ミニレビュー

ソニーモニターヘッドフォン「MV1」で“スタジオの音を再現”してみた

左がモニターヘッドフォン「MDR-MV1」

ソニーから5月12日に発売されるモニターヘッドフォン「MDR-MV1」(実売59,000円前後)。開放型で空間描写能力が高く、360 Reality Audioなどの空間オーディオ楽曲制作にも活用できるモニターとして作られているのが特徴だが、その実力を極限まで発揮するために、プロのスタジオでユーザーの“聞こえ方”を測定し、その個人プロファイルデータを適用することで、“自宅で本物のスタジオの音を再現”する有料サービス「360 Virtual Mixing Environment」(360VME)が6月末にスタートする予定だ。

本当にスタジオの巨大かつ、多数配置されたモニタースピーカーのサウンドを、ヘッドフォンで再現できるのか? 360VMEサービスを実際に体験したのでその模様をレポートする。結論から言うと、本当に「スピーカーから音が出ているのか、ヘッドフォンからなのかわからなくなる」衝撃的な体験だった。

MDR-MV1とは?

「MDR-MV1」

MDR-MV1についての詳細は、以前掲載したニュース記事や、ソニーの定番スタジオモニターヘッドフォン「CD900ST」との聴き比べ記事を参照していただきたい。

MDR-MV1の特徴を簡単に振り返ると、専用開発の40mm径ドライバーを採用し、5Hz~80kHzまでの広帯域再生が可能。コルゲーションエッジ部の形状などを工夫することで、低歪を追求。ハウジングはオープンバック型で、立体的な空間表現を得意としている。

立体的な空間表現を得意としているのには、理由がある。

近年は、プロも含めて、スタジオではなく自宅で音楽を作る人が増加、さらに360 Reality Audio(360RA)などの空間オーディオに対応した楽曲作りへの関心も高まっているが、360RAを正確にチェックしながら音楽を作る際には、最低でも13個のスピーカーを適切に配置する必要があるなど、家でその環境を構築するのは難易度が高い。

そこでMDR-MV1は、2chのモニターヘッドフォンとしても高い実力を持っているが、それだけでなく、立体音響を再現するヘッドフォンとしても高い性能を持つ事をコンセプトに開発された。“360RA楽曲制作を身近にするためのヘッドフォンでもある”というのが、大きな特徴だ。

360RA楽曲の制作には、Pro Toolsなどの対応DAWから、プラグインとして360RAの制作ツール「360 WalkMix Creator」を利用する。その際に、通常のモニターヘッドフォンとしてMDR-MV1で音の確認をしても構わないが、その聴こえ方を個人に最適化し、プロスタジオのモニタースピーカーで聴いている音を、MDR-MV1で再現しようというのが360 Virtual Mixing Environment(360VME)サービスだ。

360RAの制作ツール「360 WalkMix Creator」

実際に測定してみる

詳細は長くなるので、まずは測定を体験しよう。360VME測定サービスの導入予定スタジオは、日本では都内にあるMedia Integrationの「MIL Studio」、米国では「The Hit Factory」(NY)、「Gold Diggers Studio」(LA)。ソニーが技術的に協力し、サービスは各スタジオが提供するカタチとなる。今回はMIL Studioにお邪魔した。

MIL Studio

MIL Studioは、「オーディを超える音の自然体験空間」をテーマに作られたスタジオで、実に43.2chものスピーカーを理想的に配置。360RAだけでなく、Dolby AtmosやDTS:X、8K 4K放送の22.2chまで、どのようなチャンネルフォーマットにもレンダリング可能なスタジオとして作られている。

MIL Studio
ボトムスピーカーが床に埋め込まれている
スタジオ内のスピーカーレイアウト
チャンネル数が多くなると配線なども複雑化するが、MIL StudioではバックボーンにDanteを活用、パワーアンプまでDanteで接続することでシンプルさも追求している

まず、スタジオの中央に置かれた椅子に座り、360VMEの測定のために作られたマイクを耳に装着する。“針金で出来たイヤフォンの骨組み”のような不思議な形状で、先端に小さなマイクを搭載している。耳穴に挿入すると、先端に取り付けられたマイクが、耳の奥に配置される。マイクの向きは、耳穴の外に向かっている。

360VMEの測定のために作られたマイク

マイクの装着が完了したら、耳にかぶらないようにしながらマスキングテープで固定。測定の準備はこれで完了。

耳に固定して測定開始

測定がスタートすると、目の前のモニタースピーカーからホワイトノイズが出る。続いて、自分を取り囲むように配置されたスピーカーから、16chを使い、スイープ音が鳴る。

さらに、マイクに耳を“装着したまま”、上からMDR-MV1を装着。MDR-MV1から、測定音が流れる。これで測定は終了だ。なお、MDR-MV1装着の際は、ヘッドフォンのアーム部分をどこまで伸ばして装着しているかという情報もチェックされ、プロファイルのメタデータに入れ込まれる。自宅で聴く際に、アームの長さが違うと聞こえ方がわずかに変化してしまうため、測定時と同じ条件で、自宅でも聴いてもらうための配慮だ。

これらの測定により、人によって異なる頭部伝達関数や耳の形状なども含めた“ユーザーがMIL Studioにおいて、スピーカーで聴いた際の音がどのようなものか”というデータと、“同じ音をユーザーがMDR-MV1で聴いた時にどう聴こえているか”というデータが得られ、これらから、ユーザー毎のプロファイルデータが作られる。

360VMEの流れ

スタジオの音をMDR-MV1の音を聴き比べる

では、測定データを用いて作成されたプロファイルデータを、360VMEアプリに適用。その音をMDR-MV1で聴いてみよう。スタジオのモニタースピーカーと同じように聴こえるのか? 音楽を再生している途中でMDR-MV1を外し、モニタースピーカーからの再生に切り替えてもらい、両者を聴き比べた。

最初はホワイトノイズで比較したが、プロファイルデータを適用したMDR-MV1で聴くと、本当に自分の前方にあるスピーカーから音がしているように聴こえる。これまでにも“ヘッドフォンでサラウンドをバーチャルに再現する”技術や製品はいろいろ存在したが、それらと比べても、定位感の明瞭さや、前方に定位する音の距離感などは群を抜いている。

前からの音が、ちゃんと前から聴こえるだけでも驚きだが、さらに驚愕するのが背後の音の表現だ。バーチャルサラウンド系の技術では、左右の広がりは効果的に感じるものの、背後の音像が正確に再現できなかったり、再現できても音像と自分との距離が近く、「“背後から音がしている”というよりも、耳のすぐ後ろとか、首のすぐ後ろくらいにしか聞こえない」という場合が多い。

プロファイルデータを使ったMDR-MV1では、背後にあるリアルなモニタースピーカーから再生しているのと、ほぼ同じように聴こえる。背後の音と、自分との間に、しっかりと空間がある事がわかる。同時に、背後を移動する音像も極めて明瞭なので、移動感も手にとるように伝わってくる。

というか、ヘッドフォンから聴こえる音が、あまりにもスピーカーの音と同じなので、装着してり外したりを繰り返していると、どっちがどっちなのか頭がこんがらかってくる。凄いを通り越して、魔法のような体験だ。

驚きが一段落して冷静に聴き比べると、完全に同じではない。最も違うのは“体で感じる音”の部分。モニタースピーカーの迫力あるサウンドを近くで聴くと、体の表面や肺を圧迫されるような音圧をビリビリ感じるが、その“体で感じる部分”が、当たり前ではあるがヘッドフォンのMDR-MV1では感じられない。逆に言えば、そのくらいしか違いが感じられないほどの高精度かつ高音質なサラウンド再現だ。

右がソニーのパーソナルエンタテイメント事業部 花田祐氏。左は“テイラーメイド”カスタムイヤフォン「Just ear」でお馴染み、エンジニアの松尾伴大氏。彼もMDR-MV1の開発に参加している

360RA楽曲制作者向けだが、より手軽な測定方法も検討

6月末にスタート予定の360VMEサービス。メディア・インテグレーション ROCK ON PRO事業部の前田洋介氏によれば、利用する流れとして、ユーザーが360RAのサイトを通じて、メディア・インテグレーションに連絡をとり、測定内容やスタジオ訪問のスケジュールなどを相談するカタチになるという。費用としては、360RAの標準的な13chフォーマット用のプロファイルデータで7万円前後の予定だ。

メディア・インテグレーション ROCK ON PRO事業部の前田洋介氏

なお、ヘッドフォンの販売は行なっていないので、基本的にはユーザーが事前にMDR-MV1を購入し、それを持参して測定する流れとなる。また、MDR-MV1で最高の性能を発揮できるが、他のヘッドフォンでもサービスは受けられ、現在はMDR-M1ST、MDR-Z1R、MDR-Z7M2も対象ヘッドフォンとして挙げられている。

作成したユーザープロファイルは、ネットを介して受け渡しされる。その際に、仮想ドライバーの「360VME Audio Driver」と再生ソフトの「360VMEアプリ」さらに、一般的なプロファイルもセットでもらえる。

使い方としては、Pro Toolsなどの対応DAWに、プラグインとして360RAの制作ツール「360 WalkMix Creator」を利用。その出力先として、360VME Audio Driverを指定。さらに、再生ソフトの360VMEアプリから、入力ソースとして360VME Audio Driverを指定し、ユーザープロファイルをアプリに読み込ませると、自宅で“MIL Studioの音”を再現できる。

なお、サービス開始時はmacOS 10.15.7以上にのみ対応。Windows 10以上にも対応予定だが、Windows版の対応は2023年秋頃になるという。

なお、7万円前後という費用は13chフォーマット用のプロファイルデータ分のみであり、例えば、一度のスタジオ訪問で、より多チャンネルで再生した際のプロファイルデータも作成したり、ヘッドフォンのモデル数を増やすなどといった場合は、追加料金がかかるカタチになる。

360VMEはあくまで、360RAなどのサラウンドコンテンツを制作するクリエイター向けのサービスだが、体験して感じたのは「プロスタジオのハイクオリティなモニタースピーカーのサウンドと、凄いサラウンド再生環境」をその場で体験し、「それを自宅にヘッドフォンで持ち帰れる」という面白さだ。

これはクリエイターだけでなく、一般のオーディオファンも体験・利用したいところ。同様の声は既にソニーに多く寄せられているそうで、計測方法の簡易化なども検討しているそうだ。

いずれにせよ、MDR-MV1の音質の良さだけでなく、空間表現能力の高さと、360VMEによってそれをフルに発揮した際の魔法のようなサラウンドは、“ヘッドフォンの限界を超えた”もので、非常に刺激的な体験だった。

山崎健太郎