西田宗千佳のRandomTracking
第471回
アップル・WWDC基調講演を「5つのキーワード」で解説する
2020年6月24日 08:30
その1:「ネットイベント」化したWWDC
WWDCは例年なら、米カリフォルニア州サンノゼに開発者やプレス関係者を集めて開催されるところだが、ご存知の通り、今年は新型コロナウィルス感染症の影響で、完全オンラインでのイベントとなった。毎年デベロッパーの間では、WWDCのチケット争奪戦が大変なことになっていたのだが、オンラインイベントとなったので、今年は参加者に制限はなく、誰もが無料で参加できる。「関係者が一堂に会するライブ感」は失われたものの、最新の開発情報に誰でもアクセスできるという意味では、むしろプラスだったかもしれない。
また、基調講演の動画が非常に作り込まれたものになり、見易かったのもポイントだ。「ステージイベントを生中継しない」ことの意味が、アップルの基調講演のビデオを見れば解るはずだ。日本企業も、オンラインイベント=生配信からは離れ、工夫を凝らしてもらいたい。また、最初から日本語字幕がついていたのも、多くの日本人には朗報だったはずだ。
数年前まで、WWDCで公開される開発情報は、デベロッパー契約をした人以外には公開されなかった。しかし、数年前からは事情が変わり、オンラインで誰もが見れるものになった(開発者向けベータ版ソフトウエアの利用や、AppStoreへの登録には有料のデベロッパー登録が必要)。
そうした変化の流れがあることを考えると、「無料で誰でも参加できる、オンラインでの開発者イベントになる」のは必然だったのだろう。来年以降がどうなるかはわからないが、こうしたオンラインでのコミュニケーションが中心になっても不思議はない、と筆者は考えている。
その2:AirPods Proで「空間オーディオ」対応
「それが実質トップなの?」と思う人もいるだろう。まあ、本命はあとから解説するので落ち着いて。やっぱりここは「オーディオビジュアル関連媒体」なので、このネタを先に持ってくるべきだと思うのだ。
MacのCPUアーキテクチャ変更をはじめとして、多くの話題は事前の予想にも出ていたと思うが、これを予想していた人はいないのではないだろうか。冷静に考えると「確かにできる」、非常に面白い技術だ。
AirPods Proには耳に入れたことを検知するためのセンサーがはいっており、これをうまく使えば「頭の移動」を検知できる。その上で、機器側でのセンサーによる傾き移動検知、5.1ch・7.1ch・Dolby Atmosデコード機能と組み合わせたソリューションだと予想できる。
この辺、詳しくはもう少し取材を進める予定なので、情報が得られ次第、別途解説記事を掲載したいと考えている。
どちらにしろ、こういうことができるのは「ソフト開発力」「プラットフォーム連携」ができる企業だからだ。単独のオーディオメーカーにとっては厳しい時代になったことを改めて感じる。
その3:MacのCPUアーキテクチャがARM系の「Apple Silicon」に変更
やはり最大の話題はこれだろう。ティム・クックCEOが「Macにとって歴史的な日」というのも、まったく大袈裟ではない。
Macは1984年の初代機登場以降、3度にわたってCPUアーキテクチャを変更してきた。最後に変えたのはもう2006年のこと。14年も前だから、すっかり古いMacユーザーでないと体験していない変化になってしまった。
CPUアーキテクチャの変更は互換性への影響を引き起こす。過去の「痛み」を思い出すのはそのためだ。
だが今回については、「多くのユーザーにとっては」そこまで大きな問題にはならないだろう。
第一に、エミュレーション技術が進化したことだ。ARM系アーキテクチャのCPUでx86系アプリケーションを動かすのは別にアップルが最初ではない。Windows 10にはx86系と互換性を持つ「ARM版」があり、マイクロソフト自身も「Surface Pro X」を販売している。
筆者もImpress Watchにレビューを掲載しているので、詳しいことはそちらをお読みいただければと思う。ARM版Windows 10でのx86系アプリ動作は、「32bit版アプリにしか対応しない」という制限こそあるものの、動作速度に不満はほぼなかった。制限の範囲では動作に問題もなかった。
現在の技術では、ARMとx86での「翻訳」は、過去のPowerPCからインテルへの移行時よりずっと進化している。CPU自体の処理速度が上がったことも大きい。アップルが「翻訳」に使う「Rosetta 2」という技術は64bit版のアプリにも対応しており、ARM版Windows 10に比べると制限も小さいと推測できる。
第二に、今のアプリの開発手法は「CPU命令に特化した形」からは離れてきている、という点だ。
大型アプリケーションにしろゲームにしろ、開発環境上で作り上げたものを「ターゲット機種向けに書き出す」ようなイメージになっている。まったくCPU命令に依存がないわけではないし、最適化も必要なので「メニュー選択だけでOK」という簡単な話ではないが、大幅に書き直すわけでもない。
今回、マイクロソフトやアドビが「Apple Siliconへの最適化を進める企業」として公表されていたが、彼らはアプリ開発の「非CPU命令依存」を進めてきた立場であり、最適化にも比較的与しやすかったのだろう。
なぜCPUアーキテクチャの変更に踏み切ったのか? 基本的な理由は2つ。「自社開発で“消費電力を抑えつつ性能を上げること”」と、「ハードウエアからソフトまで、一気通貫に開発できる環境を整える」ことだ。
現在のインテル製CPUは決して遅くない。モバイル系プロセッサーに比べれば速いシーンが多いし、デスクトップ向けに十分な電力が使えて熱設計に余裕があるものなら、さらに有利だ。
しかし、ノートPCやタブレットのように、消費電力と発熱の低減が必須な環境では、処理性能はすでにARM系プロセッサーであるアップル開発の「Apple Aシリーズ」の方が速い。また、比較的規模の小さなCPUコアを増やしていくことで、処理能力のスケーラビリティを実現しやすい、ということもある。
「Apple Silicon」は正式名称というより、アップル自社開発半導体の愛称のようなものだ。2020年末に登場する「Apple Silicon版Mac」で使われるのがどのようなものかはまだわからないが、「消費電力の低さと性能の高さを両立する」ことは宣言されている。
これがどこまで実現するのかは未知数だ。
モバイルに近い領域、具体的に言えば「13インチ版MacBook Pro」までの価格帯の製品や、iMacの中でもベーシックなモデルでは、「インテル製CPUよりも快適な製品」になる可能性は十分にある。
だが、ディスクリートGPUを搭載するような「プロ向け製品」でのパフォーマンスについては、まだなんとも言えない。こちらはすぐに出るのではなく、プロ向けソリューションや彼らのニーズを見ながら移行を進めていくのではないか、と思っている。
そして、アップルが自分で半導体を設計して発注し、さらにはOSを中心としたソフトを作っているということは、「製品計画のほとんどの部分を自社が握ってコントロールする」ということでもある。他社が開発・製造するプロセッサーのロードマップや生産量に引きずられる必要はなくなる。
それを全部やるのは費用的にも人材的も大変なことだが、アップルは「iPhoneで巨大な成功」があり、資金も人材もノウハウも揃った。
だからある意味、こんなに大胆かつ強引なことができるのである。
その4:macOSが「11」に、デザインも大幅変更
次のmacOSの名前は「Big Sur」になった。カリフォルニア州沿岸部の地名で、サンフランシスコとロサンゼルスの中間くらいの位置にある。
2000年のパブリック・ベータ登場以来、MacのOSのバージョンは「X=テン」だったのだが、ついにここにきて「11」になった。Apple Siliconへの移行に加え、デザイン面で大幅な変更も行なわれている。
見たところ、UIのボタンや設定などはiOS・iPadOSに近い部分があり、それらのOSが刷新されたこともあって「両者を寄せてきた」印象もある。透明なウインドウ枠などは過去にWindows Vistaなどで試みられた方向性も思い出す。しかし今は、あの当時とは比べものにならないほどのGPUパワーと、解像度の高いディスプレイが使われているから、実際に画面からうける印象はずいぶん異なったものになるだろう。
UIを変更したのは、今の環境にあったものにリフレッシュする、という目的に加え、「iOS・iPadOS用アプリが動作する」という機能が追加されたためだろう。
これはMacにとっては非常に大きいことだ。現在のアプリ市場はモバイルが中心であり、Macでもその恩恵に与れる方がいい。iPhoneやiPadの利用者にとっては、日常使っているアプリが使えることがプラスになる。
アップルはどうやら、短期的に「3つのデバイスのOSを完全に1つにしよう」とは思っていないのではないか、と感じている。それぞれユーザー体験が異なるためだ。だが、データ利用やアプリの種類でそれぞれが分断されているのも不便。
だからこそ、CPUアーキテクチャの統一に合わせて、「アプリは動くようにする」形を整えたのではないだろうか。
このことは、モバイルゲームを楽しんでいる人にはプラスかもしれない。より性能が高く、画面が大きなMacで、しかも「他の作業をしつつ」楽しめるようになるからだ。この点がどう評価されるかは、ちょっと注視しておきたいと思っている。
その5:今年は「iOS」が大幅進化する年だった
昨年は、iOSよりもiPadOSの進化が目立った年だった。今年もiPadOSはもちろん進化している。だが、今年の進化をリードしているのは「iOS 14」だ。ユーザーに向けた機能追加の数だけで言えば、20年ぶりにバージョン番号を上げたmacOSよりも上だ。
もっとも大きな変化は「ウィジェット」の強化だ。アプリの一部機能・情報表示部を切り出して使うのがウィジェットであり、iOS・iPadOSには以前から備わっていた。しかし「13」世代までは、単に並べていくしかなく、自由度が低かった。アプリが並ぶ「ホーム画面」は、あくまでアプリのアイコンが並ぶ場所と限定されていたからだ。これは、ウィジェットを活用してきたAndroidとの非常に大きな違いと言える。
だがiOS 14では、ウィジェットのサイズや配置の自由度が劇的に上がった。Android的なアプローチをアップルが採用した、と言ってもいい。もちろん、並べ方や表情はAndroidとは違う個性がある。とは言え、「ホーム画面の一枚目はアプリを並べておく場所」という常識が変わるわけで、これはiOSはじまって以来の大改革と言える。iPadOSやmacOS Big Surにも、iOS 14の変更を承ける形でウィジェットの強化が行なわれており、当面は「アプリがどうウィジェットを活かすのか」、「どうウィジェットを並べると効率的で美しいのか」といった議論と試行錯誤が続きそうである。
また、iOS 14の機能として、ウィジェット同様に大きく惹かれたのが「App Clips」である。
これは要は「インストール不要なちっちゃいアプリ」のこと。サイズが10MBまでと小さく機能の一部だけを持つアプリを使うときだけ呼び出し、短時間でロードして使う。主に使うのは「決済」や「会員登録管理」などだ。店舗でNFCやQRコードを使って呼び出すことを想定している。
アプリのダウンロード率はどんどん落ちている。よほど毎日使うのでなければ、いちいち決済用アプリをダウンロードして使う……という人は減っている。定番化が進んで新興サービスが割り込み辛くなっている。
だがApp Clipsを使えば、アプリストアまで行く手間を省き、アプリ利用とサービス利用の拡大を促進できる。この考え方は新しいものではなく、中国などでも「ミニアプリ」として広がっている。それをアップル流のUIで「OSの標準機能」とし、アプリ経済圏拡大に使おうとしているわけだ。
特に日本では、アプリを使った「リアル店舗連携」が弱い。クーポンなどに片寄りすぎており、「ちょっとスポット的に使いたい人」への利便性、例えば旅行者がすぐに使いたい、といったニーズに応えられていない。そこを発掘できれば面白いと感じる。
ただ課題は、「今のところiPhoneのみのもの」であり、Androidユーザー向けの施策を別途用意しないといけない、ということなのだけが。店舗側・サービス側でどう導入モチベーションを作るのか、企画者・開発者は頭を悩ませることだろう。