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その歩みが“ハイエンドオーディオの歴史”。あのマークレビンソンを身近にするアンプ「No5805」
- 提供:
- ハーマンインターナショナル
2025年5月13日 08:00
ハイエンドオーディオとはなにか
ハイエンドオーディオという言い方がありますが、さて、それはどんな意味を持つのでしょうか。
言葉の意味としてのハイエンド(high end)は、ちょっと検索で調べてみますと、高性能や高級品を指すと出てきます。ですからハイエンドオーディオとは、高性能で高級なオーディオ(機器)を意味していると考えることもできますし、それらは往々にして高価なものですので、高額なオーディオ製品であればハイエンドであると捉えてしまう人も多いでしょう。
高額であることで敬遠してしまう方もいらっしゃるかもしれません。それはハイエンドの意味次第では正しいとも言えますが、ハイエンドオーディオに敬意を持っている人間として、また、ハイエンドオーディオと呼ばれる世界を活動の中心の場においている者として、ハイエンドを高性能で高額なものという意味だけで捉えるのは寂しいのではないかなと思っているのです。
「ハイエンドオーディオ」を体現したブランドとして、アメリカの「マークレビンソン」の名前を真っ先に挙げることに異論を挟む人は、ほとんどいらっしゃらないでしょう。なんとなれば、マークレビンソンの登場をして、ハイエンドオーディオが始まったという世界線すらあるくらいなのですから。
オーディオがお好きな方は、“音場”という言葉をよく目にするはずです。ステレオイメージやサウンドステージという言葉も多く使われています。(余談ですが、「音場」ってどう読むのでしょうか。わたしやわたしの周りでは「おんじょう」がほとんどなのですが、YouTubeなどを観ると「おんば」と言っている方も多くいらっしゃいます。読み方に定説がないのでしょうか……)
サウンドステージやステレオイメージと言った言葉が日本でも広く使われるようになったのは1980年代のことでした。これはアメリカのオーディオ界から引っ張ってきた概念と記憶しています。
音場が使われるようになったのがいつからかはわかりませんけれど、それがとりわけ重視されるようになったのは、ステレオイメージ等の言葉が使われるようになってからのような気がしています。
こう書くと、日本では1980年代以降になってようやく、オーディオで音場が重視されたようにも受け取れるかもしれませんが、それ以前も言語化・意識化がされなかっただけで、音場やサウンドステージの概念と重複する言葉は使われていました。例えば定位、例えば奥行き、例えば透明感……。これらは音場やステレオイメージ、サウンドステージという言葉・概念(の一部)を表わすものでしょう。
ハイエンドオーディオ=サウンドステージ/ステレオイメージの再現に重きを置いたもの。こうした定義・概念でハイエンドオーディオを理解している方がオーディオファイルの中には多いように思います。
では、サウンドステージの再現とは何でしょうか。音場感に優れているという答えでもいいのですけれど、何をもっていいとするのか、これではよくわかりません。
もう少し踏み込んで答えを考えると、その音楽が演奏された「場」をリスニングルームに持ち込み、まるでリスナーが音楽が生まれた現場に立ち会っているかのような再生をすることが、ハイエンドオーディオということになるのかもしれません。
音場という言葉を「音の場」だけにとどまらず「音楽が演奏されている場所」と考えれば、より答えが具体的になるような気がしませんか?
音楽が演奏されている場所は言うまでもなく三次元です。そこには広がりがあり、奥行きがあり、高さがあります。音場をそこまでひっくるめた言葉として使うならば、音場感に優れているという言い方に具体性が加わります。
(海外の)ハイエンドオーディオで重要視されている音楽ソース(録音)に、1950年代〜1970年代のアコースティック録音が多いのは、シンプルなマイキングと機材によって、音楽が演奏されている場をそっくり収録しているからで、現代のようにとてつもない数のマイクを使い、ポストプロダクション(演奏の後で、さまざまな加工をすること)でサウンドを纏めている録音には、音楽および演奏された場所の有用な情報は極めて希薄になってしまいがちです。
ただしいっぽう、ロックやポップスで、ミキシングコンソールの中で(いまならコンピューターの中で)サウンドステージを作り上げる音楽にもステレオイメージはあります。優れたミュージシャンとエンジニアが創造したこうした音場の再現もハイエンドオーディオの大事なテーマだとわたしは思っています。むろん、音場だけではなく、音像として捉えられる楽音の音色・質感再現は極めて重要なことですけれど。
マークレビンソン・アンプの登場は、オーディオ界の事件だった
ここまで記してきたことがハイエンドオーディオであるとして、どうしてマークレビンソンがその嚆矢とされているのか。
マークレビンソンは1972年、マーク・レヴィンソンという人物がアメリカのコネチカット州で始めたオーディオブランドです。彼は、プロのミュージシャンでもあり、ベースを弾き、トランペットを操る人物です。
わたしが持っているレコードでは、ポール・ブレイのピアノトリオ作品、「バラッズ」(ECM。1967年録音)のベーシストとしてマーク・レヴィンソンの名前がクレジットされていることを確認できます。
プロミュージシャンでオーディオに興味があれば、録音現場で使われている機材(プロ機器)に日常的に触れており、その理解も深まるはずです。
プロ機材が必ずしもコンシューマーのオーディオ機器に優るものではありませんが、プロ機器の優れた点をコンシューマーに転用することで、かつてない表現力(性能)を実現したアンプをマーク・レヴィンソンは世に送り出すことになります。それが(新しい)ハイエンドオーディオの始まりとわたしが考える「LNP-2プリアンプ」でした。
LNPとはロー・ノイズ・プリアンプの略。プロ機器に多用されていた増幅回路のモジュール化という手法等を活用し、それまでにない高S/N(=ロー・ノイズ、低雑音)を達成したLNP-2は、はじめはじわじわと、そしてある時から爆発的に人気が高まっていきました。繊細極まりないサウンドに多くの人が魅了されたのです。LNP-2は飛び抜けて高性能であり、またとてつもなく高価な製品でもありました。
マーク・レヴィンソンの会社、MLAS(マークレビンソンオーディオシステムズ)は、その後も理想主義的な製品を輩出し、それまでのオーディオ機器の在り方の概念を変えていくことになります。
モノーラル構成の堂々たる体躯でありながら、純A級動作を採用したことでたった25ワットの出力にすぎなかった「ML-2L」は、当時最高のパワーアンプと評価されましたし、モノーラル構成のステレオプリアンプ「ML-6L」は、コントロール機能を犠牲にしてまでも最高の音質・性能を獲得した製品として熱狂的なファンを獲得していくことになります。また大出力のパワーアンプ「ML-3L」も開発するなど、いわゆる超弩級と呼ばれるアンプがここに揃うのです。
MLASの成功を見て、あるいは同時発生的に、超弩級のアンプを引っ提げて新しいブランドが続々と誕生しました。それらは、オーディオの世界をかつてない次元に広げていき、価格レンジも(高い方に)広がりました。
ハイエンドは高価であるというのは、その意味では間違ってはいません。そして、マークレビンソンはその象徴となりました。少なくとも日本からオーディオ界を見ていたわたしはそう思っていました。
こうした新しいアンプの登場は、スピーカーシステムにも影響を及ぼします。もちろん、新しいスピーカーがアンプの設計に大きな影響を与えることもあるわけで、どちらが先ということでもないのですけれど、この頃からスピーカー設計における制約が大きく取り払われるようになったように思うのです。
すなわち、大出力あるいは電流をたくさん流せるアンプ(低いインピーダンスのスピーカーでも駆動できる)が登場してきたのですから、能率やインピーダンス特性をそれまでのように気にせずに、ワイドレンジ化をはじめ、かつてない高性能を追求したスピーカーシステムを設計開発し販売することができるようになったわけです。
これはオーディオにとって重要な転換点だったとわたしは思っています。マークレビンソン・アンプの登場は、オーディオ界全体に影響を及ぼす、ひとつの事件でもあったと言えるかもしれません.
わたしはMLAS製品を所有したことはありませんが(LNP-2をはじめ、聴いたことは何度もあります)、ローノイズで繊細なMLAS製品が展開する音の世界では、それまでなかなか顕在化しなかった、録音を行なった会場の情報、これまで述べてきた音場感とかステレオイメージが三次元的にリスナーに提示されるように(ないしはリスナーが認識できるように)なったのかもしれません。
それは、オーディオの新しい楽しみ方でした。その楽しみ方がハイエンドオーディオのひとつの重要な要素になったのではないかとわたしは考えています。
マーク・レヴィンソン氏にわたしは何度かお会いしたことがあります。彼は前述したようにミュージシャンでもあり、シンプルなマイキングで録音を行なうエンジニアでもありますが、アンプの設計技術者というよりも、オーディオ機器の開発におけるプロデューサーやディレクター的な側面が強い方です。
プロデューサーであるがゆえに、MLASの製品にはマーク・レヴィンソン個人の美意識がサウンドにも外観デザインにも強烈に反映されたのだとも思います。
そんなレヴィンソン氏にある時わたしは「ハイエンドオーディオって何ですか?」と質問したことがあります。彼は「ハリー・ピアソンあたりが言い出したことなんじゃない? ぼくはよく知らないね」と素っ気なく答えました。当事者とは往々にしてそのようなものなのでしょう。
ハリー・ピアソンとは、アメリカの先鋭的なオーディオ専門誌『ジ・アブソリュート・サウンド(TAS)』の編集長だった人で(わたしはピアソン氏とはメールでのやり取りの経験があります。強烈な人物でした)、TASによってハイエンドオーディオの概念・価値観が広められたというのがひとつの定説になっています。
TASにおいては、現実に音楽が演奏された場所での音を「絶対的な音=absolute sound」とし、このアブソリュートサウンドを製品評価の基準とするべきであるとしました(わたしはTASの読者ではありませんでしたので、もしこの理解に間違いがあれば編集部までご指摘いただけると幸いです)。
そしてハイエンドやサウンドステージといった新しい言葉を生み出し、オーディオ界に大きな影響を与えることになっていくのです。ですから、ハイエンドは音場感重視というような単純な捉え方は、TAS的概念から言うと不充分ということになります。
さらに言うと、音場とは本来録音に入っているものであって、再生側で作り出すものではありません。現代では一度完成した音源に手を加えて空間創生をすることや、スピーカーをたくさん使うことを前提にして電気的に音場を創り出す手法も注目されているようですが、それらはわたしがここで述べていることとは、ジャンルが異なるオーディオの楽しみ方になると思います。
TASの創刊は1973年。マークレビンソンLNP-2の登場は1972年ですから、図らずとも両者は同じ時代に生まれ、同時代を生きていくことになりました。(ちなみにLNP-2を初めて世に広く紹介したのはTASではなく、アメリカ『オーディオ』誌の1973年11月号における評論家バート・ホワイトの記事です)
少し脱線しますが、ハリー・ピアソンは先に触れたハイエンドオーディオで重視される録音、ありていに言えば優秀録音を次々と「発見」した、先駆者でもありました。
新しい録音ほど優れているという価値観が優勢だった時代に、初期のステレオ録音をはじめ、たとえ古いレコードであっても膨大な音情報が秘められていることを知らしめた功績は計り知れません。
ハリー・ピアソンが選んだ「ハイエンドの優秀録音」の数々は、TASスーパー・ディスク・リストあるいはHPリストと呼ばれ、現在に至るまで、世界中のオーディオファイルから高い信頼が寄せられています。
わたしもその恩恵に預かっている一人であり、それらは実際、とてつもない優秀録音揃いです。人によっては(システムによっては)これのどこが優秀録音なんだと思うかもしれませんが、それはそれで仕方のないことです……。
さらに脱線すると、日本においてもわたしが信頼を寄せる優秀録音の数々を紹介した書籍があります。ひとつは『長岡鉄男の外盤A級セレクション』(共同通信社刊)であり、もうひとつは『クラシック名録音106究極ガイド』(ステレオサウンド社刊)を始めとする嶋護さんの諸作です。後者はわたしが企画編集した本なのですが、自分で編集したにも関わらず、現在に至るまで指折りの愛読書となってしまっています。
閑話休題、とにもかくにも、マークレビンソンはオーディオの新時代を築き上げたもっとも代表的なブランドであり、わたしがそう申し上げる理由は上記のとおりとなります。
普遍的なサウンドへと変貌
マーク・レヴィンソンは1984年、MLASを離れ、新たにチェロというブランドを設立し、その後、レッド・ローズ・ミュージック、そしてダニエル・ヘルツ・ブランドに関わっていきます。また、チェロが解散すると、ヴィオラというブランドが派生的に誕生しますが、この辺のお話は置いておきます。
さて、創業者が去ったマークレビンソン・ブランドは、残ったメンバーによって創立された会社、マドリガル・オーディオ・ラボラトリーズに受け継がれます。そして、マークレビンソン製品は、MLAS時代に匹敵、あるいはそれを凌駕する高い評価を獲得していくのです。
個人的な見解で言えば、MLAS時代のサウンドには、ある種のエキセントリックさがありました。それがゆえに熱狂的なファンを獲得できたのでしょう。しかしマドリガル時代になると、諸性能をさらに向上させながら、より信頼感の高い、ある意味普遍的なサウンドへと変貌し、さらなる人気を獲得することに成功したのです。
「No26L」プリアンプ、「No20L」モノーラルパワーアンプはマドリガル初期の代表作で、日本でもスピーカー試聴のリファレンスに登用されるなど、極めて高い評価を得ることに成功しました。デザインの面でもNo26LはMLASの諸作に比肩する素晴らしい出来栄えだったとわたしは思っています。
マドリガル時代になり、製品のプリフィクスにはそれまでのML(マーク・レヴィンソン)やJC(ジョン・カール/その製品の設計者)に替わって(LNが用いられたのはデビュー作=LNP-2とエレクトリック・クロスオーバー=チャンネルデバイダー=LNC-2のみのはずです)、No(ナンバー)が使われるようになります。
これはマドリガルの製品作りが、一個人の才能に頼るのではなく、技術集団による英知の結晶に移行したことと符号しています。
なお、製品の末尾にLがついているのは、入出力端子に一般的なRCA端子ではなく、より信頼性が高いとされるLEMO端子を装備していることを意味していて、例えばLNP-2は、後年LEMO端子を装備するモデルに改良を受け、LNP-2Lとなりました。ただし、マドリガル社のマークレビンソン製品のLは、初期を除いて必ずしもLEMO端子装備を意味するものではなく、慣例的な意味合いを帯びていきます。
マドリガル社はさらなる高みを目指して、リファレンスクラスと自ら位置付けるスーパーコンポーネントを発表していきます。1991年にはプリアンプの「No26SL」とデジタルプロセッサー(D/Aコンバーター)の「No30L」を、1994年にはそれまでの常識を遥かに超えるタワー型の超弩級モノーラルパワーアンプ「No33L」が登場し、まさにこの時代のオーディオコンポーネントのリファレンスを、その佇まいとサウンドで提示してくれました。
ハーマンインターナショナル傘下となり、さらに進化
1995年、マドリガル社はハーマンインターナショナルの傘下に入ります。ハーマンインターナショナルは、スピーカーで有名なJBLをはじめ、名門ブランドをいくつも所有し、育てるグループでした。
同社がJBLを最初に傘下に置いたのは1969年ですが、1970年代のJBLの発展ぶりを見れば、ハーマングループの総帥シドニー・ハーマンが、いかにオーディオビジネスに理解があったのか、容易に首肯できると思います。
この時代のマークレビンソンの最高作と言っても過言ではないのが、電源部と増幅部をセパレートした2シャーシ構成のリファレンスプリアンプ、No32L(1999年)です。さらに、そのサウンドおよび高いブランドイメージから、2001年からはトヨタ/レクサス車の純正オプションとして、マークレビンソン・プレミアム・サウンドシステムが用意されるようになりました。カーオーディオのハイエンドの世界にも、マークレビンソンは関わっていくことになるのです。
マドリガル・オーディオ・ラボラトリーズは2003年に解散しますが、マークレビンソンは引き続きハーマングループの重要なハイエンドブランドとして活動を続けます。
この時、開発拠点はコネチカット州からマサチューセッツ州へと移転、さらに2011年にはインディアナ州に移ります。ハーマン内での所属も、ハーマン・プロフェッショナル・ディヴィジョンのハイ・パフォーマンス・オーディオ・ヴィデオ(2003年)、そしてハーマン・ライフスタイル・ディヴィジョンのハーマン・ラグジュアリー・オーディオ・グループ(2011年)へと移転していきました。
この時代の代表的なマークレビンソン製品としては、「No320S/326S」プリアンプ(2004年)があり、また、新しいラインナップとして「No50」および「No500」シリーズを展開し、パワーアンプやデジタルディスクプレーヤーも生み出しました。
この体制下での最大の成果と呼べるのは、No32L以来久しく途絶えていたリファレンスクラスのプリアンプとして2013年に登場した「No52」です。両者に共通する特質は、リファレンスの名にふさわしいニュートラル性で、言葉を替えれば演出のない(一部のオーディオファイルが好む言い方で言えば色付けのない)サウンドであったとわたしは思います。
ある意味受け身ではあるけれど、それゆえの透明性がある。そしてこのニュートラル性がその後のマークレビンソン製品のサウンドの特徴になっていったように思います。MLAS時代の音がとんがったハイエンドだとしたら、普遍的なハイエンドへと変貌していったと評価してもあながち間違いではないでしょう。
2014年に開発拠点はコネチカット州のラグジュアリー・オーディオ・センター・オブ・エクセレンスに所属が移転します。創業の州に戻り、開発スタッフも増え、マークレビンソンの製品開発がいっそう活発化していくことになりました。
No500シリーズにはプリメインアンプ「No585.5」や「No515」アナログプレーヤーと言った同ブランドにとって新しいジャンルの製品が加わり、2019年にはより幅広いオーディオファン、音楽愛好家に向けたNo5000シリーズのリリースがスタートします。
栄光の歴史を持つマークレビンソンは、創立から半世紀を経て、(以前に比べれば)親しみやすく、それでいてハイエンドのノウハウを存分に投入した機器も輩出するメーカーに転身したと言えるでしょう。
創立50周年を記念して開発されたML50モノーラルパワーアンプ(限定生産)は、自ブランドのヘリテージを充分に踏まえた優れた製品であり、この歴史に学ぶ製品開発の成果をわたしは高く評価しました。同じく記念モデルであるヘッドフォン「No5909」は、マークレビンソンというブランドを知らない人々にも、伝説を伝える役目を果たしたかもしれません。
もっとも親しみやすいハイエンドプロダクツ「No5805」を聴く
マークレビンソンの歴史上、もっとも身近な存在となるのが5000シリーズです。5000シリーズはプリメインアンプの「No5805」(90万円/2019年)を皮切りに、2020年にデジタルプレーヤーの「No5101」(65万円)とアナログプレーヤーの「No5105」(70万円)を、その翌年にはプリアンプ「No5206」とパワーアンプ「No5302」(各100万)を発表し、エレクトロニクスコンポーネントのラインナップが完成しています。
今回、あらためて5000シリーズのサウンドを楽しんでみました。
聴いたのはプリメインアンプNo5805とNo5101デジタルプレーヤー&No5105アナログプレーヤーの組合せで、スピーカーシステムは同じグループのJBL「4349」です。
No5805は、もっともオーソドックスなAB級動作による出力段を備え、出力は8Ω負荷時で125W×2。音量調整は高精度な抵抗アレイを電子制御することで行なうという高精度なもの。
MM/MC型双方のカートリッジに対応するフォノイコライザー、USB/TOS/同軸のデジタル入力も装備しています。
No5101はCDおよびSACDといったディスク再生に加え、ストリーミング対応ネットワークプレーヤーとしても使える、まさに現代のデジタルオーディオ機器。
そしてNo5105は6kgを超えるアルミ製重量級プラッター(ターンテーブル)を搭載したベルトドライブ式アナログプレーヤーで、軽量で剛性の高いカーボンパイプを持つトーンアームを採用していることも特徴です(No5105に装着したカートリッジはOrtfonの「MC Quintet Black S」)。
オーソドックスな帯域バランス、そして余裕綽々のパワフルさがまず印象的です。音像は実在感があり音色を細やかに描き分け、深々とした豊かな響きも魅力となるでしょう。音場再現にももちろん優れており、これには左右チャンネルの独立性を高める設計が貫かれていることも大きく関係しているものと思います。
また、基本的な音調が明るく、適度な艶があることも音楽を楽しく聴かせる素晴らしいポイントになっており、既述してきたマークレビンソン・ブランドの歴史において、価格だけではなく、音の点でももっとも親しみやすいハイエンドプロダクツとなっていることは特筆すべきでしょう。
50年前、マークレビンソンLNP-2プリアンプの価格はおよそ100万円でしたが、今回聴いたNo5805の価格はと言えば、半世紀前のLNP-2を下回っていることに気づきました。
絶対額として安いとは言いません。ですが、あのマークレビンソン製品が、この時代にこの価格で、しかもどこにも手の抜いたところは感じられない仕上がりで登場してくるなど、若いころのわたしには想像もできなかったことでしょう。
感動する音を再生するシステムが、良いオーディオ機器
ところで、マークレビンソンあるいはTAS登場以前に、ハイエンドオーディオは存在しなかったのでしょうか。わたしは決してそうは思っていません。たしかにハイエンドという言葉はTAS以前には、オーディオでは使われなかったのかもしれませんが(それまで使われてきた言葉としてはハイファイがそれに近いように思います)。
わたしが再生音を判断する最大の基準は、生の楽器、演奏会場で聴いたサウンドです。現実の音楽の佇まい(=自然な音)を知らなくして、再生音の良否の判断はわたしには困難なのです。
また、何の楽器がいま鳴っているのか判別できるか否かも、わたしの重要な判断材料であり、時にはオーケストラのスコアを広げてオーケストレーションを確認することもあります。つまりこれは、TASが言う絶対的な音を基準としているということとおそらく変わりはなく、ハイエンドの聴き方と言えるのかもしれません。
では、1972年以前のオーディオ機器が、迫真の音楽再生ができなかったのでしょうか。断じてそうではないはずです。とりわけ、楽音の魅力的な再現において、(新しい)ハイエンド機器を上回るものはたくさんありました。そしてそうした能力を持った機器が必ずしも高価であったわけでもないでしょう。
音場は大事ですが、それよりも楽音の質感・音色の再現性のほうがわたしにとってははるかに重要です。そもそも、音場を感知させるのは響きの広がりによりますが、響きの始まりは概ね楽音なのです。楽音の質を問わずして音場を論じることに、わたしはあまり意味を感じません。ただし、優れた録音は、音楽が始まる前に音場の(無音の)空気感を伝えてくれるもので、その空気の再生が叶ったときの快感には凄まじいものがあるのですけれど。
わたしが編集長を務めていた『ステレオサウンド』(1966年創刊)はハイエンドオーディオ誌としばしば呼ばれますが、同誌の創刊以来の基本的な考え方は、「聴き手を感動させる音こそがいい音であり、感動する音を再生するシステムがいいオーディオ機器である」というものです。あまりにも主観的にすぎるかもしれませんが、わたしはこれが(も)ハイエンドオーディオだと思うのです。
極端に言えば、価格もブランドも国籍も関係なく、音場も音像も関係なく、音楽の感動に誘うオーディオシステムであれば、それをハイエンドとわたしは呼びたいのです。そのほうが自由でいいなと思うからです。そして、さらなる願いを述べるならば、音楽と再生音楽への愛情と敬意と理解、理想の音を求める志の高さが、ハイエンドオーディオの正体であって欲しい。
オーディオ界でハイエンドという言葉が誕生してから半世紀以上が過ぎたいま、その象徴的存在であるマークレビンソンについて書くのであれば、一度、ハイエンドの歴史と意味について考えるのもよろしかろうと、そう思って綴ったのがこの文章になります。