西田宗千佳のRandomTracking
第542回
「mocopi」「補聴器」、そして「モビリティ」。ソニー副社長に聞く「新規事業」戦略
2023年1月23日 00:00
ソニーのエレクトロニクス事業では現在、「新規事業」の立ち上げが急ピッチで進んでいる。
中でも目立つのは、パーソナルなモーションキャプチャデバイスである「mocopi」をはじめとしたメタバース関連事業だ。だが、それ以外にも生活の質をあげる「ライフタイムウェルビーイング」、自動車を含めた「モビリティ」事業なども進んでいる。
こうした新規事業はどのような背景で進んでいるのか? そしてそのことは、どのようにビジネスの可能性を広げ、生活を変える可能性があるのか?
ソニー株式会社 副社長で新規ビジネス・技術開発本部長の松本義典氏に聞いた。
メタバースを「作る」技術に注力、mocopiに期待する理由
松本副社長が率いる「新規ビジネス技術開発本部」は、設立から2年ほどが経過したところだという。その中で力を入れているのは、冒頭で述べたように、「メタバース」、「ライフタイムウェルビーイング」、そして「モビリティ」の3領域だ。
まず「メタバース」について聞いてみた。
メタバースとモビリティについては、ソニーグループ・吉田憲一郎社長兼CEOも、インタビューなどで「重点項目」と話している。
ソニーはなぜメタバースに注力するのだろうか? 松本氏は次のように話す。
松本副社長(以下敬称略):弊社はクリエーションに軸足を置いているわけですが、メタバースにおいては、プロのクリエイターとそれを見る人々の境目が、今以上に、ますます曖昧になると考えています。
では、メタバースでなにが難しいかというと「3D」にしなければいけない、ということ。我々は映像や音声の3D化技術を持っていますが、いかにそのための手間・時間を短縮できるかが重要です。
過去に我々が得意としてきた映像・音楽の世界がどんどん3D化しているわけで、その中には我々の強み・チャンスがあるのではないか、と思っているところです。
そこで特に重視しているのが「3Dデータ制作の民主化」だ。
モーションキャプチャにしろ、映像を3D化する「ボリュメトリックキャプチャ」にしろ、映画や大規模なゲーム制作など、プロの現場では以前から使われていた。だが、それらはすべてコストのかかる大掛かりなもので、個人が利用するのは難しい。
しかしソニーは、今回のCESにおいて、モーションキャプチャとボリュメトリックキャプチャの双方で、かなりコンパクトなものを展示した。
前者は「mocopi」であり、後者は新しく作られたボリュメトリックキャプチャのシステムだ。
ソニーとしても、特に期待しているのがmocopiだ。mocopiを使えば、手のひらに乗る程度の小さなセンサーとスマホを組み合わせることで、全身のモーションキャプチャが実現できる。
ただし、日本以外での発売は正式にアナウンスされておらず、CESでの展示は「世界市場へのお披露目」に近い。
だが、ここまでかなりの時間をかけて開発されてきた商品でもあり、その期待は大きい。
松本:mocopiの開発には、R&Dの時期を含めて3年ほどかかっています。
過去に、テニスラケット向けのモーションセンサーを出したことをおぼえていらっしゃるでしょうか? 加速度センサーのデータを元に、機械学習からモーションを推定するという意味では、あの製品に使われた技術を発展させ、mocopiにも使っています。さらに、データ補完のために、R&D側で開発したAIを使って精度をあげています。
松本:現状、メタバースで使うデータを作るための手間は非常に大きい。mocopiを手始めに、多くの人が簡単にデータを作れるようにして行きたい。ちょうど、YouTubeによってビデオカメラの市場が大きくなったような流れを期待しています。
現在もVRChatなどではフルトラッキング技術がかなり使われていますし、北米にもしっかりとしたアバター文化があります。日本でも、HIKKYなどと連携し、活用できる環境を広げているところです。
また、Vtuberも含め、いわゆるオタク文化は世界で広く受け入れられています。特に若い層は、国による垣根も小さいようです。
ですからmocopiは、日本発で世界に向けた製品として、早い時期に、日本以外のマーケットにもチャレンジしたいと考えています。
一方、もう一つの「メタバース関連」技術として展示したのが、リアルタイムで動作するボリュメトリックキャプチャのシステムだ。
こうした技術は通常、非常に多くのカメラとグリーンバックなどを組み合わせて作られる。そのためどうしても、規模が大きくなって「常設型」になりやすい。
だが今回展示されたものは、7つのカメラを組み合わせて実現されていて、処理も基本的にはクラウドで行なわれているため、ローカルに高性能なPCを置く必要はない。そのため、このキャプチャシステム自体を簡単に持ち運んで設置し、使うことが可能だ。
同様のコンセプトは以前からあるが、ソニーもまとめ上げ、ソリューションにしてきたところが大きい。
これはまだmocopiとは違い、個人向けというよりは企業向けのソリューションである。ソニーとしては、個人向けと企業向けについて「区別せず、両方に力を入れていく」(松本氏)と話す。
松本:プロとコンシューマ市場、どちらかに寄せようと考えたことはありません。過去、私はビデオ関連事業をやっていたのですが、そこでは、プロで培った技術をコンシューマに、という形でやってきました。それぞれに必要な技術があり、それぞれを活かしてやってきたので、違和感はないです。
メタバース関連は、まだどういうマーケットになるかわからない状況です。
私は、今のメタバースは1990年前半のインターネットに似ている、と思っています。今でこそインフラとして誰もが使うようになりましたが、1990年代前半には、可能性こそあったが未開拓の状況でした。メタバースもそういう状況にあると思います。
メタバースがどう進化するのかは、お客様がどう使うのか? にかかってる。我々はそこにクリエーションのための道具を提供したいと考えているのです。
ソニーがアメリカで「補聴器」に参入。今後は日本でも
2つ目の開拓領域が「ライフタイムウェルビーイング」だ。ちょっとわかりにくいが、生活をより良くするための、医療的なニュアンスを持った機器……というところだろうか。
と言っても、作っているのは医療機器ではない。具体的に言えば「補聴器」のような、人の能力を拡張・カバーする機器を指す。
正式に「補聴器」として使える機器は、一般的には医療機器として法令を遵守した形で扱われる。だから、機能は似ていても、「外音取り込み機能のあるヘッドフォン」と同等に扱うことはできない。販売も、調整環境を備えた店舗で行なうのが一般的だ。
しかし2022年10月以降、アメリカでは規制緩和が行なわれ、補聴器を一般店頭で販売(いわゆるOTC販売)することが可能となった。
そこでソニーは、デンマークのWS Audiologyと協業する形で、アメリカ市場で補聴器事業に参入。より簡単に自分に合わせて補聴器を調整し、店頭で気軽に買える環境を広げていこうとしている。
松本:アメリカでの規制緩和が、1つの契機になっています。ただ一方で、コンテンツクリエーションだけでなく、先進国が求める「安心・安全」が1つの産業になり始めているのも事実です。多くの人が抱える「なんとなくの不安」に応えるビジネスが求められています。
弊社にはヘッドフォンやマイクなどの技術がありますし、オーディオ、特に完全ワイヤレス型イヤフォン(TWS)のノウハウは補聴器に活用できる。
アメリカでの規制緩和が市場参入の理由ではありますが、日本でも制度が変われば参入を検討します。
ただそれ以前の話として、アメリカと日本では、多少文化が違う面があります。それは、補聴器をつけていてもハンディとは見做されない、ということ。それだけ社会の認知が進んでいる、ということかと思います。
日本でも高齢化が進んできていて、補聴器を必要とする人は増えています。その上で、文化的にも変わっていく必要があると考えています。
自動車の中は「新しい体験の場」「メタバース」になる
3つ目の新規事業が「モビリティ」だ。といっても、ソニー・ホンダモビリティが手掛ける「AFEELA(アフィーラ)」そのものとは違う。ここでいうモビリティとは、主に自動車向けの新しいAVシステムのことを指す。
松本:自動車内で体験できるコンテンツを3D化して行けば、車内空間は「メタバースに最適」なものになる、と考えているのです。
まずはオーディオから始めます。こちらは空間オーディオによって、技術的にも準備が整っています。次に映像に広がれば、大きな可能性が生まれます。一歩一歩進めていく感じではありますが。
実際アフィーラには、車内のすべてのシートに空間オーディオ再生環境が搭載されている。シートに座ると、周囲にあるスピーカーに加えてシートの首のあたりにあるスピーカーが連動し、360 Reality Audio技術によって、自分を包み込むように音が聞こえる。
この時には、車内に搭載された距離センサーを使い、頭がどの位置にあるかをリアルタイム認識しつつ、頭部伝達関数(HRTF)を加味して空間オーディオの再生が最適化されている。そのため、立体感・空間演出のクオリティが非常に高い。同じようにセンサーで最適化する技術を家庭にも提供してほしい、と感じるほどだ。
車内環境というと「カーオーディオ」というイメージを持つかもしれない。
だが、ここで想定しているのは、既存のカーオーディオ市場とは異なる。自動車メーカーとも連携した「新しい車内環境に関する市場」を立ち上げる試みである。
松本:我々が色々な車メーカーさんとお話をさせていただく中で強く感じるのは、もう彼らは、「カーオーディオ」というよりも「車の中のエクスペリエンス」をどう一緒に作っていけるのか、新しいパートナーを欲している状況だ、ということです。
ですから、カーオーディオ市場と競合するという状況でもありません。
これまで自動車の価値は、動力性能であったりとか、「A地点からB地点へどれだけ速く行けるか」ということでした。しかし最近は大きく変わり、車に乗った上で、その中でどういう体験をしてもらうか、という点に注力しておられる。
ある車メーカーさんなどは、「自動車内を1つの部屋にしてしまいたい」とおっしゃっています。要はリビングなどと並列で、「移動型の部屋」と考えていただく、ということです。もちろんそこから、「停まっている時にも部屋として使う」ようになれば……とは期待しているのですが。
そうした発想については、我々(ソニー・ホンダモビリティ)も同様に考えています。ですから、我々が持っているテクノロジーが、色々な場面でお役に立てるのではないか、と考えているところです。
「自動車を運転しなくてもいい時代」を想定して車内を新しい空間と定義していく、という話は、ソニー・ホンダモビリティの川西泉社長兼COOのインタビューでも出てきた。
自動運転の未来を見据えると、移動中の時間をどう快適で特別なものにするか、そのためには、どう自動車内に新しい要素を組み込んでいく必要があるのか? というのは自動車産業全体が考えている新しいテーマであり、ソニーは「ホンダとの協業」だけでなく、自社と別の自動車メーカーとの連携も含め、事業展開を模索している、ということなのだろう。これはなかなか面白い。
R&Dを「製品の近く」にしてスピードアップを
ここまで挙げた3領域は、どの技術にしても、「いままでソニーが持っていた技術」に加え、機械学習・AIや音響・映像など、より新しい技術を必要とする。だからこそ、素早い技術開発は欠かせない。
そのためソニーグループは、2023年4月1日より、研究開発(R&D)に関しての組織を改変する。従来、ソニーグループ本社側にあった本体の研究開発組織「R&Dセンター」を、コアな先端研究開発の分野と、より商品に近い研究開発の分野にわけ、特に後者を、商品を担当するソニー株式会社の方へ移管する。前述の3領域に関する新規事業も、この組織改変を前提としたものだ。
松本氏はソニーグループ・R&Dセンター副センター長でもあり、この戦略の中核にいる人物でもある。
松本:4月から、ソニー株式会社内に「技術開発研究所」をつくります。これは、ソニーグループ側にあった「R&Dセンター」の一部を移管したものです。
新しいビジネスを見つけようと考えているわけですが、よりお客様に近いところで、お客様とコミュニケーションを取りながら、あるいは、クリエイターとコミュニケーションを取りながら進めていきます。
それを、とにかく早いサイクルでやらないといけない。今までのように、製品開発から離れた場にR&Dがあっては間に合いません。ですから、製品開発の現場であるソニー株式会社の方に一部を移管し、現場とともに開発を進めていきます。
もう、インターネットと同じスピード感を求められているイメージですから、R&Dでも、先手先手を打っていきたいです。