藤本健のDigital Audio Laboratory

第793回

無料で作れる“VRサウンド”。Reaper用プラグインで音の位置を自由に動かす

昨年11月の「Inter BEE 2018」記事の中でも紹介した、オーストリアのグラーツ国立音楽大学で開発されたフリーの立体音響構築プラグイン集「IEM Plug-in Suite」。その後、都内のレコーディングスタジオで行なわれたセミナーにも参加してきたが、立体空間の中に自由に音を配置できるというツールであり、遊んでみたら面白そうという印象を持っていた。

レコーディングスタジオで「IEM Plug-in Suite」のセミナーが開催された

しかも利用しているDAWはフリーでも使えるReaperということで、すべて無料でできてしまうのもうれしい。せっかくなら自分でも使ってみようと思い、試してみたので、どのように使うか紹介しよう。

立体音響のAmbisonicsを無料で活用できる

IEM Plug-in SuiteはWindows、Mac、LinuxのVST環境で動作するプラグイン集で、グラーツ国立音楽大学の博士課程にいるダニエル・ウードリッヒ氏が開発したもの。立体的な音響の“VRサウンド”が話題となる昨今、それを実現するためのシステムとして注目されているAmbisonicsをフル活用するためのプラグイン集となっている。まだまだ少ないAmbisonics関連のツールだが、なぜオーストリアの音大がそんなものを開発し、しかも無料で提供しているのか?

Inter BEEやセミナーのために来日していたウードリッヒ氏は「Ambisonicsは最近注目を浴びていますが、決して新しいものではありません。大学には20年以上前からAmbisonicsに関する資料が数多くあり、その数ではおそらくヨーロッパで一番だと思います。ただ、私が大学に入るまでは、計算式が山のようにあるばかりでした。そこで少しでも実際に体験できるものにしようと、学内にある資料を読み漁り、オーディオアプリケーション開発ツールのJUCEを勉強して開発したものです。まだ発展途上ではあるのですが、トータル19本のプラグインを作り、多くの人に使ってもらいたいと無料で公開しています」と話す。

グラーツ国立音楽大学のダニエル・ウードリッヒ氏

「IEM Plug-in SuiteはAmbisonicsがロケットサイエンスのような難しいものではなく、専門家だけのためのものではなく、誰でも簡単に使えるものであることを知ってもらいたいと思って開発したのです。これを使うのにAmbisonics用の高価なマイクも必要ないですし、専用の機材を用意する必要もありません。もちろん、そうしたものを利用することもできるけれど、手持ちの機材だけで使えるのもAmbisonicsの良さなのです。そもそもAmbisonicsのカラクリは、球面調和関数を用いて作ったもので、M/S処理と同じようなことをしている単純な仕組みです」とウードリッヒ氏。

球面調和関数とはあまり耳慣れない言葉だが、音圧をコントロールする無指向性、定位させるための前後、左右、上下の4つのパラメータを持ったもの。それぞれがW-channel、X-channel、Y-channel、Z-channelと割り当てられており、これらを動かすことで、位置を決められるのだ。

各チャンネルを設定して音の位置を決められる

この4chを使ってコントロールするのがもっとも単純な1次Ambixonicsだが、9chを使う2次、16chを使う3次……とチャンネル数を増やすことで、より正確に空間上の位置を定めていくことが可能になる。

チャンネル数を増やすことで、より正確に空間上の位置を決められる

ただし、一般的なDAWだと1つのトラックでモノラル=1chかステレオ=2chまでしか扱うことができないので、そもそもAmibonicsの最低条件である4chにも達しない。Cubase Pro 10などサラウンド対応のDAWだと16ch=3次Amibonicsまで対応しているが、その辺が限界。そうした中、Reaperであれば64ch(7次)まで扱うことができる。

移動感のある音で楽曲制作も

考え方としては、まずモノラルでもステレオでも、W-X-Y-Z軸を指定した上でAmbisonicsのデータ形式に変換する。複数の音源ソースがあれば、それぞれを変換してミックスした上で、5.1chでも、9.1chでも22.2chでも、指定のチャンネル数の信号にデコードしてやればいいのだ。実際セミナーにおいては、Genelecのモニタースピーカー11本とサブウーファーという構成でのデモが行なわれた。上に4ch、平面に7chという構成であり、プラグインで設定を動かすと、音がグルグルと動いていくことを実感できた。

指定したいチャンネル数の信号にデコード
モニタースピーカー11本とサブウーファーの構成でデモ

でも、普通の家庭環境で、11.1chはもちろん5.1chだって、サラウンド再生できるようにスピーカーを設置するというのはかなり無理がある。そこで今回試してみたのはヘッドフォンだけの再生環境だ。ヘッドフォンだと出力は2chしかないが、AmbixonicsのデータをバイノーラルサウンドにデコードするプラグインがIEM Plug-in Suiteの中に入っているので、これを使う。

ごく単純な実験として、CDからリッピングしたステレオのWAVファイルをIEM Plug-in Suiteを用いて立体化させて、空間で音の位置を動かし、それをヘッドフォンで確認するということをしてみよう。ReaperはちょっとクセのあるDAWではあるので、その手順のみを簡単に紹介していく。

あらかじめReaperおよびIEM Plug-in Suiteをダウンロードし、VSTのプラグインのフォルダにIEMフォルダを丸ごとコピーしておくことで、IEMプラグインが利用可能になる。ちなみに、Reaper自体は無料のソフトというわけではなく、個人利用なら60ドル、商用なら225ドルというもの。でも、起動時に一定時間待てば(有料ソフトであるという旨の案内表示が終われば)、無料で全機能を試用でき、とくに制限もないという気前のいいソフトだ。個人的には5年ほど前に購入していたが、バージョンアップしてもその購入したライセンスがそのまま使えるので、今回もそれを使って試してみた。

Reaper v5.965

起動したら、画面上にオーディオファイルをドラッグすると、波形が表示され、再生すれば音が出るようになる。

画面上にオーディオファイルをドラッグして再生

これだと単なるステレオなので、ミキサー上のROUTINGをクリックし、表示される画面でトラックチャンネル数を36chにしてみる。これで5次のAmisonicsが扱えるようになるのだ。また、これを直接マスタートラックに送ってしまうと変なことになるので、「Master Send」のチェックは外しておく。

トラックチャンネル数を36chに指定
Master Send」のチェックは外す

続いて、FXをクリックするとエフェクトを選択できる画面が現れるので、Developersの中からIEMを選ぶと、IEM Plug-in Suiteの19本がズラリと表示される。ここからまずはステレオ素材をAmbisonics化するためのStereo Encoderを選んでダブルクリックすると、Stereo Encoderの画面になる。これでAmbisonics化が完了。

IEM Plug-in Suiteの表示
Stereo Encoder画面

しかし、このままではAmbisonics化されただけで音を正しく聴くことができない。そこで、これをバイノーラルサウンドにデコードする必要がある。これをバイノーラル化するためのBUSを一つ作っておくことにする。空白部をダブルクリックするとトラックが作成されるので、ここも先ほどと同様に36chに設定。こちらはMaster Sendのチェックは入ったままにしておこう。

バイノーラル化するためのBUSを作る

さらに、先ほどのAmbisonics化した音をここへルーティングするために、ミキサー上のROUTINGSと書かれた文字を先ほどのオーディオトラックから、BUS用のトラックのROUTINGという文字へドラッグ&ドロップ。これで信号が送れる形でルーティングが完了する。

ルーティング設定が完了

さらに、作成したBUSのFXへBinarualDecoderを組み込む。以上で5次のAmbisonicsのシステムが完成。あとは再生しながらStereo Encoderで、W、X、Y、Zのパラメータを動かしたり、Azimuth(方向)、Elevation(上下)、Roll(回転)、Width(ステレオ)の幅のパラメータを動かすことで、音源の位置がグルグルと変化するのがわかるはずだ。

作成したBUSのFXへBinarualDecoderを組み込む
パラメータを動かすと、音源の位置がグルグルと変化

Ambisonicsに変換した後にEnegy Visualizerを入れると、どこで音が出ているのかを立体的に視覚化することが可能。

Ambisonicsに変換した後にEnegy Visualizerを表示

さらに、MultiEQというEQやDualDelayというディレイ、また、Fdn Reverbというリバーブなどのエフェクトを入れていくことで、音をいろいろと加工することが可能であり、それをヘッドフォンでモニターしていくと、立体的にも変化してくるので面白い。

MultiEQ
DualDelay
Fdn Reverb

ここではシンプルな実験として、1つの音源だけを空間上で配置してみたが、マルチトラックのデータで配置していけば、より立体的に空間を作ることができるし、パラメータの動きをオートメーション機能で記録していけば、立体的に音が動く楽曲を作ることも簡単にできそうだ。

もちろん、全部の音が動かなくても、普通にステレオでサウンドをミックスしつつ、ある楽器だけを立体的に動きまわすといった演出も面白そう。もしサラウンドのスピーカーがあれば、さらに立体的に音をモニターしながら作っていくことも可能になる。こんなツールが無料で使えるのだから、いろいろと試してみる価値はありそうだ。

藤本健

 リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。  著書に「コンプリートDTMガイドブック」(リットーミュージック)、「できる初音ミク&鏡音リン・レン 」(インプレスジャパン)、「MASTER OF SONAR」(BNN新社)などがある。またブログ型ニュースサイトDTMステーションを運営するほか、All AboutではDTM・デジタルレコーディング担当ガイドも務めている。Twitterは@kenfujimoto