レビュー

伝説のモニターヘッドフォン再び、ソニー「MDR-M1ST」を「CD900ST」と聴き比べる

“モニターヘッドフォン”という言葉に、胸がときめくオーディオファンは多いだろう。かくいう私もその1人だ。音楽が生まれる現場で音のチェックに使われる音のクオリティの高さ、耐久性の高さなどの魅力があるが、個人的にはそれらに加え、プロ向けらしい質実剛健さ、飾り気のない無骨なデザイン、さらに、普通のヘッドフォンとは違う“通っぽさ”にグッとくる。

今回紹介する新モニターヘッドフォン「MDR-M1ST」

そんなモニターヘッドフォンの代表格と言えば、御存知の通りソニーの「MDR-CD900ST」(18,000円)だ。1989年の登場以来、多くのスタジオで採用されている超定番モデル。雑誌やテレビで“アーティストの録音風景”が流れると、かなりの確率でこのヘッドフォンが写っている。型番を知らなくても「ああ、見たことある」という人も多いだろう。

モニターヘッドフォンの代表格「MDR-CD900ST」

そんなソニーのモニターヘッドフォンに、新モデルが登場するというので、注目しないわけにはいかない。ソニー ホームエンタテインメント&サウンドプロダクツと、ソニー・ミュージックスタジオが共同開発したハイレゾ対応モニターヘッドフォン「MDR-M1ST」がそれだ。8月23日に発売されており、価格は31,500円。新世代の定番モニターとなるか? M1STのサウンドを聴いてみよう。

左から「MDR-M1ST」、「MDR-CD900ST」

ハイレゾにも対応した“新世代機”

約4年半をかけて音質を磨き上げたという密閉ダイナミック型のヘッドフォン。一般販売に先駆け、6月下旬からソニー・ミュージックスタジオでの使用が開始されているそうだ。

気になるのは「MDR-CD900ST」の今後だが、M1ST登場後も、継続して販売する予定だそうだ。「MDR-M1ST」自体、CD900STをベースに改良したというモデルではないので、後継機ではなく、ハイレゾに対応した“新世代機”という位置づけなのだろう。

デザイン的には、ハウジングが薄めでフォルムも特徴的なCD900STに対し、M1STは少しハウジングが厚くなり、モニターライクな無骨さを漂わせながら、今風のコンシューマー向けヘッドフォンのような形状になっている。ただ、全体の色使いや、バンドの根本部分に左右が見分けやすい赤と青の印が入っているなど、随所にCD900STっぽさも感じられる。

左からCD900ST、M1ST
CD900ST
M1ST、左右識別用マークが同じがよく似ている

ユニットは、独自開発の40mm径ドライバー。可聴帯域を超えるハイレゾの音域をダイレクトかつ正確に再現できるという。楽器配置や音の響く空気感といった演奏空間全体を広く見渡すような描写を念頭に開発されている。磁気回路にはネオジウムマグネットを搭載。ボイスコイルはCCAW。

「MDR-M1ST」のユニット部分

再生周波数帯域は5Hz~80kHzとハイレゾに対応。音圧感度は103dB/mW、インピーダンスは24Ω(1kHz)なので、鳴らしにくいヘッドフォンではない。最大入力はさすがプロ用の1,500mW。ケーブルを除く重量は約215gだ。

ちなみにCD900STの再生周波数帯域は5Hz~30kHz、音圧感度は106dB/mW、インピーダンスは63Ω(1kHz)、最大入力は1,000mWだ。ケーブルを含まない重量は約200gで、M1STの方が少しだけ重い。

モニターヘッドフォンと言えば、プロユースに耐える機能性と耐久性も重要だ。ジョイント部にはシリコンリングを採用し、体を動かした際に発生しやすいノイズを徹底して低減している。

イヤーパッドは、人間工学に基づいた立体縫製タイプで、長時間でも快適に装着できるという。実際に装着すると、しっかりと頭部をホールドし、首を左右に振ったくらいではズレない。かといってホールドが強すぎる事もなく、パッドの当たりもソフト。2時間ほど続けて装着したが、特にどこかが痛くなる事はなかった。

CD900STと比べると、側圧はM1STの方が上で、ホールド力もM1STの方が強い。M1STは、耳の周りにシッカリとパッドが押し当てられる感じだが、CD900STは“耳のまわりにソッと蓋をしている”ような感じだ。ただ、CD900STはハウジングが薄く、軽量であるため、側圧は弱くても、首を振った時にパッドがずれる事は少ない。古いモデルながら、このあたりはよくできている。

CD900STはハウジングが薄い

M1STのハウジングには、平らにできるスイーベル機構を採用。可搬性を高めているほか、可動部の耐久性や耐落下強度も向上させている。これに対してCD900STのハウジングは、スイーベルできない。ただ、ハウジングを反転して片耳モニターはしやすくなっている(M1STは反転できない)。このあたりは違いとして注意しておきたい。

M1STのハウジングは、CD900STと比べると少し厚い

ヘッドバンドは、M1STの方がクッションが厚めで、頭部への当たりはソフトになっている。

CD900STのヘッドバンド
M1STのヘッドバンド

もう1つCD900STからの進化点として見逃せないのは、ケーブルが着脱可能になった事。CD900STは標準プラグの入力ケーブルが直出しだったのでポータブル用途では使いにくかった。M1STも、標準プラグの入力ケーブルが付属するが、これを着脱できるようになっている。

ヘッドフォン側の端子はステレオミニで、根本にネジ切りがあり、ケーブルをしっかりと固定できる。接続端子は4極になっており、ピンアサインはMDR-1Aシリーズと同じだそうだ。ケーブルは片出しだが、バランス接続用ケーブルを用意すれば、バランス駆動にも対応できそうだ

付属ケーブルの入力は標準プラグで、長さは2.5m。M1STをポータブルヘッドホンとして屋外で活用する場合は、ステレオミニなどの入力端子で、より短いケーブルと組み合わせた方がいいだろう。

ケーブルが着脱可能に
ステレオミニでネジによる固定が可能
付属ケーブルは標準プラグ

ちなみにこのヘッドフォン、プロ向け音響製品を生産している大分県のソニー・太陽で、熟練作業者により手作業で一つ一つ造られ、厳しい検査を経て出荷されているそうだ。そう聞くと、ヘッドフォンを持ちながら、なんか誇らしい気分になるのが不思議だ。

音を聴いてみる

ヘッドフォンアンプのBURSON AUDIO「Soloist SL」などを使って、主にハイレゾファイルを試聴した。

M1STの前に、CD900STを聴いてみよう。CD900STの音については、よく「音楽のアラが目立ちやすい」とか「分解能が高く、細かい音が聴き取りやすい」といった評価を耳にする。そのため、実物を聴いたことがない人も、なんとなく音のイメージが頭の中に存在するかもしれない。

CD900ST

実物を聴いてみると、確かに分解能が高く、音の輪郭がシャープだ。音像は薄めで、低域も量感はあまり出ない。その代わりに、低い音の中までシャープに描かれ、どんな音で構成されているのか? が、よく見える。確かにモニターヘッドフォンとして使いやすいのがよくわかる。

ただ、こう書くとまるで無味乾燥で、ギスギスした音のようなイメージを持つかもしれない。確かに聴いていて、ホッとするような音ではない。1つ1つの細かい音と対峙するかのような、緊張感のある音だ。しかし、質感や音の響きもしっかり描写はしているので、味のない料理を食べているような気分ではない。

これはこれで良い音だ。しかし、最新のヘッドフォンに慣れた耳で聴くと、気になる点もある。最も気になるのは、音色だ。例えば、音楽の中にある女性の声や、アコースティックギターの響き、ドラムのシンバルなどは、それぞれ音色や響きが異なる。金属の楽器ならば金属の音、木製筐体の楽器なら木の響きといった具合だ。

CD900STの音には、そうした素材の異なる楽器の音に、全体的にカサカサした、例えるなら紙っぽい響きが薄く乗っている。最近のヘッドフォンの振動板は、より内部損失の大きい素材を追求し、振動板固有の音を抑えているものが多いが、そうしたヘッドフォンと比べると、少し“古さ”を感じる部分だ。

M1ST

そこで、M1STに変更すると、こうした不満部分が一気に解消される。音場のSNがよくなり、静かな空間に、ギターの音は極めて自然なギターの音として、人間の声は、ハッとするほど生々しい声で、それぞれの音色の違い、響きの違いがしっかりと描写される。時代の流れというか、“ヘッドフォンの進化具合”を体験した気分だ。

さらに大きく進化しているのは、中低域の描写。特に低域のズシンと沈む量感の豊かさは、CD900STではあまり感じられなかった部分。M1STの低域はしっかりと深く沈むだけでなく、その中にある低音の芯までしっかり見える。

中低域も圧迫されるような量感を持ちながら、響きは膨らみ過ぎず、あくまでタイトに締まる。トランジェントが良く、低音の輪郭はシャープでにじみがない。中低域の迫力が増したので、簡単に言うと“普通のヘッドフォンっぽい音”になっているのだが、中低域のタイトさ、クリアさに、CD900STから続く血脈を感じる。

音場の空間の広さも特筆すべきレベルだ。CD900STもハウジングが薄く、密閉型とは思えないほど音場が広いヘッドフォンだが、M1STもそれを踏襲しており、音の響きがハウジングに当たって跳ね返ってくるような閉塞感は一切感じない。それでいて、音が全体として“遠くならない”のがモニターヘッドフォンらしいところ。ボーカルやギターなど、大事な音は近く、明瞭に聴こえる。このあたりが、音作りとしてコンシューマー向けヘッドフォンとひと味違うところかもしれない。

左からM1ST、CD900ST

CD900STに戻して、「ドナルド・フェイゲン/ナイトフライ」の冒頭を聴いてみると、打ち込みのビートが非常にソリッドで、聴いているとゾクゾクする。シンバルの音が、非常に繊細かつシャープに描写される。まるで薄い氷の板を叩いているようだ。

音の線はとても細かいのだが、音自体の力強さは今ひとつだ。金属の音も、硬質さは出るのだが、金属質な綺羅びやかな響きは少ない。続いて入ってくる男性ボーカルも、男性らしい声の低さ、重さが不足し、声が“軽く”聴こえてしまう。

M1STに変更すると、音が激変。空間に広がる響きが量感を伴い、音楽全体に力強さが生まれる。それでいて、音場に膨らんだ音が充満したりはせず、音像の輪郭はシャープなまま。音像と音像の間にある、音がない空間もキッチリとわかる。

トランペットの金属質な音、打ち込みの電子音、声の生っぽい響き、それぞれの質感がM1STではキチンと描き分けられている。中低域に力強さがあるので、音楽がノリ良く楽しめ、プロ用モニターでありながら、コンシューマー向けのリスニングヘッドフォンとしても十分楽しめる音だ。

「ドゥービー・ブラザーズ/ロング・トレイン・ランニン」のビートも、鋭さ、重さの両方で、CD900STからM1STへの進化具合がすごい。CD900STは、全部の料理がシンプルな塩味に感じるが、M1STでは、様々な具材の味の違いが良く分かる。余計な響きを削ぎ落として、輪郭だけ描写するようなCD900STに対して、M1STは楽器や歌手が肉厚で存在感がありながら、細かな音までキッチリ聴き分けられるシャープさがある。音色自体も多彩で、表現の幅が広いので、音色の違い自体もM1STの方が聴き分けやすい。

新時代のモニターヘッドフォン

CD900STをコンシューマー向けヘッドフォンの視点で見ると、かなり淡白な描写をするヘッドフォンと感じる。音楽をリッチに、楽しく再生するヘッドフォンと比べると、対極に位置するサウンドと言ってもいい。ただ、CD900STならではの音楽全体の見通しの良さや、意識を向けた部分の聴き取りやすさといった利点はある。これはモニターヘッドフォンとして大事なところで、多くのスタジオで採用されてきた理由でもあるだろう。

ゾクゾクするようなソリッドさは、独特の魅力でもあるため、コンシューマー向けヘッドフォンとして使っているという人もいるだろう。

M1STは、描写の細かさ、音楽の見通しの良さといった部分は受け継ぎながら、よりワイドレンジに、そして中低域の量感のある描写を可能とし、音色も多彩に描写できるようになった。ヘッドフォンの実力としては、確かな進化が感じられる。

ケーブルの着脱が可能になった点や、ハウジングのスイーベル対応による可搬性の向上など、使い勝手の部分の進化も評価できる。

一方で、CD900STと比べると、M1STは“とても音の良い普通のヘッドフォンになった”という印象も受ける。M1STは良い意味で弱点が無く、“強い個性がないのが、逆にいいところ”なヘッドフォンだ。半ば伝説的なヘッドフォンになっているCD900STと、発売されたばかりの新製品を比較するのも酷な話で、今後、多くのスタジオでM1STが使われていけば、M1STも“新定番モニターヘッドフォン”としてオーラをまとっていくだろう。

M1ST

コンシューマー向けヘッドフォンとして見ると、CD900ST(18,000円)と、M1ST(31,500円)と、1万円以上高価な点が気になるところ。モニターヘッドフォンをコンシューマーで使う場合は「安くても音が良い」というコストパフォーマンスの高さがポイントになるためだ。ただ、M1STの実力的には、3万円、4万円といった価格帯のコンシューマー向けヘッドフォンとも十分に渡り合えるし、その上のクラスの製品にも太刀打ちできる。高価になってはいるが、コストパフォーマンスは高いと感じる。

細かな音の明瞭さ、音場は広いながらも、ボーカルなどの音像は近く、大切な音がダイレクトに聴けるモニターヘッドフォンならではの描写は、リスニング用に使ってもバッチリで、音楽をじっくり味わえる。既に高価なコンシューマー向けヘッドフォンを持っているという人も、ひと味違うモニターヘッドフォンの描写を楽しむ1台として、手元に置いておくのもアリだろう。

山崎健太郎