西田宗千佳のRandomTracking

第478回

アップルの発表から読む「Apple Watch」と「iPad」のこれから

アップルのティム・クックCEO。今回はiPhoneではなく、Apple WatchとiPadという2つの製品に絞って発表した

アップルが秋の新製品発表会を開催した。すでにご存知のことと思うが、今回はiPhoneの発表はなかった。発表の主軸はApple WatchとiPadである。その意味がどんなところにあるか、解説を行なってみよう。

「iPhoneがなくて期待外れ」という声もわかる。だが、今年はある意味特殊事情の大きな年。そして、iPadやApple Watchの発表にも、アップルの重要な戦略の多くが散りばめられている。

実はハイエンドの「Series 6」でなく「SE」こそ戦略商品?!

今回発表されたApple Watchは2種類。新SoC・新センサーを搭載した「Series 6」と、センサーなどは減らしたものの性能はある程度維持し、低価格化した「SE」だ。

今年のハイエンドモデル「Apple Watch Series 6」
もうひとつのモデル「Apple Watch SE」。実はこちらも重要だ

多くの人はやはり、血中酸素ウェルネスアプリが搭載されたSeries 6に注目するだろうが、アップルとしての戦略商品は、実はSEの方ではないか、とすら思っている。

狙いはシンプル。アップルは、Apple Watchの「基準」をワンランク上げ、昨年発売の「Series 5相当」にしたいのだ。

Series 5というと「常時点灯ディスプレイの採用」が思い浮かぶが、実際にはプロセッサーである「S5」のパフォーマンス向上も大きな魅力だった。Series 4やSeries 3ではアプリの呼び出しや動作に遅さを感じることが多いが、Series 5なら大丈夫だ。

Apple Watch SEの動作速度は、Apple Watch Series 3の倍もある

そしてもう一つ大きいのは、携帯電話ネットワークを使う「GPS + Cellularモデルの比率をいかに増やすか」ということだ。

実のところ、今はGPS + Cellularモデルでなければ困ることが多いか、というとそうでもない。とはいえそれは「常にスマホを一緒に持っている生活が当たり前」という前提だからだ。より多くの人がスマホを持たないシーンでも活用することを考えると、スマホなしで使える状況を広げていくべき、という判断になる。そのとき、S5ベースにするのは理に叶っている。

低価格化した「SE」は、センサーや常時点灯ディスプレイの有無などでSeries 6と差別化している。だが意外にも、GPS + CellularモデルとGPSモデルの価格差が、上位モデルであるSeries 6より小さい。Series 6ではGPS + Cellularモデルは5万3,800円からで、GPSモデルとの価格差は11,000円。それに対しSEは、GPS + Cellularモデルが3万4,800円で、GPSモデルが2万9,800円で5,000円の差だ。

今回、Apple Watch向けには「ファミリー共有設定」機能が搭載された。iPhoneを持たない家族向けにApple Watchをペアリングする機能なのだが、実はGPS + Cellularモデル向けで、「スマホを持っていない人の位置を確認したり、Apple Watchから連絡したりするために常時接続が必要」という設計思想になっている。

「ファミリー共有設定」機能 で、子供や高齢者のスマホ代わりとしてApple Watchが使える
セルラーモデルなら、iPhoneがなくても家族同士でのコミュニケーションが可能

すなわち、スマホを持てない小さな子供や、スマホに抵抗感があって操作も難しい高齢者にApple Watchを使ってもらい、「キッズケータイ」や「見守り機器」よりも身近な家族とつながるデバイスに……という狙いがあるのだ。だから低価格なSEでは「GPS + Cellularモデル推し」なのである。

もう一つ、個人的に面白いと思ったのは、留め具がない「ソロループ」というバンドを新たに用意したところだ。

新しい「ソロループ」。継ぎ目のない美しいバンドだが、サイズ調整が難しいので「サイズごとに多数のバリエーションを用意する」必要がある、メーカーとしては大変な製品

見た目には美しいが、サイズの調節が購入後にできないので、「腕の太さにあったバンドバリエーションを多数用意する」必要がある。「用意すればいいじゃない」と思われるかもしれないが、カラーバリエーションとサイズバリエーションの掛け算になり、膨大な点数のバンドを作って在庫しなければいけないので、あんまり普通はやらない。特に、店舗や他事業者のオンラインストアなどに依存する場合、販管費や不良在庫増大につながるので、やりたがる企業はほとんどないのでは……と予想できる。

だがアップルの場合には、自社流通である「Apple Store」を主軸にできて、オンライン配送なら在庫のコントロールもしやすくなる。しかも、バンドの「規格」はどのApple Watchでも同じなので使い回しも効く。

実はこんなところですら、アップルらしいビジネスモデルの結果が現れているのだ。

海外で始まるアップルの「フィットネス」サービス

Apple Watchがらみで面白かったのが、アップル自身によるフィットネスガイドサービス「Apple Fitness+」だ。このサービスの特徴は、数字だけでなく映像によってフィットネスのコーチングをすること。専属トレーナーが、データに基づいて毎週フィットネスのワークアウトも提供してくれる。

アップルがサブスクリプション方式のフィットネスサービス「Apple Fitness+」を発表。ただし日本は当初のサービス地域には入っていない
Apple Watchで計測したワークアウトの数字をiPhoneや iPad、Apple TVで見ながらトレーニングができる

残念ながら日本は当初のサービス地域には入っていない。映像制作が必須でその迅速な日本語化が必要なこと、その場合には日本向けのインストラクターも必要になることなどが理由と思われる。

「Apple Fitness+」のインストラクター陣。彼らの能力とパフォーマンスの良さで利用者の数が左右される

アップルがこのサービスに取り組むのは、いわゆる「サービス収益拡大」路線の表れでもあるのだが、同時に、「サブスクリプション型オンラインフィットネスジム」というビジネスが明確にヒットしているからでもある。

代表格はアメリカの「Peloton」だ。Pelotonの場合には、エアロバイクなどの機器を購入し、さらに月額の料金を支払って利用するのだが、「自宅でできる」「オンラインで動画を見ながら、質の高いパフォーマンスのインストラクターと共に運動できる」「データに基づいたトレーニングができる」などの要素が受けて、急速に成長している。コロナ禍のStay Homeの中で伸びた業種のひとつ、としても注目されている。

アメリカでヒットしているオンラインフィットネスサービス「Peloton」

アップルがやっているのは、iPhoneやiPad、Apple WatchをPelotonにおけるエアロバイクに置き換えるとわかりやすい。しかも、PetlonでもiPadやApple TVは使われている。

Apple Watchによるフィットネス情報のトラッキングは重要であり、ハードとソフトを一体化したサービスを提供するのはアップルの十八番。そして、他で成功していて自社に取り込めそうな要素を素早く追いかけ、独自のエッセンスを振りかけていくのもまた、アップルがよくやるパターンでもある。

後追い議論はともかくとして、「絵と音を活用できるコミュニケーションデバイス」と「フィットネス自身を記録するデバイス」の両方を持つ企業がサービスにも乗り出すのは、ある意味必然といえる。

狙いが異なる「iPad」と「iPad Air」の刷新

もうひとつの新製品、iPadについては話が比較的シンプルだ。タイミングの問題などもあって更新されていなかったスタンダードサイズの2機種、すなわち「iPad」と「iPad Air」をリニューアルしたのである。

今回は2つのiPadをリニューアル

ただし、リニューアルの方向性は大きく異なる。第8世代iPadは低価格化であり、第4世代iPad Airは新しい世代のプラットフォームへの移行だ。

iPadは教育分野でPCやChromebookと激しく争っていて、低価格モデルのバリューアップは必須だ。第8世代iPadはA12 Bionicチップを搭載しているが、同じA12 Bionicを搭載した昨年発売の第3世代iPad Airは、最廉価モデル(64GB)で5万4,800円だった。

それに対し、今回登場した第8世代iPadは3万4,800円(32GB)から。ストレージ量が64GBから半分の32GBになるとはいえ、価格が2万円も下がっている。仮に第8世代iPadのストレージを128GBにしてもまだ、第8世代iPadの方が1万円安い(4万4,800円)。これは圧倒的な魅力だろう。

第8世代iPad
昨年のiPad Airと同じSoCである「A12 Bionic」を採用、実質的な大幅値下げになっている

それに対して、第4世代iPad Airはそこまで安くなっていない。デザイン面・機能面がiPad Pro・11インチモデルに近くなったこと、プロセッサーとして新しい「A14 Bionic」が使われていることなどから非常に安くなった、という印象を受けるかもしれないが、あくまで「Air同士」の比較だと、価格はむしろあがっており、順当なアップデートといえる。

新iPad Air(第4世代)。iPad Pro譲りのデザインに変わったが、カラーバリエーションが特徴

iPad AirとiPad Proのデザインが同じになったことでかなり「どちらを買うか迷う」ひとがいるだろう。

個人的には、「コンテンツを見る人にはAir、作る人にはPro」という切り分けがいいのかと思っている。

ProとAirではストレージの量が違う。そして、Proには120Hz駆動のディスプレイが採用されており、特にペン入力時のレイテンシーの低さにつながっている。一方、発色などは近く、「見る」だけならあまり差はでない。

プロセッサー性能については、A14 Bionicの方が間違いなく多機能だ。カメラのためのISP(Image Signal Processor)も刷新されているため、センサーこそ同じだが、実はProよりAirの方が高画質になる可能性が高い。

iPad Airは「2020年世代」のアップルシリコンである「A14 Bionic」を最初に搭載した機器になった

だが、処理性能で比較するとProの方が上である可能性が高い。なぜなら、Proが採用している「A12Z Bionic」はCPU・GPUともに8コア。Airの「A14 Bionic」はCPU6コアにGPU4コア。1コアあたりの処理能力はA14 Bionicの方が上でも、トータルでの性能は、CPU処理・GPU処理ともにA12Z Bionicの方が上であると想定できる。また、アップルは公開していないが、メインメモリーの量も違う可能性があり、そうなるとさらにProの方が有利になる。

というわけで、やはり「ProはPro」。特にLiDARを使ったARアプリ開発を考えた場合、Pro一択となる。ゲームもProの方が有利だろう。

だが、コンテンツ制作よりも映像や音楽の視聴や読書などがメインなら、これらの差はあまり意味がない。そして、大多数の人はAirの能力で十分、クリエイティビティ・ワークがこなせるだろう。カラーバリエーションも含め、「メインストリームラインの刷新」が狙いだ。

西田 宗千佳

1971年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主に、取材記事と個人向け解説記事を担当。朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、週刊朝日、AERA、週刊東洋経済、GetNavi、デジモノステーションなどに寄稿する他、テレビ番組・雑誌などの監修も手がける。
 近著に、「顧客を売り場へ直送する」「漂流するソニーのDNAプレイステーションで世界と戦った男たち」(講談社)、「電子書籍革命の真実未来の本 本のミライ」(エンターブレイン)、「ソニーとアップル」(朝日新聞出版)、「スマートテレビ」(KADOKAWA)などがある。
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