藤本健のDigital Audio Laboratory
第994回

Atmosミュージックをヘッドフォンで制作&配信。最新音楽制作の姿とは?
2023年7月31日 09:05
広く普及したというのにはまだ程遠いように思うが、Appleが空間オーディオを全面に打ち出していることもあり、Dolby Atmos対応の“音楽コンテンツ”も少しずつ登場してきている。
ただそのほとんどは、既存の作品をDolby Atmos用にミックスしなおしたものであり、Dolby Atmos用の作品は少数。さらに国内の作品となると、ごくわずかしかないのが実情だ。そんな中、個人でDolby Atmos作品制作にチャレンジするアーティストも出てきている。今回は作編曲家で音楽プロデューサーのShotaroさんに話を聞いてみた。
ヘッドフォンでAtmos音楽を制作するShotaroさん
Dolby Atmosというと、7.1.4chや7.1.2chなど、かなり大規模なイマーシブ環境のスピーカーを設置して聞く必要があることから、再生するだけでも大がかりになり、個人が聞くとなるとかなりハードルが高くなる。
ましてや、そのDolby Atmos作品を制作するとなると、それに対応したスタジオが必要となるし、そうしたイマーシブ対応のスタジオ自体がまだあまりないのが実情だ。また、Dolby Atmos作品をミックスできるレコーディングエンジニア、ミックスエンジニアも少ないため、作品もなかなか生まれてきていない。
そうした中、個人でDolby Atmos作品を作り、自ら配信を行なうというケースが出てきているのが面白いところ。以前、DIYでDolby Atmosスタジオを作り、自ら楽曲を配信しているというケースを紹介したことがあった。
まあ、自分でスタジオを作ってしまうバイタリティや工作の能力を持っている方は稀有な存在だが、今回、紹介するShotaroさんの場合は、基本的にヘッドフォンだけで制作しているので、Dolby Atmos制作のハードルはグッと低くなっている。
またDAWも手ごろな価格で個人が入手可能な「Studio One 6 Professional」を使って製作している、ということなので、ますます身近に感じられるところではないだろうか。
筆者がShotaroさんに初めて会ったのは、今から6年ほど前。まだ彼が学生時代だったが、その後、プロの作編曲家として活躍するようになり、時々話をしていた。
そんな中、先日Shotaroさんから「Dolby Atmos作品を作りました!」との連絡があり、聴いてみたところ、なかなかクオリティの高いDolby Atmos作品に仕上がっていた。そこで、改めてインタビューという形で、どうしてDolby Atmos作品を作るようになったのか、どのようにして作っているのかなど、話を聞いてみたわけだ。
インタビューの際、作品も聴いて音をチェックしながら詳細を聞きたかったので、Dolby Atmosの再生環境がある東京・渋谷のRock oN Componyのスタジオをお借りしてインタビューを行なっている。
――もともとShotaroさんが音楽を作るようになった経緯などを教えてください。
Shotaro氏(以下敬称略):中学生のときにギターをはじめ、高校生のときはバンド活動をしていました。兄弟の友達が作曲家だったので、その方に相談してみたら「音楽で飯を食うには、歌が上手いか、曲が作れないと生き残れない」と言われたため、自分でも曲を作らなくてはと思い、DTMをスタートしました。
その後専門学校に入り、某プロデューサーの弟子として下働きをするようになり、そのまま作家事務所に所属するようになりました。事務所ではコンペで作品を出すなど、作家としての活動と経験を積んだ後に独立して、現在はフリーで仕事をしています。“日本人が作る音楽のカッコよさを海外へ広める”というコンセプトの下で活動しています。
――確かに、K-POPはアメリカやヨーロッパなどのランキングチャートに入るけれど、日本の楽曲が入ることは稀ですよね。
Shotaro:ヤマハやローランド、コルグなど、日本の楽器は世界中で使われているのに、日本の曲が出ていかない。是非この状況を変えていきたい、というのが私の目標です。だから、そうなった時のために、名前も本名を少しいじって「Shotaro」って、日本の代表的な名前である「太郎」を入れています。この名前をぜひ海外チャートに入れたい。そして歌詞もあえて日本語を使っていきたいと思っています。
とはいえ、海外チャート入りなんて簡単にできることではないのも重々承知しています。そこで目を付けたのが“Dolby Atmos”なんです。
日本の楽曲を世界へ。そのカギが、Dolby Atmos!?
――Dolby Atmosに取り組めば、海外進出できるということですか?
Shotaro:しばらく前からApple Musicでは、メニューの一番上に“空間オーディオ”が来ていて、空間オーディオがイチオシになっているのです。
Shotaro:正確な情報ではないかもしれませんが、空間オーディオに対応している曲だとオススメに乗りやすい、といった話もあり、気になっていました。
音楽の仕事をしていると、やはり「Appleがこうだ」と言ったことに従わざるを得ないのが実情です。コネクタだって、Lightningを使わざるを得ないですし、世の中いろんなイヤフォンがありますが数としてはAirPodsが圧倒的です。昔からサラウンドのようなものはありましたが、これまでまったく普及してきませんでしたよね。
でも、AirPodsを使ってイマーシブをイヤフォンで実現できるようにするとともに、空間オーディオを全面的に推しているのを見て、この空間オーディオが主流になっていくのは必然だろう、と思うのです。空間オーディオを当たり前のものにしようと考えているだな、と。それなら、ここに早めに乗っかるのが勝てる近道ではないのか、と考えたのです。
――Appleにそんなに従順になっていいのかは、ちょっと疑問にも思うところですが……(苦笑)。
Shotaro:ただ、現時点において日本で制作する作品に、まだ空間オーディオがほとんど広まっていないのは事実です。海外作品を見ても、いいモノ、悪いモノのバラツキがあって、まだ確立していない感じです。
このような状況であれば、可能性は大きいのではないか。その中で、トンでもないものを作って評価されたい。すごいアーティストが東洋にいるぞ、って思われたいな、と。そんな風に思い描いたのが2022年3月頃でした。
――確かに目の付け所としてはよさそうです。とはいえDolby Atmosでの制作をするとなると、そのスタジオをどうするか、DAWなどの制作環境をどう整えるかなど、簡単ではなさそうにも思います。
Shotaro:自分でもいろいろ調べつつ、知人にも話を聞いてみたところ、ヘッドフォンでもそこそこ制作ができるということが分かりました。また、僕は以前からDAWはStudio Oneを使っているため、これは変えたくない、という思いもありました。
Shotaro:そうした中、「Dolby Atmos Renderer」を使えば、Studio OneでもDolby Atmosの制作が可能であること、そして90日間は無料で試せることが分かったため、これをダウロードして試用してみたのです。Dolby Atmos Binaural Settingsをトラックにインサートすることで、ヘッドフォンでバイノーラルモニタリングできることもわかりました。
Shotaro:ただ、Studio Oneでの制作に関する情報も少なく、また一発でうまくいくはずもなく、かなりのトライ&エラーを繰り返しつつ、なんとか方法が見えてきました。
ただヘッドフォンで制作できるとはいえ、どうも聴こえ方がイマイチでした。それまではヤマハの「HPH-MT5」というモニターヘッドフォンを使っていたのですがしっくりこない。その後、いろいろ試しながらヘッドフォンを探すことに。
7.1.4chのサブウーファーがしっかり聴きとれるものはないか、と探していた中、TAGO STUDIOの「T301」が密閉型なのに音像が広く、低音もしっかり出て、これがすごくよかったので、購入しました。
――オーディオインターフェイスはどうしているのですか?
Shotaro:もともとRMEの「Fireface UFXII」を使っていましたが、現在はヘッドフォン用にPrism Soundの「Titan」を使っています。UFXIIのほうは、スピーカー用として使っています
Avid Playを使うことで、個人でも簡単に配信可能
――ヘッドフォンで作ったとのことですが、最初のDolby Atmos作品はいつリリースしたのでしょう。
Shotaro:最初の作品は、TitanとT301の環境で作りました。もっとも最終チェックでは、Dolby Atmos環境のスタジオを借りて調整しています。立体感を出すためにディレイとリバーブを使っているのですが、そのエフェクト効果がヘッドフォンだけだと詳細に分からず、主にこのエフェクト調整をスタジオで行なっています。
最初は、2022年8月にリリースした「Dream(feat.Mimi)」という曲です。これは、まず最初にDolby Atmosでの制作に慣れるために作った曲なので、昔に作成した曲をDolby Atmosミックスにしました。ボーカルはMiMiさんで、この一連のシリーズは、ほとんど僕とMiMiさんとのユニットで作っています。
――「Dream」は、どこかの事務所を通じてというわけではなく、Shotaroさん自身で行なったわけですか?
Shotaro:はい。Avid Playを使うことで、個人でも簡単に配信することができました。おそらく日本で利用できるサービスで個人でもリリースできるのは、このAvid Playだけだと思います。
Shotaro:このAvid Playで配信するには、あらかじめ48kHz/24bitのフォーマットで制作し、24fpsというフレームレートにしておく必要があります。
Shotaro:最終的には、ADMファイルで書き出してアップロードする必要があります。また、その際のラウドネス値は-18LKFSでないといけないなどの細かなルールがあり、1つ1つクリアしなければなりませんが、それさえ行なえばOK。アップロードした1週間後には世界中で配信することができました。
Shotaro:ただ最初、“Shotaro”がほかの方に紐づいてしまい、それを修正するのにサポートポータルに行って交渉するなど、手間がかかりましたが……。
――Apple MusicやAmazon MusicではDolby Atmosでの再生も可能で、Spotifyなど、それ以外ではステレオでの配信なのですね。
Shotaro:日本の場合はそうです。Avid Playの場合、海外も含め数多くの配信サイトに出すことが可能です。国内でDolby Atomos配信をしているところとしては、現在のところ、Apple MusicとAmazon Musicの2つですが、海外だと「Tidal」などがあり、それぞれどこに配信するかなども、細かく設定できます。
既存の作り方とは異なるAtmos。インドネシアでよく聞かれる!?
――Dolby Atmos作品を作ってみての反響はいかがでしたか?
Shotaro:1回目は、ドカンとはいきませんでした。まあ、既存曲のAtmosバージョンという位置付けでもあるので……。SNSでは「これを聴いて勉強します」といったコメントなどはいくつかありましたが、ここは想定内。そこからAtmos用に曲を作っていく形にしました。
Shotaro:第2弾が「Leave Me Alone」という曲で、こちらは以前に軽くデモを作った曲で、アレンジの段階からAtmosでどう聴こえるかを考えながら制作しました。キックとベースをどう重ねるか、それぞれどこから出すのかなど、考えながら作っています。やはり既存のステレオの楽曲を広げていくのとはまったく違いますね。
Shotaro:またボーカル処理において、歌を重ねる「ダブリング」というのがありますが、これをトリプルにして、それぞれ違うチャンネルから出す、といったこともやってみました。こうした処理をしていくと、既存の楽曲での作り方とは大きく変わるし、Atmosでやるから意味が出てくるのです。
――試行錯誤から、Dolby Atmosの作り方は見えてきた感じですか?
Shotaro:そうですね。この2曲目で作り方はほぼ確立できました。あくまでも主観ですが、やはり2曲だとまだ足りないので、スピード感を上げてどんどん出していかなくてはと、その2カ月後の今年3月に「Storm」、さらについ最近「Without You」という楽曲をリリースしました。
Shotaro:こうすることによって、着実に再生数なども増えてきました。また、海外での再生が増えてきているのも面白いところです。ただ、実はせっかく作ったAtmos版は、まだあまり聞かれていないというのが実情で、Spotifyなどを通じてステレオ版が聞かれているんです。
Spotifyの場合、聞かれた都市のランキングが出るのです。これを見ると1位は東京だったのですが、2位がバンドン、3位スラバヤ、4位マカッサル、5位ジャカルタ、6位スマラン、7位ブカシ、8位大阪……と、インドネシアで多く聞かれているようでした。
なぜ、インドネシアで聞かれているのか、よく分からないのですが、体感的にインドネシアに合いそうなメロディだったのかな、と(笑)。ちょっと予想外な展開ではありましたが、こうして海外で聞かれるようになっているのは嬉しいですね。
――実際、Atmosの楽曲を制作してゆく中で、コツなども見えてきたのでしょうか?
Shotaro:海外の作品、日本の作品、そして自身の作品と、いろいろと比較しているのですが、やはり海外の作品って、ハリウッドのものを中心に“イマーシブ表現の強さ”を感じます。なぜそうなのだろう……と分析していくと、いろんな音が動いているんですよね。
例えばハイハットひとつをとっても、ある場所でずっと一定で鳴っているのではなくて、動いているんです。じっとして動かない音って、逆に不自然に聞こえてしまい、立体的に感じないのです。いろいろ動いているほうが天井が高く聴こえるな、とも。
そこで自分でも試してみたところ、確かに動かすことで馴染んでくるんですよ。そんなことを実践しながら3曲目、4曲目と作っていきました。
――今後はどのように活動していくのですか?
Shotaro:いまリスナー、フォロワーが日々着実に増えてきているので、まずはリスナー10,000人というところまで持っていき、そこからさらに増やしていきたいですね。そのためには、とにかく多くの方に見つけてもらいたい。そのために、いろんなプレリストに入っていきたいですね。
それと並行して、現在Dolby Atmosのアルバム制作をしているところです。Atmosのフルアルバムを個人で作っている人間は世界的に見ても少ないと思うので、そうした作品を早く発表できればと準備を進めています。
その上で是非、海外のアーティストとコラボしたい。私のAtmos作品を聞いてもらって、それをキッカケに声をかけてもらえるようになりたいです。そのためにSNSも活用しなくてはと、そこにおいては試行錯誤中です。
――本当にDolby Atmosが世界的に広がるのか、まだ何とも言えない感じですが、その辺はどのように考えてらっしゃいますか。
Shotaro:Appleもまだ試行錯誤状態なのではないかな、と思ってます。それにAirPodsの進化にも期待しているところで、それによって、きっと大きく世の中が変わっていくだろう、と前向きに捉えています。AirPodsの進化によって奥行き感、空間のある音になっていくだろうと。
もちろん、Apple Musicだけでなく、Spotifyなどもモード選択でDolby Atmos対応を実現してくれる日が来るのでは? とも思っています。そうした条件がそろってくれば、きっと近いうちにDolby Atmosが爆発的に普及するはずです。それによって新しい文化が生まれてくるのであれば、ぜひ関わっていきたい。それを盛り上げていきたいですね。
作編曲家/ギタリスト/音楽プロデューサー
学生時代に音楽プロデューサーに師事し作家事務所で数々のアーティストに楽曲提供を行い実績を積み上げる。その後、日本人が作る音楽のかっこよさを世界に発信したいというコンセプトのもと作編曲、ミックス、イマーシブミックスを自身で行なって表現するアーティストとして活動中。
Works
・伶(鷲尾伶奈):「Call Me Sick 」作曲(共) 編曲 ギター(映画「小説の神様」主題歌 )・中西圭三:「BABY」編曲 ミックス
・舞鶴よかと:「ばってん!福岡!よかろうもん!?」作曲(共) 編曲 ギター ベース ミックス
10代の頃からSNSを中心に音楽活動を始める。
バンド活動を経て現在は現代社会に悩んでいる人達に寄り添う音楽をテーマにボーカリストとして活動中。