藤本健のDigital Audio Laboratory

第894回

レベル調整不要!? ZOOM「F6」の32bit Float録音が革命的なワケ

ZOOMのマルチトラック・フィールドレコーダー「F6」

2019年にズーム(ZOOM)が発売したマルチトラック・フィールドレコーダー「F6」。このDigital Audio Laboratoryでも、F6をレビューしたことがあるが、今も人気のレコーダーだ。

このF6を、“レコーディング革命”と絶賛している人がいる。筆者の友人でもある音楽プロデューサーの江夏正晃氏だ。作曲家、レコーディングエンジニア、マスタリングエンジニアという肩書きも持つ江夏氏だが、彼曰く「いまの会社の業務においてF6は必須の機材で、なくてはならない機材」というのだ。

音楽プロデューサーの江夏正晃氏

そこまで言うものなのか? とも思ったが、よく話を聞くとともに、実例のデータを見せてもらったら、確かにこれはレコーディング革命だと実感することができた。

具体的にはスポーツカーのエンジン音の爆音を録音したデータなのだが、これを見ると、従来の常識を完全に覆すようなものになっている。それはF6が“32bit Floatのレコーディングに対応している”事に関連しており、頭の中では理解していたが、実例を見せてもらうと、ちょっと驚くものだった。

F6がなぜ革命的なのか、見ていくことにしよう。

“32bit Floatで録音できる”のがキモ

F6の詳細については第827回の記事に譲るが、ごく簡単に紹介すると、本機はコンパクトながら6chの入力を可能にするリニアPCMレコーダーで、最大14トラックまでのレコーディングができる。

ポイントは6つのキャノン入力があり、マイクプリが内蔵されていると同時に、その音を最高で96kHz/32bit Floatで録音できるという点だ。また32bit Floatの威力を発揮させるためにハイゲイン用とローゲイン用のデュアルADCを搭載しているのも重要なポイントとなっている。

デュアルADコンバーター回路を搭載している

最近は192kHzのサンプリングレートに対応したリニアPCMレコーダーも珍しくなくなっているが、ここで注目すべきはサンプリングレートではなく、サンプリング分解能のほうである。

そう。32bit Floatの意義であり、それを江夏氏が“レコーディング革命”と呼んでいるのだ。

最高96kHz/32bit Floatで録音できる

具体的な話に入る前に、江夏氏の仕事の話をすると、彼の会社・マリモレコーズは音楽制作を手掛ける一方、CMなどの映像制作の仕事も行なっており、同社スタッフの多くは映像制作関係だ。

その映像制作においてはインタビューや、取材に出かけての現場収録ということも多く、当然のことながら映像とともに音声の収録も行なっている。やり直しが効かない現場も多いから、映像も音声も細心の注意を払って失敗のないよう行なっているわけだが、F6を導入した結果、音声収録が失敗するリスクが大きく軽減された、という。

「音声現場にはF6を32bit Floatの設定にして、ずっと回しておけ、と言っているんです」と語る江夏氏。本来どのリニアPCMレコーダーにも存在する入力ゲインという調整パラメーターが存在しない。このことだけでも異色なレコーダーといえるのだが、小さい音から爆音まで、ほぼ無限のダイナミックレンジで録れるレコーダーだから、入力ゲインなど不要、というのがF6の設計思想となっているのだ。

32bit Floatの設定で回すのがオススメという

最初は社員からも「本当にこれで大丈夫ですか?」、「モニター音、割れちゃってますが、マズイんじゃないですか?」といった声があったが、江夏氏は「実際、すべてキレイに録れており、まったく問題ありませんでした」と話す。

「従来、レコーディングは“ピークを越えてはいけない”というのが絶対的なルールであり、もしもピークを越えて赤がついたら、やり直し。だからこそ、やり直しができない現場では、慎重に入力状況を確認しながら操作していました。一方で、入力信号レベルが小さいとSNが悪くなりますから、赤がつかない範囲でどこまでゲインを上げられるかというのが腕の見せ所でもあり、その調整に経験が効いてきました。でも32bit Floatなら小さい音から大きい音まで無限の広さで録音でき、しかもF6搭載のデュアルADコンバーターによって、小さい音でも大きい音でも最適な音質で録音できる。素人でもプロ並み、もしかしたらプロ以上にいい音で録音できるようになったのです。経験不要でレコーディングができるという意味では、やはり革命ですよね」。

F6を絶賛する江夏氏ではあるが、不満点もいくつかあるという。一つ目は大きさ。コンパクトで持ち運びが楽なのはいいけれど、業務用として使うにはちょっと小さすぎる面もあるという。操作ボタンや液晶パネル表示など、もう少し大きいと嬉しいと話していた。

コンパクトな筐体だが、操作ボタンやパネルはもう少し大きくてもいい

もう一つ、業務用に使う面で、絶対的に欲しいのがダブル録音体制だという。

「収録現場では絶対に失敗は許されないので、SDカード1つに録音するのではなく、もう一つスロットを作って、両方で録音できるバックアップ体制を整えほしい。もしそうした機材が登場したら、みなズーム製品に乗り換えるのではないかと思います」と提案する。

さらに「最近、いろいろな人にF6の良さを語っているんですが、32bit Floatといっても、ポカンとしてしまって通じないんですよね(苦笑)。一方で、6~7万円の機材と話すと、『そんな安いものはオモチャだろ、信用できない』なんて言われてしまう。SDカード2つに同時録音でき、もう少し大きくした上で、価格を20~30万円程度に上げれば、大ヒット製品になるんじゃないですかね」。

モニターでは音が割れてるのに、ゲインを下げると……

江夏氏が行なったのが、冒頭にあげたスポーツカーのエンジン音を録音するという実験だ。

とある仕事で、スポーツカーの爆音を収録する必要があり、借りたスポーツカーのナンバープレート部分にピンマイクを固定。エンジンマフラーの15cm程度上のところだったというが、このマイクをF6に接続し、高速道路で録音を行なったという。

このとき使ったマイクがゼンハイザーのピンマイク(ラベリアマイク)である「MKE 2-ew」というもの。しかもそれを直接F6に接続したのではなく、そのゼンハイザーのEvolution Wireless 500 G4シリーズの「SK 500」および「EK 500」という送信機・受信機を用いたワイヤレス接続をしたというのだ。その状況を聞くと、いろいろと気になることが出てくる。

ゼンハイザーのピンマイク「MKE 2-ew」
ワイヤレス用の送受信機

まずは、そんな小さなピンマイクで爆音に耐えられるのか、そもそもマイクの時点で音が割れてしまうのではないか、それをワイヤレスで飛ばして大丈夫なのか、その送受信のときにピークに達してしまうのではないか、など。

実際、現場では江夏氏がハンドルを握りながら、マリモレコーズのスタッフが録音作業を行なっていたが、案の定「社長、モニターしてるけど、完全に音が割れちゃっていて、まったく聴けた状態ではないです!」との声が。江夏氏もダメ元で、そのまま収録を続け、スタジオに持ち帰ったそうだ。

そして、スポーツカーのエンジン音というか排気音を収録した96kHz/32bit FloatのWAVファイルをSteinbergのDAWであるNUENDOにドラッグ&ドロップして読み込ませたところ、完全に波形の山が見えない状態。これではモニターして音が割れているのは当たり前。しかし、ゲインを少しずつ下げていくと、波形が現れ、普通ではありえない作業であるー20dBほど下げたところ、キレイに見えるまでになったのだとか。

その時の収録音をもらい、手元のCubaseで開いてみたところ、確かにその通りで、ゲインを下げてみると、キレイな波形になっていった。その音の一部を切り取ったのが以下のものだ。ここでは、元のデータとともに、どの環境でも聴けるように、ゲインを下げたうえで44.1kHz/16bitに変換したものを置いておく。

Cubaseで開いた状態。波形の山が見えない状態になっている
ー20dBほどゲインを下げると……
……波形が現れた!

【録音サンプル】
・元データ → engine_org.wav(32.23MB)
・ゲインを下げたうえで44.1kHz/16bitに変換したデータ → engine_44_16.wav(7.40MB)

※編集部注:編集部ではファイル再生の保証はいたしかねます。
再生環境についての個別のご質問にはお答えいたしかねますのでご了承下さい

要するに、爆音をF6とゼンハイザーのワイヤレスマイクで難なく収録できていたわけだ。

少しこの状況について考察してみると、まずマイクがホントに爆音に耐えうるのかという点についてだが、MKE 2-ewのスペックを見ると、「音圧レベル:142dB SPL」とある。ジェット機が離陸するときの爆音が130dB SPLであることを考えれば、マイク的には余裕があったということなのだろう。また、それとセットのアナログのワイヤレスシステムも、それに耐えうる性能を持っていたということのようだ。

ちなみに、この連載においても、よくリニアPCMレコーダーを外に持ち出して収録する実験を行なっているが、その際、ちょっとでもマイクが風に吹かれると「ボボっ」という音が入るとともにピークを越えてしまうので、マイクに風が当たるのはNGが常識であると思っていた。まあ、そのこと自体、間違った話ではないはずだが、このスポーツカーでの収録ではどうなのか。

雑談で「ナンバープレートのところに張り付けておいたから、クルマの後ろ側だし風が当たらなかったのかな!?」と江夏氏は話していたが、そんなわけがない。歩きながらの、そよ風でもアウトなのだから、100km/h近い速度でクルマを走らせていたら、いくら後ろ側だって、かなりの風がマイクに当たっているはず。ただ、マイクに届くマフラーからの爆音と比較すると、風切り音なんて微々たるものに過ぎず、無視できるレベルであった、ということなのだろう。

このズームのF6は、基本的にはフィールドレコーダーであり、外に持ち出して使うものではあって、音楽レコーディングに適したものとはいえない。

しかし「もしオーディオインターフェイスが32bit Floatに対応し、DAWで32bit Floatでのレコーディングができるようになったら、音楽レコーディングの世界にも革命がおこるかもしれない」と江夏氏は期待する。

確かに、レベル調整の世界から解放されたら、極端な話、レコーディングエンジニアが不要になるかもしれない。もちろん、どうマイクを選ぶか、そのマイクをどの位置に、どのように設置するかといったマイキングのスキルは重要だから、レコーディングエンジニアが不要になるということはないが、これまで重要な役割だった一つがなくなる可能性はあるわけだ。

事実、F6の競合である米SOUND DEVICESの「MixPre-3 II」は、先日、WindowsとのUSB接続においてASIOで32bit Floatに対応したドライバをリリースしており、ズームもF6で同様なことができる可能性を匂わせている。

米SOUND DEVICESの「MixPre-3 II」

個人的にはF6を対応させてくれるのも興味深いが、フィールドレコーダーだけでなく、F6のようなコンセプトで音が割れないオーディオインターフェースを出してもらいたいところだ。

藤本健

 リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。  著書に「コンプリートDTMガイドブック」(リットーミュージック)、「できる初音ミク&鏡音リン・レン 」(インプレスジャパン)、「MASTER OF SONAR」(BNN新社)などがある。またブログ型ニュースサイトDTMステーションを運営するほか、All AboutではDTM・デジタルレコーディング担当ガイドも務めている。Twitterは@kenfujimoto