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第521回

衝撃のワールドカップ全試合無料中継、ABEMAが目指す“次のステージ”

ABEMAが「FIFA ワールドカップ カタール 2022」(以下W杯2022)全64試合を無料生中継する、と発表した。多くの方が驚いたのではないだろうか。

11月のFIFAワールドカップ、ABEMAで全試合無料生中継

サッカーのワールドカップは巨大イベントであり、放送権料も巨額なものになっている。そのためこれまで、有料の衛星放送での全試合配信はあったものの、無料での生中継は、日本国内では実現してこなかった。

それをABEMAが手掛けるというのは、日本のネット映像サービスにとっても、映像ビジネスにとっても大きな転換点と言える。もちろん、同サービス始まって以来の大規模な投資である。

3月22日には、本田圭佑氏が「ABEMA FIFA ワールドカップ 2022 プロジェクト」のゼネラルマネージャーに就任することも発表された。

本田圭佑氏が「ABEMA FIFA ワールドカップ 2022 プロジェクト」のゼネラルマネージャーに就任

どのような経緯で「全試合無料生中継」に至ったのか? そして、実際にどのような中継を目指すのか? インフラは耐えられるのか?

そうした点を、ABEMA側にインタビューした。

ご対応いただいたのは、サイバーエージェント・執行役員で、ABEMA FIFA ワールドカップ カタール 2022統括責任者を務める野村智寿氏、そして、ABEMAを技術面から支える、ABEMA CTO(最高技術責任者)の西尾亮太氏だ。

無料配信の狙いは「認知を次のステージへ上げる」こと

そもそも、今回の配信権取得は、どのような経緯で決まったのだろうか? 野村氏は、その経緯や考え方を次のように語る。

野村氏(以下敬称略):ABEMAの総合プロデューサーを務める藤田とともに、ABEMAを一つ上のレベルに持っていく、いいタイミングなのでは、ということで決断しました。

率直に言えば、我々もこの規模のコンテンツを扱える、ということは、それまで正直想像もしていませんでした。ABEMAは開局から6年が経ち、運営をする中でいろいろと経験し、ユーザーの皆様に支持いただける部分も出てきたので、“そうか、扱えるのか”という気づきに至り、決断しました。

サイバーエージェント・執行役員で、ABEMA FIFA ワールドカップ カタール 2022統括責任者を務める野村智寿氏

気になる「配信権取得に関わる契約額」は、「守秘義務」とのことで教えてはもらえなかった。だが、ABEMAとして「過去最大の投資である」ことは間違いない、という。

野村:ABEMAも開局から6年が経過しようとしています。その間にはいろいろなトライ&エラーもありました。スポーツなどのライブ中継も色々と経験しています。

開局時だったら(W杯2022は)扱いきれなかっただろうと思います。

ご存じの通り、サイバーエージェント・グループとしてはゲーム事業のヒットや会社全体の経営の安定性といった、トータルな部分でその他の事業部に後押ししてもらえている流れもあります。ですから、「6年が経過して、チャレンジするタイミングとして、今はいい時期なのではないか」と考えました。

ではいつから交渉を始めたのか? そこも「守秘義務の範疇」(野村氏)だという。

野村:とはいえ、発表までに時間をかけたわけではありません。「無料配信」にする、ということも、最初から迷うことなく、無料で提供することは考えていました。

我々としては「メディアとして次のレベルに行く」ためのチャレンジと捉えていますし、なによりW杯2022という素晴らしいコンテンツをたくさんの方にデリバリーしたい、という志を持っています。

詳細はお話しできませんが、交渉の中でも、配信を無料にするのか・有料にするのか、という点は問われませんでした。

事業面で言えば、もちろん今回に限らず、ビックイベントでは「放映権・配信権」の問題ができます。今回の件がいくらだったのか……というお話しはできないのですが、個人的にわかったのは「世の中で出ている金額は、本当に憶測に過ぎないのだなあ」ということ(笑)。

とはいえ、(W杯2022が)ABEMAの中で「1コンテンツにかけるお金という意味では最大」であることは間違いないです。

昨今はスポーツが「有料配信」の枠で扱われることが増えました。W杯も見られないのでは、危惧されるところもありました。

世の中的・社会的に捉えると、W杯の日本戦は「公共財に近い」と言われるくらい待ち望まれています。単なるスポーツイベントではなく、「W杯」ということが持つ特殊性や受け止められ方という点も、価値として考えました。

ですから、綺麗事に聞こえるかもしれませんが、インフラとしての使命感を持って多くの方に届けたいと思っています。

無料配信で大きなコストをかける、ということになると、ABEMAとしてどうやって元を取るのか、どう利益を確保するのか、という問題にもなってくる。だが、その点についても野村氏のコメントは明確だ。

野村:「ペイする・しない」の議論に上がりやすいのですが、このコンテンツを扱うことで「ABEMAをメディアとして次のステージに上げる」ことが、1つの目標です。

ABEMAを6年やってきた中で、多くの視聴者の方にご利用いただいてきました。そうした視聴者の方のおかげでここまで順調にやってこられたとは思っていますが、日本国内を見渡した時に、コロナ禍で「動画を見る楽しみ」がさらに加速したようにも思います。

その中で、まだまだ、我々ABEMAを知っていても「使っていない」「ヘビーには使っていない」など、色々なケースが存在すると思います。

W杯2022をきっかけに、改めて理解していただく、使い始めていただける、さらにはより深く使っていただけるようになることを期待しています。

今回のことで、我々に対する「期待値が変わる」と思っているんです。それが「メディアとしてのステージが変わる」ということなのではないかと思っています。

過去に学んだ「落ちない」知見、2K/BS放送並の視聴体験をネットでも

そこで重要となる点が1つある。ネット配信の安定性だ。

インターネットはコストメリットが大きいが、一方で「需要の集中」に弱い。W杯2022のような大きく、注目度の高いイベントになると、いかに安定的に配信をするか、という点が課題になる。

AMEBA・CTOである西尾氏は、その点について以下のように説明する。

西尾:我々は開局以来、過去に一度大きなトラブルを起こしています。「AbemaTV1周年記念企画『亀田興毅に勝ったら1000万円』」(2017年5月)の時には、ゴングがなった瞬間にサーバーが落ちてしまいました。

しかし、あの当時と比較すると、現在のシステムキャパシティは何十倍にも拡大しています。「72時間ホンネテレビ」(2017年11月)という企画をやった時、全体のシステム構成の見直しをかけ、多くの視聴者に安定した視聴環境を提供することができました。

実際問題、その時、非常に多くのユーザーの方々に見ていただくことで、システム的には非常にいいデータが取れています。インターネットライブ配信において、日本で考えられる最大クラスの同時接続が来た時に、どのようにシステムが振る舞うかということについて、我々はすでにデータを持っているんです。

今回お話をいただいた時も、まず過去の配信実績から逆算して「どれぐらいのキャパシティが必要か」を決めていて、「(W杯2022でも)恐らく現実的に捌ける範疇になるだろう」と判断しました。これまでの配信経験から算出可能であったというところが重要です。

ABEMA CTO(最高技術責任者)の西尾亮太氏

技術的な面では、「生中継」に向けて次のような改善点もある、という。

西尾:ABEMAの画質については、基本的にはご好評をいただいているのですが、構成上、現在のリニア配信にはライブ映像と、収録済みの映像が混ざっている状況です。収録済みの映像は事前にトランスコードをかけられるので、ビットレートあたりの品質がすごく高いのですが、ライブ映像は1パスでしかエンコードをかけられないので、相対的に見ると、どうしても汚く見えてしまいます。そのため、品質自体も見直さなければいけないところがあります。

今回の挑戦ポイントは、ライブ配信の品質を上げた上で、過去最大クラスの接続に耐える世界を作ること。それは結構、技術的なチャレンジポイントになるのかなと思っています。

W杯のようなスポーツイベントだと、同時に幾つかの試合を見たい、というニーズが出てくる可能性は高い。例えば予選リーグの最終試合だと、勝ち残りが「裏でやっている試合の得失点差で決まる」ことも少なくない。ネットで全試合が見られるとなると、そうしたとき、マルチデバイスで視聴し、トラフィックが増える可能性もある。そこはどうだろうか?

西尾:マルチデバイスにてマルチアングル視聴を視聴者が行なったときの可能性ですね。もし視聴者の環境が充分に映像を最高品質で流せる環境だった場合、想定するトラフィックを超えてくる可能性はゼロではないかなと思っているんです。

配信キャパシティというのは有限なので、最悪の場合、トラフィックコントロールをかけることもできます。デバイスあたりの最大解像度制限をかけていったり、視聴者ひとりあたりの同時接続限界を設定したりする機能はあるので、それらを活用することで、有事の際、できるだけユーザー様の利便性を崩さず、キャパシティを僕らの計算範疇に収める形にもっていこうと思っています。

では、画質的にはどのくらいを目指しているのだろうか?

西尾:僕らが目指しているラインとしては、BSデジタル・地上波放送以上という目線です。解像度は2Kで、あとは具体的には、ビットレートをどこまであげられるか、というところですね。

さきほどライブでの画質向上のお話をしましたが、エンコーダーにとって一番厳しいのは、音楽ライブなどの細かいものが背景で多数動いている映像です。そういう、フレーム参照が全然効かない映像をエンコードする方がはるかに厳しくて。エンコード条件みたいなところで言えば、W杯2022は音楽ライブに比べてそんなに厳しいと思ってないんですよね。「BSデジタル・地上波放送クラス」は十分に目指せると考えています。

「ネットでしかできないW杯」を模索中、会期前番組も積極展開

では現在、ABEMAではどのような形での配信を考えているのだろうか?

配信というと単純に映像を流す、と考えがちだが、スマートデバイスを使うことを考えると、別に映像だけでまとめる必要はない。「ネット配信でしかできないW杯中継」もありうるはずだ。その点をどう見ているのだろうか?

野村氏・西尾氏は共に「まさに今企画中」としつつも、次のように方向性を語る。

西尾:W杯2022だけアプリを別に(作る)、ということは毛頭考えていません。ABEMAというアプリの中でW杯2022の体験を提供する、という形になります。

“ではABEMAのアプリの延長上でどうやって表現するのか”ということが重要になりますが、やはりW杯を見に来る方も、ユーザーによってモチベーションやストーリーが違うと思っています。どういう観点で、ABEMAの中でW杯のコンテンツを見たがるのか、どういう観点で検索するのか、例えば「チームを追いたい」のか「選手を追いたい」のか、そういう要望を捉えたUI/UXを提供していく形で、今、設計をかけているタイミングです。

その中ではどんな配信が行なわれるのだろうか? 一般的な2Kの映像が中心だが、インタラクティブ性の高いものや、360度映像・180度映像を使ったVR的なものも、「インターネットならではの可能性」といえる。

現状ではどんなものを考えているのだろうか?

西尾:コンテンツ制作については企画中ですから、どこまでインタラクティブなものを、ということについては言及できませんが、「インターネット配信ならでは、ということはやらないんですか?」と言われると、もちろんやります。

やっぱり映像を見るだけではないっていう体験を視聴者の方には提供しようかなと思っているので、さまざまな機能のラインナップを考えていている最中になります。

例えば「Stats」(試合に関する統計情報など)です。今どういう状況になっているか? 何点入っているのか、という情報であったりとか。キーになるモーメント、例えばゴールシーンなどの情報は重要になるのかなと思っています。またクロスデバイスを用いた表現を検討できるのが僕らの強みかなと思っているので、ちょっとそこでも、いろんなところを考えていきたいです。

スポーツ配信・ライブ配信において、放送ではできない新しい視聴体験とは何か? みたいなのを今回表現できればいいと考えています。

野村氏は番組などを企画する立場だが、そこも「まさに今やっている最中」と笑う。

野村:基本的には西尾の答えた通りです。

そもそもABMEAのようなサービスは、スポーツ中継に向いているとは考えています。決まった尺の中で提供しなければいけないわけではないですし、オンデマンドとライブ配信を織り交ぜた構成もできます。

W杯2022は開催現地の時間割り的に見ても、日本では夜から朝方にかけて複数試合、という感じになります。また、同時多発的に配信が行なわれることもあるでしょう。

リアルタイムでフルにすべてを見るのは、多くの人にとって、ライフサイクル的に難しいだろうと思います。

ですので、「ダイジェスト番組」「見逃し配信」というのは、視聴者の方々の使い方に合わせて、提供のあり方を運営の中で考えていきたいと思っています。

もちろん、今後11月に本大会が始まるまで、期間がまだあります。その中では、「日本代表を盛り上げる」「ワールドカップを盛り上げる」ような試合以外のコンテンツも、事前に提供していくべく、目下、考えている最中です。

テレビ朝日でも地上波で中継する、とのことですので、いい形で連動できればと考えている最中です。もちろん、今も番組によっては、ABEMA外で、TwitterやYouTubeなどとの連携は行なっていますが、そこは当たり前のように今後も取り組んでいきます。インターネット全体としてとらえた上で、どういうあり方・楽しみ方ができるのか、ということを、積極的に考えていきたいです。

「いかにいいものを届けるか」に注力

今回ABEMAは、「W杯2022」という大きなイベントの配信権を手にした。では、今後スポーツイベントで、巨額の配信権を必要とするものを獲得する可能性はあるのだろうか? そこは、有料配信や海外大手も入り乱れる場所でもある。

野村:スポーツで一括りに語るのは難しいです。しかし、ABEMAと相性がいいものは、引き続き配信を検討していきたいという思いはあります。

スポーツ全体を語るのはおこがましい話かもしれませんが、“スポーツの発展”を考えると「とにかくたくさんの人の見てもらう」こと、競技についてどれだけ多くの人に伝わるかも重要だと思っています。

そこにメディアとしての使命感もありますが、素晴らしいものを届けることでスポーツの発展につながり、そこからABEMAの発展につながればいいなと思っています。

これまでもMLBや相撲、Mリーグ(麻雀)や将棋など、外部の方のご協力もありいろいろ手がけてきましたので、今後も注力していきたいと思っています。

「将棋チャンネル」では、対局中の藤井聡太棋士の表情だけを捉える“藤井カメラ”をマルチアングルで配信するといった試みも行なっている

では、W杯2022の先で「ステージが変わったABEMA」はどうなるのだろか? 無理を承知で最後に聞いてみた。

野村:次のステージ、として目指すゴールを今は言語化するのは難しいです。

“新しい未来のテレビ”というコンセプトのもと、我々は、リビングに固定されていた「場所の制約」を開放し始め、時間に関する制約も解放してきました。

その上で、コンテンツとしても、今の世の中に合わせて、見たい方に見たものをどれだけ提供できるのか。極論そこの話になります。

我々として提供していくのは「最高品質なのか」「唯一無二なのか」。そこが全てなんじゃないか、と。

ファジーな表現になりますが、ABEMAとしては、全力でいいものを提供していくつもりです。

【特報】ABEMAで FIFA ワールドカップ 2022 全試合無料生中継決定
西田 宗千佳

1971年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主に、取材記事と個人向け解説記事を担当。朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、週刊朝日、AERA、週刊東洋経済、GetNavi、デジモノステーションなどに寄稿する他、テレビ番組・雑誌などの監修も手がける。
 近著に、「顧客を売り場へ直送する」「漂流するソニーのDNAプレイステーションで世界と戦った男たち」(講談社)、「電子書籍革命の真実未来の本 本のミライ」(エンターブレイン)、「ソニーとアップル」(朝日新聞出版)、「スマートテレビ」(KADOKAWA)などがある。
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