西田宗千佳のRandomTracking

第514回

アップル・アコースティック設計責任者に聞く「アップルの考えるオーディオ」

第3世代AirPods

アップルはマス向けのオーディオメーカーとしての存在感を増し続けている。中でも核となるのは、Bluetoothイヤフォンである「AirPods」の存在だ。

iPod登場以降、アップルのヘッドフォンを使う人は増え続けている。そしてそのことは、Beatsの買収とアップルブランドでの「ワイヤレスの推進」によって加速された。そこでAirPodsが大きな役割を果たしているのは間違いない。

アップルでアコースティックス担当副社長を務めるギャリー・ギーブス氏に、第3世代AirPodsや空間オーディオを含む、アップル製品での「音作り」の方向性についてじっくりお話を伺う機会を得た。

そのコメントからは、彼らがどのような考え方で「アップルとしてのオーディオ」を作ろうとしているのかが見えてくる。

AirPodsでアップルが目指す「音」とはなにか

ギャリー・ギーブス氏は、過去にBowers & WilkinsのR&Dチームを率いたこともある、オーディオ設計の専門家だ。アップルに入社以来、アップルの「アコースティック」チームを率いてきた。

アコースティック・チームの担当分野は、簡単に言えばアップル製品での音作り全般だ。スピーカーやアンプ、音響構造などの「オーディオ関連ハードウエア設計」はもちろん、オーディオ関連ソフトウエアも含む。

ギーブス氏(以下敬称略):私が入社したのは10年ほど前のことですが、その時に頼まれたのは、大規模なオーディオチームを作り、アップル社内でオーディオと音響設計に、本格的に注力することでした。それ以来様々な製品でアコースティック設計に取り組んできましたが、その集大成が「第3世代AirPods」です。

第3世代AirPodsの特徴。第2世代からは完全に作り直したモデルになる

彼らが第3世代AirPodsでなにを考えたのか? ギーブス氏は「初代の良さを考え直すところからはじめた」と話す。

ギーブス:耳につけてもあまり邪魔にならない、フィット感が好まれている、と考えています。ですから、第3世代は、その良さを進化させたデザインを採用しました。多くの人がこのデザインを好んでいることは知っています。

しかしこのデザインは、音響的には非常にチャレンジングな課題があるのです。人の耳はそれぞれ違うので、AirPodsのフィット感も人によって異なります。つまり、基本的には、再生された音楽の経験が異なるということ。特に低周波帯域ではその傾向が顕著です。

この問題を解決するためにアップルが導入したのが「アダプティブEQ」だ。アダプティブEQは「AirPods Pro」にも導入されている技術。スピーカーで再生された音楽を内向きのマイクで継続的にモニターし、音質を調整する機能だ。アダプティブEQは常に状況を認識し続けており、ちょっとイヤフォンが耳からズレたり、周囲の状況が変わったりするとそれに合わせて変化する。特に第3世代AirPodsでは、「低音域と中音域の量を調整して、誰が聴いても非常に安定した周波数特性が得られるようにした」とギーブス氏は説明する。

AirPods Pro同様、「アダプティブEQ」を導入

もちろん、価格やデザインが違うため、同じようにアダプティブEQが搭載されていると言っても、アップルのヘッドフォン・イヤフォンがすべて同じ音になっているわけではない。だが、筆者の感覚でいえば、特にAirPods Pro以降の製品には、どこか似た「テイスト」がある。そこにはなにがあるのかを聞くと、ギーブス氏はにこやかに笑いながら次のように答えた。

ギーブス:細かいところでは製品間に小さな違いがあるでしょう。電気的にもアコースティックな部分でも、サイズが変われば異なることができるようになり、より多くのことができるようになります。

ただ、AirPods ProとAirPodsに関して言えば、確かに低周波の設計目標は同じだと思います。そして、新しいAirPodsではアダプティブEQを使用可能になったので、すべての人に同じベースの体験を提供できるようになったことを嬉しく思っています。だから、特にこの2つの製品は非常に似ていると思います。

ですが、それだけではありません。私たちは「歪みの少ない製品」を大切にしています。アップルのオーディオ製品に共通する特徴は、フォームファクターに合わせて、「音の歪みの量をできるだけ少なくする」ことだと考えています。

製品を作る段階で、スピーカーを強くプッシュしすぎたり、空気の流れを悪くしたりすることを避けるのは、とても難しいことです。エアフローに問題が生じて、歪みが生じてしまうこともあるでしょう。その解決が重要です。

AirPods Pro

ハードウエアの「カスタム設計」で最適化

AirPodsシリーズは、アップルが自社設計したワイヤレスおよびヘッドフォン制御LSIを使っていることで知られている。現行製品で主に使われているのは「H1」だ。

一方、それだけが「アップル製」というわけではない。

ギーブス:アダプティブEQのような高度な演算によるオーディオを実現するための基板は「ハードウェアプラットフォーム」です。アップルが他のすべての製品や技術に適用しているのと同様のこだわりを持って、信号処理に関わるすべてのコンポーネントを再考しています。つまり、すべてのコンポーネントがカスタムメイドなのです。既製品ではありません。

最も重要なことは、非常に厳しい電力リソースの中で最高品質のオーディオを実現するために、すべての部品がシステムとして最適化されていることです。

新しいカスタムデザインは、低歪みラウドスピーカーからはじめました。これはAirPodsのオーディオ体験の中核を成すものです。スピーカーが動く量であるエクスカーションを調整し、外耳道に溜まる圧力を最小限に抑えるために、ドライバーとラウドスピーカーは独自のマルチベントデザインに統合されています。

そのため、ドライバーがより頻繁に動き、より大きな低音を再生できるように、慎重に調整されたバスポートを使用しています。その結果として、同時にスピーカーから発生する歪みの量を最小限に抑えています。

このように、スピーカーと実際のエンクロージャーは非常に緊密に統合されているのです。

もちろん、スピーカーの出力は、それを駆動するアンプによってのみクリーンになります。そこで第3世代AirPodsでは、ダイナミックレンジが非常に広い、アップル製の新型アンプを採用し、低遅延で非常にクリーンなサウンドを実現しました。

そしてもちろん、H1によって、非常にコンパクトなフォームファクターでありながら、素晴らしいバッテリーライフを実現しています。

これらが揃っているから、すべての人に一貫して同じオーディオ体験を提供することができるのです。

第3世代AirPodsを使った上で筆者が感じたのが「マイク」の改善だ。AirPods Proに似た感覚になっているのだが、第2世代と比較した場合、音がより近く、聞きやすい感じになった。風切り音が小さくなったとも感じる。この点について、「やはりコロナ禍の影響でしょうか?」とたずねると、「必ずしもそうではない」とギーブス氏はいう。

ギーブス:テレフォニー(音声通話)は我々にとって大きなテーマで、常に改善を模索しており、その成果が出ている、ということでしょう。

私はアコースティック・チームの一員として、常にテレフォニーに力を入れてきました。(iPhoneという)電話機はアップルにとって重要な製品であり、我々はコミュニケーションに関心を持たざるを得ません。製品設計は常に様々なトレードオフで、必ずしも思い通りになるとは限りませんが、常にプッシュし続けなければなりません。

確かに、ここ数年の間に、誰もがAirPodsを使用しているため、テレフォニーベースのオーディオ機能改善を進めるのが非常に容易になりました。測定値を提示して、風切り音が改善され、音声がよりクリアに聞こえるようになると説明すれば、その重要性を理解してくれるようになりました。

具体的にはなにをしたのか? ギーブズ氏は次のように説明する。

ギーブス:マイクには非常に大きなアコースティックメッシュを採用し、ヘッドフォンが拾う風切り音を最小限に抑えることで、音声をよりクリアにすることができました。また、コーデックとして「AAC-ELD」を導入、帯域を拡大し、音声がより自然に聞こえるようになりました。特に長時間の聞き取りが容易になります。

これらに私たちが開発した超低消費電力のマイクを組み合わせることで、通話時間を増やしているのです。

アコースティックメッシュをつけて、ヘッドフォンが拾う風切り音を抑制した

「自然さ」のために空間オーディオを導入

もう一つ、第3世代AirPodsで導入されたのが「空間オーディオ」の対応だ。アップルは、同社の音楽サービス「Apple Music」でも空間オーディオを推している。

Apple Musicでも「空間オーディオ」を積極的にアピール。楽曲も日々増えている

アップルが空間オーディオを推すのはなぜなのか? キーワードは「自然さ」だ。

ギーブス:私たちはヘッドフォンでステレオを聴くことに慣れていますが、これはあまり自然な体験ではありません。音は頭の中から聞こえてくるようです。また、音は3次元の空間の中で、それぞれの場所からバラバラに聞こえてくるものではありません。

私たちが空間オーディオで目指したのは、真に没入感のある自然なリスニング体験を提供することでした。スピーカーで音楽を聴いているような、劇場で映画を見ているような、あるいはライブコンサートで音楽を聴いているような錯覚に陥るものです。

私たちは、アップル社内の複数のチームを横断して、何年も前からこの問題に取り組んできました。非常に大規模で機能横断的な取り組みでした。しかし、私たちは素晴らしい機能を実現できたと思っています。

「自然さ」は重要なことだ。アップルが目指す「自然さ」とはどういう状態なのだろう。その点をたずねると、ギーブス氏はこう補足する。

ギーブス:音が耳の近くからしか聞こえない、というのは、本質的には不自然なものです。空間オーディオになれば、音は頭の外から聞こえることになりますから、より自然になります。これが基本的なアイデアです。

重要なことは、三次元の空間的な音を、単なる効果ではなく、より自然なものにするということです。

例えば、リバーブ(残響)の量です。音を自然に外在化させ、頭の中から出てきたように感じさせるためには、音がどのように跳ね返ってくるかを確認する必要があります。そのためには、多少のリバーブを加える必要がありますが、大量に加えると、外在化は非常にうまくいく一方で、非常に奇妙な音になります。響きが大きい部屋にいるような、不自然な音になってしまいます。

適切なバランスを選択しつつ、十分なリバーブを与えることで、自然に聞こえ、気が散らないようにするのがこの技術のポイントです。

空間オーディオを実現するためには、音源元から音が左右の耳に入る際の強弱と時間の微妙な「ズレ」が重要になる。そこからある種の方向感覚が生まれる。これを実現する際に重要となるのが、俗に「頭部伝達関数(HRTF:Head Related Transfer Function)」と呼ばれるものだ。アップルがAirPodsで実現している技術も、HRTFを音に適応していることに変わりはない。ただ、それに加えて「ヘッドトラッキング」を使っているのがポイントだ。

ギーブス:私たち一人一人は、環境の中で音がどのように配置されるかを決定する、固有の身体的属性があります。例えば、耳の形、頭の幅、大きさなどが関係しています。ここから導き出された数学的な特徴が「HRTF」です。

私たちは何千もの人からHRTFを収集しましたが、これは複雑で難しい測定です。私たちは空間的な感覚を最適化したかったのです。結果として、特定の人だけではなく、すべての人に効果があります。

次に、音の定位・外在化には頭の動きが非常に重要です。私たちはよく、音がどこにあるかを把握するために頭を動かします。個人によっても音の聞こえ方は違うのですが、頭を動かすことで、三次元の空間音場というイメージを構築することができるのです。

iOSデバイスとAirPodsに搭載された加速度計やジャイロスコープを活用することで、ユーザーの頭の向きや位置を監視し、この音場をある程度予測することができます。だから、ユーザーと音を再生するデバイスの間の相対的な動きを考慮し、HRTFを使ったバーチャルレンダリングをリアルタイムに更新できるのです。

ここで一つ疑問がある。ソニーは同じことをするために、一人一人のHRTFを耳の写真から推定する手法を採っている。ギーブス氏も説明する通り、HRTFはそれぞれ違うものだからだ。一方でアップルは、複数のHRTFを用意するのではなく、ヘッドトラッキングを組み合わせている。この手法を選んだ理由はなぜなのだろうか?

ギーブス氏は「他社についてはコメントしませんが」と言い添えた上で、「確かに、いかにHRTFを最適化するかは、とても重要な要素」と話す。

ギーブス:私たちは非常に長い間、空間オーディオの研究をしてきました。ただ、特定の状況下でうまくいくデモから幅広い人々にアピールする体験に変えていくには、正しいアプローチを見つけ出す必要があります。デモから魔法のような機能を実現するまでに時間がかかるものです。

私たちは多くの研究を行ないました。大規模なユーザー調査を行ない、何百人もの人々をテストして、さまざまなパラメータに対する好みを聞いてきました。

おっしゃる通り、HRTFの精度は非常に重要です。

ただ、他のパラメータも重要なのです。

私たちは、パーソナライズされたHRTFを提供しないのであれば、別の手法を追加しなければ体験の向上にはつながらないことを発見しました。よほどのことができない限り、体験はプラスになりません。いかにうまくコントロールできるかに注力した方がいいのです。

我々が使っているHRTFは「平均化したもの」という認識は間違っています。「誰にとっても」適切に近いHRTFを提供しようと努力しています。私たちの場合は、1つのHRTFに加え、ヘッドトラッキングを使うと判断しました。もちろん、そのチューニングは非常に慎重に行なっています。

「重要なのはチューニング」だという指摘は、さまざまな場面に及ぶ。

ギーブス:「空間的に聞こえる」効果を生み出すのはとても簡単です。音や音楽は大切なものであり、私たちはそれを尊重し、自然でナチュラルな体験を作りたいと考えました。

チューニングの話に戻りますが、バーチャルスピーカーの低音を適切な場所に配置したり、部屋からの距離や角度、実際の部屋の残響量などをチャンネルごとに、異なるゲインでガイドするなど、非常に多くの慎重なチューニング作業が行なわれました。

これらはすべてユースケースごとに設計されており、映画の再生や音楽の再生、スピーチなどで特定の選択を行なうことで、それぞれの体験に応じた自然な使い方ができるようになっています。

さまざまなデバイスでの再生も考慮しています。例えば、Apple TVの大画面で映画を見るのと、iPhoneで音楽を聴くのとでは、チューニングが異なりますよね。

これらのことが、テクノロジーの存在を感じさせない、非常に豊かで没入感のある体験を実現するために必要なことです。

これこそ、アップルが最も得意とするところであり、本当に不思議なオーディオ体験です。

アップルは他のヘッドフォンメーカーに比べると、販売するヘッドフォンの種類が少ない。Beatsを加えると多くなってはくるが、それでも、個人向けオーディオメーカーとしてのシェアを考えると、非常に数を絞っているといえる。

アップルブランドの「ヘッドフォン」は、旧モデルの第2世代AirPodsを含めても4種類しかない。シェアの大きなメーカーとしては異例なほどの少なさだ

種類を減らすことは経営効率の向上にもつながっているのだが、その裏にあるのは、ここで示されたような「チューニング」ではないだろうか。作り込むには、数をある程度絞り、製品提供のスパンも長くして、同じものが長く売れ続ける体制を作る方が優位だ。

個人的に、全ての面でアップルのヘッドフォンがベスト、とは思っていない。だが、「多くの人が手に取る製品の中で、より幅広くニーズを満たす製品」だとは感じている。それは使いやすさ・音質などのバランスがもたらすものだ。

ギーブス氏にさまざまな質問をぶつけることで、その考え方・方向性の一端が掴めたように感じている。

西田 宗千佳

1971年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主に、取材記事と個人向け解説記事を担当。朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、週刊朝日、AERA、週刊東洋経済、GetNavi、デジモノステーションなどに寄稿する他、テレビ番組・雑誌などの監修も手がける。
 近著に、「顧客を売り場へ直送する」「漂流するソニーのDNAプレイステーションで世界と戦った男たち」(講談社)、「電子書籍革命の真実未来の本 本のミライ」(エンターブレイン)、「ソニーとアップル」(朝日新聞出版)、「スマートテレビ」(KADOKAWA)などがある。
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