麻倉怜士の大閻魔帳

第37回

技術で拓け、芸術の未来! 麻倉怜士のデジタルトップテン2020 後編

前編に引き続き2020年のデジタルトップテン、今回は5位から1位までをお届け。大閻魔帳では単なる技術リポートや製品レビューに留まらず「その技術が如何に我々を感動させるか」という点に主眼を置いて、これまで多種多様なテーマを論じてきた。人間が物理的に切り離された今年の内容は、そういった人間の感動の価値がより深く見直された年でもあっただろう。今回のトップ5はいつにも増して、人の感動を呼び覚ます技術にスポットライトが当たっている。そんな技術が人間の文化の未来を切り拓いてゆくのだ。

麻倉怜士の大閻魔帳、2020年総決算です。

5位:カンテレUHD-works制作8K番組

――前編に引き続き後編で上位を発表してまいりましょう、まずは第5位からです。

麻倉:第5位は関西テレビ放送(カンテレ)の超高精細映像制作チーム「UHD-works」制作による番組です。

普及が進んでいる4K・8Kですが、国内の放送内容、特に民放キー局系の4K番組編成は2Kチャンネルのサイマル放送番組がほとんどを占めており、きちっと制作した4K番組は1日1本あれば良い方の事実上ほとんど皆無、という惨憺たる状況にあります。この様な電波資源の浪費を続けるくらいならば、いっそ各局独自の4K放送を廃止して「民放総合4Kチャンネル」「民放総合8Kチャンネル」を新たに設立し、各局が持ち合ってピュア4K・8Kを発展させるべきだという「民放 4Kやめちまえ」論を今年の5月にぶち上げました。

――デジタルハイビジョン放送コピーワンス問題以来の、“業界のご意見番”が久々に盛大に吼えた事例でしたね。確かに民放系BS 4Kチャンネルが今のままだと、4Kや8Kはいつまで経っても画質エンスーの道楽みたいな扱いを抜け出せないでしょう。本来はもっと価値のあるプラットフォームですから、最大限活用できるよう知恵を絞らないといけません。

麻倉:この論は業界内でも結構話題になり「立場上大声では言えないけど本心はその通りだと思っている」という賛同の声も多数聞きました。

そんな私の意見を汲んでかどうかは知りませんが、年明けの2021年1月からNHK BS 8Kで民放制作の8K番組が流れる事が決まったんですよ。その番組というのが、カンテレUHD-worksのショートフィルム「つくるということ」「Three Tree」です。

カンテレはメーテレに次いで、民放の中でも4K・8Kの開発・制作に積極的に取り組んでいる放送局。同社初の4K番組「新TV見仏記」は2014年以降現在まで継続的に制作しており、8Kについても3年前からプロジェクトを開始してショートフィルムを作ってきました。その8K番組第1弾が「つくるということ」。ファッションの制作を布のデザインから始める、蒼井優さんの語りやikireさんのエンディングテーマに乗せて「モノヅクリ」の「モノガタリ」を手と心で紡ぐ様を8K・HDRの光と色で魅せる、そんなショートフィルムです。

この「つくるということ」で8Kのノウハウを得た同社が次に取り組んだ第2弾作品が、2019年のThree Tree。8K HDRの映像と音楽の組み合わせ、そして主演の白石聖さんによって、モチーフである詩の世界から海や森などの景色を情緒的に描き出す。説明を読んだだけではなかなか想像し難い、極めて抽象的なテーマの表現に挑んだ力作です。

世界で唯一の8Kテレビ放送チャンネルであるNHK BS8Kで、日本の民放が制作した8K作品が放映されるのはこれが初めてのこと。NHKの8K制作事務局長を務める村山淳さんも「NHKの8K番組にはないタイプの二つの作品が放つ魅力は、日本の8K放送をより多彩で豊かなものにしてくれる」とコメントしており、民放制作8Kの可能性を評価しています。

カンテレのUHD-worksが制作した8Kショートフィルム「つくるということ」「Three Tree」が、年明け2021年1月にNHK BS 8Kで放映される。フジテレビ系列の関西ローカル民放局であるカンテレは、8K制作チームを持つ数少ない民放局のひとつ。(画像提供:関西テレビ放送)

――「8Kなんてホントに要るの?」と言う人は、おそらく世の中に多数居ることでしょう。そんなの、今の段階では誰にも答えられないんですよ。だって8Kはこれまで世界に無かったもので、これから始まる可能性なんですから。だから技術者だってクリエイターだって、8Kの必要性は“使ってみなくちゃ解らない”。解らないから、使う。解らないから、挑戦するんです。それがプロのクリエイター、プロの技術者というものでしょう。その好奇心こそが世界をもっと面白くするんです。

そういう挑戦をする時に、受け取る人へ伝えたい“何か”を作り手が持っているという事は、何よりも重要なことです。僕はそう、強く信じています。

麻倉:新しい技術を使うことで、その“何か”をよりクリアに伝えられる。それこそが技術の意義であり、カンテレのこの2作ではここが色濃く出ています。作品作りにおけるコンセプトが明らかに内包されているので、それを出すという、実に解りやすい絵作りをしている。そこが感動ポイントです。8Kと言うとまず技術的特長を押し出しがちで、特に8Kデモ用の映像などはその傾向が強く表れます。ですが技術を目的とするのではなく、技術を手段として作り手が描きたいエモーションを映像から出す。単にキレイなだけではない、詩情がある8K映像と言えるでしょう。そういうものづくり、絵作りが非常に良いのです。

2作目のThree Treesは、私も審査員を務めている先端映像技術協会「ルミエールアワード」にノミネートされました。ここだけの話、本作は他の審査員には無視されたのですが、私は8Kを非常に上手く表現に使った事例として、迷わずにトップ評価を付けました。この様な素晴らしい映像を作り上げたのが、カンテレの矢野数馬さん。実は矢野さんは、本作で監督・プロデューサー・言葉・編集・グレーディングと、主要な仕事をほぼ一人でやっています。なので本作は矢野さんの想いが色濃く入っているし、だからこそ本作が出来上がったのでしょう。こういう8K作品こそ、もっと知られてほしいと私も願います。

Three Treesで監督・プロデューサー・言葉・編集・グレーディングといった仕事をほぼ一人でやっている矢野数馬さん。本作やヨーロッパの8K番組の様に、クリエイターの表現欲が8Kの力で満たされる作品がもっと増える事を願いたい(画像提供:関西テレビ放送)

4位:ソナス・ファベール「MINIMA AMATOR II」

麻倉:第4位に挙げるのはソナス・ファベール「MINIMA AMATOR II」(ミニマ・アマトール 2)。官能的な色気に満ちた、ツヤッツヤな音を聴かせてくれるイタリアンスピーカーとして、閻魔帳では夏のオーディオ特集でイチオシとして紹介しました。

イタリアンスピーカーの雄、ソナス・ファベールが現代の技術で往年の人気モデル「Minima」をリバイバル。陽気で官能的で茶目っ気たっぷり、そんなイタリアという国の印象を音で見事に表現したスピーカー

――あの特集で紹介した製品は麻倉シアターで1日かけてすべて一気に聴きましたが、その中でも群を抜いて印象的なサウンドで楽しませてくれましたね。先生とふたりして「これは良いね!」と頬が緩んだ事を覚えています。

麻倉:現代の好みに合わせて情報的に鳴らしながらも、基本的には麗しい官能の香りが濃密で、素晴らしく味のある音を醸し出しています。これだけの色気を振りまくスピーカーというのは今どき珍しい様に感じます。

例えばメジューエワのベートーヴェン「悲愴」ソナタでは、スタインウエイの黄金時代の1925年ニューヨーク・スタインウエイの音色と響きが堪能できました。メジューエワのハイテンションで、思いのたけが詰まった、冒頭のハ短調和音をしっかりと受け止めて、その思いの通りの音を出す。銘器と呼ばれるヴィンテージスタインウェイの凄さが、音を通してひしひしと伝わってきます。

ピアノの音自体の歪みがたいへんに少なく、高剛力で緊張する音でありながら、そこにすべらかさと滑らかさが聴ける。それが本スピーカーの美質でしょう。音の中味は非常にリジッドで緻密ですが、それをそのまま出すのでなく、表面に色気とスムーズさを撒いているのです。

聖子ちゃんの「瞳はダイアモンド」も聴きましたが、繊細な音の襞の中に、聖子ちゃんでないと表現できない細やかなニュアンスの色気が再現される。キレのよいシャープな聖子でなく、ふくよかで暖かく、人間的な聖子を感じました。サビの「泣かないでメモリー♪」の強靭な表現部分でも、このミニマ2はとろけるような色気を湛えており、その音楽の情報量と官能的な情緒性はまさに「小さな音の恋人」という様です。

といった様子で、オーケストラ、ピアノ、ヴォーカルと、どれを聴いても音に心を奪われてしまいました。しかもソナスの魅力は音だけに留まらず、家具として眺めても美しい。エンクロージャは無垢のウォルナット材で、フロントとリアのバッフルには本革が張られ、本体下部にはブラスイエローのラインといった具合に、イタリアの高級家具のようなデザイン、形、木の香りもまた素敵なのです。これらは職人の手で一つひとつ成形されており、まさに”音の工房”の作品と言うにふさわしい仕上げ。

自家ワイナリーに囲まれた静かな「音の工房」(社名のイタリア語)で、イタリアの音楽の伝統(音楽用語はイタリア語、名ヴァイオリンはイタリア製……)に則った音がつくられ、イタリア木工技術の伝統を活かしエンクロージャが作られる。別の言い方をすると、音も形もイタリアン・デザインなのです。音に感動するスピーカーは世界に多いものの、音もデザインも佇まいも官能的なスピーカーといえば、ソナスにトドメを刺すと言えるでしょう。

――このミニマ2を技術的な目線で見ると、28mmのツイーターが初代のアロー・ポイント・デザイン三脚を踏襲していたり、上位モデルの独自技術「Damped Apex Dome(DAD)」を搭載していたり、あるいは150mmのミッド・ウーファーがセルロース・パルプ・ブレンドのカスタムメイドダイヤフラムだったり、はたまたクロスオーバーネットワークに「アイーダII」や “オマージュ・トラディションシリーズ” と同様の「パラクロス・トポロジー・テクノロジー」を採用したり……といった文言がつらつらと並べられるでしょう。

ですがこの造形を目の前にして、この音を実際に聴いてしまえば、その様な宣伝文句をまるでうわ言の様にどこかへ飛んでいってしまい、ただただ官能の世界に没頭してゆきます。イタリアという国と、ソナス・ファベールという企業、そこに従事する人達の思想や文化や物語が、デザインから、音から、溢れ出てくる。ブランドとはこういうものなのだという事を、ありありと見せつけられた気分です。

麻倉:君はほんとうにこのスピーカーが大好きなんだね。それに、このスピーカーに対するソナスユーザーの意見はやっぱり説得力があるな。ミニマ2に関して天野君はカッチリとしたレビューも書いていたけれど、あの文章もとても面白かった。特に旧モデルのユーザーという視点がユニークで非常に良いです。

――ありがとうございます。あのレビューは自分の中で「もっと身近に、もっと楽しく。日常の音楽シーンにイタリアの華を添える」というテーマを立てて文章をまとめたんです。ミニマはハイエンドではなくミドルレンジのモデルなので、特に「身近に」というところには拘って、一般的なピュアオーディオのレビューではあまり触れられない使い方もあえてしてみました。レビューの最後に取り上げたアニソン楽曲「未熟Dreamer」の内容は特にそうです。

もしかすると「まーたこのオタクは……」と呆れた読者の方もいらっしゃるかもしれません。ですがいわゆるオーディオレビュー的な文章だと、音楽の文脈を音から読み込むというあの様な視点にはならないでしょう。単なるオーディオの枠を飛び越えて、このスピーカーで音楽をもっともっと楽しんでもらいたい。そう思いながら、そこを強く意識しながら記事を書きました。

麻倉:単なる客観的なレビューだと“仕事でやっています”感が出て面白くないんですよね。その点であのレビューには、アートという観点からスピーカーの内実に迫ろうとする姿勢が見えて、とても読みごたえのある文章に仕上がっていたと思います。レビューから何かを発見できる読者が一人でも増えるならば、それは素晴らしい事ですね。

天野透が長年愛用している「Cremona Auditor」(画像左)との比較。音だけでなく、木と革が醸し出す温かい印象のデザインフィロソフィも、しっかりと受け継がれている

3位:インターネット動画配信システム「Live Extreme」

麻倉:第3位はコロナ禍の年という特徴を最も体現した項目がランクインしました。紹介するのはインターネット動画配信システム「Live Extreme」です。

ライブコンサートをはじめとした芸術文化行事が軒並み中止になった今年、一時は映画館までもが閉鎖に追い込まれた影響もあり、役者や音楽家などの舞台芸術に携わるアーティストはこぞって観客無しのライブ配信を展開しました。物理的な人の接触を極力避ける現代人の武器として、感染症対策に大いに活用されているインターネット通信ですが、エンターテイメントの観点から見ると音質と画質が低いという看過できない大問題を提起することにもなりました。

その様な状況を目の当たりにして「これはならぬ!」とオーディオ業界や配信事業者や奮起。特に映像より音の品質は見過ごされてきたライブ配信サービスですが、ここにきて特に音質のクオリティアップを目指す動きが活発化しており、各社各様の実験は以前の閻魔帳リポートでもお伝えしたとおりです。

――オンライン配信のクオリティについては、画質面では特にOTTサービスで4K化やHDR化といった技術が取り込まれ、パッケージメディアに劣らぬようにと熱心な改良が試みられてきました。ですが映像メディアの音についてはそこまでの品質向上が図られず、まるで“刺身のツマ”とでも言うようなオマケ程度の扱いに甘んじてきましたね。

ところが2010年以降の音楽業界の収益構造の変化、つまり音源販売よりもイベント動員での収益を重視するというトレンドの変遷によって、ライブイベントの重要性は20世紀のそれよりもうんと上がってきました。そんなアーティストの生命線とも言うべきライブイベントが封じられてしまった今年、配信での音質強化に目が向けられたのは自然な流れでしょう。

麻倉:ライブでのパフォーマンスは以前よりもより重要になっていますが、その実力や臨場感を伝えるには、従来の“破壊的にロッシーな”高圧縮サウンドでは明らかに役者不足だったのです。という訳でこの秋には音質向上の実験が続々実行されましたが、中でも最もハイエンド志向な音と絵を追求していたのが、コルグなどが開発したネット動画配信システム「Live Extreme」でした。

DSDの音でライブ配信が楽しめるネット動画配信システム「Live Extreme」。徹底的に音にこだわった“音が主役”の設計で、IIJとの協力によってロスレスオーディオ+4Kという大容量データを安定送信する構成になっている

麻倉:旧知の仲のコルグ大石耕史さんに「ぜひ効果を体験してください」と誘われて、キングレコードの関口台スタジオに出掛けたのは10月25日の日曜日のこと。この日は公開実験として一般家庭へ配信すると同時に、スタジオ内のクローズド環境で更に音質に振ったフォーマットを披露していました。前者は最大で4Kと192kHz/24bitのPCMによる音声の映像ですが、後者だと映像は同じ4Kでも音声は5.6MHzのDSDで、それを30cm特大ウーファーを持つミキシングブースのスタジオモニターに出しています。

その音たるや、たった今スタジオで聴いた、生を彷彿とさせる、実に鮮度が高いものでした。映像出力に使われたディスプレイはパナソニックの65型有機ELテレビ。これまたハイコントラストと高精細な、鮮烈4K映像を堪能できました。

この「Live Extreme」システムにおける最大のポイントであり、本システムが最も他のサービスと異なる点が“オーディオ・ファースト”の映像配信サービスということ。これまでの配信システムは映像に音声を合わせるのが常識で、映像と音声の同期がズレた時には、映像のクロックを基準として音声をズラすことで同期を取っていました。先程指摘にあった「刺身のツマ」とまでは言わないながらも、映像が主役で音声は脇役という考えが無意識レベルにまで刷り込まれていた表れと言えるでしょう。

音屋さんのコルグがスゴいのは、この常識に疑いの目を向けたこと。徹底的に音を重視するために、従来の逆であるオーディオクロックを基準として、そこに映像を同期させたのです。なので従来では同期に割いていた音のリソースを最大限音質へと与えることが可能になりました。フォーマットとしては、映像は最大4K30フレームのプログレッシブ、音は最大PCM 384kHz/24bitまたはDSD 5.6MHzまで配信可能です。前例のないことなので「超たいへんだった」そうですが、実験の数日前にやっと完成したその出来栄えに、開発者の大石さんは満足気でした。

そのほか、DSDライブ音声配信サービスの「PrimeSeat」や、ベルリン・フィルの4K/ハイレゾ配信実験といった経験も活かされており、今回はWindows 10で動くソフトウェアベースのシンプルなシステムプラットフォームとして設計されています。要するにシステムがWindowsアプリケーションなので、汎用のWindowsマシンで配信環境が構築でき、万一のトラブルでも代替環境の調達が容易です。

加えてユーザーは特別な対応アプリは不要で、PCやスマートフォン、タブレットなどの一般的なブラウザで本サービスは再生が可能です。ただしDSD再生については相応のアプリやハードウェアが必要なので、この辺りは利便性の品質のトレードオフといったところでしょうか。

さて、文字通りExtremeなライブがおうちで体験できる本サービスですが、今のところはあくまでも実験段階。この技術パッケージを放送局やOTT事業者、あるいは音楽出版社やチケット仲介業者などがサービスとして採用して、初めて一般ユーザーもその恩恵が受けられるのです。ですから実験をした側としては当然ながら実験で終わらせる気は無く、特にKORGなどは今後、この技術の採用を目指して積極的に売り込んでゆくこととなるでしょう。

面白いのは音楽大学が遠隔授業をするために、この技術に興味を示しているということ。従来の“破壊的にロッシーな”配信サウンドは、アーティキュレーションやフレージングなどの繊細な部分を潰して、データを圧縮していました。しかしその圧縮部分こそ音楽大学が最も重視する、学生に教えるべき価値にほかなりません。

――そして我々ユーザーが配信ライブで“最もガッカリする”部分も、この繊細な表現の有無です。0と1を連ねただけの単なるデジタルデータが人間を感動させる体験となるか否かは、こういう細部をどう表現するかにかかっているのですね。

麻倉:そこで非圧縮もしくは可逆圧縮のLive Extremeに、音楽大学が大いに注目しているとのことだそう。単なる音質向上を超えた社会的な意義が、この技術にはあるのです。まさに今のユーザーニーズにぴったりなコルグの挑戦を、音と音楽と映像の専門家である麻倉怜士は応援したいと思います。

専用配信アプリケーションをインストールしたWindows PCに4KカメラとADコンバータを接続すれば、夢の高音質高画質配信システムが準備完了。音の良さもさることながら、システム構築の手軽さも運用における大きな魅力だ

2位:資生堂S/PARKのソニー製Crystal LEDディスプレイシステム

麻倉:第2位にいきましょう。取り上げるのは横浜みなとみらいの「資生堂S/PARK(エスパーク)」に設置された、ソニー製超特大Crystal LEDディスプレイシステム。8Kを横に2つ並べた、19.3m×5.4mの“継ぎ目の無い”超巨大16K画面で、映写されているのはソニーPCLが制作した専用コンテンツです。

これは「8K超えの16Kだからスゴい」とか「次世代高画質ディスプレイのCLEDデバイスだからスゴい」とかいう単純なスペックの話では決してなく、そこに映し出される映像から、これからの高精細映像の発展性を感じさせる。技術的にもコンテンツ的にも、映像技術・映像文化のマイルストーンとなり得るその未来性こそが、このCrystal LEDディスプレイシステムのスゴいポイントなのです。

世の中の一般常識では「放送は8Kで打ち止め」。放送は確かにそうかもしれないですが、ネット動画やデジタルサイネージ、あるいは映画館など、映像文化を放送波という前提条件から解き放った途端に、8K以上という可能性はグンと広がります。特大画面のソリューションは現状だとLEDディスプレイとプロジェクターが挙げられるでしょうが、特に明るい空間での大画面を求める場合、暗室投写が前提条件となるプロジェクターは無理で、LEDディスプレイで頑張るしかありません。

横浜みなとみらいの「資生堂 S/PARK」に出現した、4K×16Kの超特大Crystal LEDディスプレイシステム。遠目でも近付いても、目を疑うほど美しい

――身の丈を超える特大画面というと、大型液晶ディスプレイを複数枚スタックしてつなぎ合わせるという手法もあるかと思いますが、これではイケマセンか?

麻倉:例えば空港の発着案内や証券会社の株価表示といった、文字情報あるいはデータ表示の用途ではそれで問題ないでしょう。何よりコスト面で考えると最も安上がりな手段です。ですが動画情報や、それ以上の映像作品を表示すると場合は、それではダメなのです。何故なら液晶ディスプレイのスタックでは、どう頑張っても各ディスプレイのベゼル部分が目立ってしまい、リアリティを削いでしまうから。

資生堂が液晶ディスプレイのスタックではなく特注のCLEDデバイスを選定した理由は、まさにここにあります。ソニーのCrystal LEDディスプレイシステムは2012年の55型マイクロLEDテレビ試作機に端を発し、数年後に「CLEDIS」ブランドでB2B向けとして製品化。光源サイズが非常に微細で近付いても全く気にならず、ブロックユニットを組み上げればサイズ変更も自由自在で、つなぎ目も全く見えないといった利点を持っています。

S/PARKはユーザーや一般市民とのコミュニケーションの場であり、そこで映し出されるのは資生堂ブランドの目指す方向性を超高精細映像でなければいけません。遠目でも近付いても美しい映像という資生堂の要求に最も高い水準で応える映像ソリューションが、ソニーのCrystal LEDディスプレイシステムだったのです。

ユニット化することで歩留まりも上がるという製造上の利点もありますが、何と言ってもCLEDデバイスは最高の画質クライテリアを持っているということが大きいでしょう。大型で、コントラスト無限大の超高画質を出せる。OLEDと比較しても動画特性が有利。非常に緻密でクリアな絵を出せる。そんな利点を活かしてソニーは映画スタジオの壁面をこのCrystal LEDディスプレイシステムで敷き詰めることによって、あらゆる環境に変えられる「バーチャルスタジオコンセプト」を提案しています。しかも壁面サイズの大きな画面で体感しながら絵作りすることで、液晶やOLEDくらいの画面サイズよりコンテンツの本質に迫ったグレーディングも可能。そういった映像制作におけるCLEDデバイスの可能性も訴求しています。

そういったコンテンツの本質という面でも、S/PARKは大画面高画質の可能性を見せていました。何しろ今回はホールの2階部分まで届こうかという高さを持ち、しかも幅20m近い16Kの超横長スクリーンです。デバイスとしては申し分ない訳で、問題は映し出されるコンテンツ。この高画質性能を活かすコンテンツは如何に作るべきか、そここそがポスト8K時代の映像制作への大きな期待なのです。

いくら高密度画素のディスプレイでもスマホサイズでは物理的な迫力の表現に限界があるように、体感的な没入感や臨場感というのは画面が大きくなければ得られません。その点でこのCrystal LEDディスプレイシステムに映し出される映像は、細部を注視しても精密で、逆に視野を広げても視界いっぱいのリアルな画が見られます。ある程度近づくと大きすぎて全体を視野に入れきることが出来ず、キョロキョロとあちこちを見渡さないと、どこで何が起きているか分らない。これこそ我々が常に感じているリアルな光景そのものです。

それと同時に、どこまで細かく見せるのかというところを突き詰めてみれば、この絵ではもの凄いレベルまで出している。詳細は以前の記事で語った通りですが、砕ける波飛沫もゴツゴツした岩肌も、強烈な立体感を伴って描き出されているのです。この2つが両立しているのがまさにスゴいのですが、実はこれは意識的に技術開発した結果。それが今回の画質的ポイントです。

そのヒミツが、ベータマックスの画質エンジニアとして業界に名を馳せた平井純さんの手による、超大画面超高精細用のスペシャルアルゴリズムです。この様な超特大画面に映す映像を実写で撮る時、ナイキストの定理によってサンプリング周波数を支点とした折返しノイズが必ず入るという8Kデジタルカメラの特性が問題になってきます。オーディオにおけるPCMのサンプリング周波数と同じ話で、この折返しノイズを除去するために高域へローパスフィルタをかける訳です。

ところがそのフィルタが映像として出てくる“実のある信号”部分の振幅にも関わり、高域の振幅が減衰し過ぎてしまう。結果として、超特大画面での映写は従来の8Kカメラによる撮れ高だとお話にならないくらいボケてしまうのです。

この超特大画面問題に対して、平井さんは高域特性を伸ばすべく、ふたつのアプローチで解決を試みました。まずは問題の根源である、折返しノイズ除去用ローパスフィルタの改善という方法。もうひとつはカメラ内では処理しきれない情報量をいなすため、コンテンツ制作時に回路レベルでの信号処理をかけるという方法です。

具体的に何をやっているかと言うと、まずカメラのMTF特性を徹底計測します。ただしMTFは光学系の話なので、ポスプロであるソニーPCLでどうこう出来る次元ではありません。なのでここには手を付けず、電気系の信号特性、特に折り返しノイズがどのくらいF特に影響しているかを調べ上げ、ここに手を付けました。このF特にまつわる操作がポイントで、カメラ個体毎の個性を活かしながら、その個性に乗ったカタチで高域信号が出るような方向にカメラ内設定を変えるカスタムチューニングを施したのです。こうすることでカメラのデフォルト状態よりも格段に使える情報量が増えました。

もちろんカメラ内チューニングだけでは限界があるので、そういったネックポイントの補正はもうひとつのアプローチ、つまり帯域別に超解像をかけたりするといったポスプロ作業で仕上げてゆきました。この撮影時のカメラ調整と編集時の補正というふたつの画質改善プロセスに加えて、更に今回はS/PARKのCrystal LEDディスプレイの特性もパラメータとして利用しています。この様に最終的なアウトレットが決まっていれば、より高度な最適化が望めるのです。

高精細映像で言うと、例えばNHKの8Kを見てもやっぱり解像度はもっと欲しいというところはあります。そこはカメラの問題かもしれないし、圧縮コーデックであるHEVCの問題かもしれません。その中で平井さんは原点のカメラから叩き直していった、これが今回最大のポイントです。

これからの時代における超大画面な高精細映像、と言うよりも“生々しい映像”というものを考えるにあたって、カメラの占める割合は非常に大きい。8Kカメラは決して“神様”でも“聖域”でもありません。「8Kディスプレイだから」「8Kカメラだから」ではなく、この様な各デバイスへの最適化を見抜いたことは、実に慧眼なのです。これは上流から下流まで、平井さんの目が行き届いているからこそ出来たことでしょう。「高画質化は8Kが打ち止め」などでは決して無い。まだまだやることは沢山ある。そんな事が解る映像体験でした。

――そのためもクリエイターやエンジニアは、ホンモノを知っていないといけませんね。高度な技術になればなるほど、使い方を知らなければ効果を発揮できません。やはり最終的にはモノを言うのは、人間の力と感性だと感じます。

1位:視線認識型ライトフィールドディスプレイ

――さて、そろそろ大トリといきましょうか。2020年の第1位トピックは何でしょう?

麻倉:第1位はソニーの立体視技術「視線認識型ライトフィールドディスプレイ」です。何かと言うと“裸眼3D”の技術で、センサーで常に視聴者の目を認識しておき、そこへ向けてすべての情報を集めるアイトラッキングディスプレイです。モノとしては年初のCESで参考展示の試作機が出てきて、10月に「Spatial Reality Display(空間再現ディスプレイ/型番:ELF-SR1)」として製品化されました。これも従来はダメだと言われていたジャンルでしたが、ソニーのこれは明確な未来のカタチを感じさせました。

Spatial Reality Display(空間再現ディスプレイ/型番:ELF-SR1)

――ほほお、第2位に続いてトップトピックもソニーの映像ディスプレイ関連技術ですか。3Dディスプレイと言うと最も身近な分野はゴーグルタイプのヘッドマウントディスプレイ(HMD)で、これはもう製品化されて割と実用レベルで普及していますね。他にも偏光式や液晶シャッター式の専用メガネを使った3Dテレビやプロジェクターがあったり、研究段階ではNHK技研でホログラム方式が検討されていたりします。ですがHMD以外は市場に受け入れられたとは言いづらい状況でしょう。

麻倉:今挙がった3Dディスプレイの例は何れも常用環境に対して大きな問題を抱えていて、ユーザーの心理障壁を超えることは出来ていません。例えばメガネが邪魔だとか、画質の面では垂直方向の解像度が半分になるとかといったところです。そういったところから考えると、やはり3Dの究極は裸眼3Dが本命でしょう。ところがフロントランナーと思しきNHK技研を何年も見ていても、この技術は待てど暮らせど進展がありません。実際問題、このペースで商品化するのはとても無理だろうと感じさせます。

裸眼3Dに関してはもちろんNHK技研以外でも開発していますが、どこのものを視てもやはり不自然さが否めません。大きな原因は解像度が低いことと、視野角が結構厳格に固定されていること。特に後者の問題は深刻で、視点をちょっとずらすだけで二重像になってしまいます。デモではよく「頭をこの位置で固定してください」などと言われますが「そこまでするくらいならVRグラスの方がまだマシではないか」とさえ思わせるほどです……。

――VRグラスは画質と重量に加えて、他人との体験の共有が難しかったり、マルチタスクに向いていなかったり(いわゆる“ながら観”が出来ない)といった問題はありますが、現状で最も可能性のある3Dディスプレイですからね。同じCESでパナソニックがホンキのVRグラスを試作してきて、この画質レベルならばもしやとも思わせます。

麻倉:パナソニックのVRグラスが挙がったので、こちらも少し触れておきましょう。CESで観たそれの特徴は何と言っても画質がものすごく良いということ。従来のVRグラスは、ボケてる/色がない/Dレンジが狭く黒浮き・白飛びするという、かつての“液晶三悪”と全く同じ3要素が、画質を語る上で致命的でした。絵作りを知らない中国メーカーの安価な製品が市場を席巻している現状では致し方ないことでしょう。

対してパナソニックは、この画質という要素で市場に一石を投じました。まずディスプレイにはカナダ・コピンコーポレーションというメーカーのマイクロOLEDデバイスを採用。従来の大型OLEDディスプレイの様にガラス板に有機EL溶剤を蒸着するのではなく、プロジェクターで使われるLCOSの様にシリコンウエハ上に超小型OLEDディスプレイを作る(言うなれば“ELOS”)ものを使っています。

ELOSは発色が良いだけでなく、駆動回路と一体化した構造のデバイスなので動作がものすごく速い、つまり動きボケを追放できるという大きな利点があります。加えてHDRを入れたのも大きなポイントでしょう。コントラストが飛躍的に高まって生々しい映像になりました。更に画素構造が視えない解像度にする工夫も。ソース解像度は11Kで、視野には2Kの映像が。これくらい贅沢な仕様をつめこんで、初めてVRグラスは“表示”から“表現”の領域で語ることが出来るようになったのです。

――品質を上げるには技術だけでなく哲学が要求される、というのは第2位のClystal LEDディスプレイで指摘した通りですが、これもまさにその指摘を具現化しています。このレベルならばVRグラスの視界を遮るという欠点は、映像世界へ完全に没入できるという特長へと変わるでしょう。裸眼3Dがスピーカーならば、VRグラスは3Dにおけるイヤフォンやヘッドフォンとなるわけで、それぞれ棲み分けができるはずです。

CESにおけるビジュアルジャンルのニュースと言えば、パナソニックのVRグラスも大きなインパクトがあった。画質一筋数十年の画質屋さん達が作るVRグラスは、“見えればヨシ”な廉価品とは一線を画する表現力を持っている

麻倉:その棲み分けには両方のジャンルがちゃんと独立している必要があるわけですが、残念ながら裸眼3Dはまだ独立の領域まで達していなかったんですね。ダメになる理由は先述の通りハッキリしていますが、その点ソニーのコレはスゴいですよ。

製品版のELF-SR1は15.6インチですが、私がCESで体験した試作機は17インチ液晶を垂直方向から裸眼で見るシステムでした。まず視点をトラッキングして視聴者の目に光を集中させるので、どこを見ても大丈夫だし、従来のものと比べて解像感が高く、立体感もあります。デモ映像はモーションキャプチャーのCGで作った、小人がダンスをしているコンテンツ。前から見ると前の景色が、上から見ると俯瞰の景色がちゃんと見えます。この俯瞰視点はダンススクールを上から見ている印象でしょうか。

AVカルチャーの中で立体映像というとスターウォーズシリーズのレイア姫を連想する人が多いでしょうが、この3Dはあの様に被写体が画面から飛び出すではなく、画面の向こう側に奥行きがある印象です。用途としてはVRコンテンツやCADなどの立体コンテンツ制作を想定しているそうで、従来は先端技術の研究所が開発していたました。

対して今はテレビブランド・ブラビアの部隊に開発が移管されています。狙いは明白で、ELF-SR1の様なB2Bももちろんやりますが、BRAVIAブランドを掲げる部署ですから当然将来は民生用テレビも視野に入れていることでしょう。画面サイズもあまり関係無いようですから、サイズの違いで映像体験にどの様な印象の違いが現れるかという点も気になるポイントです。大画面化に際しての問題は光の入り込み。試作機は画面周囲を囲うことで防いでいましたが、ここの技術的な解決ができれば大画面化につながるはずです。

ビジネスモデルも絡む話なので、私はすぐの実用化とはならないだろうと年初の段階では思っていました。ところが10月に製品が出てきたのには本当に驚かされた。10年後くらいに振り返ってみると「あの時にああいうものが試作で出てきたから今があるんだ」というターニングポイントになる、そういう時期なのではないでしょうか。

パネルサイズは15.6インチ

――卵が先か鶏が先かというところはありますが、明確な技術が出てきたというのは大きなポイントです。オーディオビジュアルに関して僕は“技術と芸術のtick-tock”、つまり技術の進化に伴って芸術は深化し、芸術の深化が技術の進化を要求する、という考え方を持っています。オーディオ、特に僕の専門分野であるパーソナルオーディオの分野では技術が芸術を置いてけぼりにしていて心底残念なのですが、ビジュアルは今回のトップテンを見ても解るように、8Kにしても3Dにしてもこのtick-tockが健全に作用して、より面白くなっていっていると感じます。

麻倉:中でも特に3Dディスプレイはより求められる技術なのでしょう。3Dテレビは2010年くらいにブームが到来した後に盛り下がり、VRは数年前に脚光を浴びた後盛り下がってしまいました。重要なのは度々ブームが巻き起こるということ。つまりコンテンツ的な必然性があり、でも技術が追いついていない訳です。その技術不足は時間が経つと追いついてくるでしょうし、そうなるとよりコンテンツを深掘りする方向へと進むでしょう。そこにはきっと、今よりもっと面白い世界が待っているはずです。

麻倉怜士

オーディオ・ビジュアル評論家/津田塾大学・早稲田大学エクステンションセンター講師(音楽)/UAレコード副代表

天野透