藤本健のDigital Audio Laboratory

第630回:iPad/iPhone用の本格VOCALOID登場。PC版と音質は違う?

第630回:iPad/iPhone用の本格VOCALOID登場。PC版と音質は違う?

 既報の通り、4月3日、ヤマハからiOSデバイス向けのVOCALOIDである「Mobile VOCALOID Editor」が発表され、App Storeからのダウンロード販売が始まった。ヤマハの発表によると、最大小節数やトラック数、歌声調整パラメータの種類、使用可能な音域などは、PC版の「VOCALOID Editor」とほぼ同等とのこと。実際に使ってみると、確かに同等というよりも機能面では、PC版以上のものを持っているのだが、音質的な違いはどの程度のものなのだろうか?

Mobile VOCALOID Editor

 Mobile VOCALOID Editorの価格は4,800円(税込)で、4月13日までは期間限定セールで税込3,600円となっており、PC版(ダウンロード版10,800円/税込)よりも圧倒的に安いので、音質差がどうなのか非常に気になるところ。そこで、それぞれに同じ歌を歌わせて、どう違うのかを検証してみる。

PCを上回る機能も持つiOS版ボカロエディタがついに登場

 Mobile VOCALOID Editorは第4世代iPadやiPad Air/Air 2、iPad mini 2/mini 3、iPhone 5s/5c/6/6 Plusで利用でき、対応OSはiOS 7.1.2以降で動作するVOCALOID Editorだ。これまでもiVOCALOIDシリーズとしてiVOCALOID VY1、iVOCALOID VY2、iVOCALOID 蒼姫ラピス、iVOCALOIDメルリの4製品が出ていたが、これらは簡易版VOCALOID Editorという位置づけであった。というのもiVOCALOIDシリーズで入力できるのは17小節までで、ごく短いフレーズを歌わせるのであればとにかく、しっかりした曲を作り上げるのには無理があったからだ。

 また、歌声ごとに別々のアプリであったことからも分かるとおり、1つのアプリで扱えるのはあらかじめ用意されている歌声のみ。PC版のように歌声ライブラリを切り替えて歌わせることはできなかったし、そもそも1トラック=1声しか歌うことができないという制約があったのだ。

 それに対し、今回登場したMobile VOCALOID EditorはPC版のVOCALOID Editorと同じように複数の歌声ライブラリを切り替えながら、16トラックまで同時に鳴らすことができるし、制作できる小節数にも実質的な上限はない(4月3日にリリースされたバージョンでは最大511トラックとなっているが、間もなく登場する最初のアップデータによりPCと同じ999小節になる)。また、PC版のVOCALOID EditorにはないMIDIのステップ入力やリアルタイム入力機能も備えるなど、PC版を上回る機能までも装備している。PC版とiOS版の詳細な違いについては後述する。

アプリ内で歌声ライブラリを購入できる

 では、このMobile VOCALOID Editorで扱える歌声ライブラリはどうなっているのだろうか? PC版の場合は、従来のVOCALOID3と昨年末に発売されたVOCALOID4で扱いが若干違うが、基本的にVOCALOID Editorと歌声ライブラリは別売。VOCALOID3のときにはTiny VOCALOID Editorというものが歌声ライブラリに付属していたが、VOCALOID4ではそれもなくなり、完全な別売となった。

 一方、今回のMobile VOCALOID EditorにはあらかじめVY1 Liteという歌声ライブラリが付属しているが、それ以外はアプリ内課金という形で別売。そのオプションとなっている歌声ライブラリは以下の計9種類で、すべてヤマハ製のものだ。


    歌声ライブラリの価格(税込)
  • VY1 (1,200円)
  • VY2 (2,400円)
  • KYO(ZOLA PROJECT)(2,400円)
  • YUU(ZOLA PROJECT)(2,400円)
  • WIL(ZOLA PROJECT)(2,400円)
  • 蒼姫ラピス(2,400円)
  • メルリ(2,400円)
  • Mew(2,400円)
  • ギャラ子RED(2,400円)
  • ギャラ子BLUE(2,400円)

 よく見てみると、VY1のみ1,200円と安いのが気になるところだが、それ以外はすべて2,400円。これらのPC版の歌声ライブラリはVOCALOID STOREの直販価格で税込み10,800円となっていることを考えると、約1/4で購入できてしまうというのは、かなり嬉しいところだが、果たしてこれは同じものなのだろうか?

PC版「VOCALOID4 Editor」と、既存のiOS版「iVOCALOID」、新アプリ「Mobile VOCALOID Editor」の機能の違い

PC版とiOS版で、音質に関わる違いとは?

 先日ヤマハの担当者に話を聞いたところ、「Mobile VOCALOID EditorはiOS向けに最適化しているので、音質的にPC版とまったく同じというわけではありません。また歌声ライブラリのほうも、ある程度の容量圧縮を図っています」と言っていたので、同じものではないようだ。またその担当者によれば、歌声のエンジン部分に関しては、基本的にiVOCALOIDで使われたものを利用しており、今回、大きく変わったわけではないようなのだ。

 となると、ますます音質の違いがどのくらいのものなのか気になってくる。そこで、さっそく実験を行なってみたのだが、この実験において、非常に便利だったのが、PC版のVOCALOID EditorでもiOS版のMobile VOCALOID Editorでも共通で使えるクラウドシステムである、ボカロネットの存在だ。ボカロネットは歌詞を入力すると自動で作曲して、歌ってくれる「ボカロデューサー」機能に目が奪われがちだが、ボカロネットを介することで、同じデータをPC版とiOS版でやりとりできるのも大きなポイント。

クラウド連携サービスの「ボカロネット」

 そこで、まずボカロデューサー機能を使って短い曲を一曲作成し、これをPC版のVOCALOID4 Editorを使ってVY1V4のNormal音色で歌わせたものと、Mobile VOCALOID Editorに標準で用意されているVY1 Liteで歌わせてみたものをWAVで用意したので聴き比べてみていただきたい。

ボカロデューサー機能を使って短い曲を作成
PC版のVOCALOID4 Editorを使ってVY1V4のNormalで歌わせた場合の波形
Mobile VOCALOID Editorに同梱されているVY1 Liteで歌わせた場合

 どうだろうか? 聴いてみると確かに同じ歌声ではあるけれど、そのニュアンスは明らかに違う。どちらがいいかは好みの問題でもあるが、やはりPC版のほうが滑らかなことは確かだ。また同じミックスをしているが、PC版のほうがボーカルの音量が大きいような気もする。そこで、それぞれを波形編集ソフトであるSound Forgeに読み込ませて波形で比較してみると、やはり波形の雰囲気が少し異なるのは見て取れる。とはいえ最大音量はいずれも-10dBであり、単に音量が違うというわけではなさそうなのだ。

PC版(VY1V4のNormal)
iOS版(VY1 Lite)
VY1を購入してVY1 Liteと比較してみる

 では、これをVY1 Liteという標準のものではなく、1,200円のオプションであるVY1にしたらどうだろうか? これを購入して試してみることにした。その結果が以下のものだ。

 正直なところ、これを聴いただけでは、VY1 LiteとVY1の違いは感じられないレベルだし、波形のほうの違いも分からない。先ほどの担当者が言っていたのは、「高い声や低い声を歌わせると、VY1との音質差が目立ってくる」ということ。ここから類推すれば、VY1 LiteはVY1と比較してサンプリングポイントが少ないのだろう。推測ではあるが、VY1が3ポイントでサンプリングしているのに対し、VY1 Liteが1ポイントだとすれば、非常に高い音や低い音だと、VY1 Liteは破たんしやすい、ということになる。別の言い方をすると、その差分を埋める価格として1,200円という半額が設定されているということなのだろう。

有料版のVY1で歌わせた時の波形

 そこで試してみたのが、低い音から高い音まで歌わせるとどんな風に聴こえるのか、という実験。やはりボカロネットをクラウドのストレージとして利用しながら、Mobile VOCALOID EditorでのVY1 LiteとVY1、それにPC版のVOCALOID4 Editorを使ってVY1V4のNomarlを歌わせてみたので、比較してみて欲しい。

 言われてみると確かにVY1 LiteとVY1の低い音、高い音での声質に違いがある気はするけれど、VY1V4の落ち着いた声と比較すると、そことの差のほうが大きいように感じられる。ここでふと思ったのは、VOCALOID3版のVY1と比較したら、どうなのだろうか? ということ。というのも今回のMobile VOCALOID EditorはVOCALOID4というよりもVOCALOID3をベースにしたものとなっているからだ。VOCALOID4には、がなり声を歌うためのGrowl、違う声質の歌声へと滑らかに変化させられるCross-Synthesisという2つのパラメータが追加されたが、Mobile VOCALOID Editorにはそれがない。またVOCALOID4版のVY1V4にはNormarl、Natural、Power、Softという4つの歌声が入っていて、VY1V3を踏襲しているのがNormalであるとのことだったが、NormalとVY1V3がまったく同じである保証はないので、試しにVY1V3もインストールして、これで今のドレミファソを歌わせてみたのだ。

 これを聴くと、どうもVY1V4 Normalとは違うものであり、Mobile VOCALOID Editorで歌わせたものに少しニュアンスが近いような気もするのだが、どうだろう? ついでに、最初のサンプル楽曲も歌わせてみた。

最初のサンプル楽曲を、VY1V3で歌わせた結果

周波数にも違いが出るかチェック

 さて、もう一歩突っ込んだ実験も行なってみよう。C3=中央ドで「ラー」と歌った声を波形で見たり、周波数分析するとどうなるのか? という点についてだ。PC版とiOS版それぞれで歌わせてみたものを掲載する。

VY1(iOS版)
VY1 Lite(iOS版)
VY1V4 Normal(PC版)
VY1V3(PC版)

 iOS版のVY1とVY1 Liteは限りなく近いもののように感じるが、それ以外はそれぞれちょっとずつニュアンスが異なる。これをそのまま波形で表示させたものを見ながらチェックしてみるといいかもしれない。こう見ると分かる通り、VOCALOIDのエンジンでは、かなり控えめな音量で発音するため、波形的にも小さい。またデフォルトプリメジャーの関係か、曲の頭の空白の時間も少し違っている。そこで、見やすくするためにも4つそれぞれの最大音量が0dBになるようにノーマライズを掛けるとともに、トリミングして大きく表示させてみた。

【ノーマライズ、トリミング後の結果】

VY1
VY1 Lite
VY1V4 Normal
VY1V3

 すると、やはり聴いた印象と近い波形が見えてくる。iOS版の2つはソックリだし、VY1V4 Normalだけはちょっと違っていて、VY1V3がその中間といった感じなのだ。

 さらに、これらをいつも使っているefu氏のフリーソフト、WaveSpectraを使ってFFT分析してみた結果を掲載する。横軸をLogで見ているが、iOS版のほうは高域が欠けていることが見てとれる。

WaveSpectraでの周波数分析結果(横軸:Log)

VY1
VY1 Lite
VY1V4 Normal
VY1V3

 そこで、今度は横軸をリニアにして見たのが、下の画像だ。PC版はVY1V3もVY1V4もしっかり高域まで音が出ているのに対し、iOS版では12kHzを境に高域がバッサリと切り落とされているのだ。まあ、切り落とされているというよりも、処理していないというのが、より現実的な表現なのかもしれないが、WAVとMP3-96kbpsの違いといった感じだろうか……。この辺が音質の差として表れているのだろう。

WaveSpectraでの周波数分析結果(横軸:リニア)

VY1
VY1 Lite
VY1V4 Normal
VY1V3

 もちろん、違う音程、違う文字で実験すると、多少違いも出てくる可能性はあるが、これらの実験結果から、それぞれの違いの概略は見えてきそうだ。とはいえ、いま見てきたとおり、ボカロネットを使うことによって、お互いのデータは完全にシームレスにやり取りすることは可能だし、VOCALOIDはあくまでも楽器であると捉えれば、音質の違いは「いい」「悪い」ではなく、特性の違い。必ずしも全員がPC版の音を必要とするのではなく、iOS版のほうが作っている曲に合うというケースもあるはずだ。この辺を使い分けることができるというのもVOCALOIDのプラットフォームが広がった楽しさの一つといえそうだ。

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藤本健

 リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。  著書に「コンプリートDTMガイドブック」(リットーミュージック)、「できる初音ミク&鏡音リン・レン 」(インプレスジャパン)、「MASTER OF SONAR」(BNN新社)などがある。またブログ型ニュースサイトDTMステーションを運営するほか、All AboutではDTM・デジタルレコーディング担当ガイドも務めている。Twitterは@kenfujimoto