レビュー

響け真空管! ネオレトロデバイス「Nutube」搭載のデジタルオーディオに酔いしれる

オーディオファンの心を掴む真空管サウンドの魅力

高精細でカリッとしたサウンドが手軽に楽しめるようになって久しい現代、オーディオ機器も音源も圧倒的な情報量と緻密な細部表現をウリにするものがかなり増えたと感じる。しかし、そういった精密機器な音に慣れてくると、少し違った音を聴いてみたいと思ったことはないだろうか。

そんな人は、ヴィンテージオーディオに興味を持つかもしれない。'60~80年代の、単なる懐古趣味だけでは語れない不思議な熱が、昔のオーディオにはあった。そうした衝動は現代において、レコードやカセットの魅力を再評価するアナログブームというムーブメントとして現れている。それと同時に、真空管素子を使った機材のサウンドが、根強い人気を維持している。

真空のガラス管にフィラメント(陰極)と金属プレート(陽極)を入れた二極管に対して、フィラメントとプレートの間に第三電極の格子やグリッドを入れた真空管が三極真空管だ。真空管は電子回路の主役デバイスだったが、大きく繊細で、なによりも“大飯食らい”だった事から、半導体によるトランジスタ素子が開発されると回路上から次第に姿を消していった。

ところが音響の世界では少々事情が異なる。真空管で組んだアンプ回路の音には独特の歪みが発生し、それをサウンドの特徴と捉える愛好家が絶えなかったのだ。特にエレキギターのアンプでは楽器の音色として珍重されており、ハイエンドオーディオの世界でも日本のトライオードやラックスマン、ドイツのオクターブ、イタリアのユニゾンリサーチなど、他に代え難いサウンドとして支持を集めている。

【お詫びと訂正】記事初出時、真空管の仕組みの部分で誤った説明がありました。お詫びして訂正します。従来の真空管とNutubの違いについて、詳細は「藤本健のDigital Audio Laboratory 第677回」に掲載しています。(2019年12月12日)

小さくて省エネなNutube、現代の真空管は超クール

非効率だが抗い難い蠱惑的な魅力を持つ、そんな真空管オーディオを身近にするべく開発されたネオレトロ素子、それが「Nutube」(ニューチューブ)だ。これは現代の電子工学技術でチップサイズに落とし込んだ “チューブチップ”とも言うべき真空管で、オーディオメーカーのコルグが蛍光表示管(VFD)の技術を持つノリタケ伊勢電子と共同で開発した。

蛍光表示管、というとなかなか聞き慣れないデバイスだが、電卓が1万円以上する高級機材だった時代、大柄なキーと同時にディスプレイは液晶ではなく薄いエメラルドグリーンに発光する表示だった事を、一定年齢以上の方なら覚えているかもしれない。蛍光表示管はあの発光体のことである。

Nutube素子のカタチは一般的な真空管と違い、蛍光表示管の製法に由来する四角形。内部構造は一般的な三極管と同様にアノード・グリッド・フィラメントの構造を持ち、素子内は真空に保たれている。元々オーディオ目的に開発されたものなので、従来のチューブと同様に特有の豊かな倍音やレスポンスを生み出す。バリエーションとしては現在のところ、「6P1」という2本の真空管素子をワンチップに収めたパッケージングのチップ1種類のみがリリースされている。

半導体チップサイズの真空管素子、Nutube「6P1」。三極管コア部分が1デバイスにつき2つ搭載されており、通電するとアノードが薄いエメラルドグリーンの光を発する。ノリタケ伊勢電子が所有する三重の工場で生産されている、完全なメイド・イン・ジャパンのデバイスだ

そんなNutubeだが、視覚的なポイントとして通電時に特徴的な青緑色光を発する。これはアノードに塗布された蛍光体の光なのだが、従来素子の発光が電球色だったのとは対照的で、見た目といい形状といい、どことなくモダンな印象を受ける。しかもNutubeは、電子を飛ばすためのフィラメント消費電力が12mW(0.7V, 17mA)、電子を受け取るアノードの動作電圧は5Vからで、その気になればUSB給電で動かせてしまう。チップ面の発熱も比較的抑えられているので、周辺部品の熱設計に気を遣う必要がない。これが真空管ポータブルプレーヤーを可能にする、ルックスも実動作も超クールなデバイスの正体である。

ネオレトロ真空管Nutube搭載のオーディオを3種聴き比べ

こんな美味しいデバイス、どんな音なのか聴かずにはいられない! という事で、Nutube搭載のオーディオ機器をピックアップし、音を聴き比べてみた。

お借りしたのは、ポータブルプレーヤーの「iBasso DX220」(オープンプライス/実売約12万円)、同じくポータブルプレーヤーの「Caiyn N8」(税込388,800円)、そしてDACの「KORG Nu I」(425,000円)の3機種。いずれも真空管特有の柔らかさと優しさ、身の詰まった骨太サウンドを愉しむことが出来た。オーソドックスな据え置きアンプでなく、ポータブルプレーヤーやDACという点も実に現代的である。

まずはiBasso DX220から。アンプユニット部分だけを交換できる、特許取得済みの独自設計思想を取り入れた同社のハイエンドプレーヤーで、このうち「AMP 9」(実売約3万円)という交換ユニットでNutube増幅回路を採用している。ユニット部分は下位モデルDX150 / DX200と共用なので、これらのプレーヤーもNutubeの恩恵を受けられるのは嬉しいポイントだ。

アンプユニットを交換できる構造がユニークなiBasso「DX 220」。Nutube搭載の「Amp 9」は使用時に背面を見ると駆動の様子が確認できる

「イーグルス/ホテルカリフォルニア」を流してみると、Nutube特有の落ち着いた調子をしっかり感じた。精細感はそこそこあるが、カリッと角を立てるような音ではない。このキャラクターはシンバルが特徴的で、しみじみとしっかり響く様は「いとをかし」とも言うような雰囲気を醸し出している。

ギターはアコギ/エレキ共に、キラキラした感じがまずまずで、ベースは若干丸みを帯びた印象だが、音の核はしっかり。ヴォーカルは冷静さを装いながら、少し影がある印象を受けた。無彩色のグレーへ僅かにクリーム色と空色を落とした、という感覚だろうか。明確な音像に真空管の音色が混ざる、そんな絶妙な味がした。

ヒラリー・ハーンの「バッハ ヴァイオリン協奏曲」では、音色の特徴がより顕著だった。響きは厚く、低音が暖かく。音のテクスチャーはマニキュアでコーティングしたようなグロス調だが、押し出してくるような威圧感が無い。あくまで上品に軽やかに、ヒラリー・ハーンのヴァイオリンソロが流れてゆく。ただ、チェロの低音は音の核に遅れて響きが来る、そんな少々ダルな印象だった。演奏として眺めてみると、音符と響きがもう一歩まとまればより没頭できそうだ。

DX 220はシステムが特徴的で、一般的なAndroidに加えて音楽再生に特化した独自のMangoOSとのデュアルブート環境が標準で組まれている。これも下位モデルからの継承で、なかなかユニークなアプローチだ。Android環境では専用アプリ「MangoPlayer」をプリインストールしているが、MangoOSとほぼ同じUIなので操作で迷うことはないだろう。MangoOSは最大ボリュームが100、Androidでは150が最大ステップとなる。

サウンドは、専用環境であるMangoOSの方がエネルギッシュ。先述のホテルカリフォルニアもヒラリー・ハーンもこちらの環境で、音の核がしっかりしていて押し出しもインパクトがあった。Androidだと押しが緩やかで抑揚がフラットになる印象で、良く言えばメロウ、悪く言えばダルな感じがした。

本機にはもうひとつ、NutubeとMQAの組み合わせが楽しめるという特筆ポイントがある。ただしMQAデコードはAndroid環境のMangoPlayerアプリのみの対応で、試聴した段階ではMangoOS環境でのMQAデコードはできなかった。

マリア・カラス「カルメンより“ハバネラ”」を歌わせてみると、合唱やオケ(特にタンバリン)の響きが印象的だ。歌声はパワフルなビブラートの波がガンガン押し寄せてくるが、情熱的な歌声が特徴のカラスにしては、この演奏からはカラッとした印象を受ける。おそらくこれがプレーヤーのキャラクターなのだろうが、そのためか歌が硬質で、楽曲的にも歌手的にも響き豊かなベルカント唱法で歌っているはずなのに、どうにもパワー全開なドイツ唱法の様に聞こえたのは気になった。

因みに非MQAのMangoOSと、MQAデコードできるAndroidを比較してみると、Androidに軍配が上がる。響きがスッキリして音像が明確になるという、MQAの特長が如実に出てきた。加えてプレーヤーのキャラクターに由来する硬さが結構ほぐれ、歌声の色彩が一気に豊かに。カラスの特徴でもある粘り強さもグッと出てくる。ただ、基本的にはドライ基調なサウンドで、冷静さの上にNutubeの暖かい響きとMQAの晴れやかな空間表現が乗る印象だった。

今回は試していないが、DX150とAMP9の組み合わせはポータブルNutubeシステムの最安環境。これならばふたつ合わせてもだいたい10万円以内の予算で収まるはずだ。ただし下位モデルだと、今のところMQAには非対応なので、音源を持っているならばこちらを検討したい。

ひとつ気になったのは、出力が少々小さいこと。ハイインピーダンスのイヤフォンやヘッドフォンだと、モデルによってはボリュームを取りづらいかもしれない。この点は注意が必要だ。

左はパッケージ標準装備の「Amp 1 MK II」。端子と印字以外に外見上の違いは無い。物理的に実装が難しいので仕方ないが、右のAmp 9ではバランス駆動が出来ないのが惜しいところ

次はCaiyn N8。以前から真空管オーディオに熱心に取り組んできたブランドのひとつで、こちらもポータブルプレーヤーだが想定クラスはiBasso DX220よりも明らかにワンランク上だと感じる。スペック的に言うと、旭化成のハイエンドDAC「AK4497EQ」をデュアルで搭載し、音源としてはPCM系では最大32bit/384kHz、DSDは最大11.2MHzまで、それぞれ対応する。インターフェイスに関しても、入/出力、デジタル/アナログを問わずかなり多彩で、機器接続に困ることはそうそう無いだろう。ただし、肝心のNutubeを使うのは3.5mmのシングルエンド出力だけだ。

N8のサウンドだが、正直言ってノックアウトされてしまった。ホテルカリフォルニアを鳴らせば、ギターのスチール弦を弾く様をよく出しつつ、ヴォーカルにはゆったりとしたアンニュイな趣を感じる。ベースにはどっしりとした存在感、エレキギターは若干愁いを帯びた調子で、それでいて締めるべき高音の要所はしっかりカチッとしている。楽曲全体をどことなく晴れきらない雰囲気が覆っていて、細部表現や解像感を出しまくっている音とは全く別次元の言葉で音楽が語りかけてくる。「真空管で聴くロックとはこういうものなのか」と痛感した体験だった。

こだわりの真空管アンプを作り続けている中国ブランドCaiynの、意欲的なハイエンドポータブルプレーヤー「N8」。Nutubeはディスプレイ下部に実装されており、画面を見ながら駆動の様子を確認できる

「ビル・エヴァンス・トリオ/ワルツ・フォー・デビイ」で歌わせたジャズは、ボリューミーで豊かなダブルベースにしっとりとしたピアノが響和して、うっとりメロウな雰囲気を醸し出す。まるで時間がゆっくり流れているようで、音楽のある空間を丸ごと愉しんでいる気分に浸ることができた。

だがそれ以上に聴きものだったのは、ヒラリー・ハーンのバッハだ。とにかく倍音! これでもかと言うほど倍音!!

上から下まで倍音が出まくりで、お陰でヒラリー・ハーンのヴァイオリンが過去最高レベルで暖かい。それでいてちゃんと音の粒も出る、パワーも出るときたものだから、まるで音が踊っているように感じるのだ。特にカデンツァの高音は素晴らしく、こういうパートは水を得た魚のように朗々と歌い上げる。加えてソロの素晴らしさはもちろん、同時にアンサンブルがとても自然で耳に優しいという事も忘れてはならない。音がよく混ざるため、通奏低音のチェンバロがヴァイオリンソロの邪魔をしない、これぞオーディオにおける音楽表現と言うべきだろう。

ここまで聴いて「これだけ音が響くならテノールが素晴らしいに違いない」と思い立ち、パヴァロッティの「オ・ソレ・ミオ」を再生。これが大当たりで、パヴァロッティの明るいサッパリとした歌声が遠くまでよく飛ぶと感じた。主題に入るとボリューミーな声が存分に広がり、迫力あるクレッシェンドでは歌声が広がってゆく感じが実に素敵。さらに1番と2番の歌い分けを見事に描き分けており、ピアノ音量な2番のBフレーズ部分は息を吞む繊細さを見せた、これには心の底から感心してしまった。こんなにも素晴らしい音楽がいつでもどこでも手軽に楽しめるならば、ユーザーは幸せだと言うほかない。

本体はズシリと重く、I2S端子や4.4mmバランス出力などのインターフェイスも豊富で、多彩な変換コネクタも標準で付いてくる。夏のアップデートで話題のMQAにも対応しているので、音源や接続で困ることはまず考える必要がなさそうだ
入手は困難だが、シャーシのステンレス材が真鍮材に変更された限定品「Black Brass Edition」(画像左)は更に豊かな音楽体験が期待できる。サウンドとしてはかなりハイレベルな比較で、基本トーンは同じながら厚みが1段分増して深さとコシが出る。もし手に入るチャンスがあるならば見逃したくない

Nutube本家のコルグも黙ってはいない。据え置きDAC/ADC/プリアンプのNu Iは、長年磨き続けた1bit DSDのデジタルサウンドに新時代の真空管を融合させて、オーディオメーカーであり楽器メーカーでもある「コルグだけが出せる音」を追求したという意欲作だ。

Nu Iが面白いのはNutubeをアンプ素子というよりも倍音生成素子として使っているという事。マスターボリューム直前のバッファー部に挿入されているNutube HDFC(Harmonic-Detecting Feedback Circuit/倍音検出帰還回路)というブロックがそれで、パネル前面のツマミを回せばI → IIIの3段階で効果(響きの濃さ)を調節できる。これはデジタル/アナログを問わずすべての入力に有効な回路で、もちろんバイパスも可能。個人的にはIIの響き方が好みだった。

据え置き機材では本家コルグが大型トランスを内蔵したホンキのDSD DAC「Nu I」にNutubeを搭載。DACチップは旭化成「AK4490」で、PCM 384kHz / 32bit、DSD 11.2MHzまでにそれぞれ対応する
バックパネルはご覧の通り。Nu IはプロフェッショナルレベルのADCでもあり、4台用意するとDSD 11.2MHzの8ch録音が可能。アナログ盤のデジタル化で使う場合には、RIAAカーブを含めて6種類の逆変換カーブをかけることが出来るという、マニアックなニーズにも応える。ただしこれらの仕様は40万円という価格に反映されているのが痛いところ。個人的には録音機能を省いてもいいから、半額くらいのNutube DACが欲しい

その音はどうかというと、ホテルカリフォルニアでは、滑らかさと粒立ちの良さを十全に感じた。音と音が滑らかに繋がり、ギターのフレージングは実にシルキー。攻撃的な痛さが皆無の耳に優しい音だが、それでいてきっちりと粒も立っている。

これはヘッドフォンとスピーカーのどちらで聴いても同様で、解像度は高いのにカリカリ感を感じない不思議な優しさがありながら、かといって音にインパクトが無いという事も無く、“出るところはキッチリ出る”。スピーカーでは特に定位が良く、ヴォーカルの音像がよく立っていると感じた。とにかく音楽に陶酔したくなる不思議な魅力が、この音にはある。

期待を込めてヒラリー・ハーンのバッハを聴いてみたら、やはりヴァイオリンで本領発揮してくれた。左右のヘッドフォンから流れる響きが非常に豊かで、ボディのまろやかな木のトーンがよく出ている。擦弦楽器特有の何とも言えないウットリするアンサンブルの世界に浸る、それくらい倍音出まくりだ。

スピーカーで聴いてみるとヘッドフォンよりも響きの世界に包まれてゆく感覚が強く、ヴァイオリンが水を得た魚のように朗々と響く。ヘッドフォンよりもエネルギーがあるように感じたが、逆に言うとヘッドフォンアンプはまだ改良の余地あり、なのだろう。それにしても音のピラミッドのバランスがとても良い。カデンツァ部では倍音にクラクラくるが、同時に響きの消えゆく様も聴き惚れるほど美しい。全体的に解像度カリカリという調子ではなくて、だから虫眼鏡で音の動きを観察するようなシリアス感がない。“音楽を聴く”にはそれが良い、そう感じた。

因みにNu Iにはもうひとつ、「S.O.N.I.C.リマスタリング・テクノロジー」というユニークな機能がある。これはDSDマスタリングで高名なオノセイゲン氏が監修した、PCのドライバー組み込みのリアルタイムDSD変換機能だ。

この機能、ネット動画視聴時には福音とも言うべき絶大な効果があり、使ってみると圧縮音源の窮屈さがかなり緩和される。どのくらい違うかというと「死んだ音に命が吹き込まれる」くらい。特にお宝モノのミュージックビデオや「歌ってみた」ジャンルなどでは有効で、正直言って一度使うとこれ無しでネット動画を見たくなくなる。もちろんドラマや映画、アニメなどの動画配信サービスでも使える。そもそもこれはNu Iドライバーの付属機能なので、ASIO経由の音楽再生を含む、PCから出力されるあらゆる音に対して有効なのだ。

サウンドは大量に用意されたプリセットから選択できるほか、自分での調整も可能。個人的には203番の「FORCE GTR」が使い勝手良好だと感じた。大変実用的で素晴らしいS.O.N.I.C機能だが、現状では40万円もする本機だけでしか使えない。もっともっと低価格なDACを開発して、気軽に使えるようにして欲しい。そうでないとあまりにもったいない。

Nutube HDFC駆動時はパネル面のインジケーターが白く光るが、実装位置の都合上、Nutubeの駆動を直接確認する事はできない

精細度ドメインな現代オーディオに問いを投げかけるNutubeの響き

Nutubeとデジタルオーディオの組み合わせは、今のオーディオ、特にポータブルオーディオに足りなかったものを提示しているように聴こえた。全体的な感想としては、倍音が豊かに出て、アンサンブルの音がよく混ざる。程度の差はあれど、これはNutubeに共通する特徴だと思う。

反面、金属質な鋭さや、EDMなどのジャンルが重視する、脳髄を揺さぶるビートの刺激といった表現はあまり得意ではない様子だ。今回の3機種はいずれも純半導体による増幅回路とNutube回路の切り替えが可能なので、音源や好みによって使い分ければいいだろう。

今回のレビューで、Nutubeを活かしたバランス駆動が可能なポータブル機が無いことは気になった。iBassoのAMP 9はそもそもシングルエンドのみ、CaiynのN8は4.4mm端子を装備しているが、バランス駆動時はNutube回路を選択できない。そもそも両機種は6P1チップを1基しか積んでいないので、バランス駆動不可は当然といえば当然だ(6P1に搭載される増幅部は1基につき2つだが、バランスは左右のホット/コールド併せて4つの増幅部が必要)。

しかし、だ。この蠱惑的な響きはバランスで駆動させるとどうなるだろうかと、オーディオマニアとしては妄想に駆り立てられてしまう。基盤への実装や消費電力の問題はあるだろうが、次期モデル開発時には是非とも検討してもらいたい。

圧倒的な情報量で細部まで徹底的に鳴らし切る。そんな思想がハイレゾ時代のオーディオ業界を支配してきた様に、僕は感じている。もしかするとそれはハイレゾ化より以前、CDをはじめとしたデジタル音源が勃興してからずっとかもしれない。技術革新によって、オーディオが扱える情報量は圧倒的に増えた。その膨大な情報量を浴びるよう聴くというオーディオがあっても構わないし、そういう音にしか創れない世界は確かに存在する。

しかし世の中の音楽がすべてそうなわけがない、延々とフォルテな曲もあれば、ピアノとフォルテが波のように連なる曲だってある。幸いな事に、現代のデジタルオーディオはどちらの表現も可能なのだから、一方の価値観に偏らず、より多様な個性・表現を受容したい。Nutubeによる真空管の音を聴いていると「豊かな文化とはそういうものではないか」という問題提議がされているように感じた。

天野透