藤本健のDigital Audio Laboratory
第934回
32bit Floatレコーダの本命!? ZOOM「F8n Pro」を試す
2022年4月4日 11:40
ZOOMが3月末に、32bit Float対応で8入力・最大10トラックのフィールドレコーダー「F8n Pro」を発売した。価格はオープンプライスで、店頭予想価格は148,500円前後となる。
本機は業務用としても幅広く使われてきた同社フィールドレコーダー「F8n」の後継モデル。見た目や基本的な機能はほぼそのままに、従来の最高192kHz/24bitから192kHz/32bit Floatへとアップグレードさせている。
発売と同時に完売状態となっており、各店舗の情報を見ると次期入荷は5月以降とのことだが、F8n Proを借りることができた。本機がどんなものなのか、また32bit Floatがどのように効くのか試してみたので紹介しよう。
32bit Floatを牽引するZOOM。2スロットで同録できるF8n Pro
32bit Floatがどんな意味を持つのか、まだまだ理解をしている人は少ないようだが、デジタルオーディオの世界においては従来の常識を根底から覆す革命的なテクノロジーだ。
Floatとは浮動小数点を意味する。高校の数学や物理で登場する考え方であり、いわば無限に小さい数値から無限に大きい数値まで、一定の精度の元、扱えるようにする方法だ。その概要については、9年前に掲載した下記記事(第572回)を参照いただきたいが、その32bit Floatに関連する技術が、ここ1、2年でさらに大きく進化してきている。
第572回:ハイレゾで注目の「32bit-float」で、オーディオの常識が変わる?
記事を書いた当時は、32bit Floatで演算処理、つまり編集作業をすることで、音がクリップして破綻することを防ぐことができる、という話だった。しかし、現在は32bit Floatで録音することが可能となり、録音時に音がクリップする事故を防ぐことが可能になったのだ。
まだそうした録音ができる機材はそう多くはないが、日本のZOOMがこの世界でリードしており、TASCAMもそれに追従している。このDigital Audio Laboratoryでも……
- 第894回:レベル調整不要!? ZOOM「F6」の32bit Float録音が革命的なワケ
- 第876回:世界最小・最軽量で本格録音! ZOOMのPCMレコーダー「F2」を試す
- 第923回:32bit float録音で事故らない!? TASCAMレコーダー「Portacapture X8」を試す
……といった記事で機材紹介してきたが、ここに来て、本命ともいえるF8n Proが登場した。
F6でも最大6chのマルチトラックでのレコーディングができるし、32bit Floatに対応していたが、32bit Floatを求める多くの人は、「絶対に失敗しない運用」をしたいと考えている。その点では、F6だと多少物足りないと思っていたのだ。
そう、32bit Floatであれば、絶対にクリップしないのはいいけれど、業務でのレコーディングであれば、念のためダブルで回しておきたいところ。もちろんF6なら小さいから2つ持ち歩くのもありだが、今回取り上げるF8n Proは、SDスロットが2つ用意されており、同時に2つ録ることができるようになっている。
もちろん設定によって、SDスロット1とSDスロット2で録音形式を変える、といった運用も可能だ。具体的には、1つのWAVファイルにマルチチャンネルを収める形式、モノラルでチャンネルごとに複数のWAVファイルで録音する形式などが選択できるようになっている。
また電源としても通常のACアダプタほか単3電池×8本で駆動でき、さらにはHIROSE 4 pinコネクタに対応した外部12VのDC電源を接続できたり、また外部同期のためにBNCコネクタを使ったタイムコード同期ができるなど、業務用での利用に十分応えられる仕様になっている。もっともこの点については従来モデルであるF8nとまったく同じであり、機能面においてはそのまますべて踏襲されている。
F8n Proでレコーディングを試す
では実際にどのように使うのか、少し試してみよう。
たとえば、1~4chを同時に録音していく場合、左サイドにある入力端子に各チャンネルを接続してゆく。いずれもXLR/TRSが利用できるコンボジャックになっており、何を接続したかによって、入力ソースを選択する。この際USB 1~4を選ぶとPCからの信号が録音できる形になっている。またファンタムについては各チャンネルごとにON/OFFの設定ができる。
ちなみに5~8chの入力は右サイドにあり、こちらもコンボジャックとなっており、右サイドにモニター用のヘッドフォン出力やミニXLRでのメイン出力が用意されている。
準備ができたら、各チャンネルのトラックキーを押して赤く点灯させて録音準備状態にする。ここで各チャンネルにあるノブを回すことで、フェーダーを調整することが可能。これはあくまでフェーダーなので、ヘッドフォンでモニターする際などに各チャンネルごとのバランスが変わるが、録音そのものには一切影響しない。
一方で、ディスプレイを見ると画面下のほうにトリムがある。ここで入力ゲイン調整ができるようになっている。これは既存の「F6」や「F3」などと大きく異なる点であり、この調整によってレコーディング時の音量に影響を及ぼす。F6やF3には入力ゲイン調整がないので、これまでの録音の仕方と大きく違って不安に感じる人も少なくないはず。それに対し、F8n Proならゲイン調整があるから、ここで最適な入力レベルに調整することができるわけだ。
具体的には、マイク入力であれば20dBをデフォルトに、10dB~72dBと非常に大きな範囲での調整できるようになっている。またラインの場合は-10dB~+55dBという範囲になっており、液晶とディスプレイとローターリーエンコーダーを使いながら調整することができる。
なお、MENUボタンからシステムセッティングするによって先ほどフェーダー用に動かしたツマミをトリム調整に設定したり、PANに設定することもできるようになっている。
このようして準備ができたら、RECボタンを押せばレコーディングが開始される。SDスロット1、SDスロット2に同時録音することもできるし、片方のスロットだけにメディアを入れて録音することも可能だ。
32bit Float対応ソフトであればキレイな波形に戻せる
ここで気になるのは、やはりホントにクリップしないのか、という点。とくにトリムを上げていくと、モニター上は完全に音が割れてしまうが、本当に大丈夫なのか、ということだ。これについては本体だけだと、わかりにくいので、SDカードに録音されたWAVデータをPCで開いてチェックしてみた。
ここではトリムを最大にした状態でマイクに入力したため、波形は完全に頭打ちとなり、クリップしているように見える。
ところが、32bit Floatに対応した波形編集ソフトやDAWであれば、レベルを下げていくことで、キレイな波形の状態に戻すことができるのだ。ここではSound Forgeを使っているが、いまはたいていのDAWが32bit Floatに対応しているので、同様のことができる。
つまりトリムの状態が大きくて、普通であればクリップしてアウト、という状況であっても、32bit Floatであれば問題なし、というわけ。もっとも、そうであってもトリムが無効になっているというわけではなく。試しに録音中にトリムを調整すれば、それによって録音されるレベルは変わってくる。なので、トリムの調整はあくまでも録音前に設定しておくべきものであって、録音中は触らないのが無難だ。
このように過大な入力が来ても破綻せずにレコーディングできるのは、ZOOMがお得意の、デュアルADコンバーターなるものを搭載しているからである。小さい音が来た場合はハイゲインADコンバーターが動き、大きい音が来た場合はローゲインADコンバーターが動く、その間をスムーズに切り替える仕組みがあるからこそ実現できているのだ。なお、全体の信号がどのように流れるのかを示すブロックダイアグラムはこの図のようになっている。
では、F8n Proに直接マイクを接続せずに、手前にマイクプリアンプを置いた場合はどうなるのだろうか。この場合、もしマイクプリアンプ側でゲインが大きすぎて歪んでしまうと、その歪んだ音がF8n Proの入力に届くので、これを元に戻すのは不可能。ここは十分に注意しておく必要がある。
オーディオインターフェイスとしても活用可能。唯一の難点はミニUSB
ところで、F8n ProはF6やF3と比較しても大きいだけにボタンやツマミも多くあり、直感的な操作が可能で、マニュアルを見なくても、だいたい使えてしまう。
ただ、より使いやすくするために、従来のF8nと同様、FRC-8(18)というミキサー型のコントローラをUSB接続して使うことができるようになっている。とはいえ、わざわざ、こうしたオプションを買うのも……というユーザーのために、iPhone/iPad、Androidのアプリである「F8 Control」が利用できるのも嬉しい点。
これはBluetoothを使って接続するのだが、先ほどのフェーダーやトリム、PANはもちろん、録音状態のON/OFF、トランスポートのコントロール、そしてメニューの細かな設定までほぼすべてのことが、この大きな画面で行なえるので非常に快適だ。どうしても物理的にフェーダーを触りたいという人でなければ、FRC-8でなくても十分だし、メニュー設定などを考えれば、こちらのほうが便利と思う。
そして、F8n Proにおけるもう一つのトピックスが、これをWindowsやMacのオーディオインターフェイスとして使うことができること。しかも従来同様にリニアPCMで使えるほか、32bit Floatでも使うことが可能になっている。
サンプリングレートは44.1kHz、48kHz、96kHzの3種類となっているが、32bit Float対応でマルチチャンネル対応のオーディオインターフェイスは他にないため、非常に強力な存在であり、今後のPCを使ったレコーディングを大きく変える可能性を持ったデバイスと言える。
このPCとのUSB接続はオーディオインターフェイスとして使うモードのほか、SDカードリーダーとして使うモード、そして前述のFRC-8との接続で利用するモードの3つが用意されている。またオーディオインターフェイスとして利用する際も、SDカードへレコーディングできるかどうかの設定も可能だ。
唯一気になったのは、このUSB接続がUSB Type-Cではなく、今ではほとんど見かけることもなくなった“ミニUSB”を使っていることだ。おそらく、F8n Proは前モデルであるF8n、さらにはその前のF8のシャーシやアーキテクチャをそのまま踏襲しているため、USB端子、さらには内部的なUSB接続のチップなども昔のままになっているのだろう。
せっかく、これだけいい機材を出してきているのだし、下位モデルであるF3などはUSB Type-Cになっているのだから、ここだけはブラッシュアップして欲しかったところだ。
以上、F8n Proについてざっとチェックしてみたが、いかがだっただろうか?
さまざまな面で、革新的な機材であることは間違いない。今後、ほかのメーカーが32bit Float対応のレコーダーやオーディオインターフェイスを出してくるのか、世の中は32bit Floatに移行していくのか、しばらくは様子を見ていきたいと思う。