西田宗千佳の
― RandomTracking

デジタルハブ第2世代へ、PC Free宣言で変わるApple

~WWDC2011 基調講演詳報。PCからクラウドへ~


WWDCが開催されるMoscone Center West。早朝から長蛇の列ができ、会場を取り囲んでいた

 今年も、アメリカ・サンフランシスコにて開かれている、米Appleの開発者会議「World Wide Developer's Confrence(WWDC) 2011」の基調講演詳報をお伝えする。

 アップルは秘密主義なことで知られるが、今回のWWDCの基調講演は、5月31日に珍しく「事前告知」があった。同日に発表されたニュースリリースで、「次世代のソフトウェア」を発表する、と告知されたからだ。ここで示された次世代ソフトウエアとは、「Mac OS X Lion」、「iOS 5」、そしてクラウドプラットフォームの「iCloud」である。会場の垂れ幕も、これら3つを象徴するものが使われていた。

 すでに開発者向けベータも行なわれ、内容がある程度はっきりしているLionはともかく、iOS 5とiCloudの中身はまだわからない。また「あのアップルが、告知内容だけを発表して終わるはずがない」との(希望的?!)観測もあり、例年通り、WWDCはデベロッパー、プレスの両方から大きな注目を集めていた。

 結論から言えば、すでにニュースリリースが出ている通り、ハードウエアの新しい発表は一切なく、事前告知通り「Lion」「iOS 5」「iCloud」の三題噺となったわけだが、詳細を見ていくと、アップルがこれからやりたいこと、そして「ここからのITデバイスの行方」が見えてくる、奥深い基調講演となった。


開場前には妖しげな「黒幕」が。さては新ハード?! とも噂されたが、中身は写真の通り「iCloud」だった
プレゼンに現れたスティーブ・ジョブズCEO。少々声にハリがない印象も受けたが、2時間にもわたる基調講演を力強くやり終えた

 まず壇上に登ったのは、ご存じスティーブ・ジョブズCEOだ。健康状態が心配されるジョブズ氏だが、壇上には意外なほど元気な姿で現れ、「開発者会議」としてのWWDCの価値をまず解説する、という毎回恒例のスピーチを行った。そして、その後に発表した「式次第」も、「Lion」「iOS 5」「iCloud」という発表通りのものであった。ただ、そこでジョブズ氏は次のように強調した。

「ハードウェアが製品の頭脳や筋骨だとするならば、中心にあるソフトウェアは魂にあたるだろう」

 WWDCはソフト開発者向けの会議である。そして、今回発表されるものも、すべてソフトだ。「ハードという商品の価値を決めるのはソフトである」という、アップルが常に主張していることを、ここで改めて宣言したことには、大きな意味がある。


 


■ 「iPadライク」な流儀を採り入れる次期Mac OS X「Lion」

ワールドワイド・プロダクトマーケティング担当シニア・バイスプレジデントのフィル・シラー氏。Mac関係の顔としてもうおなじみだ

 ジョブズ氏のコメントを引き継いで、Mac OS X Lionのプレゼンテーションを行なったのは、ワールドワイド・プロダクトマーケティング担当シニア・バイスプレジデントのフィル・シラー氏だ。

 シラー氏がまず強調したのは、Macビジネスの好調さだ。「Macは過去5年間すべての四半期で、PC業界全体を上回るペースで成長している」として示したのは、昨年のパソコン市場の成長度を示したグラフ。PC(いわゆるWindows PC)市場がマイナス成長であるのに対し、Macは28%の成長を示している。実際には販売実数も異なるので、両者の市場での地位は、単純に成長率だけで比較できるものではない。

 だが確かに、昨年発売された「MacBook Air」を筆頭に、Macの商品力が上がっているのは間違いない。シラー氏も、販売量のうち73%がノートブックだと説明、新製品の商品力の強さを印象づけていた。


昨年、PCがマイナス成長であったのにMacは28%もの成長をしたことを報告。総数ではまだまだウィンドウズだが、Macユーザーが増えつつあるのは事実だろう

「Macの成功は、ハードウエアだけでもたらされたものではない。UNIXをベースとしたOS Xという堅牢なソフトウエアがあってこそだ」

 そう語ってシラー氏は本題に入った。OS Xは登場以来10年が経過し、見かけも機能もモダンなものに進化してきた。その最新バージョンがLion、ということになる。以降は「250もの新機能があるが、そこから10個を紹介しよう」(シラー氏)という形で説明が進んでいくのだが、この手法は、今回のプレゼンテーション全体に共通したフォーマットとなっていた。

 10の機能のうち、8つは一つの文脈でまとめることもできるだろう。それは「iPad文化からのフィードバック」だ。

 操作面での大きな変化は、「マルチタッチジェスチャー」「アプリのフルスクリーン化」そして「Mission Control」の3つ。前者2つは、さほど解説する必要はないだろう。現在のMac OS Xは、タッチパッドを使ったマルチタッチジェスチャー操作を主軸に置くことで、スクロールや拡大縮小、ページ送りなどの操作は劇的に改善している。その方向性をさらに拡大し、アプリケーション自身もマルチウインドウから「フルスクリーン表示」基本へと変わる。iPad的な操作感をMac OSに取り込んだもの、といっていい。

 最後の一つ「Mission Control」は、フルスクリーン中心になることでやりづらくなる「アプリの切り替え」や「必要なファイルがあるウインドウの呼び出し」といった操作を、マルチタッチジェスチャーで簡便化するものだ。現在のMac OS Xにある「Spaces」(仮想画面をもって、切り替えながら使う機能)「Expose」(同一画面内のウインドウを一覧表示し、目的のものを見つけやすくする機能)「Dashboard」(ウェブ技術で作られたウィジェットを使い、ちょっとした情報を表示する機能)を統合したもの。

 ワンアクションのジェスチャーで画面を呼び出し、必要な情報を見つけるという点では、それぞれの機能が狙っていたものは同じだった。それをまとめ、整理することで、「広い画面(もしくは複数ディスプレイ)にウインドウをちりばめて、全体を俯瞰しながら使う」というやり方からの脱却を図った、ともいえる。大画面化はPCに慣れた人々には便利でたやすいものだが、ノートPCが中心になり、スマートフォンやタブレット端末も増えている市場の中では主流とはいえない部分もある。これまでの方法を直接否定せず、「フルスクリーン+それなりの大きさのディスプレイでも操作性を上げる」方向に舵を切った、といえそうだ。


Lionの操作面での変化を促す3機能。左から、「マルチタッチジェスチャー」「アプリのフルスクリーン化」そして「Mission Control」LionでのSafariの画面。よく見るとスクロールバーがなくなっている。マウスでその部分をクリックして移動、という使い方は想定せず、タッチパッドでのスクロールが基本となるからだフルスクリーン動作する「Lion内蔵アプリ」の一つ「PhotoBooth」。顔を認識し、頭の上の装飾がくっついたり、目の部分だけが大きくなったり、という特殊効果もかけられる

 「Mac App Store」とそれに付随する「Launch Pad」の登場、そして、保存の概念を変える「Auto Save」と「Versions」も、パソコン的文化からiPad的な世界へのアプローチ、といえる。

 会見の中でシラー氏は、「Mac App Storeが、全米トップのPC向けソフトリセラー(小売)になった」と宣言した。日本でも同様の傾向があるが、アメリカでも、パソコン用のパッケージソフト市場は死に絶えつつある。だから、いかに大手が並んでいようとも、そこを超えていくことに驚きはない。大切なのは、「パソコン用にソフトを買う」という行為をしなくなった人々が、App Storeの登場によって再び「ソフトにお金を払う」ようになった、という事実だ。

Mac App Storeスタート後、北米でのPC用ソフトウエア販売数量でMac App Storeは他の大規模量販店を抜いてトップになったMac App Storeのアップデート項目。内部で追加コンテンツなどを買える「In-App Purchese」の他、「Delta(差分)アップデート」にも対応
アプリを起動する「LaouchPad」。iPad的な挙動でアプリ起動と管理ができる

 ソフトの数が増えると、管理が面倒になる。そこにiOSのランチャーに似た、アイコンベースのアプリランチャーである「Launch Pad」を導入するのも必然といえる。

 そこで、より多くの人に向けて「パソコンの抱える不自然さ」をアピールし、Lionの改善点として挙げられたのが「Resume」「AutoSave」「Versions」だ。

 Resumeは、パソコンやアプリの終了時・再起動時に、前回の状態を保存し、次にそのまま再現するもの。名前の通り、パソコンを「レジューム」した時や、iPad/スマートフォンの「電源を押した」時の挙動を実現しているものだ。パソコンの文化では「作業を終えたらデフォルトに戻るのが当たり前」だが、スマートフォン/タブレットなどでは、「前に使った時の状態が維持されている方が自然」である。

 考え方としては、AutoSaveも同じだ。「我々はとにかく”セーブ”してきた」とシラー氏は苦笑する。確かに筆者も、気がつくとCommand+S(WindowsはCrtl+S)を押す癖がついている。Lion向けアプリケーションではその考え方を捨て、保存は全自動化される。編集作業をしていけば、その過程は勝手に保存されていくのだ。

 他方で、勝手に保存されるとなると「ああ、ここは前の方がいい」となった時が面倒だ。ファイルを読み込み直して元に戻すのが難しくなるからだ。そこで用意されたのが「Version」。AutoSaveの履歴を保存していき、いつでも履歴の好きな場所を呼び出せるようにしよう、という機能だ。Macでシステム全体のバックアップに使われている「TimeMachine」のファイル版、と思えばわかりやすいだろうか。

 実のところ、このあたりの機能はサードパーティー製のユーティリティやアプリで実現できている部分も少なくない。だから、機能そのものを見るとさほど新規性を感じない、という人もいるはずだ。だがLionに関していえば、これら機能を「公式化」し、APIを整備して様々なアプリケーションから利用可能にすることが大きい。

アプリ切り替え・ウインドウの整理などを担当する「Mission Contrl」「Autosave」の解説に「セーブ」作業の不自然さを冗談交じりに問うシラー氏。あまりに日常的な作業ではあるが、自動化されれば確かに便利だAutosaveが行なった保存のうち、過去のものを一覧する「Versions」。ファイル版「TimeMachine」といった趣か
細かく紹介されなかったLionの機能リスト。文字を読んでいくと、色々気になるものが見えてくる

 シラー氏が最後に発表したのは、Lionの配布形態と価格についてである。

「もう、DVDでの配布は行なわない。すべてMac App Store経由での販売となる」

 シラー氏がそう説明すると、会場はどよめいた。確かにその可能性は指摘されていたが、OSはサイズ(容量)が大きいこともあり、メディア販売が継続されるのでは、と考えていた人も多かったからだ。サイズは4GB程度とされており、大きいが配布が不可能というわけではない。

 発売時期は「7月」。詳しい情報は追って公開されるだろうが、なにより会場が盛り上がったのは、価格が129ドル……ではなくて29.99ドル(日本では2,900円)と発表された時だ。しかもこれは、Mac App Storeで配布される他のアプリ同様、「自分のものと認証されたMacすべてで有効」。すなわち、複数台Macがあっても29.99ドル、ということになり、従来よりも劇的に安くなる計算になる。

Lionは店頭販売されず、Mac App Storeでの配信のみになる。価格は29.99ドルとかなりお手頃。発売は7月の予定だ

 


■ 次期iPhoneは「秋」?! 細かな修正で使い勝手を上げていく「iOS 5」

iOS 5について解説する、iOSソフトウエア担当シニア・バイスプレジデントのスコット・フォーストール氏

 次の話題は「iOS」。プレゼンの担当は、iOSソフトウエア担当シニア・バイスプレジデントのスコット・フォーストール氏だ。

 iOSデバイスは相変わらず好調のようだ。

「iOS搭載デバイスの販売台数はすでに2億台を突破した。モバイルでのiOSのシェアは44%にあたる」とフォーストール氏は語る。特にiPadは好調で、14カ月の間に初代、iPad2あわせて2,500万台が売れている。出荷時期を考えると、iPhoneに勝るとも劣らない勢いだ。

 とはいえ、iOSはまだ生まれたばかりのOSであり、機能面で不満も少なくない。色々と改善が必要であり、iOS 5はそこで地道な努力を行なっている。


アメリカ市場でのiOSのシェアを示し、まだまだ同社が優位にあることを示す

 着信通知やカメラの機能など、細かく修正が必要な部分も多い。例えば通知機能に関しては「Notification Center」を新たに用意、画面上部に通知機能を持たせたり、通知一覧を、画面上部から引き出すウインドウにまとめたり、といった改善を施すことで、使い勝手を上げている。

 カメラ機能に関する解説の中で、シャッターとしてボリュームの「+」ボタンが使えるようになる、との告知が行なわれた時は、会場が驚くほど盛り上がった。皆シャッター時の手ぶれには困らされていたのだろう。


通知機能を改善する「Notification Center」。ロック時の通話やメールの着信履歴が非常にわかりやすくなるほか、通知全体を見せるドローワーを上から「引き下げて」、通知内容の確認もできる
カメラ機能は色々と細かく修正された。会場の一番人気は「ボリュームのシャッターボタン化」ロック画面から直接撮影も可能になる「写真」アプリには編集機能も
iPadではキーボードに「左右分割」機能が。縦持ちの時には便利かも

 この他、iPadではキーボードが「左右分割」で、しかも好きな高さに合わせて使えるようになったり、これまではなぜか無かったToDo系機能が「Reminder」として搭載されたりと、利用者が喜びそうな改善点は多い。

 個人的に注目したいのは、電子出版物(主に雑誌)の配信プラットフォームとなる「Newsstand」だ。アメリカでは「The Daily」をはじめとして、iPadに照準をあてたネット配信による定期刊行物が数多く登場している。

 現状ではそれらがバラバラに管理されている上に、新しい号は「アプリを開いてからダウンロードしないといけない」といった制限が多いが、Newsstandを使うと、対応の電子出版物が一カ所にまとめて管理できるほか、バックグラウンドで最新号を自動取得する。実はこの点が、iOS4に比べ、隠れた大きな改善点といえる。


電子出版物をまとめて見る「Newsstand」。プッシュ配信とバックグラウンド受信機能をうまく使い、「最新の号はいつも自動ダウンロードされている」形を目指す

 他方で、Twitterとの連携機能がOSに標準で組みこまれたり、携帯電話標準の機能であるSMS/MMSに変わるメッセージングサービスとして、iOS独自の「iMessage」が登場したことには、微妙な感想を持つ人もいるかも知れない。どちらも、使い勝手の面では間違いなく優れている。だが、Twitterの世界で「独自のTwitterアプリ群」が一つの世界を築き、市場を形成していることを思うと、OSでの標準サポートはそれらの勢いを削ぐ可能性も感じてしまう。

iOSプラットフォームで共通の、新しいメッセージングサービスになる「iMessage」。SMS/MMSと統合されるようだが、iOS同士ではより多機能なこちらが使われることになるのだろう

 iMassageについては、パソコンの世界でいうところのインスタント・メッセージング(マイクロソフトのLive Messengerが代表例だ)に近いもので、SMSの進化形といっていい。だが、独自のアプリをOSに実装し、メッセージング系のサービスを根こそぎ取り込んでいるため、携帯電話網の帯域に対する影響は大きいものになると予想される。「ユーザーは喜ぶが通信事業者は喜ばない」サービスになるかも知れない。

 とはいうものの、これらの懸念はユーザー目線というより「業界目線」ではあるのだが。

 


■ 世界を広げるために「PC Free」を宣言するiOSデバイス

細かなiOSの機能リスト。ようやく「無線LANでのiTunesとのSync」が実現する

 iOS 5は、デモを見る限りとても使いやすく進化しているのは間違いない。iOS 5の登場は「秋」とアナウンスされた。ということは、「iOS 5を最初から搭載した新デバイス」、すなわち、次期iPhoneやiPod touch(iPadは出たばかりだから、新機種があるかは断言できない)の登場も、おそらくは「秋」になる、ということなのだろう。

 操作性にブラッシュアップを加えた上で、「秋」に出てくる(?)と見られる新iOSデバイスの勢いをさらに増すために採られた施策が、iOS 5の目玉ともいえる「PC Free」である。

 ご存じのように、iPhoneやiPadは、購入時に必ず「パソコンとの接続」が必要である。また、データや音楽などの管理のために、iTunesを必要とする。この点は、特にパソコンを持たない人々にはマイナスであり、初期導入の障害と言われてきた。

「いままではiPhoneやiPadを買ってきて電源を入れたら、この画面が出たはず(笑)。でも、iOS 5からは変わる」

 フォーストール氏は、おなじみのiTunesアイコンにケーブルを差す画面を示したあとで、iOS 5での「初回電源投入時画面」を示した。「Welcome」と表示されているだけで、すぐに使い始められる。

 iPhoneを含め、スマートフォンやタブレット端末などでは、初回起動時に「アクティベーション」作業を行う。この際には、ネット接続やデータ転送が必須となるわけだが、iOSではこれまでその部分を「iTunesが入ったPCかMac」に担わせてきた。

 iOS 5ではそこを「オンライン化」したり「不要」にしたりすることで、PCとケーブルで繋がずとも使える世界を目指したわけである。

iOS 5の目玉「PC Free」。パソコンがなくてもアクティベーションが終了するようになる。同期作業すらPCいらずに

 もう一つ「PC Free」のために重要だったのが、iOS自身のアップデートを、携帯電話ネットワークやWifi経由で行えるようにすることだ。俗に「Over The Air(OTA)」と呼ばれるアップデート方式で、他の携帯電話では当たり前になっているものだが、iOSでもようやくiOS 5から可能になる。ただし、OS全体を転送すると時間がかかるため、基本的にはOSの変更差分(デルタ)だけを入れ替える「デルタアップデート」が基本。そのため、転送時間が短くなり、転送時にネットワークにかかる負担も軽減される。

 そして「PC Free」を真に実現するために必要とされるのが、最後のパートである「iCloud」ということになる。プレゼンテーションを担当するのは、スティーブ・ジョブズ氏本人だ。

 


■ デジタルハブの主軸は「PC」から「クラウド」へ
一挙両得を狙った「iTunes Match」の巧みさとは

スティーブ・ジョブズCEO

「10年前、我々は『デジタルハブ』という概念を提唱した。だが現在、その姿は破綻しつつある。デバイスが変わったからだ」

 ジョブズ氏はそう語りかける。

 デジタルハブというのは、Macを中心とし、そこに入ったデータをポータブル機器で持ち出す、といったことを基本とした概念である。iPodはその代表格であり、「Macに入ったデータをいろんな場所で使う」ことから、iPhoneやiPadは生まれてきた。

 だがジョブズ氏のいうように、デバイスの側が変化していくことで、デジタルハブの概念は変化していった。パソコンがハブ(中心)では、もう不便なのだ。

「どの機器も動画や写真に対応している。すべてを1台に同期するのは大変なことだ。だから、ハブを1台のPCに担わせるのではなく、クラウドにやらせることにした」(ジョブズ氏)

10年前(iPod発表当時)のデジタルハブと、今の状況を比較。デバイスの機能が向上し、無線機能が当たり前に搭載されるようになった結果、PCはハブとして力不足になったiOSでもOSの「回線経由アップデート」(OTA)対応に。OSの変更部分だけを送るので、iOS4系からiOS 5系へのアップデートにはPCが必要で、それ以降は不要、という流れになると思われる
iCloudの狙いと理念を、ジョブズ氏自身が解説

 すなわち、従来のMacやPCが担っていた主軸の役割を、ネットサービスであるクラウドにやらせるのが「iCloud」ということになる。

 先ほど述べた「PC Free」とはここでつながってくる。ハブは必要だが、それはもうPCでなくていい。「どこかにある巨大なコンピュータ」でもいいのだ。そして、そこにつなぐ方法は伝統的なDockコネクタ付きのUSBケーブルでなく「ネットワーク」。必要な情報をやりとりする相手が目の前にあるパソコンではなくなった、という意味では「PC Free」だが、ハブがなくなったわけではないのである。

 違うところがあるとすれば、PC中心のデジタルハブ時代は「ケーブルでつなぐ」という、明確なアクションを起こした時にデータがやりとりされたのに対し、iCloudがハブになった場合には、ユーザーがアクションを起こすことはない。「すべてのデバイスが自動的にコンテンツをアップロードし、すべてのデバイスに同期される。操作もポケットから出す必要もない。またアプリにも組み込まれて自動的に同期される」(ジョブズ氏)のである。

「とにかく動く(it just work)」という、ちょっと皮肉な文字。MobileMeの反省を生かしてのサービス構築になるそうだ」iCloudの基本利用料金は無料。ただし、iTunes Matchを使うと月額課金が必要となる。アプリも、自動的に必要な端末へ、アップデートされたものがプッシュ送信されるようになって、簡単に使えるようになる

 クラウドは突き詰めれば巨大なサーバー設備に過ぎない。だから「クラウド=ネット上の巨大なハードディスク」と考える人も多いだろう。しかし実際には、サービス連携をすると姿は変わってくる。アップルは「プッシュによる変更点の自動同期」を組みこむことで、クラウドをより使いやすく「意識せずに使える」ものへと変えようとしているのである。OTAによるOSのアップデートや電子出版物の配信、または、iOS向けアプリの自動アップデートなども、この文脈で考えるとわかりやすい。

iCloudにはバックアップ機能も装備

 新たなる「ハブ」であるところのiCloudが担うべき機能は多いが、もっとも基本となる3つの機能が「コンタクトリスト」「カレンダー」「メール」だろう。これらは現在も「MobileMe」として提供されているものであり、実は大きく機能が変化しているわけではない(ブラッシュアップはされているようだが)。

 ジョブズ氏も「とにかくきちんと動く(it just work.)」と強調するように、まずは期待通り動くことを狙っているようだ。このあたりは、すでにあるMobileMeが、速度や安定度の点で評判が良くないことを意識してのものだ。

「(MobileMeの運営は)最良の時ではなかった。iCloudはMobileMeを流用せず、最初から全部つくりなおした」(ジョブズ氏)

 似たサービスではあるが、「Mac用のネットサービス」から「すべてのハブ」へとサービスの位置づけが変わった結果、価格設定も変わることとなった。従来は年間99ドル(9,800円)で提供されてきたものが、iCloudではついに「無料」となる。なぜ無料になるかは後述するが、この時もやはり大きな歓声が上がった。

 次に紹介されたのが、iCloudを「ネットストレージ」として使う用途である。といっても、巷にあるサービスのように、クラウド上のサーバーをドライブのように扱ってコピーして……という形ではない。

 iOS上のアプリケーション、特に「iWork」に含まれるパッケージ(Pages、Keynote、Numbers)については、ファイルを作成すると同時にクラウドにもコピーされ、バックアップと各種デバイスへの配信が行なわれる。この機能にiOSデバイスだけでなく、PCやMacでも利用可能になるという。新たに「iCloud Strage API」というものが使われ、これに準拠して開発されたアプリならば使えるようだ。

 また、iOSデバイス上のデータは、設定なども含め、すべてiCloud上に定期的にバックアップされることになる。これも、PC Freeで使うには重要な点だろう。

 その際に問題となりやすいのが「写真」である。大量にある上に容量も大きい。アップルが採ったのは「全部保存しない」ということだ。写真は「最近のもの」ほど参照しやすい。そのため、クラウドを介して写真をやりとりする部分については、全写真を対象とするのではなく「PhotoStream」というサービスが担当する。これはiPhone/iPadについては1,000枚、PC/Macについては全部をローカルに保存する機能で、クラウド上には30日分の写真だけが保存される。「最近の写真だけが共有される」=ストリーム(流れ)的な写真、という発想だろう。容量爆発と利便性のバランスをとろうと言う狙いが見える機能だ。

 そしてなにより大きい(特に、AV関連メディアであるAV Watchにとって)のは、iTunesで買った音楽を「クラウドで扱う」という点だろう。今は購入した楽曲や、PCでリッピングした楽曲はまず「PC上のiTunes」で管理され、それを各デバイスに転送して聞いていた。だがこれだと「せっかく買った音楽を転送しわすれて聞けないのでは悲しい」(ジョブズ氏)ことになる。

 そこで用意されたのが「iTunes on iCloud」である。iTunesで管理している音楽の情報をiCloudに転送、各iOSデバイスへと送ることで、持ってくるのを忘れてもすぐに聞ける。iTunesで購入記録があるなら、その場でiCloudからダウンロードして聞くことができるわけだ。

 さてここで問題である。クラウドに手持ちの音楽をダウンロードする機能を実装した場合、問題となるのはどんなところだろうか? 同様のサービスは、すでに米Amazon.comやGoogleが行なっているが、課題は音楽の転送速度と容量だ。数10GBのライブラリーがある人なら、数日以上の時間がかかっても不思議はないし、そんなことをするならクラウド側のHDDがいくらあっても足りない。だからAmazonやGoogleは、ディスク容量に応じて課金額を変える仕組みを採っている。

アップルが建設した同社第三の「クラウド」基地。写真中央にある小さな粒が人間の大きさだ。もうこのくらいないと、大量のデータを高速な反応に耐えられるような設備にはなりにくい
今回の「One more Thing」であった「iTunes Match」。音楽レーベルとはすでに交渉が終了しており、その結果サービスが可能になったという。配信できる端末数は10。年額24.99ドルと安価

 アップルが採ったのは、「iTunes Match」というまったく異なるが、きわめて明瞭な戦略である。

 iTunes Matchでは、自分のiTunesに登録されている楽曲と、1,800万曲にわたるアメリカのiTunes Storeで売られている楽曲のリストを突き合わせ、「マッチ」したものは「もうその人が再生する曲のデータはある」ものとしてアップロードしない。マッチしなかった曲だけを、その人の領域へとアップロードするのだ。

 例えば1,000曲のライブラリーがあり、そのうち990曲がマッチしたとすると、アップする曲データの数は10。全部アップロードするなら数十時間かかるものが、100分の1の時間ですむ計算になる。

 しかも、アップルが運営するiCloudのハードディス容量も、大幅に減る。同じ曲をライブラリーに持っている人に「再生のカギ」だけを渡せばいいので、「同じ楽曲が結局、サーバー内に大量に保管される」事態を防げる。

 そのため、iCloudのディスク容量は、他のサービスに比べ少ない。無料分は5GBであり、そこからの追加は有料となっている(価格は未公開)。ただしこの5GBからは、音楽やアプリ、PhotoStreamなどは除外されている。最初から「計算できる」容量なので、個人の「所有スペース」からは除外してもかまわない、という発想だ。重複ありで数十GBが求められる他のサービス(通称ロッカー型と言われる)とは、コスト構造も運営状況も異なる。

 他方で、iTunes Matchには「利用料金」が必要になる。

 ユーザーの手元にある楽曲とマッチングされた曲は、256kbpsのAAC(DRMなし)のデータで再配信が行なわれる。もし低ビットレートでリッピングしたことがある曲だったら、元々の手持ちデータより高品質になる可能性もある。

 アップルはiTunes Macthを、「年額24ドル」でスタートする。なぜならこの構造は、一種の「聴き放題音楽配信」だからである。一般的な音楽配信では「聞きたい曲を選んで、ネットから配信を受ける」もの。だがiTunes Macthは、楽曲選択を「iTunesとiCloudが相談して」行なう。だがコンシューマが端末内から「音楽を聴く」ことに大きな差違はない。

 おそらくアップルは、各レーベルと交渉する際、そのように交渉したのではないだろうか。現状、ロッカー型のサービスでは音楽業界に「還元」されていない。ロッカーはあくまで「個人」の持ち物であり、そこでなにが再生されようが、音楽業界へ金銭的な要求をするのは難しい。しかしクラウド型ならば話は別だ。

 しかも個人の出費についても、日々の使い勝手にしろ、現状では「ロッカー型」よりiTunes Macthの方が良い。

 iCloudは、iTunes Macth以外のサービスは現状無償だ。「クラウドをハブにする」という考え方はグーグルも展開しており、Androidは実際そうなっており、サービス料金は無料だ。

 アップルはグーグルとの競合上、「PC Free」にせざるを得ない空気にさらされていた。グーグルは無料でサービスを提供する以上、アップルが同じ土俵に上がっても、なかなか難しい面があるだろう。

 そこで、あえて大半を無料にし、iTunes Matchから「配信」として利益が得られれば、これほどいいことはない。

 インフラに負担をかけず、ユーザーにはメリットを提供するという点において、アップルの「クラウド型ハブ戦略」は驚くほど巧みである。アップルも得をし、音楽業界も利益を得られて、個人も新しい可能性を得られる。一挙三方得、という雰囲気すらある。

 最後に気になるのは、「日本でこれができるのか」ということだろう。

 今回の発表はあくまで「アメリカ市場」をベースにしており、iTunes MacthやiTunes Cloudの日本での展開予定は公開されていない。権利処理の問題もさることながら、法的なリスクの存在も指摘されている。

 だが、このあたりで日本の権利者も発想を変えるべきだろう。著作権は「守ること」が目的ではない。「そこから利益を得る」ことが目的なのだ。iTunes Matchによって「もう売ったCDの分からも利益が(少しずつだが)得られる」と思えば、そう悪い話ではない。少なくとも、単純なロッカー型よりは利益につなげやすい。

 消費者の利便性と著作権者の権利をどう守るのか。アメリカでどのように受け止められるかが気にかかるサービスである。

(2011年 6月 8日)


= 西田宗千佳 = 1971 年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主に、取材記事と個人向け解説記事を担当。朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、週刊朝日、AERA、週刊東洋経済、PCfan、DIME、日経トレンディなどに寄稿する他、テレビ番組・雑誌などの監修も手がける。近著に、「電子書籍革命の真実未来の本 本のミライ」(エンターブレイン)、「メイドインジャパンとiPad、どこが違う?世界で勝てるデジタル家電」(朝日新聞出版)、「知らないとヤバイ!クラウドとプラットフォームでいま何が起きているのか?」(徳間書店、神尾寿氏との共著)、「美学vs.実利『チーム久夛良木』対任天堂の総力戦15年史」(講談社)などがある。

[Reported by 西田宗千佳]