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第543回

ついに登場、Shiftall/パナソニックのHMD「MeganeX」が狙うもの

パナソニック・事業開発センター・XR統括の小塚雅之氏(左)と、同・XR開発部 部長の柏木吉一郎氏(右)。小塚氏が持っているのは弱視対策のプロトタイプで、柏木氏が持っているのはビジネス向け製品版

パナソニックとその子会社のShiftallは、開発を続けてきたヘッドマウント・ディスプレイ「MeganeX」を春(3月から4月頃)に発売すると発表した。CESでもパナソニックブースなどで展示が行なわれた。

MeganeXのベースとなるHMDは、非常に長い期間をかけて開発が進められてきたものだ。それがShiftallからの販売になり、さらにビジネス向けモデルはいくつかの要素が異なった形で、別の販路となった。

設計やそれに伴うスペックも変わったが、価格についても、当初のコンシューマ版で「10万円前後」という想定が、24万4,990円へと大幅に上がっている。

これまでのいきさつはどのようなものだったのだろうか? そして、コンシューマ版・ビジネス版の狙い・勝算はどのようなところにあるのだろうか?

今回は特に、パナソニック側で開発を担当した、同社事業開発センター・XR統括の小塚雅之氏と、同・XR開発部 部長の柏木吉一郎氏へのインタビューを中心にまとめてみよう。

特に今回のCESでは、コンシューマや企業の使うHMDとも違う、「ハンディを克服するためのHMD」の姿も見えてきた。

足掛け6年、ようやく登場するShiftall/パナソニックのHMD

まず少し、MeganeX開発の経緯を解説しておこう。

MeganeXの元になるHMDが初めて公開されたのは3年前。2020年のCESでのことだった。コロナ禍に突入する直前の話である。その時の話は以下で記事にしている。

2020年のESで公開された、MeganeXの元になるHMD

デザインを比較すると、丸くメガネのようなイメージであることは共通しているが、かなり大きく変わっているのがわかるだろうか。

この2020年の段階で、企画開始からは3年が経過していたという。そこからさらに発売までには3年がかかったので、なんと6年越しのプロジェクト、ということになる。

2020年のCESでは「希望的には」としつつも、2021年のCESで商品としてのお披露目を考えていたようだ。ただ、間にコロナ禍があったとはいえ、かなりの時間がかかったのは事実だ。

理由の1つは、ビジネスプランの変化だろう。

当初はパナソニックブランドで、企業向けと個人向けの双方を展開する計画だった。それが、特に個人向けについては、Shiftallが間に入って改めて商品化する形になった、ということが2022年1月に発表されている。

MeganeXの名前で「コアなメタバース原住民」向けとして製品化されることになったわけだが、こちらも順調に製品へ至ったわけではない。2022年中に発売を予定していたが、コロナ禍での調達・物流混乱もあり、さらに製品の完成度を上げるための変更もあって、発売は2023年3月から4月になっている。

Shiftall・代表取締役CEOの岩佐琢磨氏は、「もうこれ以上出荷がずれることはない」と見込みを語る。

コロナ禍では確かに大変だった。同社のモーションキャプチャデバイス「HaritoraX」や防音Bluetoothマイク「mutalk」も、人気がありつつも調達問題などで品不足が発生することがあった。ただ、そのような時期を過ぎ、「業界全体で今の時代にあったやり方ができてきた」(岩佐CEO)という。

コンシューマ版とビジネス版の2モデルに

ここで、コンシューマ版の「MeganeX」と、ビジネス版の「MeganeX Business Edition」の内容について、改めて確認しておきたい。ここからの詳細は、岩佐氏と小塚氏それぞれに聞いたことから、抜粋してまとめる形にしている。

リリースより抜粋。左がコンシューマ版で、右がビジネス版

MeganeXの特徴は、Kopinが開発したマイクロOLEDディスプレイと、パナソニック開発のパンケーキレンズを組み合わせていること。ディスプレイ解像度は片目2.5K×2.5Kで、一般的なHMDよりも高くなっている。色処理は10bitで、HDRにも対応する。ディスプレイとしてはかなりハイスペックだ。

PCと接続してSteamVRでの利用を前提とする。スタンドアローンでの動作はしない。そのため、接続はケーブルを使って行ない、バッテリーも搭載していない。長時間快適に使えるよう、軽いHMDにするための選択だ。

接続用のUSB Type-Cケーブルもかなりこだわったもので、軽くしなやかなものを選んで採用したという。

6DoFに対応しているが、メインに使うのは、他のHMDで一般的になっている「インサイド・アウト方式」の方ではなく、部屋にセンサーを設置する「Valve Lighthouse方式」だ。これはライトユーザーにはちょっと厳しいが、ハードに使う人々なら精度も高いのでアリ、という判断だろう。

デザイン面でコンシューマ版とビジネス版は違っているが、これは主に「使われ方」の違いであるようだ。

MeganeXは、形状の問題で「メガネをつけながら使う」のが難しい。そうなると視度調整の問題が出てくる。

コンシューマ版はユーザー1人が使うものなので、視度調整用のレンズをつけて使う、という想定になっている。一方でビジネス版は、企業内で多数の人が使いまわす可能性が高い。そのため、特定のレンズを入れてしまうより、近視向けの視度調整機能を入れ、使うときに調整する方がいい……ということになった。

そのため、コンシューマ版が320gであるのに対し、ビジネス版は330gと少し重くなっている。

また、同じ人が長時間つけるコンシューマ版は額で支えるために「額パッド」を搭載しているが、ビジネス版はつけ外しが頻繁になるだろう、という想定のもとに「鼻パッド」を採用している。

Shiftallが販売するコンシューマ版。額パッドがあって長時間連続利用に最適化した構造
パナソニックブースに展示されたもの。額パッドはなく、鼻で支える

高発色・高品質な「HDR対応HMD」に

やはりポイントは「高画質」にこだわったことだ。筆者も2020年版の他、2022年の前期版については、試作段階で画質などを確認している。

最終のものをCESで改めてチェックしたが、解像感の高さと発色の良さが際立っていた。

HDRの効果の高さもポイントだ。

柏木氏は「テレビを超えるような輝度が出ているわけではないけれど、十分に自然なHDRが実現できているはず」と説明してくれたが、筆者も同感だった。実際に見たコンテンツは1,000nitsを想定しグレーディングされたHDRコンテンツだったが、非常にインパクトの強い明るさと自然な表現になっていた。1,000nitsで光るテレビと同等の感触だった。

だが柏木氏によれば、「数字は言えないが、実際のデバイスでは1,000nitsもの明るさは出していない」という。確かにそのほうが消費電力面でも有利ではある。「自然なHDR感を出すためとはいえ、ひどく明るいデバイスを作る必要性はない。重要なのは、HMDの中で十分にコントラストを維持・表現できること」(柏木氏)という説明も納得だ。

HMDで自然なHDRを表現できている例は少なく、そういう意味でも稀有な存在だ。

少し気になったのは、画質が最適になる「スイートスポット」が少し狭目であったことだろうか。

一般論として、パンケーキレンズは、これまでHMDに多く使われてきた「フレネルレンズ」に比べ、スイートスポットが狭くなる傾向にある。そのため、レンズの周辺で解像感が落ちて感じられることがある。この辺は、レンズの品質や設計方針でかなり変わってくるところで、メーカーによっても特質が変わる。

MeganeXの場合、他のパンケーキレンズ採用HMDより狭めかもしれない。といっても、ちゃんとIPD(瞳孔間距離)を設定し、HMDがずれないように装着すれば問題ないのだが。この点については「試作機に比べ、視野角の広さを重視した」(柏木氏)結果だという。

初期の試作機では、マイクロOLEDを供給するKopinが開発したレンズを使っていたが、MeganeX製品版では、パナソニックが独自に開発したレンズが採用されている。結果として解像感が良くなり、レンズの色収差も出づらくなっている。

デバイスのスペックとしての視野角は公開されていない。初期の試作機は視野角がかなり狭めに感じたものだ。今回の製品版では、他社製品(110度程度)よりは多少狭いくらいに改善されたように思う。

価格が「25万円」になったのはなぜか

製品として見た時、過去の発表と大きく変わっているのは「価格」だ。

2022年にMeganeXが発表された時には「10万円前後」とされていたのだが、結果的にはそれが「25万円弱」にまで上がっている。これはかなり異例のことだ。

その理由について小塚氏は、「マイクロOLEDの歩留まりに問題があり、価格が想定よりもずっと高いものになってしまったため」と説明する。

当初から同社は、Kopinと協業してマイクロOLEDを調達し、HMDに搭載する計画だった。2022年1月の段階では、その結果として最終製品が「10万円程度で出せる」計画だった。

だが結果的にだが、2022年に入って状況が変わり、歩留まりの問題から、デバイスの調達価格が当初の見積もりからは遥かに高い額となってしまったようだ。それを反映すると、どうしてもこの価格になってしまう……というのが実情である。

「我々の見通しが悪かった、と言わればその通り」と小塚氏も話す。

岩佐氏は「コアな人向けに展開する、という意味でビジネスモデルに変化はないし、支持は得られる」と話していたが、計画として多少変更を強いられた部分があっただろうことは、想像に難くない。

一方で、ことビジネス向けとして考えた場合には、コスト面では別の見方もできる。確かに高いのだが「この解像度・画質で25万円なら安い」という市場でもあるのだ。

その理由について小塚氏は「ライバルの価格が高いから」という点を挙げる。

小塚氏がビジネス版の市場として有望視しているのは、自動車メーカーのデザイン開発などでHMDを使っているような用途だ。こうしたところでは、発色・解像度・HDR表現などが重要で、MeganeXには向く。

現状この種の市場では、フィンランド・Varjo(ヴァルヨ)社のHMDが多く使われている。特に視野の中心にマイクロOLEDを、周辺視野向けに液晶を使った「VR-3」「XR-3」といったモデルの利用も多く、こちらは約3,200ドル・5,500ドルとさらに高価だ。純粋な解像感(ディスプレイ解像度ではなく、目で感じられる細かさ)ではVarjoのXR-3などがまだ上だが、それでも解像感は過去のHMDよりかなり上がっているし、一台あたりの価格も安く済む。快適さというメリットもある。

「デザインなどのために、企業内にVR室を設置している大企業は意外と多い」と小塚氏は言う。そうしたところに対して、コストと画質のバランスがとれたデバイスとして、併用して数を揃えるような形で納入されていくのだとすれば、この価格でも確かに競争力はある。

ただそれは、別の言い方をすると、価格が上がったゆえに「ピボットした先」でもあるのだが。視野調整などの機能をビジネス版で搭載したのも、そこで無理にコストを抑えるよりもいい、という判断が働いてのものだ。また、同じデバイスでありながらコンシューマ向けとビジネス向けで重視する点を変えているのも、価格が高いプレミアムデバイスになる、と決まったから……という見方もできる。

今後、歩留まりが改善してくれば、より価格を抑えたモデルが作られる可能性もあるだろう。

なお、デバイスの歩留まりと直接関係があるかは不明だが、1月5日、KopinはVR/AR向けマイクロOLED開発部門を「Lightning Silicon Technology」として分社し、人員削減を進めると発表している。

HMDで「視力のハンディ」を克服するには

パナソニックはもう1つ、興味深い実装例を展示していた。

それは、MeganeXを視覚障がい対策に使うソリューションだ。

以下のデバイスは、MeganeXにキャプチャモジュールを取り付け、視力補助ができるようにしたプロトタイプである。

Biel Glassesとの共同開発による、視力補助機能を搭載したプロトタイプ

このデバイスは、視覚障がい対策技術を開発しているスペインの企業、Biel Glassesとの共同開発によるものだ。

外界の映像をキャプチャして視覚障がいをサポート……というと「映像で撮影して拡大する」というものを思い出すだろう。だが、このプロトタイプはちょっと違う。

いわゆる弱視には色々なタイプがあり、単純に画像を拡大すれば済むという話ではない。たとえば、視野が欠けるような場合は拡大だけしても意味がない。

そこでBiel Glassesは、画像を認識した上で「危険なのかどうか」「注意すべきものはどの方向にあるのか」などを表示し、実景に重ねることで、利用者が安全かつ自立して動き回る助けになることを目指している。例えば交差点を歩くときには、カメラが視野の外にある信号を検知、その上で「渡っていいか」を見える位置にわかりやすく表示する。こうすれば、首を大きく動かすこともなく、他の人と同じように安全に街を歩きやすくなる。

Biel Glassesのコーポレートビデオより抜粋。交差点を渡る際、視野の外にある信号を認識し「渡れるか否か」を表示している

以下に掲載したのは、Biel Glassesのコーポレートビデオだ。この73秒から、どのような形で見えるのかのデモが収められている。以下のリンクは頭出しした形で貼ってあるが、デモを見た後は、ぜひ、頭からご覧いただければと思う。

BG corporate video 2022

HMDとして快適で見やすいことは、Biel Glassesが目指すHMDとも合致する。そこでパナソニックは協力し、MeganeXでこの技術を実現した。筆者も体験したが、「そうか、こういう使い方があったのか」と感心した。処理はケーブルで繋がった先にあるミニPCで行なうが、これは腰につけられる程度の大きさだ。

プロトタイプに接続された処理系。中身はバッテリーで動作するミニPCをベースにしている

現在はプロトタイプであり、販売計画などは決まっていない。

小塚氏は「ぜひ、色々な方々にご意見をいただきたい」と話す。実用性を高め、実際に社会で広く使われるものにしていくためには、多数の知恵と知見が必要だ。Biel Glassesは医師も参加している専門家集団だが、それだけでなく、多くの人々の知見が集まれば、実用化のスピードは加速する。

HMDには色々な可能性がある。コンシューマ向けもビジネス向けももちろんだが、「人々の可能性を広げるディスプレイデバイス」という意味では、こうしたハンディキャップ対策も重要で大きな市場であることは間違いない。

西田 宗千佳

1971年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主に、取材記事と個人向け解説記事を担当。朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、週刊朝日、AERA、週刊東洋経済、GetNavi、デジモノステーションなどに寄稿する他、テレビ番組・雑誌などの監修も手がける。
 近著に、「顧客を売り場へ直送する」「漂流するソニーのDNAプレイステーションで世界と戦った男たち」(講談社)、「電子書籍革命の真実未来の本 本のミライ」(エンターブレイン)、「ソニーとアップル」(朝日新聞出版)、「スマートテレビ」(KADOKAWA)などがある。
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