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第445回

音切れ改善などで別物に! ソニー完全ワイヤレス「WF-1000XM3」進化の秘密に迫る

ソニーが7月に発売した完全ワイヤレス型イヤフォン「WF-1000XM3」がヒットしている。この記事を執筆している9月初めの段階でも、店頭在庫は潤沢といえない状況が続いている。WF-1000XM3のレビュー記事なども多数掲載されているが、ページビューはどれも高い。それだけ多くの人が、この製品に注目しているということなのだろう。

ソニーの新たな完全ワイヤレスイヤフォン「WF-1000XM3」

では、ソニーはどうやってこの製品を作ったのだろうか? ご存じの通り、完全ワイヤレス型の「初代1000X」であるWF-1000Xは、2017年に発売されている。その時も注目されたが、ここまでのヒットにはならなかった。2年の時を経て、満を持して登場したこの製品は、どのような発想の元に生まれたものなのだろうか? ソニーの開発者に聞いた。

対応いただいたのは、ソニービデオ&サウンドプロダクツ V&S商品設計部門 モバイル商品設計部 商品設計4課 プロジェクトマネジャーの大橋篤人氏と、同・商品設計部門 商品技術1部 2課の大里祐介氏だ。

ソニービデオ&サウンドプロダクツの大橋篤人氏(右)と大里祐介氏(左)

期待に応えられなかった「初代モデル」

ソニーが完全ワイヤレス型のイヤフォンは、2017年10月に発売された「WF-1000X」。すなわち、今回の題材であるWF-1000XM3の先代モデルにあたる。

2017年はソニーのヘッドフォンにとって、ちょっと特別な年だった。ノイズキャンセル機能をもったハイエンド製品を「1000Xシリーズ」とブランディングし、主力と位置づけたからだ。その中でもWF-1000Xは、なかなか完全ワイヤレス型に参入していなかったソニーが、ついに製品を出す! しかもノイズキャンセル! ということでかなり話題になった。

従来モデルのWF-1000X

後ほど詳しく述べるが、1000Xシリーズはノイズキャンセルである、ということ以外にも野心的な狙いのある製品だった。注目されるのも無理はない。

だが、ことWF-1000Xに関しては、その期待に応えられる出来ではなかったと思う。まず、Bluetoothの安定度が良くない。東京都内の人通りの多い場所などではかなり頻繁に音が途切れた。改善を目指してファームウエアのアップデートが何度か行なわれたが、劇的に変わるほどには至っていない。また、音声の遅延が比較的大きめであることも問題視された。

個人的には、ケースに入れづらかったことが気になっていた。ケースの中でツメを使って止めるような構造だったのだが、ちゃんと止まっておらず、結果的に充電が行なわれないことが少なくなかった。

完全ワイヤレス型でインイヤー、という条件で言えば、音質もノイズキャンセルの質も悪くはなかったが、課題も多かったのがWF-1000Xだった。他の1000Xシリーズであるヘッドバンド型の「WH」やネックバンド型の「WI」などの評価が高かった分、WF-1000Xは目立たなかった。

前置きが少々長くなった。

要は、この不評を払拭する製品になることを狙って開発されたのが「WF-1000XM3」と言える。他の1000Xシリーズは毎年モデルチェンジしているが、WFについては開発に時間をかけ、久々のアップデートとなった。

WF-1000XM3

大橋氏は、初代WF-1000XからXM3に至る流れを次のように説明する。

大橋氏(以下敬称略):初代を出したところ、色々な反響をいただきました。世の中に先駆けてノイズキャンセル・完全ワイヤレスという製品を出せたとは思うのですが、やはり製品は「普通に使えてあたりまえ」です。社内基準は満たしていたのですが、世の中の要求は満たせていませんでした。

ノイズキャンセルも、前回のままでいいとは思っておらず、進化させないといけません。そして、一番ご要望が多かったのがバッテリーでの動作時間です。ノイズキャンセルの関連もあり、どうしても短めでした。

ノイズキャンセルと接続性、特に「音切れ」と「遅延」の解消、それにバッテリー動作時間。

これをメインの三本柱として進化させることが、新モデルの目標です。色々完全ワイヤレス型の製品も増えていますから、それぞれトップクラスで満足していただけなければダメだろう、と考えました。

大橋篤人氏

リレー方式から左右個別受信の「同時接続式」に変更、新ワイヤレスチップで接続性向上

まず改善が必要だったのが、Bluetoothでの接続性だ。

初代WF-1000XとXM3では、両耳のイヤフォンにどう電波を届けるのか、という方法が変更になっている。

大橋:初代では「リレー方式」というやり方を利用していました。まず片方の耳に入れたデバイスでBluetoothの電波を受け取り、その後に、そこからもう片方の耳へと電波を飛ばす方式です。この方式だと、常に電波をもう片方へと送り続ける、という宿命があるので、外的なノイズに弱い、という特性がありました。

また、左右の耳で音がずれないように、いったんバッファに情報を貯め、同期をとって再生していました。バッファに貯めるので、結果として遅延が大きくなってしまう、という問題もありました。

これは、伝送方式を変えることで突破するしかありません。そのため、いままで使っていたBluetoothのチップセットを変えることにしました。

WF-1000XM3では、接続方式が大きく変わった。片耳で受けてもう片耳へ飛ばす「リレー方式」から、両耳それぞれのイヤフォンがBluetoothの信号を受信する方式になっている。結果的にだが、片方だけでも使えて自由度も増した。初代では左耳だけで使うことはできても右耳だけで使うことはできなかったのだが、XM3では左右どちらでも、好きな方だけを使うことができる。

大橋:使っているチップセットは、他社のものです。企業名の公表はご勘弁ください。しかし、世の中に出るのはこの商品が初めてのはずです。共同開発というわけではありませんが、共にブラッシュアップさせていただいた、とはいっていいかと思います。左右の耳へと同時に伝送するやり方を採用しています。

左右同時伝送という意味では、Qualcommが提唱する「TWS Plus」に準拠したチップセットを使う方法もある。しかしその場合、相手がスマートフォン、それもSnapdragon 845以上を搭載したものに限られるという制約が生まれる。ソニーのような汎用オーディオ機器メーカーの場合、スマホだけでなくゲーム機などあらゆる機器に対応する必要があり、TWS Plusではなく独自の方法を採用したのだろう。

大橋:左右同時伝送によって、遅延は大幅に短くなりました。今はスマホで動画を見る方も多いですし、ゲームもありますので、遅延対策は必要でした。今回の製品で、従来機種に比べ最大4分の1になっています。

安定性を実現するには、アンテナを含めたトータル設計が重要だ。その点ももちろん配慮されている。一方で、それでも音切れは皆無、とはいえない。「残念ながら、一般的なBluetoothヘッドフォンと同じところまでは到達できていない」と大橋氏も言う。

ちなみに、Bluetoothの電波が途切れやすいのは「Wi-Fiのアクセスポイントが原因の場合が多い」と大橋氏は言う。Bluetoothと同じ2.4GHz帯を使い、強めの電波を出すアクセスポイントが多いところは、どの製品も厳しいようだ。アクセスポイントが複数あり、人が混み合う駅や交差点で音切れが出やすいのはそのためだ。

「音切れと遅延は強い関係がある」と大橋氏は言う。なぜなら、大量のバッファを積んで、そこから再生する仕組みにすれば音切れは防ぎやすくなるからだ。だが、前出のように、今は低遅延であることが求められる。そのため、「まずは感度を良くすることに注力した」(大橋氏)上で、バランスを採ったのが現在の製品の姿であるようだ。

なお、WF-1000XM3では、Bluetoothの接続についても仕様が変わっている。

以前は、複数機器を切り換えながら使う場合、まず使っている機器側のBluetooth接続を機器側から切り、新しく使う機器側で接続作業をする必要があった。そのため、接続作業は両方の機器で行なわねばならず、比較的面倒だった。

だがWF-1000XM3は、すでに別の機器と接続した状態でも、新しい機器側で「接続操作」を行なうと、自動的に接続をWF-1000XM3側が切り、それから新しい機器側と接続する仕様になっている。スマホとPC、スマホとタブレットなど、複数の機器を使い分けている人にはありがたい仕様だ。

2つのマイクでノイズキャンセル、最大の敵は「消費電力」

もうひとつの大きな改善点はノイズキャンセルだ。

大橋:ノイズキャンセルについては、初代から仕組みをかえて、ノイズキャンセル用のマイクを2つ搭載する「デュアルノイズセンサーテクノロジー」としました。また、ノイズキャンセルを駆動させるためのチップも、WH(ヘッドバンド型)と技術を共通化したものにしました。

しかし、スペースや電力に余裕があるWHと違い、WFには余裕がありません。消費電力を落としたチップを起こさないと、バッテリーでの動作時間を維持しつつ、業界トップのノイズキャンセル性能は出せない、と考え、新しく作りました。それが「QN1e」です。

XM3の音質周りの開発を担当した大里氏は、完全ワイヤレス型の難しさは「消費電力」にある、と話す。

大里:WH-1000Xは「ノイズキャンセルかついい音」というご評価をいただきました。その技術を元にするのはいいのですが、大橋もご説明したとおり、消費電力が最大の問題です。マイクを2つ搭載する予定だったので、従来のチップでは性能に問題も生まれていました。

そこで今回は、「QN1e」という新しいチップを開発しています。WHと同じノイズキャンセル性能を完全ワイヤレス型に載せるには、いかに消費電力を下げるか一番大きな問題です。実際にはそれが本当に難しいことだったのですが……。

大里祐介氏

大橋:LSIの開発担当に言わせれば、元になるWHの技術があったとはいえ「結局完全に新規開発したのと変わらないくらい苦労した」とのことです(笑)

大里:2つのマイクで広い帯域でのノイズをキャンセルし、性能を高めることを狙っています。一つめは外音の取り込みにつかっている「フィードフォワードマイク」、もう一つは、内部に残留したノイズを取り込むための「フィードバックマイク」です。それでいて、なるべくボディが小さくなるよう、工夫しています。

音質的にも、低域から超高域まで 音質特性を確保するよう努力しました。特に「ノイズキャンセルしてもいい音」であるのがポイントですから、中域・低域・高域について、すべてでノイズ感のない音になるようチューニングしています。要は、「周りが静かじゃなくても聞ける」ものを目指しました。

フォーカスしてテストしたのは、アメリカのヒットチャートの曲です。そうした曲は低域のレスポンスの良さを求められることが多いためです。

限られたスペースに、これまで以上のパーツを収納する苦労も

写真は、WF-1000XM3の内部に入っているパーツの一覧である。片耳に入る小さなデバイスであるにも関わらず、非常に多くの要素が詰め込まれている。

WF-1000XM3のパーツ一覧。これだけのものが内部に入っている。小型になったが初代モデルより要素は多い

大橋:WF-1000Xが少し大きめで、耳から飛び出す部分が多かったこともあり、今回は小さくしたい、という狙いがありました。

しかし、中に入れる“臓物”はより多くなった。

耳の空いている部分の大きさには限界があります。使える電池の種類も、容量や調達を考えれば決まってきます。RF性能を高めるには、他の金属物を離して配置する必要もあります。そのために空間が欲しいけれど場所は……。

そうした要素が成り立つ組み合わせはないのか、あれがたてばこちらが立たない、担当者同士の喧嘩のような検討会が行なわれまして……(笑) ただ、お互いの技術領域も理解しないと、製品は成り立ちません。ですから、担当の垣根なく技術を高めよう、と検討を続けたんです。

WF-1000XM3は左右独立。しかもそれぞれにかなりの大きさの電池を積んでいます。そのスペースを避けつつ機能を搭載するのは本当に大変でした。

付け方も変更、実は「イヤーピース」では支えていない!?

もうひとつ、構造を決めてデザインする上で重要なことがあった。「つけやすさ」、「快適さ」の改善だ。

大橋:初代モデルのWF-1000Xは、後ろに飛び出たサポーターで耳にひっかけるような構造になっていました。あれをなくしたい、と思っていたんです。

そのため、根元にあるゴムの部分の摩擦で全体を支える構造に変えています。

誤解されがちだが、WF-1000XM3はイヤーピースを耳に入れて「耳の穴に差し込むことで支えている」わけではないのだという。だから実は、イヤーピースを外して耳につけても落ちない。

イヤーピースの根元のゴムで重量を支えており、実はイヤーピースを耳に入れることで支えているわけではないという

大橋:ノイズキャンセルの構造上、浅いところで支えるのは難しく、音導管も長めですが、イヤーピースで重量を支えているわけではありません。もちろん、耳の形は千差万別なので、みなさんが快適と思うものを作るのは難しいのですが……。

ソニーの1000Xシリーズのうち、ネックバンド型の「WI」と完全ワイヤレス型の「WF」には、非常に多数のイヤーピースが付属することで知られている。WF-1000XM3もそうだ。こうしたことをしているのは「ノイズキャンセルの効き目を高めるため」だという。その人にあったイヤーピースを選ぶことが、ノイズキャンセルの効果を高めるために重要だからだ。

とはいえ、前述のように「耳の穴の中で支えている」ような、キツい感じになっているのは、実は正常な状態ではない。耳の穴をピッタリふさぐ大きさで、負担がかからない状態であるのが望ましいようだ。

行動認識も強化、小さいボディにタッチセンサーを入れた理由は

冒頭でも述べたが、1000Xシリーズは、ノイズキャンセルヘッドフォンとして、かなり野心的な作りの製品だ。初代からスマートフォンとの連動を重視し、スマホアプリと連動することで価値が高まるようになっていた。詳しくは以前本連載に掲載した記事をご参照いただきたい。

ヘッドフォンは“行動認識”で進化する。ソニー「1000X」の秘かな革命
https://av.watch.impress.co.jp/docs/series/rt/1093541.html

WF-1000XM3世代では、行動認識による外音取り込み機能「アンビエントサウンド」の、ノイズ取り込み量の段階が増えたり、認識後のモード切り換えが自然になったりと、着実な進歩が実現している。

WF-1000XM3では、タッチセンサーを搭載し、触った時だけ外部の音をすべて「通し」て、周りの人の話などを聞きやすくする「クイックアテンション」という機能が搭載された。ヘッドバンド型の「WH」では以前より搭載していたが、タッチセンサーを入れる場所が小さな完全ワイヤレス型では、今回初めて採用している。実はこの機能も、アンビエントサウンド機能と無縁ではない。

大橋:そもそもなにも聞こえなかったら、「クイックアテンション」で反応することも難しい。きっかけが必要ですから。ユーザーが周囲の音をどのくらい聞きながら音楽を楽しむのか、という点が重要なんです。そのため、今回、アンビエントサウンドの段数を合計22段階にし、快適な使い方ができるよう工夫しました。

WF-1000XM3は、細かな改善点を積み重ねた結果、初代モデルとはまったく違うデザイン・違う使い勝手の製品になった。大ヒットはその結果だ。あとは、需要が落ち着いてもう少し買いやすくなることを期待したい。

西田 宗千佳

1971年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主に、取材記事と個人向け解説記事を担当。朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、週刊朝日、AERA、週刊東洋経済、GetNavi、デジモノステーションなどに寄稿する他、テレビ番組・雑誌などの監修も手がける。
 近著に、「顧客を売り場へ直送する」「漂流するソニーのDNAプレイステーションで世界と戦った男たち」(講談社)、「電子書籍革命の真実未来の本 本のミライ」(エンターブレイン)、「ソニーとアップル」(朝日新聞出版)、「スマートテレビ」(KADOKAWA)などがある。
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