レビュー

ダイナミック型のイメージを破壊する“羊の皮をかぶった狼” Technics「EAH-TZ700」

AV Watch読者には説明不要かもしれないが、高価なイヤフォンは“デカイ”事が多い。バランスドアーマチュア(BA)ドライバを沢山内蔵したり、大口径のダイナミック型とBA両方入れたり、静電型ユニットを入れたりと、入れるものが増えているのである意味当然だ。そんな中、据え置き型のピュアオーディオでお馴染みTechnicsから、異色のイヤフォンが登場した。モデル名は「EAH-TZ700」、価格は12万円で高級機と言っていい。なにが異色かは写真を見れば一目瞭然、非常にコンパクトでシンプルなデザインなのだ。

Technics「EAH-TZ700」

現物を見ても、その印象は変わらない。聴く時も“イヤフォンをガシッと掴んで耳に入れる”のではなく、“指先でつまんでスッと挿入する”感覚だ。装着しているところを第三者が目にしても、「あの人、凄いイヤフォンつけてるな」とは見られないだろう。だがこの「EAH-TZ700」、澄ました顔して中身と音はかなりスゴイ。

そもそもTechnicsとは

オーディオファンにはお馴染みだが、ポータブルからオーディオに興味を持った人はあまり知らないかもしれない。Technicsは、パナソニックのHi-Fiオーディオ製品のブランドだ。1965年に発売した、密閉型スピーカー「Technics 1」で初めてその名が登場。以降、ピュアオーディオのブランドとして、様々なスピーカー、アンプ、ダイレクトドライブのアナログプレーヤーなどを投入し、オーディオファンに支持された。

2000年代に入り、DJ向けのターンテーブルは存続していたが、家庭向けのオーディオブランドとしては一時終息。しかし、2015年に復活し、代名詞のダイレクトドライブ方式のターンテーブル「SL-1200G」などが人気モデルとなり、ピュアオーディオ市場で再び存在感を高めている。

SL-1200G

ポータブル向けにはヘッドフォン「EAH-T700」を投入。そして今回“復活後初のイヤフォン”として「EAH-TZ700」を発売した。この流れを見ると、いよいよ新生Technicsがポータブルオーディオにも本腰を入れはじめたカタチであり、それだけにこの「EAH-TZ700」も、気合を入れて開発されたというわけだ。

ヘッドフォン「EAH-T700」

ダイナミック型ドライバーのみのシンプル仕様……と思いきや?

搭載しているのは10mmのダイナミック型ドライバーのみなのだが、この新開発「プレシジョンモーションドライバー」に最大の特徴がある。

普通は「振動板の素材が特殊で……」という話からスタートするが、プレシジョンモーションドライバーの場合は“動かし方”が今までと違う。注目は振動板の裏側にあり、振動板に振動を伝えるボイスコイルだ。このボイスコイルは、狭い磁気ギャップ、つまり磁石の隙間に配置され、そこでストロークする。ここまでは普通のドライバーと同じで、普通のドライバーでは、製品によってこのストロークが綺麗にできず、ふらつくように動くモノもある。それが振動板に伝わり、音の歪みの原因となってしまう。

プレシジョンモーションドライバー

プレシジョンモーションドライバーは、この磁気ギャップとボイスコイルの間に“磁性流体”という液体を塗布している。これにより、ボイスコイルは水面の上をすべるように、綺麗にストロークする。磁性流体が、ボイスコイルの動きを“ガイド”するようなイメージだ。これにより、正確なストロークが可能になり、「インサイドホンドライバーとしてこれまでと次元の違う超低歪再生を実現した」(Technics)という。

左が一般的なドライバー、右がプレシジョンモーションドライバー。赤い部分に磁性流体を塗布している

液体と聞くと「こぼれ落ちないのか?」と気になるが、磁力でギャップにへばり付くようになっているため、その心配は無いという。また、ネバネバした液体でもないため、ストロークするボイスコイルに対する抵抗もほとんど無いという。

“正確にストロークして歪が抑えられる”という利点に加え、もう1つ重要なポイントがある。それは振動板の“エッジ”だ。エッジは、中央の振動板の動きを阻害しないように、柔らかく、しなやかな素材が使われる。ただ、あまりにこの素材が柔らかすぎると振動板を保持できない。適度な柔らかさが必要だ。

プレシジョンモーションドライバーの場合は、磁性流体のおかげで振動板の正確な保持が可能になり、振動板とエッジ部で異なる素材の採用も可能に。さらに、役割の負担が減ったエッジには、今までよりさらに柔らかい素材が使えるようになった。これにより、エッジが原因で振動板の動きを阻害する事が、さらに無くなったわけだ。エッジには、強度と内部損失特性に優れたPEEK(ポリエーテルエーテルケトン)が使われている。

中央の振動板は、高剛性の特殊アルミニウム製。これらの技術を組み合わせる事で、イヤフォンでは難しい、3Hz~100kHzまでの超高域、広帯域再生を可能にしている。

10mm径のダイナミック型で、3Hzの再生はスゴイ。エッジが柔らかいので、低域も伸びがよく、動きの反応も良くなったそうだ。つまり、10mm径のダイナミックドライバーを搭載したイヤフォンは市場に沢山あるが、プレシジョンモーションドライバーは「10mm径ダイナミックの“真の能力”を発揮したユニット」であり、その結果、超ワイドレンジで歪の少ない再生が可能になった……というわけだ。インピーダンスは19Ω、音圧感度は108dB/mW、最大入力は100mW。

このドライバー前後の空気の流れを精密にコントロールするため、「アコースティックコントロールチャンバー」という構造も採用。理想的な帯域バランスやフラットな特性になるよう工夫している。

また、ポートハウジングには軽量・高硬度なチタンを採用。ここに、ドライバーとポートが同軸になるように固定。不要な音の反射や回折の影響が出ないように、ドライバーからの音がストレートに耳に届くようになっている。

イヤーピースを外したところ
ハウジングの後部は切り欠き(スプーンカットハウジング形状)になっている

ポートハウジングとアコースティックコントロールチャンバーを収める本体ハウジングには、軽量で振動減衰特性に優れたマグネシウムダイカストを使用。このように、ハウジングに異なる金属を組み合わせる事で、振動を分散・抑制させている。

なお、ハウジングの後部は切り欠き(スプーンカットハウジング形状)になっており、耳に触れる場合に、その触れる角度のバリエーションをもたせている。これにより、圧迫感を抑え、誰の耳にもフィットしやすくなるそうだ。また、“良い感じ”に凹んでいるため、指で持った時に、耳への最適な挿入角度になりやすいという利点もあるという。

“良い感じ”に凹んでいるため、指でつまみやすい

装着してみる

イヤーピースは、専用設計のシリコン製。円型(ノーマルタイプ)に加えて、外耳道の形状に沿いやすいという楕円型(オーバルタイプ)も同梱。それぞれ4つのサイズ(S/M/L/XL)から選べる。右耳と左耳の穴の大きさが同じとは限らないので、左右それぞれにフィットするものをじっくり選ぼう。

実際に装着してみると、筐体が小さいので大型イヤフォンより装着しやすい。音楽を聴いている時も「何か大きなモノが耳に入っている」感じはなく、イヤフォンが存在する事があまり気にならなくなる。

また、小さくて軽いため、イヤフォン自体の自重で抜けてくる感じがほとんどない。安定感があるので、“抜けてきそうで気になるストレス”が無い。

最初からバランス接続ケーブルがセット。ケースもカッコいい

EAH-TZ700は、MMCXでケーブルの着脱が可能だ。3.5mmステレオミニ入力L型プラグのアンバランスケーブルに加え、2.5mm 4極L型プラグのバランスケーブルも標準でセットになっている。この価格帯のイヤフォンを使うユーザーは、バランス駆動可能なポータブルプレーヤーを持っている事が多いと思うので、このセットは嬉しいポイントだ。御存知の通り、クオリティの高いバランスケーブルはケーブルだけで数万円するので、EAH-TZ700の12万円という価格も、バランスケーブル込みと考えると、感じ方が変わってくるだろう。

MMCX端子を採用

ケーブルの材質には、しなやかでタッチノイズが少ないものを採用。芯線はPCUHD(Pure Copper Ultra High Drawability)と呼ばれる、介在物/不純物の混入を厳しく管理した工程で鋳造された高品位無酸素銅だ。

2.5mm 4極L型プラグのバランスケーブルも標準でセットになっている

個人的にグッとくるのが付属のキャリングケース。本体を中央にセットし、ケーブルをグルグル巻きつけるタイプなのだが、シンプルで高級感がある。EAH-TZ700自体、落ち着いたデザインのイヤフォンなので、通勤や出張など、ビジネスシーンでスーツと組み合わせても違和感は無いだろう。

音を聴いてみる

プレーヤーとしてAstell&Kernの「A&ultima SP1000」を用意。まずは3.5mmステレオのアンバランス接続で聴いてみる。

「camomile Best Audio/藤田恵美」から「Best of My Love」を再生。冒頭のアコースティックギターの音が出た瞬間に「おっ」と期待が高まる。弦の金属的でシャープな音と、ギターの筐体のふくよかな木の響き、異なる質感の音がしっかり描き分けられている。

続いてボーカルが入ると予感が的中。人の声が非常に自然で生々しい。バランスド・アーマチュアイヤフォンにありがちな、全体が金属質な音に染まってしまうような事がない。また、大口径のダイナミック型イヤフォンによくある、低音が出過ぎで、中低域も膨らみすぎて、音楽全体がボワッと湯気につつまれたようにもならない。

ギターの弦のほぐれ具合、ボーカルの口の開閉のリアルさ、そしてそれが生み出す響きの余韻が、ステージの奥へと広がって消えていく様子までしっかり見える。このシャープで高精細な描写は間違いなく、プレシジョンモーションドライバーにいよる正確で歪を生まないストロークによるものだろう。

嬉しいのは、それでいて、単に描写を細かくする事だけを考えたカリカリでキツイ、金属質な音になっていない事だ。木の響き、人の声、しっとりと質感を豊かに描写して欲しい部分はキチンとその通りに描く。まさに「うまく作られたダイナミック型ドライバーイヤフォンの見本」と言っていい。

音色の自然さ、ナチュラルさに続いて驚かされるのが“低域の凄さ”だ。市場には10mm口径よりもっと大口径のダイナミック型ドライバー搭載イヤフォンは存在するが、EAH-TZ700はそれらと比較してもまったく負けていない、いや、勝っていると思えるくらいの低音が出る。

それも、ボワボワ膨らませた中低域で「迫力を出してなんか低音ぽくした音」ではなく、「ズゴーン」と地中深くまで突き刺さるような低音が出る。「イーグルス/ホテル・カリフォルニア」のベースも深く、頭蓋骨どころか、背骨にも響きそうな「ズゴーン」が気持ちが良い。

特筆すべきは、これだけ深く、重い音が出ているのに、それがにじんだり、余計に膨らむ事が一切ない事だ。アコースティックコントロールチャンバーによる空気の流れの制御が効いているのだと思うが、低音の輪郭はあくまでシャープで、音の中身がよく見える。ホテル・カリフォルニアの5分48秒あたりに出てくる「プップッ」という弦の音が、うねるような低音の波の中でも、まったく埋もれず、シャープに聴き取れる

「Cornelius/SENSUOUS」の「Beep it」など、このイヤフォンで聴くための1曲のようだ。脳が揺さぶられるような深いビートが、まったくブレず、トランジェント鋭く、ビシッと描写される。キッキレな音なのに、ヘビー級ボクサーのボディーブローのようにズンズンと響いてくる。聴いているだけで思考が鼻から抜けていくような快感だ。

ダイナミック型ドライバー1基なので、低域から高域まで繋がりも自然だ。特定の帯域だけが特に主張する事もない。安心して聴けるナチュラルな音なのに、ビートが気持ちいい曲をかけるとキレキレシャープに、おだやかな曲ではどこまでも温かい響きで聴かせてくれる。モニターヘッドフォンのように、自分自身の色付けは少なく、どんな曲にも対応できる。それでいて無味乾燥ではなく、質感やキレも素晴らしく、聴いていて楽しい。

続いて、付属の2.5mmバランス接続ケーブルに変更してみよう。「マイケル・ジャクソン/スリラー」の冒頭をアンバランスで聴きながら、バランスケーブルに変更してみたが、再生ボタンを押した瞬間に「なんじゃこりゃ」と言うほど音が激変する。

冒頭の「ギギーっ」とドアが軋みながら開くところから、音の鮮烈さがまるで違う。バランス接続の方が、心臓を鷲掴みされるような鋭さがあり、思わず肩がビクッとしてしまう。続くビートも、キレキレ具合が倍増。低域が深く沈み、音の輪郭がシャープなのはアンバランス接続でも感じていた部分だが、そうした特徴を維持しながら、1つ1つの音が飛び出す強さ、躍動感が強まるため、“音楽を聴いている”というより“飛んでくる音楽を浴びている”感覚になる。

バランス接続により、音場の立体感も増し、空間自体も広くなる。そのため、1つ1つの音が強くなっても、狭苦しい印象は受けない。広い空間で、より強く音楽をパワフルに、ダイレクトに浴びられるため、開放感と高揚感が同時に高まる。これはもうバランス接続で聴かないともったいないイヤフォンだ。

それにしても、言葉は悪いが“たかだか10mm径のダイナミック型でこんな音が出るのか”と驚かされる。やはり驚くのは低音だ。振動板が素直に、理想的に動くと、ここまでスッキリとした、それでいて深い低音が出るのかと関心してしまう。なんというか「生まれて始めて10mmダイナミック型ユニットの真の実力を聴いた」ような気分だ。

音は凄いが見た目は控えめ、だがそれがいい

高級感のあるデザインで、手にすると質感も良いのだが、サイズが小さいのでお店やイベント会場で見ても、あまり目立つイヤフォンではない。ユニットも「○○ドライバーが○個、それに○○ドライバーも組み合わせて」という“ゴージャス感”も無い。だが、音を聴くと印象が180度変わる。「羊の皮をかぶった狼」のようなイヤフォンだ。お店でもどこでも、見かけたらとりあえず試聴してみよう。驚くはずだ。

他社がBAユニットの個数や、異なる方式のユニットを追求する中、あえて成熟したダイナミック型ユニットの見つめ直し、理想的な動作を改めて追求する事で「ダイナミック型ってこんなもんでしょ」という常識をぶちやぶり、これまでのクオリティを超えるサウンドを実現しているのが小気味良い。しかもこれが、ピュアオーディオブランドTechnicsの新生後、初イヤフォンというのもドラマチックだ。

ポータブルオーディオ市場は本当に進化し、音の良いイヤフォンも沢山増えた。だが「いやいや、まだやれる事はあるんだぜ」と言われたような、“オーディオの奥深さ”を体現した1台だ。

山崎健太郎