったリファレンスであり、その環境をどんな場所でも、またどんなスピーカーを使っていても実現できるということでヒットしたのだ。

もっとも、このようなスピーカーのキャリブレーション自体は、いまや一般のAVアンプでも採用されているので、それほど珍しいものではないが、このSonarworks Reference 3がヒットしたのには、もうひとつ大きな理由がある。それは、その音をヘッドフォンでも実現できるという点。単純に手持ちのヘッドフォンの型番を設定するだけで、同じリファレンス環境の音をヘッドフォンで再現できるようになっていたのだ。

ステレオからマルチchのスピーカーだけでなく、ヘッドフォンもキャリブレーションできるのが魅力

当初はごくわずかなヘッドフォンが対象で、筆者が初めてSonarworksを知った2017年の段階でも50モデルに過ぎなかったが、現在は480のヘッドフォンが対象になっていて、選べばすぐに同じ音にできるようになっている。実際試してみると面白い。高級なモニターヘッドフォンだと、それほど大きな違いは出ないのだが、安いヘッドフォンをこれでキャリブレーションすると、劇的に音が変わって高級なサウンドになるのだ。

このようにスピーカー環境でもヘッドフォン環境でも同じリファレンス環境を簡単に再現できるということで、プロを中心に幅広く使われるようになっていった。その後Sonarworks 4、さらに2021年のメジャー・バージョンアップで、モデル名をSoundIDとし、さらに普及していった。

03:Anatolii Shiriaev氏が左、Janis Spogis氏が右

先日、発表会のために来日していたSonarworksの上席副社長であるJanis Spogis氏によると、「これまで10万以上のレコーディングスタジオに導入され、55を超えるグラミー賞受賞のエンジニアがSonarworks製品を使っています。そして、多くのスーパーアーティストがSonrworksの技術を利用したスタジオでレコーディングしたりミックスしたりしています。もちろん多くの映画作品、さらにはゲーム作品でもSonarworksが使われてきています」と話す。

グラミー賞受賞のエンジニアがSonarworks製品を活用
著名なアーティストがSonarworks利用のスタジオでレコーディングやミックスを行なっているという

「ご存じのとおり著名で定番と言われるモニタースピーカーであっても、それぞれによって音に違いがあります。無響室で測定してみても差があります。それ以上に差があるのが各スタジオによっての環境の違いです。同じスピーカーを異なるスタジオで測定すると、非常に大きな差があるのです」。

モニタースピーカーを無響室で測定した場合の周波数特性。各製品によって音に違いがある
スピーカーの違い以上に大きな差が出るのが、部屋の違いだ

「さらに膨大にあるヘッドフォンの特性を調べてみれば、すべてに違いがあります。これでは、環境によって音に違いが出すぎて、正しい音作りはできないでしょう。それを統一し、どこでも同じ音を再現できるようにするのがSonarworksの技術なのです」とSpogis氏は話す。

ヘッドフォンの特性も製品によって異なる
キャリブレーションによって、異なる環境・製品でも、特性のバラツキを補正することができる

Android、iPhone、Windows、Mac用の無料アプリも

Sonarworks製品のメインターゲットはプロの音楽制作者だが、実は一般リスナー向けのアプリケーションがあり、Android、iPhone、Windows、Mac用を無料でリリースしている。

まだしっかり使えていないので、詳しい情報については改めてレポートできればと思うが、ざっと試してみたところ、前述のリファレンス環境をそれぞれのマシンで実現できるようだ。

ただし、iPhoneは一部機能に制約がある。というのもiOSはサウンドドライバを乗っ取ることができないからだが、たとえばAndroidであれば、自身の使っているヘッドフォンを設定した上で、SoundIDのOn/Offするとリファレンス環境で聴くことができるようになっている。

「一般ユーザー、とくにヘッドフォンユーザーの場合、フラットないわゆるスタジオのリファレンス環境をみんなが望むわけではありません。もっと低音を鳴らしたい人、静かな音で聴きたい人など、ひとそれぞれです。そこで、まずはフラットにした上で、好みに合う音にできるよう、チューニングできるようにしています」(Spogis氏)。

アプリを試してみたところ、ヘッドフォンの型番を指定した上で、聴力テストのようなものを行なったり、「A~Dでどのサウンドが好き?」といった質問に10回程度答えていくと、自分の音が出来上がるシステムになっている。これを各種音楽プレイヤーの出力で補正することで、正しい音、好みな音で聴こえるようになる。

アプリ画面。ヘッドフォンの型名を指定
好みのサウンド傾向を選ぶ
自信のチューニングプリセットができあがる

その際、自分のアカウントを作成し、ログインしてから操作していくのだが、そのプロファイルがアカウントとともに登録されるので、それをWindowsでもMacでも再現できるようになっている。ちなみにiPhone用のアプリは、そのプロファイルのみを作成することができる。

作成したプロファイルをWindows/Macでも再現可能

イマーシブ環境に対応。将来はプラグインなしのキャリブレも

さて、冒頭で触れたSoundID Reference for Multichannelは、イマーシブ環境をキャリブレーションするシステムだ。ソフトウェア単品(71,400円)だけでなく、測定用マイクを同梱した「SoundID Reference for Multichannel with Measurement Microphone」(74,800円)も用意する。

Spogis氏は、「Apple Musicが空間オーディオをスタートさせたことで、各スタジオからイマーシブ環境で使えるSonrworksのシステムが欲しいというニーズが高まっていました。もちろん当社でもかなり以前から研究・開発を進めてきましたが、ようやく完成させることができたので、今回のリリースとなりました」と背景を語る。

そして、「実際、イマーシブ環境においては2chのステレオ環境以上にリファレンスの存在が重要になります。スピーカーが違ったり、部屋の大きさ、形、壁の素材……など異なることで音の聴こえ方は大きく変わってしまいます。また自分で測定するのは非常に困難であり、キャリブレーションツールが不可欠です。SoundID Reference for Multichannelはどのようなスタジオでも45分ですべての測定からキャリブレーションまでを実現し、リファレンス環境を整えることができるので、今後多くの制作環境で取り入られていくと確信しています」と自信を見せる。

では実際どのようなものなのか、SonarworksのエンジニアであるAnatolii Shiriaev氏がデモを行なってくれた。

「7.1.4chはもちろん、4.0ch~9.1.6chの環境までキャリブレーションを行なうことが可能です。7.2.4chなどサブウーファーが2つあるものは対象外ですが、ほとんどのイマーシブ環境のスタジオを効率よく、最高の環境に仕立て上げることが可能です。測定には付属のマイクを使いますが、測定するソフトウェアにマイクのシリアルナンバーを入力する事が必要です。というのも、すべてのマイクは出荷前に特性チェックを行なっており、その特性データがシリアルナンバーに紐づけられているためです。クラウドからそのデータを引っ張ってきた上で、キャリブレーションを掛けるので、どこでも同じことを実現できるようになっています。また、従来の2chのシステムではマイクを手持ちで測定することも可能でしたが、このマルチチャンネル版では必ずマイクスタンドで固定しなければなりません」とShiriaev氏。

今回の新製品も従来と同様、プラグインを使ってキャリブレーションする形になっている。実際にApple MusicにあるDolby Atmosの楽曲を再生し、SoundIDがオンの状態とオフの状態で比べると、明らかにオンのほうが、クッキリした音場になるのが分かる。

「使い方はいたって簡単です。何チャンネルなのかを設定し、接続しているオーディオインターフェイスを選択。その後、測定ボタンを押せばOKです。三角測量の容量でマイクがどの位置にあるかも正確に割り出してくれます。試しにマイクの位置を動かしてみると、スイートスポットが変化することも画面上で確認できるでしょう」(Shiriaev氏)。

チャンネル数を設定
インターフェイス選択後は、測定ボタンを押す

確かに、リスニングポイントを動かしても、再度測定すればすぐにその位置に最適化してくれるのは非常に便利そうだ。

ところで、今回のマルチチャンネル版に限らずSonarworksのシステムでちょっと気になるのはキャリブレーションをすべてソフトウェアで行なっている点。VSTやAudio Units、AAXといったプラグインで実現しているのだが、いちいちプラグインを組み込まなくてはならないのは多少面倒にも感じるところである。

プラグインを組み込む必要がある

「すでに一部のDSP内蔵オーディオインターフェイスで、このキャリブレーションを可能にしているほか、間もなく発表される某モニタースピーカーでもDSPを内蔵しているので、プラグインなしにキャリブレーションが可能になります。これはステレオでもマルチチャンネルでも同じように使えるようになるので、ぜひ、楽しみにしていてください」(Spogis氏)とのこと。

7.1.4chはもちろん、5.1chだって利用できる環境を持っている人は少ないとは思うが、こうしたキャリブレーションによるリファレンス環境を簡単に構築できる技術は非常に強力な助けになるはず。

イマーシブオーディオを正確にヘッドフォンで聴けるバイノーラル環境にまで落とし込んでくれたら、ますますすそ野が広がりそうだが、そのレベルに達するには、まだハードルがいろいろありそうではある。ぜひ、そうした動きにも期待しつつ、今後の動向を追っていきたい。

藤本健

 リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。  著書に「コンプリートDTMガイドブック」(リットーミュージック)、「できる初音ミク&鏡音リン・レン 」(インプレスジャパン)、「MASTER OF SONAR」(BNN新社)などがある。またブログ型ニュースサイトDTMステーションを運営するほか、All AboutではDTM・デジタルレコーディング担当ガイドも務めている。Twitterは@kenfujimoto