本田雅一のAVTrends

204回

忘れ去られたトレンドと生き残ったもの。その違いとはなんだったのか

連載第1回(2007年2月20日掲載)は「AACS暗号の解除問題」を取り上げた

僕がAV Watchでこの連載を始めたのは2007年2月のことだから、媒体が始まってから半分以上の期間、不定期ながらも連載を続けさせていただいてきたことになる。感謝するとともに、今後もオーディオ&ビジュアルという趣味の世界を、時代の波を感じながら楽しみ、伝えていきたいと思っている。

今回は、編集部から「この20年のAVトレンドを振り返って」というテーマをいただいた。20年前といえばBSデジタル放送が開始されたばかり。ディスプレイ方式の中心はまだブラウン管で、薄型テレビのインチ単価を「1万円にまで下げることが目標」と言われつつも、まだまだ理想からは遠い時代。

映画をはじめとするプレミアムな映像コンテンツも「ハイビジョン品質」には数字上はなっていたものの、フィルムスキャンや高品位デジタルシネマカメラなど存在しない当時、HDテレシネでネガフィルムを電子化したマスターを、いかに家庭に高品位で届けようかを検討していた頃だ。

まだブルーレイディスクも、その基礎となる技術を松下電気産業が開発・展示していたものの、ソニーは合流しておらず、ましてOLEDテレビが家庭に普及する未来も、ネットを通じた高品位映像のサブスクリプションサービスも、ビジョンとしてはあったものの実現への道を具体的に示せていた企業、あるいはビジョナリストはいなかった。

そんな2001年2月からの20年を、映像コンテンツとディスプレイデバイスの両面から振り返りながら、忘れさられたトレンドや技術と、いまだに使われ、愛され続けている技術やデバイスの違いを考えてみることにしたい。

と、書き出したものの、あまりに膨大な時間が流れているため、真面目に振り返っていると新書一冊にまとまりそうな勢い。ということで、かなりの駆け足になる上、ディスプレイデバイスに関しては、ごく簡単に触れるだけにとどめたことを、まずはお詫びしておく。

映像コンテンツがネット配信に向かった決定的な理由

NetflixやAmazon Prime Video、hulu、U-NEXT、dTV、FODなど、テレビ放送と並ぶ映像コンテンツを楽しむ手段として、映像のネット配信サービスはすっかり定着した。コロナ禍での巣篭もり需要は、この流れを少しだけ早めたが、ネット配信が決定的になった最大の理由は別のところにあると感じている。

有料動画配信サービスの利用率の推移。インプレス総合研究所「動画配信ビジネス調査報告書2020」より

20年前、次世代の光ディスクと言われていた後のBlu-rayやHD DVDが待ち望まれていた頃も「この先、映像もネット配信の時代がくる」という話は散々されていた。すでに音楽に関してはネットでダウンロード販売が当たり前になりつつあったし、その先にあるネット配信へと技術的なハードルは無くなっていたから、至極当然の流れのように思えるが、実際にはなかなかネット配信の時代はやってこなかった。

では、なぜ映像メディアも配信の時代へと突入したのだろう?

高速インターネット回線の普及や映像圧縮コーデックの進化を待たねばならなかったという技術的な要因もあるが、ネット配信が進んだ理由は大きくは二つあったと思う。

ひとつは“物販”から“サービス”へとビジネスモデルが大きく変化したこと。もうひとつは、ハリウッドを中心に映画・映像産業の事業環境が変化したことだ(もちろん、他にもたくさん理由はあるけれど)。

とりわけ、物販からサービスへと映像コンテンツ事業のビジネスモデルの変化は、市場トレンドの変化が速くなっていたこともあって、対応する映像デバイスの購入トレンドにも影響を与え、じわじわと市場環境を変えていった。

映像コンテンツの本質を考えた時、コンテンツを供給する側にとっても、コンテンツを楽しむ側にとっても、ネット配信サービスの方が都合がいいと双方が気づいたからに他ならない。

フットワーク軽く新技術へと向かえるネット配信

映像を楽しむテレビ(あるいは家庭向けプロジェクター)は、そもそもは「テレビ受像機」であって、映像放映の技術規格に沿った信号を映像化する装置ということだ。このため、かつての家庭向けテレビは常に放送規格に合わせて進化してきた。

白黒放送からカラー放送に変化し、アナログハイビジョン放送の実験放送があり、そこからBSあるいは地上波のデジタル放送へと向かう中で、それぞれの放送規格にあわせて表示を行なう。

地上デジタルの本放送は、2003年12月1日午前11時より東京・名古屋・大阪の3大都市で始まった

放送規格は国ごとに法的な枠組みもあり、また放送局の投資も膨大になるため、そうそう簡単には変えることができない。だからハイビジョン普及への道はひたすらに長かった。新しい規格での放送が始まっても、対応する受像器が普及するまでには時間がかかるから、どんなタイミングでどんな機材を選ぶかはとても重要な課題だったが、過去の進化はとてもゆっくりしたものだったから、さして問題にはならなかった。

ところが失敗に終わったアナログハイビジョン(初期の受像器は100万円を超えていた)のあと、BSデジタルでは外付けチューナーの不便さに不満を感じ、地上デジタル放送対応でやっと一息と思ったら、今度は束の間の3D映像ブーム。そして解像度が4Kになるぞと言われ、一部に4Kテレビがで始めた頃に“本当の高画質には広色域とHDRが必要”とか。

さらには8Kへのロードマップの中では、毎秒120フレームの高フレームレートが、などと耳にすると、それが自分の試聴体験にどう影響するのか、具体的にどのようにして手元に届くのか、といった部分を差し置いても、安い買い物ではないだけに「いったいいつが買い時なの?」と気になってしまうのは当然だろう。

2010年2月発売のパナソニック「VIERA VT2」を皮切りに、各社テレビの上位モデルが順次3Dに対応。市場構成で3Dテレビが最も大きくなったのが2012年(17%)だった

3Dテレビは買いか? それとも待ちなのか?(2010年4月26日掲載)

4KよりHDR? ハリウッドが考える“HDR”と“4K”のいま(2015年2月26日掲載)

ところが、ネット配信になると技術的な規格はさほど大きな問題ではなくなる。

ディスプレイそのものの能力を超えた表示は行なえないが、圧縮方式の違いや解像度、HDR対応の有無、色再現域などの技術的な要件は、サーバ側でいくつかの条件に対応するマスターを置いておき、視聴環境に合わせて送り出すデータを変えればいいだけだからだ。

4KでもHDRに対応していないなら、SDRの4K映像を送り出せばいい。音声フォーマットも同じで、視聴環境に合わせて自動選択されれば利用者は迷う必要がない。

しかも、ソフト側にも“流通在庫”はないから、技術の進歩に合わせてサービス側のコーデックを更新したり、将来、さらに高品位な映像へと進化させることもできるし、ソフトの流通在庫がないから、サービス側のアップグレード次第でフットワーク軽く新しい技術を投入できる。

この特徴が生きたのが4Kへの移行時だ。放送やUHD BDが登場する前から、4Kのネット配信は行なわれ、HDRの時代が来ればすぐさまHDR版が配信されるようになった。

Netflixは、2016年4月にHDRコンテンツの配信を開始。Dolby Vision対応のLG製テレビなどで楽しむことができた

映像コンテンツを“モノ”として販売していたのは、モノに転換しなければビジネスにならなかったからに他ならない。モノとして流通させる必要がなくなった現在、よりフットワーク軽く新しい技術を導入できるネット配信の方が、事業者側にとっても差別化しやすい。

サブスクリプションがもたらした“クリエイターファースト”の事業環境

もうひとつ挙げた事業環境の変化は、“モノとしての映像コンテンツ”を売りにくくなってきた結果起きていることだ。

この連載を始めた2007年は、HD DVD対Blu-rayのフォーマット戦争も末期のこと。

当時は年に何度もハリウッド映画スタジオの幹部に取材し、彼らの考えやビジョンを聞いていたが、そこで感じたのは「モノとして映画を売らなければ作品に投資できない」環境にあったことだ。

ふた昔前はVHSビデオによる増収で娯楽映画が増加、その流れをDVDが加速させたことで映画会社は「興行収益+パッケージ販売」トータルでの売り上げを期待しながら、作品のプロデュースを行なうようになっていた。

もちろん、全てがそうというわけではなく、作品性重視の映画も多数あり、それらが生まれるカルチャーもあるのだが、映画スタジオの経営を支える柱の一つとして“ホームビデオ”が欠かせない存在になっていたわけだ。

BD黎明期の高画質盤と評判だった「パイレーツ・オブ・カリビアン」。制作の裏側を取材するべく「Panasonic Hollywood Laboratory(PHL)」を取材した

最高品質を求めたBD版「パイレーツ」制作の裏側【前編】(2007年5月24日掲載)

ついに始まる4K BD時代。UHD BDに向かうハリウッド・スタジオそれぞれの思惑(2016年3月1日掲載)

しかしBlu-rayやUHD BDは、映画スタジオが期待するほどの売り上げを出せなかった。これら次世代のメディアは、画質面では期待通りの品質を出せていたと思うが、使い勝手の面ではDVDを大きく超えるものではない。

現在でもUHD BDはネット配信の品質よりずっと高く、大画面で楽しむならUHD BD、パッケージとして持つならUHD BD(あるいはBlu-ray)という方も少なくないだろう。一方で映像のネット配信は、とりあえずお試しで楽しんでみることもできる上、4KやHDRのコンテンツも豊富。画質も意外に悪くない。

しかも、ちょっと観てどうかな? と興味本位に楽しむこともできるため、積極的に好みの作品を探しやすい。結果として、誰もが楽しめる娯楽超大作へと傾倒するのではなく、多様な消費者に対して多様な作品を供給するというニーズが生まれ、映像配信サービス各社はバラエティに富んだ作品を編成するようになった。

映像配信サービスにも各種あるが、NetflixやAmazon Prime Videoに代表されるサブスクリプション型配信サービスは、事前に見込まれる収入の予測が明確なため、予算配分を計画的に行ないやすい。

それは最終的に“クリエイターファースト”という事業環境にもつながっている。

安定した収益があるからこそ消費者目線の投資ができる

映像作品への投資はギャンブルの側面もある。とりわけ映画はコケた時のダメージが大きい。テレビシリーズなら途中で制作を打ち切ったり、次のシーズンへの延長を白紙にするといったこともできるが、映画は市場に出してみなければわからない。

投資額の大きい超大作が、あらゆる要素を包含する巨大遊園地のようになってしまうのも無理はないところだ。しかし、サブスクリプションならば会費として得られる収益を、純粋に会員のためのバリエーション豊かな作品カタログの構築に使うことができる。

例えばAmazon Prime Videoは近年「Home of Talent」というコンセプトを打ち出している。これは映像作品に携わるさまざまな才能を持つ人たちが集う“ホーム”でありたいという彼らの考え方を示した言葉だ。

もちろん、ビジネスである以上、あらゆる企画を受け入れられるわけではないが、米国のAmazon Prime Videoのラインナップを観ると、実はNetflixよりもオリジナル作品のバリエーションが広く、品質や投資規模も遜色ないことがわかる。昨年行なわれたTIFFCOMでは、日本市場向けに日本でのオリジナル作品への投資を増やしていくことも明言された。

各国市場ごと、つまり毎月会費を収めてくれる会員の満足度を高めるため、あらゆる会員が好むカタログを作ることが、安定した収益をもたらすことにつながるため、映画館に人を呼べる超大作のギャンブルをしなくてもいい。

Netflix、Amazon、Huluなどのオリジナル作品に、作品性、作家性重視の作品が少なくないのも、こうしたビジネスモデルの違いが少なからず影響しているはずだ。

それでもパッケージには残って欲しいと思う理由

さて、このようにして映像作品の流通経路はネット配信が当たり前という時代になってきた。20年前には想像もできなかったが、過去10年という期間でいうならば、“いつかはそうなる”と想定した通りになったとも言える。

しかし、現在の配信サービスの品質はまだ完璧とは言い難い。

画質面ではネット配信でUHD BDほどのビットレートは期待できないし、音声フォーマットもまちまち。さらに音質にこだわる場合に、ディスクの方が良いと感じることも多い。いずれも時間が解決しそうな気もするが、時間が解決しない要素もある。

それは、いつでも観たいと思う作品が、突然、サブスクリプション型配信サービスでは観れなくなってしまう事だ。オリジナル作品以外は、ある程度の期間を区切って配信権を得ているからだ。

これは実は「独占配信」などと表記されている作品でも同じで、永遠に独占配信されるわけではなく、いつか配信がなくなって他サービスでの公開になるかもしれない。

とりわけ音楽系の映像作品などは、ファンが繰り返し観たいというケースも多いし、映画やドラマでも、大好きで繰り返し同じ作品を観るという方もいるはずだ。筆者の場合、家にゲストがやってきた時にはミュージカル映画の定番シーンなどをデモすることが多い。

配信サービスで楽しむコンテンツは“フロー(流れ)”で楽しむものだが、パッケージで楽しむ作品は繰り返し観ることで深く楽しみ、愛でながら楽しむものだろう。

映像コンテンツの流通という視点で観ると、インターネットを通じたストリーミング配信への流れは止まらないが、かといってそれだけでは困る。世の中の流れに逆らうようだが、市場が小さくなる中でも物理メディアで映像を楽しむ手段をどう残していくのかは、再生するプレーヤーの流通も含めて考える必要があると思う。

OPPOのUltra HD Blu-rayプレーヤー「UDP-205」

OPPO Digital新規製品開発終了の衝撃とディスクプレーヤー市場の転換点(2018年4月3日掲載)

期待されていなかった液晶が生き残った理由

コンテンツの話ばかりで、ほとんどの字数を埋め尽くしてしまった。

簡単にディスプレイ方式について振り返りたいと思うが、こちらの話は実にシンプルだ。

時代を遡ると、SED(キヤノンと東芝)、FED(ソニー)と呼ばれたブラウン管を平面に展開した表示方式に期待を寄せる専門家は多かった。とりわけビジュアルデバイスの評価を専門に行なう評論家からの期待は根強かった。

しかし、僕だけではなく多くのテック系ジャーナリストは懐疑的に見ていたと記憶している。FEDは早いタイミングで放棄されたが、SEDは試作パネルまで評価したことがあり、キヤノンと東芝による合弁会社まで設立されていた。

SEDは電子を放出するエミッターを平面に展開し、画素ごとにコントロール。エミッター側と反対に向かい合わせるパネルに蛍光体を載せて狭い隙間を保ちながら張り合わせる。と言葉にすれば簡単だが、歩留まりは極めて悪かった。

2006年10月の「CEATEC JAPAN 2006」で公開された、55型SED

SEDが実現できなかった理由はたくさん聞いているが、歩留まりの悪さだけではなく、将来性の低さも事業化を諦めた理由だと推察している。蛍光体を光らせる方式のため、自発光でブラウン管の特性に近い利点はあったものの、高輝度を出しにくく、寿命や焼き付きの問題もある上、色再現域にも限界があったからだ。

一方、液晶と並んで薄型テレビ方式の主流となりかけたプラズマディスプレイは、改良とともに液晶を超える画質を実現していたものの、普及できなかった根本の理由は小さなサイズのパネルが不得手だったことにあると思う。

生産プロセスを改良してコストを下げても、画素サイズが小さくなると発光量が減少してしまう。問題解決する手段がないわけではないが、消費電力とのバランスも悪くなる。

【特別企画】パナソニック プラズマ事業終息に寄せて(2013年11月1日掲載)

一方で大型パネルの歩留まりが悪かった液晶パネルも、作り続けることでノウハウが蓄積され、得意な領域がプラズマに近づいていった。家庭に置けるテレビサイズには限界があるから、液晶パネルの大型化が成功し始めた段階で生き残るのは難しくなっていたと言えるだろう。

一方、液晶パネルは比較的購入しやすいサイズから徐々に大型化を進め、画質面でも創意工夫を重ねることで現在も主流デバイスであり続けている。確かに画質面では素性は良くない。

しかし、たくさん使われるデバイスは、世界中のエンジニアが競争し、あれこれと新しいアイディアや周辺技術の開発を行なうことで弱点を改善していくものだ。こうなるとデバイス方式の寿命が延び、生産コストはさらに下がって競争力が高まる。

さらに液晶の場合、液晶表示パネルのコアの部分が同じでも、バックライトの構成、制御や前面の光学設計などでの改善幅が大きく、そのことが粘り強く主流であり続けている主な理由なのだと思う。

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ではOLEDはどうか?

画質面では圧倒的だ。階調表現や暗部の発光の不安定さなども改善が進んできた。あとはLGディスプレイ以外の供給ソースがどこまで育つかだが、当面はOLEDが高品位テレビ向けのプレミアムな技術としてしばらくは続いていくだろう。

しかし、テレビ用パネルの主流は今後も液晶であり続けるのではないだろうか。

本田 雅一

テクノロジー、ネットトレンドなどの取材記事・コラムを執筆するほか、AV製品は多くのメーカー、ジャンルを網羅的に評論。経済誌への市場分析、インタビュー記事も寄稿しているほか、YouTubeで寄稿した記事やネットトレンドなどについてわかりやすく解説するチャンネルも開設。 メルマガ「本田雅一の IT・ネット直球リポート」も配信中。