西田宗千佳のRandomTracking
第410回
iPhone XS/XRの進化の要はカメラとマシンラーニング。健康のためのApple Watch
2018年9月14日 08:53
2018年・秋のアップル新製品発表会の詳報をお届けする。すでに製品のハンズオン記事は掲載しているので、機器の外観などが気になる方はそちらを併読していただきたい。ここでは、発表された内容や現地での取材結果から、アップルの戦略をひもといていく。
Apple Watchは「まさか」に備えるデバイスになっていく
さて、今回の発表会といえばiPhoneでしょ……といいたくなるところだが、ここはあえて発表会の順番通り、Apple Watchの話から始めたい。実のところ、今回の発表の中でも筆者にとって一番大きなインパクトがあったのは、Apple Watchの「あり方」について、アップルがひとつの答えを示したように感じたことだった。
新製品である「Apple Watch Series 4」は、昨年のセルラーモデル導入に続き、Apple Watchとしては2年連続のフルモデルチェンジ、といえる大きなものだった。ディスプレイが30%以上大きくなり、「38mm」「42mm」から「40mm」「44mm」になり、薄くなって外観の印象も変わったのだが、そうした部分よりも、やはり中身の変化の方が大きな意味を持つ。
例えば、加速度センサーの精度向上は、急な手の動きが「スリップによる転倒」か「つんのめっての転倒」かそれとも単に手が動いただけなのかを判断できるようになった。これは、不意の事故を検出し、大きな怪我だった場合、「できる限り早く」緊急通報を行なうための仕組みである。
心拍センサーの機能が強化され、異常な低心拍の検出が可能になっている。これは、心房細動のような異常を検知し、やはり、「できる限り早く」必要な対処をとれるようにするためのものである。
Digital Crownを30秒間触ることで心電図を計るという能力が搭載されたのも、考え方は同じである。問題が起きた時、医師が対処するための情報を、特別な機器がない場所でも取得する方法を用意することで、「できる限り早く」必要な処置や判断が行えるようになる。
Apple Watchは2014年に登場した時、ある部分、「ポストスマートフォン」的な役割、すなわち「電話を持たずに腕時計だけで暮らすような世界」を世の中に期待された部分があった。もちろん、それは難しい話であり、過大な期待でもあった。ある種話題先行だった時代が過ぎ去り、気がついてみれば、より地道で必要とする人の多い「フィットネス」を軸にした製品として定着している。
一方で、フィットネスにはそれほど興味がない人もいるだろう。では、そうした人々にApple Watchをつけてもらうための方法はなんなのか?
そこでアップルが考えたのが「万一のためのアシスタント」としての要素なのだ。腕につけておき、普段はiPhoneからの通知を受けたり、音楽を聴いたり、フィットネスの情報を知ったりするのに使いつつ、「いざという時の助け」のために、自分の生体データを記録しておいてくれるデバイスとしても働く……。これが、アップルが見つけた「より良いスマートフォン・コンパニオン」としてのApple Watchの姿なのではないだろうか。
ここで重要なのは、心拍などが計れることは、フィットネスでの活動量とは異なり、「自分でそれを見て健康になる」ための情報とは異なる。特に心電図の機能については、あくまで医療機器として「医師が判断する情報」として、「医師のすすめとともに」使うものだ。だから、医療機器認定は必須で、今回もアメリカ向けにFDA(アメリカ食品医薬品局)の認可を得た、と説明された。日本でも厚生労働省を含めた各機関や医療関係者との話し合いと検証が必要であり、この部分はすぐに使えるようになるわけではない。
現状、日本のApple Watchの製品ページに書かれている機能一覧には、アメリカで説明された機能のいくつかが記載されていない。その理由はここにある。こうしたことはある種長期戦であり、年単位での時間が必要なこともある。その点に留意が必要だ。だが長期的に見れば、日本でもApple Watchに代表されるスマートウォッチが、「それだけで健康になるわけではないが、いざという時のリスクに備えるための機器」として認知される時が来るだろう。
なお、健康のための支えとしての機器、という考え方が進む背景には、アメリカの医療保険制度との関係も無視できない。アメリカは日本と違い国民皆保険ではなく、医療費が高額になる。だからスポーツで健康を維持する考え方が根強いし、仮に体が不調になった時でも、症状の深刻化や治療の長期化を防ぐために投資することが「費用負担として望ましい」と考えられている。だから、Apple Watchのような製品が、日本以上に受け入れられやすい土壌があるのである。
「TrueDepth」にこだわる今のiPhone
さて、ではiPhoneの話題に移ろう。
iPhoneは昨年、「iPhone X」の登場によって大きなモデルチェンジをした。従来からのモデルとホームボタンのない「X世代UI」が併走したわけだが、今年はついに、メインラインナップがすべて「X世代UI」になった。
XS・XS Max・XRという3モデル構成になり、サイズ順に並べるとXS(5.8型)・XR(6.1型)・XS Max(6.5型)、という形になる。きれいに並んだ感じだが、これはどちらかといえば、OLED(有機EL)と液晶を使うという、パネル調達の事情という面が大きそうだ。要は「Maxだけが破格」であり、6インチ近傍がこれからのiPhoneのスタンダード、ということになるのだろう。
X世代UIの特徴は、指紋認証の代わりにFace ID(顔認証)を使うこと、そして、ホームボタンがないことだ。正確で高速な顔認証の存が基本であり、それなしには成り立たない。そういう意味では、Face IDを実現する「TrueDepth」の搭載こそが、この世代の特徴といってもいい。
比べてみればすぐにわかるが、XS・XR世代もiPhone Xも、いわゆる「ノッチ」のサイズは変わっていない。他社が競うように「新製品はノッチが小さい」と言うのとは真逆の状況である。これは、ソフト上のUIを統一している、という意味もあるだろうし、搭載しているTrueDepthの機構が前世代とまったく同じである、という意味でもある。今回の発表会でも、赤外線ドットプロジェクターを使うTrueDepthの存在を強調し、「スマートフォン向けの顔認証としてはもっとも信頼性があるもの」としていた。
TrueDepthは明らかに高価で実装サイズも大きな部材である。他社はドットプロジェクターを使わない、よりシンプルな画像認識による顔認証を使っている。だからノッチも小さくなるのだが、アップルとしては、TrueDepthの存在を差別化要因にしたいのだろう。
TrueDepthでは顔の立体構造把握がより容易になるため、認識速度・精度だけでなく、処理にかかる負荷でも有利な点がある。それだけ消費電力を抑え、高速に動作させられるわけだ。また、表情認識のようなこともできるので、「アニ文字」のような機能を実現する際の負荷も小さくできる。
スマートフォンにおいて、負荷軽減は非常に重要な要素である。アップルとしては、「広く普及する機種に精度の高い顔認証を長く使っていく」ためにも、あえてTrueDepthにこだわっているのだろう、と予測できる。
OLEDの画質は相変わらず良好、XRも意外とお買い得
XSシリーズとXRについて、改めてファーストインプレッションを述べておきたい。
OLEDを使っているXSは、iPhone X同様、やはり美しい。XとXSの厳密な比較はここでは止めておくが、かなりの品質であることは間違いない。
意外だったのは、XRのディスプレイがなかなかいいことだ。そもそもiPhoneは、液晶でも品質にはこだわっていた。XSに比べスペック上解像度は劣るし、「縁(ふち)」も大きめではあるのだが、「あれ? これはこれで……」という第一印象だったのは事実だ。普及機種とはいえ84,800円~という価格帯で、2万円・3万円の低価格機種ではないので、やはり品質はかなり高い。発売時期は異なるが、10月末のXR発売日にも注目しておきたい。
XSシリーズの利点は、AV的にいえば「HDR対応」だ。iPhone X同様、HDR10とDolby Visionに対応している。この点をアップルも強調している。おそらくはXS Maxの6.5インチディスプレイでの動画視聴を意識してのことだろう。スピーカー性能の強化もあり、この点は大きな差別化点といえそうだ。
カメラ性能については、詳しくは実機レビューまで保留としたい部分がある。だが、スペック的には暗所性能の向上が見込める上に、ソフトウエア処理の占める割合が増えている関係から、新プロセッサー「A12 Bionic」の性能に依存する部分が大きいだろうと予測される。ハンズオン会場で少し使った範囲で言えば、ポートレート系の撮影について、かなりの性能アップが見込めている印象だ。
性能を「プロセッサー全体」で向上、マシンラーニングを次世代に活かす
一方、アップルの常として、同じ世代のiPhoneの場合、搭載されるプロセッサーは共通になっている。XRがお買い得に見えるのは、最新のプロセッサーであるA12 Bionicの性能があるから、といえる。7nmプロセスを導入し、プロセッサーの能力はかなり高くなっている。
あるアップル関係者は筆者に「プロセスの進化を、なにに、どこに使うかが重要。CPU速度のアップはプライオリティ・1ではない」と語った。今回については、CPUコアやGPU「以外」の部分にも、かなり手が入っているのが特徴になる。
例えば、メモリーコントローラーの帯域は改善され、A11 Bionicの倍になっているという。結果、パフォーマンスはそれだけで15%アップした。特に多くのトランジスタを割いたのが、マシンラーニング(機械学習)処理向けの「Neural Engine」である。コアが2つから6つになり、同時処理可能な量が劇的に向上している。こうしたコアで行うのは主に推論だ。アップルによれば、処理能力は9倍になった一方で、処理に必要なエネルギーは10分の1になったという。もちろん、どちらも「最大で」という条件はあるだろうが。
Neural Engineの強化は、「イメージセンサー」を使う機能と直結している。カメラの画質については、A12 Bionic内蔵のISP(イメージシグナルプロセッサー)とNeural Engineの合わせ技が効いている。いままでのiPhoneも、そして他のスマートフォンもソフト処理で写真の画質を向上させていたが、特にこの世代は、Neural Engineでの推論を使ったモデル化を活用し、画質向上を積極的に行っているという。発表会では「ボケ」についての言及が多かったが、これも、人のシルエットや背景の距離などの推定、そして「好ましい写真が持っている性質」のモデル化によって生まれている。
センサーの差や数はもちろん大きく影響し、それがXSとXRの差になるだろうが、それ以上に、いかに「ISPと連携してNeural Engineを活用するか」が、写真と動画の画質に影響を及ぼしているようである。この点は、実機をじっくり試さないと見えてきづらいので、レビューで後日確認してみたいと思う。
また、イメージセンサーとNeural Engineの組み合わせは、現実世界の「データ化」や「AR」に効いてくる。
今回の発表会のデモの中でももっとも大きな注目を集めていたのが、NEX Team開発による「Homecourt」というアプリだ。バスケットボールのシュートを練習するためのもので、現在すでに、既存のiPhone向けが公開中である。iPhoneのカメラで撮影するだけで、位置によるシュートの成功率などを自動計測し、練習に役立てることができるのだが、今回デモされたバージョンではさらに、シュートする人のモーションとボールの軌跡を映像から認識し、可視化するところまでやっていた。これを、複数のカメラやセンサーを使うことなく、「iPhoneだけ」でできるのは、やはり驚きだ。その背景にあるのも、イメージセンサーとNeural Engineの処理を一体化し、効率良く推論ができるという、A12 Bionicの機能あってのものだ。
ARでの位置推定やレンダリングにも、マシンラーニングは使われている。そのため、同じように作られたARアプリでも、A12 Bionicを搭載した世代のiPhoneではよりスムーズで正確な動きが期待できるという。
こうした変化は「アプリありき」の部分があり、ハードウエアだけでは見えづらいものだ。とはいえ長期的視点に立てば、もはやスマホの使い方は固定化しており、Neural Engineのような「新しい差別化機能」を使った、新しい世代のアプリが出てくることで、初めて「スマホを買い換える意味」が出てくる、とも言える。
アップルが新製品でプロセッサーを統一するのは、それがコスト的に効率がいいことに加え、「アプリを進化させる基盤をできるだけ広げる」意図があるからだ。
iPhoneは徐々に高くなっており、サイズも大きくなった。それは、スマートフォンの位置づけの変化を意味している。買い換えサイクルは長期化し、低価格機種との差別化は確かに難しくなる。その中で、次のためになにをするのかで各社は悩んでいるわけだが、アップルとしては、「自社で設計する半導体とソフトウエアの組み合わせ」で、未来へのロードマップを敷くことが差別化要因になる。
問題は、それをいかにわかりやすく伝えるかだ。現状、まだアプリの部分でビルディングブロックが欠けている印象があるが、そろそろ、この2年ほどをかけた準備の価値が見えてくるのではないか、と期待している。