藤本健のDigital Audio Laboratory
第795回
音が360度自由に動く、Cubase Pro 10の“VRミックス”が面白い
2019年1月28日 12:04
昨年、音楽を立体的サウンドに仕立て上げるVRミックスを施したCDをリリースしたことを記事にした。このときはレコーディングエンジニアの飛澤正人氏にミックスを依頼し、実現させたが、こうしたVRミックスもそれほど特殊ではなくなってきているようだ。昨年11月にSteinbergからリリースされたDAW「Cubase Pro 10」にもVRミックスを実現するための機能が搭載されているのだ。実際どんなことができるのか、少し遊びながら試してみた。
“音のVR”を実現する技術とは?
VRミックスとはどういう意味なのか。この辺の定義は、まだあまりハッキリと定まっていないように思うが、筆者がプロデューサーという形でCD「Sweet My Heart feat.小寺可南子」制作した際の定義としては、“ステレオ2chで聴きつつも、音が立体的に聴こえるようにミックスした作品”とした。特にヘッドフォンで再生した際に立体的に聴こえるように音を配置したミックスであり、疑似的に実現させたバイノーラルサウンドを意味していた。
一般的にバイノーラルサウンドというと、ダミーヘッドやイヤフォン型のバイノーラルマイクを利用してステレオで音を録音したサウンドのことで、その場にいるようなリアリティーを出すものを指す。しかし、このVRミックスにおいては、普通のモノラルのマイクやステレオのマイクで録音した音だったり、DAW内で生成したシンセサイザサウンド、また単なる音素材を空間上に配置して、位置を決めたり、それを動かしていく、という形になる。
昔からあるサラウンドサウンドにおいても、DAW上でサラウンドパンナーなどを用いることで、音を任意の位置に配置することは可能であった。例えば5.1chや7.1chといったサラウンド環境において、前から音を出したり、斜め後ろから音を出すことは可能だったが、それを聴くためには5.1chや7.1chのサラウンドスピーカーが必要となる。もちろん、5.1chや7.1chをヘッドフォンで聴くためのシステムというものは存在していたが、一般的なヘッドフォンだけで誰でも気軽に聴くというのはできなかった。
それに対してVRミックスを施した作品であれば、普通のヘッドフォンで聴くことができ、再生側のシステムも普通にiPhoneだったり、CDプレーヤーだったり、もちろんPCでもできるというものであり、扱い方は普通のステレオサウンドとまったく同じだし、フォーマット的にも何も変わらない。それなのに立体的なサウンドを生成できるというのは、ちょっと不思議な気もする。その背景には、20年以上前に誕生したAmbisonicsという手法が最近注目を集め、それを実現するソフトウェアが増えてきたことと関係している。
先日オーストリアのグラーツ国立音楽大学で開発された立体音響構築プラグイン集「IEM Plug-in Suite」について紹介したが、それもAmbisonicsを活用するソフトウェアであり、しかも誰でも無料で利用可能というのは驚くべきものだった。
IEM Plug-in SuiteはWindows、Mac、Linuxで利用できるVSTプラグインだが、最新のCubase Pro 10には、これに近いVRミックス機能が搭載された。もちろんCubase自体が持っている機能だけに、その使い勝手は抜群。CubaseにIEM Plug-in Suiteを入れて使うよりも、断然分かりやすいものとなっている。また360度動画と連携させたり、ヘッドマウントディスプレイと連携させる機能も備えているなど、かなりいろいろなことができるようだ。ただ、ここでは動画やヘッドマウントディスプレイとの組み合わせではなく、単純にステレオ2chのサウンドを立体空間の中で動かしてみる、という試みをしてみたのだ。
Cubase Pro 10でVRミックスをする方法
実際、そのCubase Pro 10のVRミックス機能とはどんなもので、どのように使い、どんな効果が得られるのだろうか? ここで行なったのは、Cubaseに付属のステレオのドラムループを鳴らしながら、その音源の位置を立体空間の中で動かしていくというもの。
Cubaseのこの新機能、かなり自由度が高いだけに、操作手順やルーティング方法は複数通りが考えられそうだが、筆者が試したのはAmbisonics用のバスを1つ作り、そこを立体空間と仮定した上で、ステレオのドラムループを配置すると共に、最終的にはそのAmbisonicsをバイノーラルデコーダーを使って2chのステレオサウンドに変換するという流れ。言葉だけで説明していても、わかりにくいと思うので、実際の手順を見ていこう。
まず用意するものはPCとCubase Pro 10および2ch出力のオーディオインターフェイスとヘッドフォン。Cubase Pro 10以外、特別変わったものは何もいらない。そのCubase Pro 10を起動し、空のプロジェクトを作成。ここでまずAmbisonics用のバスを作成する。このバス、ただの通すだけのものなのでエフェクトトラックでも、グループトラックでもどちらでもいいが、ここではグループトラックとして作成。
その際重要になるのが「構成」だ。通常はStereoかMonoにするところだが、ここでは詳細設定の中にある「1st Order Ambisonics」を設定。1次Ambisonicsという計算の軽いモードだ。より空間の解像度を上げるなら2nd、3rdを選んでもいいと思うし、とくにエフェクトも使わないなら、それほどCPU負荷もかからない。また、この先の手順自体はまったく一緒だ。
続いて素材を入れるオーディオトラックを作成。こちらの構成はStereoでいいが、オーディオ出力は、先ほど作成したグループトラックを指定する。
その後、このオーディオトラックに素材を入れてみよう。ここではCubaseに入っているドラムループを入れ、シフトキーを押しながら右にドラッグすることで、何回も繰り返し鳴るようにしてみた。
たったこれだけで準備は完了。ここでMixConsoleを開いてみると、PANのところがちょっと見慣れないものになっているはずだ。試しにグループトラックのPANの部分をダブルクリックしてみるとVST AmbiDecoderというダイアログが表示される。
これはグループトラックに入ってきたAmbisonicsの信号を2chのステレオ信号にするデコーダー、つまり立体空間の音をバイノーラルサウンドに変換するための機能が組み込まれていることを表す。見ると「HEAD TRACKING」がオンの状態になっているが、ここではヘッドマウントディスプレイなどは使わないので、オフにしておく。
続いてオーディオトラックのPANのところをダブルクリックしてみると、今度はVST MultiPannerという、見たことがない画面が出てくるはずだ。これはステレオのドラムループを空間上のどこに配置するかを設定するPANだ。これを見てみると、中央に人の頭があり、真上から見ている図になっていることがわかるはずだ。この図の右にある矢印アイコンをクリックすると、画面が右に広がり、もうひとつ人の頭が映った画面が現れる。よく見ると、左側と違い、これは人の頭を後ろ側から見ている図になっている。この2つの画面で立体的な配置を行なうのだ。
黄色がステレオの左チャンネル、赤色が右チャンネルを表しており、これらをマウスで動かすことができる。デフォルトでは正面の真横の左右に音が配置されているということを意味する。この左側の画面で黄色と赤色を真横に、右側の画面では下に持ってくると、真下の左右に音が配置されていることを意味する。
実際、ヘッドフォンをした状態で音を鳴らしながら、この操作を行なうと、音が動いていくことを感じられる。また単に上下左右前後に動かすだけでなくステレオのソースを回転させてみたり、そのステレオソースの左右の距離を変化させるなど、さまざまな調整が可能だ。
また、必要に応じてこの動きをオートメーションに記録していくこともできる。オートメーションに記録した状態で、ステレオのWAVファイルなどにミックスダウンすれば完成。この書き出された結果はWAVでもAIFFでも、MP3でもAACでもほぼ同じように聴こえるのだ。
映像と合わせてリアルな音の移動感
せっかくなので、VST MultiPannerの動きを動画に記録したものと、書き出したステレオデータをセットにした上でYouTubeに動画としてアップしてみたので、ぜひヘッドフォンで聴いてみて欲しい。
これがCubase Pro 10で作ったVRミックスというわけだ。かなりはっきり上下左右前後が感じられるのではないだろうか? ただ音を聴くだけよりも、この動画を見ながらのほうが、よりリアルに感じられるのは、視覚が聴覚を補っているということなのかもしれない。
前述の通りここでは1次Ambisonicsで試してみたが、3次にすることでさらにリアルに聴こえると思う。とはいえ、やや位置がハッキリわからないことがあるのは、自分がまだこの音に慣れていないということとともに、Ambisonicsをバイノーラルサウンドに変換するデコーダーの性能の問題もありそうだ。このバイノーラルサウンドへのデコーダーだけは、前述のIEM Plug-in Suiteのバイノーラルデコーダーに置き換えてみるとか、他社製品を試してみるのもいいかもしれない。まだこの辺の実験がしっかりできていないが、今後もVRミックスやVRサウンドについてはもう少し幅広く試していこうと思っている。