西田宗千佳のRandomTracking
第518回
総力戦で消費者に“刺さる”製品を! ソニーが語る「LinkBuds」開発秘話
2022年2月24日 08:47
ソニーが25日に発売する完全ワイヤレス型イヤフォン「LinkBuds」は、穴が空いたリング形状を採用した、非常に意欲的な製品だ。
その企画背景やソニー内での位置付けについては、すでにモバイルプロダクト事業部長の中村裕氏へのインタビュー記事を掲載している。
ソニーに聞く「LinkBuds誕生の秘密」と「オーディオ市場の変化」
今回はより技術的な詳細を含め、開発陣に聞いてみた。そこから見えてきたのは、「あの機能を実現するにはあの形が必然である」という、試行錯誤の記録だった。
お話を伺ったのは、ソニー・LinkBuds商品企画の辻万葉氏、設計プロジェクトリーダーの鎌田浄氏、音響設計担当の井出賢二氏、センサー担当設計の加藤結大氏だ。
「つけっぱなしで使える快適なヘッドフォン」のために
LinkBudsの商品企画が立ち上がったのはおよそ3年前だという。その時にはどういう発想だったのか? 企画担当の辻氏は次のように話す。
辻氏(以下敬称略):コンセプト段階では、若い人たちがどういった音楽の聞き方をしているか、という調査を行ないました。その結果、ヘッドフォンが「音楽を聴く」ものであることを飛び越えて、動画やゲームも含め、たくさんのコンテンツを長い時間かけて聞いている、という変化を捉えることができたんです。
弊社はこれまで、「ノイズキャンセリングヘッドフォン」として、音を遮断するようなものを出させていただいていました。ですがそれとはまた異なる、いろんな音に長い時間触れ合い、リアルな音とマージしやすいヘッドフォンを作れないか……いうところで、設計とデザインを相談しながら開発を進めました。
冒頭でも述べたように、LinkBudsの商品企画は3年前に始まっており、コロナ禍になって企画されたものではない。ノイズキャンセル型とは違う、周囲の音とヘッドフォンからの音を同時に聴く製品を作る、というのが発端だ。ソニーのヘッドフォンも含め、複数の企業から外音取り込み機能を持つ製品は出ているが、それらとも違う「解放感」が必要だった。
辻:「この外の音には気づきたい」という要望・需要はあるだろうと気づいて開発を進めたのですが、コロナ禍になり、在宅の時間が増えたことでの気づきはありました。音楽・映画・ゲームなどを長く楽しむ、といったことに加え、家族と仕事しながら話す、といったユースケースも想定できるようになったことです。
またちょっとしたことですが、「食事中、自分の咀嚼音は聞きたくない」というニーズもあるんです。
これらの点を考えると、骨伝導型や外音取り込み機能のあるヘッドフォンでは「自然さ」の面で課題がありました。仰々しい姿になると、逆に周りからつけていることを意識しすぎるんです。
結果として、耳に沿うようなイヤフォンとしての形を目指すことになりました。
「周囲にヘッドフォンをつけていることを意識させすぎない」というのは、ソニーだけでなく、各所で聞いた言葉だ。同じソニーグループの中でも、過去ソニーモバイルから発売された「Xperia Ear Duo」も、「話しかけていいことがわかる形状」を目指したものだった。LinkBudsとXperia Ear Duoはまったく違う出自を持つが、結果的に同じ結論に至ったわけだ。
このような経緯から、LinkBudsにとって「自然で耳に沿う形、長時間負担なく装着」という要素は、最初から必須の要素だった、ということがわかる。鎌田氏は「リングドライバー採用以前にも、複数の試作が行なわれていた」と話す。
鎌田:機構については、常時装着に近づける、という観点で、装着性と再生時間・使用時間のバランスから決めていった部分はあります。
特に装着性をいかに実現するかという観点で、リングドライバー以外の形状も含めて色々試しました。試した結果として、今の形がベストであるという結論に至りました。
音質周りを担当した井出氏は、リングドライバー採用の経緯を以下のように説明する。
井出:このモデルのコンセプトでは常時装着が目標でした。そこで色々な形態を考えたんですが、一つの解として「開放型」である、ということは重要でした。
その上で、疲れない・耳に負担をかけないということが重要だったので、「リング型が有望だろう」ということは、早期の段階からコンセプトとして挙がっていました。
弊社にはドライブユニットを開発する部隊がいます。ですからコンセプトに基づき、まずはとにかく「穴の開いたドライバーユニット」を試作してみたんです。
すると、これが思いの他良かった。そこで「これなら」ということで開発が加速した経緯があります。
開発の過程では骨伝導式も検討されたようだ。だが、井出氏は「骨伝導ではソニーの求めるクオリティには達していない」と判断したという。
井出:骨伝導では、体内を通して耳に振動を届けることになります。結果として高域がかなり減衰するのですが、それを解消するには、高域の音をかなり持ち上げないといけません。
結果として、音質がソニーとして求めるクオリティに達しない。正確に言えば、「音楽を聴く上でまだ方向性が違う」というべきでしょうか。
結果として開発陣は、穴の空いたドライバーユニットである「リンクドライバー」を軸に開発を進めていくことになる。
「穴が開いたドライバーユニット」で良い音を実現するためには
ただし「穴が開いたドライバーユニット」が想定よりも良い音を出したものの、それが簡単に製品につながったわけではない。そこからが開発の本番だ。
実際に製品を試してみるとわかるが、大きさから想像されるよりずっと音圧がある。低域の音は若干弱いが、この使い勝手でこの音なら……と納得させるに十分な実力を備えている。
ドライバーユニットの振動板に穴を開けるのは簡単だ。だが、振動板に穴があるということは、振動板の面積がそれだけ小さくなるということであり、振動させられる空気の量も減って、音圧が下がってしまう。低域も出にくい。そうした不利を補わないと音は良くならない。
井出:弊社の中には、ワイヤレスヘッドフォンのドライバーユニットに求める「性能のターゲット」があります。音圧感であるとか低域の再生であるとか。
そうした部分を極力上げられるように、弊社内にいるドライバーユニットの開発部隊とともにシミュレーションを繰り返しながら、形状であるとか、振動板の素材の選定を行ないました。振動板のやわらかさはどこが最適か、というような話なのですが。そこを試行錯誤しながら追い込んでいったわけです。
弊社内に設計部隊がいて、その中でサイクルを回していけますので、他社から購入する場合に比べ、性能をかなり我々の思い通りに追い込むことができる、というのは、音質を底上げする上での強みになりました。
では、その上でどのように音質チューニングをし、最適な音を目指したのだろうか? 基本的なチューニングの流れは他のヘッドフォンと同じであるようだが、そこにはやはり、LinkBudsの特性に合わせた部分もある。
井出:まず数値でスペックを追い込み、目的とする数値を達成し、そこから音質調整を追い込んでいます。
社内には私も含め、音質評価を担当するメンバーが複数名いて、そこから音質調整を行ないます。試作ごとに音質評価委員のメンバーで音のジャッジをするわけです。低域・中音域、そして全体のバランスが自然であることなどを評価しています。
このデバイスは低域に少し難があるところはあるので、まずはボーカル帯域、いわゆる中音域を自然にすることでかなり印象がよくなります。
そこからさらに低域をどこまで再生できるか、という点になります。超低域はどうしても再生できないところがありますが、できるだけ低音の重要なところ、リズム感やベースのアタック感、バスドラムのキック感などが違和感なく、自然な音質になるようチューニングしています。
チューニングの過程では、かなりソフトウエア的に行なった部分もあります。デジタルヘッドフォンアンプの能力が、再生品質に寄与している部分は大きいです。また、LinkBudsには、WF-1000XM4と同じオリジナルSoCである「V1」を使っていますが、V1の小型で消費電力が低いという特性は、LinkBudsのような小さな製品は有利に働いています。
マイクに「機械学習」を導入した結果の「驚くべき成果」
音質という上で、もう1つ重要な要素が「マイク」だ。LinkBudsは通話のために使うことを強く想定した製品である。
ただし、ボディが小さいがゆえにできることには制約がある。マイク音質を上げるためにできることが限られてくるのだ。
ソニーはLinkBudsに搭載されているマイクの数を公開していないが、スペース的に余裕が小さいLinkBudsでは、オーバーヘッド型のヘッドフォンと同じような、マイクを増やして設置位置を工夫したり、空間をとって音を通りやすくしたり、といったアプローチは採れない。
また、デザイン的な狙いの一つに「耳から極端に突出した部分を作らない」こともあったため、マイクだけを口に近づけることもできない。
井出:「常時装着」というコンセプトの商品ですから、できるだけ外でも使っていただきたい。通話で使うとすれば、あらゆるノイズの環境下、例えば街中やお店の中などでも快適に話せることが重要です。
ですが、筐体のサイズの制約もありますし、デバイスの消費電力、という側面もあるため、今回は通話品質向上のために「機械学習」を盛り込むことにしました。
音質を上げる目的で、音の中から声とノイズを分けるために使っています。結果としてフィルタリングのような働きをして、声がクリアに聞こえるようになりました。
ではどんな感じになるのか? LinkBudsに加え、ライバルといえるヘッドフォンを3つ用意し、「話しながらノートPCのキーボードをずっとタイプし続けた」際の音を録音し、並べて動画を作ってみた。ぜひ音をオンにして再生してみていただきたい。
結果は驚くべきものだ。
他のヘッドフォンでは声もしっかり聞こえるが、ノイズであるタイプ音も聞こえてしまう。ビデオ会議でこうしたノイズが邪魔になるシーンに出くわした人も少なくないはずだ。
だがLinkBudsでは、タイプ音がごく少量の高い音を除くと、ほとんど消えている。特に、声を発していない時にまったく音がしない点に注目していただきたい。要は声が出ていないので、キータイプ音を含む「それ以外の音」がうまく消えているのだ。
誓っていうが、これらのテストではどれも全く同じように話、同じような強さ・頻度でタイプし続けている。それでもこんなに違うのは驚きだった。
筆者は個人的に、PC内で「マイク入力からタイプ音などのノイズを消すソフト」を愛用している。最近は、ZoomやMicrosoft Teamsにもノイズ除去機能が搭載されるようになっているが、ヘッドフォンにもその波がやってきた。
「大きい製品ではまた色々なアプローチはあると思うのですが、小さな製品では機械学習のようなやり方がもっと使われていくようになるでしょう」と井出氏は予想する。
頬で操作する「ワイドエリアタップ」でも機械学習が活躍
LinkBudsの特徴の一つとして、イヤフォン本体を触らず、自分の頬などを触って操作する「ワイドエリアタップ」を採用していることだ。例えば、右の頬を指先で2回タップすると「再生/停止」、3回タップすると「曲送り」になる。この機能の開発を担当した加藤氏は、LinkBudsの小ささが、この機能が必要な理由であると語る。
加藤:ボディが小さいので、そこを直接触らなくても操作できるように、ということで考えたものです。
操作体系を考えるにあたっては、誤動作があまりないこと、その上でお客様にすぐ理解できるものである、ということを強く意識して決めています。
ワイドエリアタップは本体内のモーションセンサーで検知していますが、どう誤操作を防いでいるかというと、肌を指先で叩いた時の振動波形を機械学習し、フィルタリングして別の波形を除外している形です。そのため、別の触り方をしても誤動作は出にくいようになっています。
こうした機械学習による波形検出はどの企業でも行なっていることですが、非常にシンプルで精度も高いものです。人によって顔や形は違うのですが、波形についてはさほど変わらず、属人性の影響はほとんどないと考えています。
長押しやタップ2回、もしくは3回という操作方法を選んだのは、従来機種でも似た操作があったので、学びやすいと考えてのものです。「頬を撫でる」などの操作も実現できるかはまだちょっとわからないですが、可能性はゼロではない、と思っています。
快適さも通信品質も「理詰めでの試行錯誤」の賜物
LinkBudsは、装着時の負担を小さくすることを狙って作られた製品だ。ここまで述べてきたように、リングドライバーも機械学習を使ったマイクも、そしてワイドエリアタップも、「小さなボディ」を実現するために必要な要素である。LinkBudsはWF-1000XM4の半分のサイズだ。少なくともソニー製品としては、これまでで最も小さく、軽い。
軽く耳につけやすいことで、目立たず負担が小さいのだが、逆に言えば、それが製品にとって大きな制約でもある。
鎌田:このサイズでも「通信品質」は維持できている、というのがポイントです。
アンテナは、ボディのソニーロゴが書かれているドーム状の位置に配置されているのですが、かなりのシミュレーションを重ねて、アンテナ形状を含めて決定しました。テストの中には、耳にどう設置しているのか、耳に正しく入っていない時はどうか、といったことも含まれます。
リングからドーム状の本体までの長さ、質量を含めた目標値などを全て決めて、アンテナの位置もそうですが、アンテナの形状も含め、どうやれば感度を取れるのか、検討を重ねました。
リングドライバーの外径は12mmですが、内径のサイズが変わると外音の聞こえ方が変わるので、そのバランスも重要です。
なぜこのデザイン形状かというと、「この音質で、この軽さで、この通信品質で」ということを全て満たすにはこれしかない、という理詰めで作られたものなんです。少しリングサイズが変わったりだとか、質量が変わったり、重心が変わったりする、バランスが全て崩れてしまい、快適な製品にならない。
よく見ると、リングとドームの部分は「くの字」にずれているのですが、これは耳にある出っ張りを避けるためのものです。そんな細かい調整を繰り返して作られています。
ソニーにはヘッドフォン開発に必要なチームが全て揃っており、各々のチームが近い関係で試行錯誤を繰り返すことができたから、このような試行錯誤ができた。
一方で、LinkBudsの開発が佳境だった時期は、コロナ禍によってリモートワークを余儀なくされていたタイミングでもある。そのことはマイナスではあったが、「早くからソニーはコミュニケーションツールの導入を進めていたので対応できた」と鎌田氏は話す。
LinkBudsは他社に対して差別化し、消費者に「刺さる」ことを目指した製品だ。そしてなにより、その開発手法そのものが、「自社内で作れる」というソニーの特徴を最大限に活かしたものだったのだ。