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空気の層を使う、finalの新平面磁界型ヘッドフォンはどんな音? “伝説のエンジニア”の助言で実現

 S’NEXTが、自社ブランドfinalの新製品として、11月30日に発売する「D8000」(オープンプライス/実売約388,000円)は、AFDS(エアフィルムダンピングシステム)という新しい技術を採用した平面磁界型ヘッドフォン。その技術の詳細と、発表会で試聴したインプレッションをお届けする。結論から言うと、従来の平面磁界型ヘッドフォンのイメージを覆すかなり“面白い”製品だ。

平面磁界型ヘッドフォン「D8000」

 なお、製品の詳細は昨日掲載したニュース記事で掲載しているので、そちらを参照して欲しい。

平面磁界型ヘッドフォンの特徴と問題点

 ここ最近、平面磁界型がヘッドフォンのブームであり、製品も増加している。「D8000」もその一種だ。平面磁界型のヘッドフォンの基本的な動作原理は、振動板にコイルを貼り付けて、それをマグネットとマグネットの間の空間に固定。磁界の中で振幅させて音を出すという仕組みだ。

平面磁界型ヘッドフォン「D8000」

 従来は振動板に、ヘビがうねるような形でジグザグにコイルを貼り、棒状のマグネットで挟む形が多かったが、技術の進歩により渦巻きコイルを貼り、ドーナツ型のマグネットで挟む製品も増えている。

上がジグザグにコイルを貼ったタイプ、下が渦巻きコイルタイプ

 D8000も、渦巻きコイルを振動板に貼るタイプだが、2つの特徴がある。1つは、振動板に使っているフィルムが12μmと非常に薄い事。ダイナミック型では25μmなどの厚みが多いため、それと比べると約半分の薄さとなる。

 そのフィルムにアルミのコイルを貼り合わせるのだが、D8000では薬品に漬けて溶かしながら融合させる技術を使う。接着剤で貼り付けるよりも、より薄く、軽く仕上げられ、振動板として理想的なものになるという。

D8000の振動板

 これをドーナツ型のマグネットでサンドイッチするが、このマグネットにも特徴がある。大きなマグネットだが、あえて分割したマグネットで構成するのではなく、繋がった1つのマグネットで構成。ポールピースやヨークといった部品も使わず、マグネットのみで構成し、反発磁界の中で振動板が動くようにしている。

内部構造。灰色の二重リングがマグネットだ

 S'NEXTの細尾満社長は「従来は歪を減らそうと、ポールピースやヨークを改善していたが、そもそもそれらが無ければ歪が無くなるのではと考えた」という。

S'NEXTの細尾満社長

 このマグネットの間で振動板が振幅するが、振幅が大きくなり、f0(最低共振周波数)では振動板がマグネットに当たってしまう。細尾氏によれば、平面磁界型ヘッドフォンでは「(マグネットに当たらないよう)振動板の動きを抑えるために、制動剤を塗ったり、振動板そのものを厚くして動きにくくする」などの対策を行なう製品が多いという。

f0(最低共振周波数)では振動板がマグネットに当たってしまう

 そうすると、低域の盛り上がりが抑えられ、振動板とマグネットは接触しないようになる。しかし、振動板が重くなった事で高域特性が悪化してしまう。そこで、太鼓の膜をピンと張って調整するように、振動板に強くテンションをかけ“張りを強く”する。すると高域が出るようになる。

制動剤を塗ったり、振動板そのものを厚くして動きにくくすると、接触は防げるが、高域特性が悪化する

 だが、この対策テクニックでは、振動板にテンションをかけた事で、低域のf0が上昇してしまい、低域の音圧が出なくなってしまう。細尾氏は、「平面磁界型ヘッドフォンで低域が不足する理由はここにある」と言う。

振動板にテンションをかけ、高域特性を改善。しかし、f0が上昇してしまい、低域の音圧が不足

 そこで多くの製品では、足りなくなった低域を補うために、イヤーパッドに密閉度の高素材を使い、パッド内を密閉。弾性制御をして、低域を補う。原理としては、イヤフォンのイヤーピースと同じで、密閉度の高いピースを使うと低音がアップする感覚が得られるが、イヤーピースを外してしまうと低域の無い、シャカシャカした音に聴こえるのと同じだ。だが細尾氏は、この対策にも「低域を補う事は出来るが、量感は不足する。ちゃんとした音にはなるが、振動板がピストンして出ている低音かというとそうではない。サウンドも、イヤフォン的な“閉じられた低音感”になってしまう」と指摘する。

イヤーパッド内を密閉して、弾性制御を行ない、低域を補う

空気の層を活用するAFDS

 こうした平面磁界型の問題を根本的に解消する技術としてD8000に搭載されたのが、AFDS(エアフィルムダンピングシステム)だ。

 前述の通り、D8000は非常に軽量な振動板を採用し、それがドーナツ型マグネットに挟まれて振動する。振幅が大きくなっても、マグネットに接触しないようにする技術がAFDSなのだが、その際に制動剤の塗布や振動板を厚くするのではなく、“空気の層”を活用する。

 原理は、机の上にプラスチックの下敷きを水平に落とした時の動きと似ている。下敷きは机にガチャンと衝突せず、下敷きと机の間に残る空気の層によって浮いた状態になり、スーッと横にすべる。この原理を使って、振動板とマグネットを衝突させないようにするわけだ。

 AFDSでは、ステンレスの板を薬品で溶かす事で、肉眼では穴の1つ1つが判別しにくいほど細かな穴を無数にあけた、パンチングメタルの板を採用。これを、マグネットと振動板の間に設置する。

細かな穴を無数にあけた、パンチングメタル

 振動板が振幅すると、マグネットと振動板の間にある空気は、パンチングメタルの穴を通して外に出ようとする。そこに“空気の粘性”が発生する。それを振動板が、マグネットやパンチングメタルに当たらないようにする対策の力として活用している。つまり、穴の大きさや、振動板との距離など、振動板がパンチングメタルに当たらないギリギリのところまで最適化する形だ。例えば穴が大きすぎて空気が簡単に抜け過ぎると、振動板をダンプしきれず当たってしまう。

AFDSの断面図

 この技術を使えば、f0付近のみに制動がかかり、接触を防ぎつつ、高域特性に影響を及ぼさない。しかし、どのような穴を開けたパンチングメタルにするのか、振動板との距離はどうするか、そしてそれらのパーツを高精度に作り、配置していく技術など、「シンプルなアイデアだが、それをものにするのはとても大変だった」(細尾氏)という。

上が従来の平面磁界型、下がAFDS

理想のヘッドフォンのために

 細尾氏は、D8000で追求した「特性」も、従来のヘッドフォンとは少し異なっているという。

 例えば、スピーカーを作る際は、無響室に設置して測定し、フラットな周波数特性になるように作るのが一般的だ。しかし、ヘッドフォンの場合、外耳や内耳の形状的な影響により、測定器で測った周波数特性のカーブはフラットにはならない。

 「それゆえ、ヘッドフォンの理想的なカーブはどのようなものかというのは、学術的にも議論されている。そこで、最新の音響工学の論文なども読み直しながら、理想的なカーブを追求した」という。

 例えば他社のヘッドフォンでは、低域がフラットになるよう追求されているが、細尾氏は「無響室でヘッドフォンを装着して聴くという前提ならばそれでいいのかもしれないが、実際にはそうではない。我々は、低域は少し盛り上がっている方がいいなど、細かく、ターゲットにするカーブを決めた」という。、

 平面磁界型という方式を選んだ理由については、「ダイナミック型は音は良いけれど、原理的には改良するところがないくらい完成されている。駆動系が重いので、物理的に伸びしろが無いとも言える。コンデンサ型は、原理的に低域が不足し、電極の高い電圧をかけられる専用アンプが必要など、原理的に越えられない部分がある。可能性があり、問題点をなんとか解決でき、理想のヘッドフォンを追求できるのは平面磁界型ではないかと考えた」という。

ヘッドフォンの方式と利点、問題点

 音質の追求と共に“修理のしやすさ”も追求している。「ヘッドフォンやイヤフォンはオーディオのアクセサリとして、これまでは使い捨てに近いカテゴリをされてきた。できれば、カメラや機械式時計のように、修理しながらずっと使い続けていただける製品にしたいという想いをずっと持っていた。そのためには、リセールバリューのある商品にする必要があり、修理やアップグレード、カスタマイズができるようにしなければならない」(細尾氏)という考え方の元、ほぼ全てのパーツを、ネジで着脱できるような設計になっている。

 こうする事で、修理が容易になったという。さらに、製品の生産は川崎の自社工場で行なっているが、そこに修理体制も整え、末永くサポートできる準備をしたという。(今後、リセールバリューを高めていく事を見越して)「古物商の免許もとった」(細尾氏)とのこと。

 製品の表面には、ドイツの高級カメラと同じ塗装メーカーに以来し、カメラと同じレザートーン塗装を施している。

音を聴いてみる

 発表会の会場で短時間ではあるが、音を聴いてみた。

 「藤田恵美/ camomile Best Audio」から「Best OF My Love」を再生すると、驚くような音が飛び出てくる。

 まず驚くのは平面磁界型とは思えないほど、パワフルで量感のある低域だ。アコースティックベースの低い音が、地鳴りのようにズズンと沈み、弦がブルンと震える様子も迫力たっぷりに描写する。まるでダイナミック型のハイエンド密閉型ヘッドフォンの低音を聴いているかのようだ。

 しかしD8000はハウジングに大きな穴が空いており、イヤーパッドも通気性に優れた発泡体と特殊繊維で構成されており、オープンエアの平面磁界型ヘッドフォンを聴いている時と同じ、音が頭の外へ綺麗に抜けて広がっていく開放感に溢れた音だ。にも関わらず、中低域は、密閉のダイナミック型ヘッドフォンを聴いているように力強い。従来の平面磁界型ヘッドフォンのイメージを大きく覆すサウンドに唸ってしまう。

イヤーパッドは通気性に優れた発泡体と特殊繊維で構成されている

 また、中低域はダイナミック型ヘッドフォンと同じなのかと言うと、そうではない。前述のように極めて薄い振動板が振幅する事による、トランジェントに優れた、ハイスピードな低域で、分解能も非常にクオリティが高い。“細かく軽やかでありながら、量感溢れる低域”という、矛盾しそうな要素が両立できている。

 まさに「平面磁界型の繊細な高域と、ダイナミック型の量感のある低域」を兼ね備えたヘッドフォンであると同時に、その、どちらの要素も、非常にハイレベルな領域に達している。

 これは平面磁界型ヘッドフォンを既に持っている人も、そうでない人も、またダイナミック型のハイエンドヘッドフォンを持っているという人も、一度聴いてみるに値する革新的なサウンドだ。

アルミ切削ヘッドホンスタンドも同梱

 なお、ケーブルは着脱可能で、入力プラグが3.5mmのステレオミニで長さ1.5mのケーブルと、6.3mmの標準プラグで長さ3mのケーブルを同梱。インピーダンスは60Ω。重量は523gだ。

3.5mmのステレオミニで長さ1.5mのケーブル

 また、発表会場には潤工社によるオプションのシルバーコートのケーブル試作機も参考展示。3.5mmと6.3mmに加え、2.5mm、4.4mm、XLR 4ピンのバランスケーブルもラインナップする予定だという。発売日や価格は未定。

オプションとしてバランスケーブルなども予定されている

理想のヘッドフォンに必要なものとは

 細尾氏は、オーディオファン以外の人も納得させるような高音質ヘッドフォンには、「現実と区別がつかないところまでいく、VRのような、イマーシブ・エクスペリエンスが必要」と説明。それを実現するためには、4つの段階があると分析する。

理想のヘッドフォンを構成する4段階

 1つは、周波数特性や位相特性、歪特性などの“ヘッドフォンの物理特性”。その上に、外耳の形など、人それぞれ違う人体の形態影響を補正・アライメントする、例えばオーダーメイドヘッドフォン/イヤフォンのような“人体形態特性”。

 その上に、顔や頭部の形状などに反射する事で変化する音を補正する、頭部伝達関数の個人性適用による「空間知覚」(例えばJVCが開発したオーダーメイド・サラウンドヘッドフォンなど)。

 それらを踏まえた上で、最上位に、これまで音楽を聴いてきた経験、生のコンサートに行ったことがある/ないなどの個人性を適用した「感性」の領域を経て、“現実と区別がつかない”体験ができると言う。

 この中で、下の2つ「ヘッドフォンの物理特性」や耳などの「人体形態特性」は物理再現の領域であり、頭部伝達関数の「空間知覚」と経験を踏まえた「感性」は心理再現の領域だ。そして、上の3つ「人体形態特性」、「空間知覚」、「感性」は、ハードウェアの工夫では対応するのが難しいため、ソフトウェアとDSPによる音のコントロールで対応する領域となる。

 細尾氏は、理想のヘッドフォン開発にあたり、ソフトウェアとDSPコントロールによる補正も検討。「実際に、自分の体でテストしてみた。補正は、精度が荒い段階では効果は非常にあり、精度を上げていくとグングン結果がよくなり、“これは凄いぞ!”と思うのだが、鼓膜の前にマイクを置くようなレベルの精密な測定をして補正すると、まるでロボットがある程度人間に似てくると突然気持ち悪く感じる“不気味の谷”に落ちたように、突然“気持ちの悪い音”になった」という。

 しかし、諦めずに精度を上げていくと、不気味の谷を抜けて“イマーシブ・エクスペリエンス”な現実に近づけるという手応えを感じたとのこと。

 しかし、それを製品の形にするのは「壮大過ぎて、どこから手をつければいいのかわからない。そこでまず私達にできることは、ヘッドフォンの物理特性を磨くことだと考えた。そうして開発をしていれば、(そこから上の補正をしてくれる)優れたITベンチャーなどと組めばいいと考えた。実際に、既に海外の会社からもお声がけいただいている」という。

CDの父・中島平太郎氏のアイデアをキッカケに生まれた「D8000」

 こうして、理想の物理特性を目指して2014年からD8000の開発がスタート。「他社の製品と同等の音になるまではあっという間に出来たが、そこから先、誰が聴いても違いがわかるような音が出なかった」という。

 そこで突破口となったのが、finalの試みを「面白い」と感じて、集まったというヤマハと、“CDの父”として知られる、元ソニーの中島平太郎氏が代表を務めるNHLab.だ。

“CDの父”として知られる、元ソニーの中島平太郎氏

 ヤマハは30年上前、「HP-1」という平面磁界型ヘッドフォンの名機を開発したメーカーであり、「平面磁界型ヘッドフォンのエンジニアが、皆で買い求めようとして今ではオークションで高騰している」(細尾氏)という。

ヤマハの「HP-1」

 ヤマハで楽器・音響開発本部 音響開発統括部 AV開発部に所属する旭 保彦氏は、「ヤマハのヘッドフォンは一度途絶えていたが、私が2009年、2010年頃からあらためて社内で興し、再開した。そしてヤマハとしてのルーツを辿りたいと思っていた時に、ちょうど細尾さんから平面磁界型ヘッドフォンの話を聞き、共感を覚え、ぜひ一緒にやろうという話になった」という。

ヤマハで楽器・音響開発本部 音響開発統括部 AV開発部に所属する旭 保彦氏

 細尾氏によれば、ヤマハはシミュレーションやレーザードップラーなどの「(finalでは)買えないような機器や技術を、出し惜しみなく協力していただいたおかげで、どのようなパラメータがいいのかなど、高い精度で追求できた」という。

 旭氏は、「先程DSPの話が出てきたが、ヤマハはそこも得意としており、(AVアンプなどで使っている音場創生技術をポータブルオーディオに活かした)“聴くVR”というのも開発している。現在はまだ、技術部門の若手技術者が自ら発信している状態で、事業部門として正式に発表している段階ではないいが、今後も物理特性と心理再現、その両面で協力を進めていきたい」と言う。

S’NEXTの顧問、森芳久氏

 一方、AFDS開発のキーマンとなったのが、final(S’NEXT)の顧問であり、かつてソニーでダイヤモンドのカンチレバーなどを手掛け、 品川無線(グレース)でカートリッジ「F-8」の開発にも携わった森芳久氏。「ダイヤモンドのカンチレバーは特許もとり、面白いと思って作り、朝日新聞が初めてオーディオの技術を記事として取り上げてくれたくらいでしたが、ソニーではなぜかあまり売れなかった。そこに、finalの元社長の高井さん(高井金盛氏)が来て、“面白い製品だから、俺が売ってやる”と言うんです。“(高井氏に対しても)定価でしか売れない”と言ったのですが、“構わない、ソニーの3倍は売ってやる”と言って、実際に3倍売ったんです(笑)」と、finalとの関係を振り返る。

 「55年くらい前、大学のオーディオ部で、文化祭の時に“いろいろな方式のヘッドフォンを聴かせる”という企画をした時、いろいろな製品を借りて聴いたのですが、(コンデンサ型の)STAXの最初のヘッドフォンを聴いて感動した。一線を画す音がした。その想い出もあり、今回平面磁界型ヘッドフォンを作るという話を聞き、ぜひ協力させて欲しいとfinalに頼んだ」と言う。

 森氏はさらに、日本で初めて音のデジタル化に成功し、NHK技術研究所の音響研究部長やソニー常務取締役、日本オーディオ協会会長などを歴任、“CDの父”とも呼ばれる中島平太郎氏(現在96歳)とも親交がある。

 finalで、D8000を開発していた音響技術部長の谷口晶一氏が、振動板の制御で苦労をしているという話を聞いた中島氏は、かつてコンデンサマイクの開発で使った技法を思い出し、アドバイス。それがキッカケとなり、パンチングメタルを使ったAFDSの開発に結びついたという。森氏によれば、中島氏はCD以前に、スピーカーやマイクなど、トランスデューサー(振動板)の世界的権威だったとのこと。

finalの音響技術部長、谷口晶一氏

 このように、中島氏が代表を務めるNHLab.も、D8000の開発に協力。NHLab.の高田寛太郎氏は、元ソニーでコンデンサヘッドフォンの開発を担当した事もある人物。「中島さんは、“技術魂そのもの”みたいな人。今年の6月に転倒して怪我をしたのですが、1カ月で入院を切り上げ、自宅でリハビリしています。私と瓜生が御見舞に行くと、開口一番、“あれは出来たのか!?”と、宿題に出していた開発の成果を聞いてくるような人」と笑う。

NHLab.の高田寛太郎氏

 同じくNHLab.の瓜生勝氏も、「かつてはソニーで材料を担当していましたが、中島さんからの電話で“音響ってのは材料の実験場みたいなもの”と誘われ、材料屋として働くより、こっち(音響)の方が面白いと入った。D8000では、新しい材料を使ったというわけではありませんが、既存の材料の中で、最適なものを選択した。私も定年で会社を一度やめましたが、面白いことをやろうよと誘われ、(現在も)良い音の追求ができている。それを生活に利用しようというのがNHLab.のテーマ」だという。

NHLab.の瓜生勝氏

 細尾氏は、こうして完成したD8000を中島氏に報告。「褒められるかな? と思ったのですが、“あんたらバカか、こんなことよくやったな!”と言われ(笑)、バカでよかったなと」笑顔を見せた。

 細尾氏のS’NEXTでは、自社のfinalブランド製品だけでなく、半分はOEMビジネスを展開。製品の企画段階から開発に携わっているが、その際には、マーケティングによる、ユーザーの要望をもとに製品を作っていく。

 数多く販売する製品では、こうした作り方が一般的だが、それだけでは「本当に面白いものが作れなくなる。それが残念で、なんとかしたいと考えていた。(これまでの常識を打ち壊す)破壊的な技術(を使った製品を送り出す)時は、マーケティングの方達よりも、エンジニアの人達の方が嗅覚に優れているのではないか思う。今後(オーディオ業界では)AIスピーカーなども開発も盛んになると思うが、業界を変えていくもの、本当に面白いものは、“この指とまれ!”型で、提案し、協力して作っていきたい」と語り、それが結実した形としてD8000を紹介。

 今後は、AFDS技術のイヤフォンへの応用や、個人の耳の形などに最適化したヘッドフォンを、ビジネスとしてどのように展開していくかの検討など、“現実と区別がつかない”ヘッドフォンの実現に向けて進んでいく姿勢を示した。

まだまだある中島氏のエピソード

 往年の名技術者が集まる発表会だけあり、特に中島氏との、伝説的なエピソードには事欠かない。

 森氏はNHK技研時代の中島氏について、「NHK技研に3年ほど通ったのですが、音響研究の親分が中島さんでした。当時から中島さんは“良い研究は面白くなきゃできない”と言っていました。あの頃は、NHKもソニーも、土曜日も仕事があり、メーカーからNHK技研に来ている人は、NHK技研がお昼に終わるとメーカーに帰っていたのですが、中島さんの研究室には何故かお酒と七輪があって(笑)、そこで皆を集めて、酒盛りしながらいろんな話が出た。デジタルで録音したら面白いんじゃないか? という話も、その時に出たもの」と言う。

 「デジタル録音では、ちゃんと拾えると良い音がしますが、エラーが出ると、音が“バリバリ”というんです。我々はアナログカートリッジをやってましたので、バリバリ言うたびに、“10年、20年は(デジタル録音は)ダメだね”と笑ってたのですが、中島さんはバリバリの間に、良い音が出ている時に“これだ!!”と言うんです。デジタル録音に挑戦したエンジニアへの労いもあったんだと思いますが、“こういう音がずっと出れば面白い”と感じていたんだと思う」と、その後のCDへと繋がる、当時の貴重なエピソードを披露。

 森氏によれば、1964年の東京オリンピックの際にも中島氏は活躍。「エンジニアなのに、とんでもない発想をする人で、開会式で昭和天皇が宣言をなさるのですが、当時、日本の音響装置は世界にやっと追いつくかなという時。それまでオメガ、ライカ、ツァイスだったものが、時計はセイコー、カメラはニコン・キヤノンという時代で、NHK技研も“オリンピックの音響は日本製で”と力が入っていた。しかし、宣言のテストをすると、マイクと距離があって、お声が小さくしかひろえず、かといってボリュームを上げるとハウリングしてしまう。困っていたところ、中島さんが、“一番近いスピーカーを逆相にしろ、(昭和天皇が立たれる)センターでは打ち消されてハウリングしない”と言うんです(笑)。普通のエンジニアでは絶対しない発想。でも、96歳になった今でもそういう発想をする。96歳でも面白がる、我々ロートルも面白がる、きっと(D8000は)若い人にも面白がってもらえるのでは」。

中島氏のエピソードも多く披露された発表会となった