麻倉怜士の大閻魔帳
第12回
~8Kはやっぱりスゴかった~ 麻倉怜士のデジタルトップテン2018 後編
2018年12月28日 08:00
例年と比べてオーディオ・音楽分野からのランクインが多い2018年のデジタルトップテン。しかし麻倉怜士氏にとって、今年はやはり8Kのインパクトが大きかった様子だ。それでも8K一辺倒ではなく、ユーザーが音を創る真空管アンプなどのユニークなアイテムも続々。年末恒例、麻倉怜士のデジタルトップテン。後編は第5位から第1位までをお届けしよう。
5位:ユニバーサルミュージック「麻倉怜士セレクション SA-CD~SHM名盤50」
麻倉:2018年のカウントダウンを続けましょう。第5位は私がセレクトしたユニバーサルの名盤シリーズ「麻倉怜士セレクション SA-CD~SHM名盤50」です。
昨年には自分でレコード会社を創るなど、私はこれまでソフト・コンテンツ分野でいろいろ活動してきましたが、私のセレクションで大手レコード会社がシリーズを組んだというのは、実は初めてなんです。
――先生はクラシックタイトルのライナーノーツなども多数手がけていますよね? セレクションが初だというのは何だか意外な気がします。
麻倉:配信サイトではこういう企画をいくつかやってきました。e-onkyoでは春に「麻倉怜士クラシックセレクション」を手がけています。音楽配信サイトというのはあまりにタイトル数が多すぎて「一体何を買えばいいのか」と迷う事もしばしばですよね。そんなユーザーには、いわゆるセレクトショップのような空間が必要で、それがこういう企画の意図なのです。
9月には音楽的・ハイレゾ的研究を交えた井上陽水セレクションをやりました。これは250曲の全タイトルから、音質・アレンジ・コード進行などの切り口で10曲をチョイスするというものでした。
一方のユニバーサル、ドイツ・グラモフォンやデッカなど、非常に沢山のクラシックタイトルを出しています。本シリーズは新譜・旧譜を含めて選んだ50タイトルを私の解説付きのシングルレイヤーSACDで提示するという、パッケージメディアの特集です。
――えーと、パンフレットによると「これまで紙ジャケットでリリースしてきた約200タイトルの中から、50タイトルを“源泉”」。あれ、源泉……?
麻倉:可笑しいでしょう? もちろんこれは“厳選”の誤植なんですが、スーパー銭湯でも他所から引いた温泉でもなく“源泉”というのはなかなか含蓄が深いと思いませんか。本物に限りなく近いという事で、結構意味が深いのでは、と勝手に解釈しています(苦笑)
冗談はさておいて、マスターテープの音に限りなく近づく、そういう意味で第8位のMQAとは少々方向が違います。その実現のために今回のセレクションでは3つの事をやりました。
1つ目はシングルレイヤーSACD。SACD初期にごく一部あった単層規格ですが、本格的に取り組んだのは5年ほど前のユニバーサルからです。SACDは基本的に、非対応環境でも音を再生できるようノーマルCDとのハイブリッド構造になっています。これは奥がCD層で真ん中がSACD層、そしてトップが保護層という複層構造ですが、この場合CD再生をするとSACD層がレーザー透過の邪魔を、SACDを再生すると奥のCD層がレーザー反射の邪魔をします。後方互換性は確保できますが、せっかくの高音質規格なのに音にとって良いことではありません。
対してシングルレイヤーの場合、非SACD環境の後方互換は望めませんが、ハイブリッド盤と比べてSACDの音は良好です。音質と利便性を天秤にかけた時に、音質に傾く人は必ず居る。そういう人のための規格なのです。
2つ目はSHM。これは世に出てきて8年ほど経つ、元祖高音質ディスク素材ですね。これを境に、各社からHQCDやBlu-spec CDなど、従来とは違う素材のCDが出てきました。その最新版がUAレコードやハイレゾCDシリーズで採用されているUHQ-CDです。光学メディアは信号層のピットにレーザーを当て、反射光を読み取りデジタル信号を得ます。この際に信号層でレーザーが乱反射してノイズ源となる迷光がいくらか発生するのですが、高音質素材はこの迷光が少ないため、音が良いという仕組みです。
3つ目は音匠仕様。DVDの音を良くするソニーDADCの研究で発明された技術で、DVD-Rで音を良くするためにレーベル面の色を変える研究で選ばれた、特殊インクによる緑色を採用しています。緑は赤色レーザーの補色で、これもやはり迷光対策により音が良くなるという原理です。
――回転中のディスクは常に細かく振動し、不規則な迷光が発生します。これを吸収することでサーボ回路をあまり働かせる必要がなくなるため、結果的に音質低下を防げる。というのが、音匠仕様のざっくりとした仕組みですね。
麻倉:解説ありがとう。音匠仕様の技術的詳細はソニーのオーディオ技術者であるかないまるさんが詳しいので、気になる方は調べてみると良いでしょう。
さて、今回のものは“セレクション”とある通り、再発売のカタログタイトルです。従来盤も私がライナーノーツを書いていましたが、こちらは凝った作りのパッケージにコストがかかっている上に、ちょっと開けにくかったのが問題でした。なので今回は一般的なジャケットへ変更。コストを下げつつディスク自体のクオリティは維持しています。
音源はクーベリック、カラヤン、小澤征爾、アルゲリッチ、ベーム、クライバー、アバド、ムラヴィンスキー、ショルティ、メーター、ポリーニなどなど、これでもかと言わんばかりの名演・名録音をセレクトしています。
素晴らしい録音では、エルネスト・アンセルメ「三角帽子組曲」や、カラヤン「惑星」。中でもカラヤンの「オペラ・バレエ曲集」に収録されている、'70年録音の「だったん人の踊り」、クーベリックがボストン交響楽団を率いた「わが祖国」は特に素晴らしいですね。その他も目を瞑って選んだって大丈夫なくらい、全部が全部名録音です。共通ライナーも執筆しているので、ぜひお求め下さい。
4位:DAC/ADC/真空管プリアンプ コルグ「Nu1」
麻倉:第4位はこの秋に登場した真空管プリアンプ、コルグ「Nu1」です。
――第10位のジュビリープリに続いて、またまた真空管アンプですね。最近はアナログのデバイスがかなり注目を浴びており、秋のインターナショナルオーディオショウでも殆どのブースで真空管コンポーネントやレコード関連製品などを見ました。
麻倉:それらはおそらく古式ゆかしい真空管の機器でしょうが、コルグがやることは一味も二味も違いますよ。搭載されているのは横長の自社開発小型真空管「Nutube」、これまでは楽器向けのギターアンプなどに使われていたのが、最近はCayinのポータブルプレーヤー「N8」など、オーディオ関係でも使われはじめてきました。
コルグはDSD黎明期から対応製品を発表してきた1bitプロセッシングに強いメーカーで、3年前には「DS-DAC-10R」を発売。当時最先端のフォーマットだったDSD 5.6MHzでの録音・再生が可能なオーディオインターフェイスとして、重宝されました。今回は時代の流れに従って、DSD 11.2MHzでの録音・再生に対応しています。電源も10RのUSBバスパワーからAC駆動となり、バランス接続に対応しているほか、録再可能なADC/DACを搭載。4台同時接続することで最大8chのDSD録音が可能です。
録音は完全にピュア志向で、RAWの音を録る、その品質を磨くことに徹する。コンプレッサーもイコライザーも入れません。ところが再生系は一転して“何でも出来る”ようにしています。これは聴く人が好ましい音を“創る”ことで音楽体験を豊かにしようという、一般的なオーディオとは全く異なる楽器の考え方に由来するもの。真空管による官能的・感動的な音の変化を上手く加味して、オーディオのDAC・プリアンプを作ってみよう、というのがNu1の発想なのです。
楽器的な音作りを支える機能は2つ。ひとつは「HDFC(Harmonic-Detecting Feedback Circuit/倍音抽出帰還回路)」。真空管による信号増幅で発生する倍音成分を抽出し、再生系に帰還する回路です。石(半導体)と違って球(真空管)は倍音がリッチに出ます。ギターアンプで今でも真空管が好まれるのはこのためですが、オーディオでこんな機能は聞いたことがありません。
開発途中にこの機能の音を聴きましたが、その時感じたのは「ちょっとやりすぎじゃないの?」。確かに音は大きく変わりますが、それが必ずしも良いわけではなく、変わりすぎてマッタリしたんです。倍音を入れると音は優しく芳醇になる一方で、それと同時に切れ味は落ちてしまいます。HDFC機能で感じたのは、セクシーさ・色彩感。オーディオ的な感覚で聴くと、これらは明らかに付加した感じでした。
でも楽器メーカーからすると、社内的にもユーザー的にもこのくらいキャラクターを立たせないと許されないそうです。と言うのも、楽器でのイコライジングはいかにも「自分が調整した」と言うくらいの音の変化が大切にされます。
ですがオーディオではあまり付加的なものが入ると、ホールのサイズ感や響きの雰囲気などといった元の音の良さがマスクされてしまい、F特的にも強調されていると感じます。この時、開発陣へ伝えたアドバイスとしては「もう少し効果を抑えた方が良いのでは?」というもの。最終的には効果の調節ツマミ搭載によって、非常に良い感じで調整されました。
――楽器の感覚で設計するとオーディオとしては過剰になる、奏者と聴衆のギャップが表れているように感じます。
麻倉:ここまででも相当にユニークですが、本機はそこに飽き足らずさらに隠し玉を用意してきました。それが楽器的な音作りを支える機能の2つ目「S.O.N.I.C リマスタリング・テクノロジー」。これはUSB DACとして接続した時に「圧縮音源、もっと言うとYouTubeを再生した時の悪い音を改善しよう」という目的の機能で、実態はなんとマスタリング技術者のオノ・セイゲン氏謹製サウンドフィルターです。
世界中から投稿されたネット動画の膨大なライブラリーには、パッケージ化されていないライブ音源なども多い。ですが残念なことに、YouTubeなどはスマホやPCでの再生を前提としたフォーマットなので、圧縮が強く、音がとてもプアです。これをどう直すか、オノ・セイゲン氏は自分の技術・職人芸・ノウハウを入れた独自のイコライザーやフィルターを通して、少しでも良い音に直してYouTubeを楽しんでいたとのこと。そんなオノ・セイゲン氏のマスタリング技術を普遍化・機能化したのが、「S.O.N.I.C リマスタリング・テクノロジー」なのです。
USBでNu1をPCに接続し、ASIOドライバー内に追加設定をインストールすることで本機能は使用可能に。専用コントロールパネルから、低域・中域・高域の3つのノブで調節でき、それとは別にプリセットを選べます。その数、およそ100種400パターン! プリセットは系統別にナンバリングされていて、100番代はわずかに効果を足しているもの、200番代はアグレッシブに音が変わるもの、300番代は特定の楽曲に合わせたものが割り当てられています。300番代の中には、ハイレゾのリファレンスで超有名なあの楽曲向けの「ホテルCA」モードなんてものも。
――大人の事情でこの表記になったようですが、まあこれ使う人ならば判りますよね(笑)
麻倉:この機能の試聴として、この夏に逝去したアレサ・フランクリンのライブクリップをYouTubeで鑑賞しました。客席に居たキャロル・キングがサプライズで登壇して「A Natural Woman」を歌ったという、まさにお宝映像です。
S.O.N.I.C不使用の場合、低域はモチャモチャして薄い、高域はノビない、明瞭度は低い、ザラザラしたノイズは多いと、本当に貧しい音だったのですが、リマスターをかけるとこれがもうビックリ! 低域はリッチになって音の厚さも出てきて、ヴォーカルの音像もしっかり、全体的にキラキラしました。
YouTube用に作った機能ですが、CDやハイレゾの再生などでも使えます。この場合は悪い音声を良くするだけでなく、元々良い音声を更に良くする方向に働きます。CDで「ホテル・カリフォルニア」を聴いたところ、元の音に比べて音の深みや広がりが出てきました。
この様にNu1は、HDFC+S.O.N.I.Cの二段階で好きな音源を徹底的に愉しみ尽くすことが出来ます。1つの音源に対して二重三重に愉しむ、それはまるで楽譜(音源)を自分なりに解釈し、音色や立ち上がりなど様々な手法でもって感性を表現する音楽家の様でもあり、そのあり方はかつての“レコード演奏家”そのもの。
思うに現在、演奏と再生は世界が断絶しています。原音再生への行き過ぎたこだわりから、オーディオはあまりにストイックになりすぎてしまいました。演奏家は同じ楽曲でも様々な方面からアプローチをかけますが、再生側は“原音”なるものを唯一神のように捉えてひたすらに目指すというように、考えが硬直していると感じます。
それに対して、Nu1は感動的な音へのアプローチとしてユーザーが積極的に音色を選べます。楽器的な考えでいくと目的は原音ではなく感動であり、あらゆる手段を使って感動を追求する。再生だけを考えていたオーディオのコミュニティに、こういう発想はなかなか出てこなかったのではないでしょうか。
この様なコルグの姿勢を私は「皆が狙っているのは“高音質”、Nu1はそうではなく“好音質”」と見ました。もちろん好きな音には様々な切り口がありますが、真空管を使って音を創ることが出来るかもしれないという発想がとてもユニークであり、楽器メーカーらしいアプローチです。ここが非常に面白いと思いませんか。
――「“高音質”から“好音質”へ」、とっても素敵! 第8位のMQAも同じテーマで掘り下げましたが、本来千差万別で正解なんて無いはずの音楽のイマを、的確に言い表している様に見えます。
麻倉:コルグのホームページには「従来のオーディオメーカーの延長ではない、楽器メーカーならではの音作り・コンセプトを大事にしてオーディオを期待」という私のメッセージがあります。Nu1は “コルグ色が強い”楽器メーカーらしい、好きな音を創ることができるDACアンプ。これはオーディオの流れの中でも、大変に画期的な事だと私は主張します。
3位:ザ・ビートルズ「White Album」
麻倉:第3位は今年ハイレゾ配信されたザ・ビートルズの名作アルバム「White Album」です。
私はこの4月から早稲田大学エクステンションセンターで「ザ・ビートルズ全曲分析」を開講しています。コード進行や音律、音型といった楽典(音楽理論)の面から実例を交えつつ分析する、数年がかりの大講義です。そんな中でe-onkyoからWhite Album配信を記念した企画記事の依頼を受けました。
活動中期以降のザ・ビートルズはコードがどんどん複雑化してゆき、後期作品にあたるWhite Albumともなると一筋縄ではいかない楽曲が多数あります。基本的なダイアトニックコード(その調の音階音で構成される和音)での展開に、ノンダイアトニックコード(非音階音和音)で味付けされるという点において、一般のポップスとザ・ビートルズ楽曲に大きな差はありません。
ですがそれ以外の観点を見てみると、「ブルーノートの旋律とコードでの活用」、「フラット系ノンダイアトニックコードの活用」、「近傍/遠隔/ブルーノート/半音スライドなどの華麗な転調芸」、「音階そのままの上行/下行やヨナ抜きペンタトーンなどの旋律芸」、「半音/音階にしたがって下行するクリシェ(常套句)」などなど、ザ・ビートルズならではの独自手法が実に多く使われていることに気付かされます。これらを活用して自分たちの音楽を切り拓いたこと、そこにメンバーによる音楽性の違いが色濃く出たことが、本アルバムの分析で発見できました。
第1曲「Back in the U.S.S.R」の印象的なジェットエンジン逆噴射音が残滓の様に被る2曲目「Dear Prudence」、CDだと右定位で音色も単音が目立っていた冒頭のギターが、今回のハイレゾ版では若干左寄りのセンターに移りました。Eの音からほぼ1オクターブ下のF#までのビートルズ的なクリシェ進行は、CDだとくっきり描かれた音の輪郭によって下行具合がはっきり聴き取れるのですが、ハイレゾ版は非常に明瞭ながら全体のサウンドの中にきれいに溶け込み、合奏感が強くなりました。言うなれば“トータルな音楽的なまとまりを重視したリミックス”。ジョンのヴォーカルもCDより質感が緻密で、丁寧な語尾はPrudenceに優しく呼びかけるようです。
9小節目からのBメロディの「♪The sun is up, the sky is blue」という部分では、半音でクリシェ進行するベースがマルカート(はっきり、明確に)で輪郭を立てて堂々と奏じます。CDのベース音は単音的でくっきりと盛りあがっていましたが、ハイレゾ版ではそこだけをフィーチャーするのではなく、やはり合奏の一員としてバンドを支えるように聴け、音の密度感も向上しました。
サビ部分ではD音のドローン(持続音)に「♪Look around, round」の繰り返しが重なります。ジョンのヴォーカル、ジョージのギター、そして呪文の様なコーラスの三重奏によって音楽は驚くほどの盛り上がるのです。個々の描写が秀逸であると同時に、それらが統合された一体感の濃密さが、ハイレゾ版では感じられるでしょう。
これに続く「♪Dear Prudence」との呼びかけには、左チャンネルからギターの明瞭なリフで返事がされます。ジョンのヴォーカルが金属的な鋭さを見せるこの部分でも、個々の要素を強調しているCD版に対して、ハイレゾ版は楽器・ヴォーカル・コーラスというバンドとしての統合感・融合感が強くなっています。
10月にユニバーサルの試聴会が開かれた際に、ジョージ・マーチンの息子でリミックスを担当したジャイルズ・マーティンさんが登壇しました。その時ジャイルズさんは「“ディア・プルーデンス”のギターの入りの部分がステレオになったことでより美しくなったというのが私の実感です。きっとジョンもこのサウンドを目指していたんじゃないかと、思っています」と言っていました。
――CD版では音を“乗せていた”のに対して、今回のハイレゾ版は音を“混ぜている”という感じでしょうか。ソロプレイの重なりではなく、ひとつの音楽としてのセッション・合奏のあり方を提示している様に感じます。
麻倉:不思議なコード進行満載の「Julia」や、大正ロマン的なノスタルジーを湛えた「Honey Pie」などなど、語り出すと紙幅がどれだけあっても足りません(苦笑)。それだけこのアルバムには見どころ・聴きどころが山程あります。そういった魅力は、今回のハイレゾリミックスによって大きく引き出されたと言えるでしょう。ハイレゾ化・リミックスにより楽曲のサウンド的構造が明瞭になり、CDでは判らなかった音楽的構造がクリアに浮き出て、それにより本アルバムの価値が飛躍的に高まりました。ザ・ビートルズを深く識る上で、本作は是非とも聴かなければならないマストアイテムとなったのです。
2位:e-shift 8Kプロジェクター JVC「DLA-V9R」
麻倉:第2位はJVCのe-shift 8Kプロジェクター「DLA-V9R」。私の印象的にブランド名は“JVC”よりも“ビクター”の方がしっくり来るので、ここではビクターで語ります。
――ビクターのプロジェクターは数年連続でデジタルトップテンにランクインしていますが、今年の新作は如何でしたか?
麻倉:今年の新作も、やはり素晴らしいですよ。特に凄いのは、映画コンテンツがものすごく映画らしくなることです。
家庭での映画コンテンツ視聴文化はVHS以降脈々と続いています。私もスクリーン視聴の歴史は長く、'90年代初頭から業務用バルコ数台、その後に「CineMAX」、「QUALIA 004」、「VPL-VW1100ES」などを乗り継いで、今はビクターの「DLA-Z1」でネイティブ4K環境を構えています。そういう意味で私は三極管と液晶という、アナログとデジタルを両方の絵を経験してきたと言えます。
そんな私でも、これほど映画らしい質感・表現性を兼ね備え、微細な部分まで心配りが行き届いた映像というのは、少なくともホームシアターのスクリーン上では見たことがありません。これ程までにシネマチックな絵が楽しめたことは、この秋最大の収穫と言って過言ではないでしょう。
デバイスはZ1と同じサイズの0.69インチ。画素的には8,190×4,320ドット、アスペクト比はZ1の時と同じで17:9という、ハリウッド基準のフォーマットを採用しています。今回の目玉はやはり8Kの精細さですが、それを言う前にコントラストが良くなった事に大変驚きました。
ビクターは元々コントラストに強い会社というイメージがあり、昨年モデルの「DLA-X990R」はネイティブコントラスト比が16万対1と圧倒的。では今年のV9Rはと言うと、コントラストは旧フラッグシップモデルであるZ1より遥かに良いんです。
開発途中のものを9月のベルリン・IFAで観ましたが、この時は正直言って8Kの凄さはイマイチでした。ところがその後に改めてビクターで観ると、脳内再生できるほど焼き付いている絵に対して「これほど新しい表現ができるのか!」と、大変に驚いたのです。
例えばビコムの「宮古島」。これのチャプター4、東平名(ひがしへな)灯台のシーンは遠くに灯台が見える遠景の映像です。パッと見でも遠くまでの距離感や手前の芝生の立ち方に感動ましたが、特に驚いたのが岩の表現でした。一般的に中域を少し上げてモリモリ感を岩につけると結構クッキリするのですが、今回は全く逆で、中域は上げていません。でも岩の持つ存在感がとてもリアルに盛り上がっていて、いかにも“頑張って強調しました”なクッキリ感が全く無い、生成りの鮮明さ、クッキリ感、透明感がありました。絵作り・画像表現で自然なリアリティを持っている映像は、宮古島では初めてのことです。
近景になるチャプター5の長間浜では、海水の透明さが尋常ではありません。この部分は元々がとても透明な映像ですが、それでもV9Rは透明度がまるで違います。レンズ効果で見る、濡れた時の海水を通した砂の輝き感や、波が引いて水が急に砂の中に入る、その時の砂浜に現れる黒い模様の輝き方、押し波と引き波が交差し、水飛沫が生まれる自然のダイナミズムが織りなす透明な輝きが、大変精密かつブリリアントに再現されていました。
砂浜の砂はサンゴ礁が砕けたものなので、白だけでなく赤や銀などの色が一粒ごとに付いています。その個々の粒子に生命力が宿り、極小の微細な立体感を感じました。解像度が低いとフラットな感じに見えて微細な凹凸は出ませんし、中域を強調すると輪郭が立ち上がり、全体がスッキリしない複雑なものになってしまいます。V9Rはそうではなく、非常に多い情報量がスッキリ出てくる。この様な映像はワンアンドオンリーです。
映画コンテンツは「マリアンヌ」を観てみましょう。見どころのひとつは、肌描写の美しさです。
デジカメの“美肌モード”みたいに表面のディテールを削って出す整い方ではなく、V9Rではお化粧的な美しさが出てきます。ディテールがものすごく出てキレイなグラデーションが同時にあり、なおかつ毛穴や肌の凹凸が嫌味なくなめらか。頬骨に沿った肉付きに影とハイライトが出ますが、段差や強調感は皆無。表面をカットするのではなくディテールを集積し、非常になだらかなで滑らかな肌のグラデーションが実現します。言うなればそれは眼前で観るキレイな肌の映像。粒子サイズが細かく、人工的な強調感・減衰感・お化粧感・ブースト感がまったくありません。この様な肌表現はドラマツルギーの中の微細な一因になります。
しかもこれが8Kになることで、信号もアプコンするからそれだけ伸びるわけです。その高域信号がキチッと出てくると粒子はより細かくなり、生身の肌が持っている本当の意味での生命感がスクリーンを通じて響いてくる、こんな映像は初めてです。
――ナチュラルを描き出すプロジェクターですね。派手さよりも奥深さに画質の重点を置いていて、長く付き合うことができそうです。
麻倉:V9Rにはもうひとつ、HDRガンマ補正というビクターの特許的技術が入っています。一般的なピーク輝度と平均の輝度のマネジメントと違い、HDR時のガンマ補正となると少し数値が変わるだけで色がガラッと変わってしまいます。この技術を使った、特に暗いシーンにおける階調のHDRモード変更はビクターが上手いところです。
ピクチャートーン/黒補正/白補正の三本柱で構成されている本技術。Z1まではマニュアルで、ピーク輝度のデータも必要、感覚的な経験も要求される、かなりスパルタンな仕様でした。それが今回はメタデータに応じて設定を変えてくれる自動調整が入り、より多くのユーザーにとって使いやすくなりました。ここから更に、自動調整をかけて手動カスタム出来るとなお良いですね。これはビクターに要望を出しているので、今後に期待したいところです。
いずれにしろ、V9Rは映像の素晴らしさと使いこなしが、ビクター的な文脈で価値が上がったモデルだと言えるでしょう。ホームシアタープロジェクターとしてのD-ILAは15年目。記念の年にふさわしい、表現性豊かな、ビクターでないと作れない、映像の価値を持った素晴らしい逸品です。価格はZ1の350万円に対して、こちらは200万円。レーザー光源ではないため明るさは敵わないですが、出てくる絵を考えれば意外に頑張った価格設定だと言えるかもしれません。8Kネイティブは入りませんが、V9Rは4Kハイエンドモデルとして価値のあるモデルです。
1位:8K放送
――いよいよ2018年の第1位です。今年最も注目をしたものは、ズバリ何でしょう?
麻倉:それはもう、何と言っても8K放送です。AV文化における大きなパラダイムシフトであり、その意義については先月に述べているので、今回は実際に放送された番組のレビューなどをお話しましょう。
4K放送は世界に遅れたスタートとなりましたが、8Kは押しも押されもせぬ世界初、AVの夢・憧れ・到達点です。そんな歴史的瞬間を祝して、NHKは渋谷のストリームでイベントを開催。受信だけでなく多分野への8Kのひろがりを展示しました。その中に440インチのソニー「CLEDIS」と英国・マーティンのスピーカーによる22.2chサラウンド展示があったのですが、これがもう最高だったんです。
――CLEDISによる8K番組放映はCEATECのソニーブースでも体験しましたが、巨大な壁に表れる細密な映像美に、ただただ圧倒されてしまいました。
麻倉:液晶やOLEDなど、ディスプレイデバイスは様々ありますが、マイクロLEDの能力はもの凄く高いです。中でもCLEDISは特に性能が良く、黒が完全に黒へ沈み込み、白ピークまでの階調の情報が極めて多いのが特長的です。そのため渋谷でも8Kの精細感がとても出ていました。
最も感動したのが、ネルソンス/ウィーン・フィルの「8K第九」です。まず画質が圧倒的で、黒再現・HDR再現はまさに現代トップ。ネルソンスは目配せが上手いマエストロで、第1楽章は音も表情もやや硬かったのが、曲が進むと共に高揚し、第2楽章からよりヴィヴットでしなやかに。演奏が進むにつれてネルソンスもウィーン・フィルものってきたのか、熱気で出る汗が楽器にしたたり落ち、まるで「見える」ように音のノリが描かれていました。
ホールを捉える8Kカメラは五台。ステージ上と、サイドカメラの画質が特に良かったです。曲の始めは引きの絵が多かったのが、進むにつれてソロやパートの部分にクロースアップ。流石の8Kも引きの絵だけでは物足りなくなりますが、適切なタイミングでアップが入るクラシック向けの緩急自在なスイッチングも実にお見事でした。
楽友協会合唱団の男性のネクタイに入っている「Wiener Singverein」の文字、壇上の楽譜もクリアに読む事ができ、弦楽器の飴色に乗る反射は実にシャープ。細部まで彫塑するネルソンスの音楽指向と、徹底的に細部を描く8Kが見事にマッチングしており、高画質が演奏情報をビジュアルで雄弁に描く様は見事と言うほかありません。
音質に関しても、NHKが選んだイギリスはマーティンのスピーカーは良いですね。ハッキリした音はハッキリ、オケは凄くしなやかという様に、柔らかい音も豪傑な音も鳴らします。展示ではウィーン・フィルらしいグロッシーさ、あたたかさがよく出ていたのが印象的で、第4楽章のバリトン/テノールは剛性が高く爽快な声が印象的でした。サラウンドの音配置としては、基本的に画面の下側にステレオ音場があり、イマーシブチャンネルはアンビエントに徹しています。
8K映像と22.2チャンネルによる、情報量の多い現代的な第九は、圧倒的な画質、音質、演奏で、見る人を楽友協会大ホールに誘いました。これを視聴できたことは、人生の素晴らしい体験と言って全く過言ではありません。演奏が時間とともに刻々と変わり、ステージ上の奏者間による目配せなどの濃密なコミュニケーション空間がビジュアルで再現されることで、音楽そのものも実に活き活きと聴こえる。基本的に絵が良くなると音がよく聴こえ、音が良くなると絵が良く観える、絵と音の相乗効果というものがありますが、これが8Kともなると、単なる画質云々に留まらず、コンテンツ内で絵がどう展開するかが音楽にも反映されるのです。
その他に関して、自宅では先月紹介した通りシャープの80インチで視聴しています。基本的に8K撮影されたNHKは素晴らしいですが、やはり民放の4K放送は頑張って欲しいところです。と言うのも、民放系はあまりに“真水の4K”が少ない。NHKは黙っていても4K・8Kで安心できますが、民放は番組表をよくよく探さないと本当に無いんです。実際に番組を観てみても「これ本当に4K画質?」みたいな感じの事もあり、ある意味で宝探し感覚。
そんな中で感心したのが、通販チャンネルのQVCです。細かい映像をクッキリ出すのではなく、質感をしっかり出す。情報量を強調するではなく、あるがままの良さを引き出す。ここの4K画質は素晴らしいと感じました。取り扱っている商品は基本的にモノが良いので、4Kで非常に豊かな質感が出ます。例えばファッションモノやタオルといった生地は、質感こそ命。これは2Kで視るよりも遥かにモノの本質に届く訳で、同じ被写体でも4Kで視るとモノ自体が良く観えます。しかも画調はギスギスしていないので、人肌も凄く柔らかい感じです。番組として売る意欲はあれど、例えば赤や輪郭をガッツリ出すといった強調感は意外と少ない。すごく素直でありながら質感が良いという映像が、4Kのウリにつながっています。
NHKによる2015年の4K製作番組で、日本の独立時計師・菊野昌宏さんを追った「よみがえる 和の刻(とき)『独立時計師 菊野昌宏の挑戦』」も良かったです。ヤスリがけの痕跡や、工作機械で金属を加工した時に出てくる金属くずの、光の凝縮感というか物質感というかに非常に独特なものがあります。金属表面はよく見るリジットな感じがしますが、くずになるとかつお節の様なふわっとした質感が出る。そういう光り方が素晴らしい。4K・8Kならばそこまで出せる表現力を持っています。
――4K・8K放送についてお聞きしたいことが。先月の連載に対するネット上の反応で「自宅に入るにはまだまだ時間がかかるよね」という感想がいくつか見られました。まだ縁遠い世界だと感じている人がどうにも多い様ですが、もっと身近に4K・8Kの良さを感じられる話は無いですか?
麻倉:経験談からいくと、8Kの導入は確かに結構大変です。私は評論家という業務上の立場もあって入れないわけにはいかなかったですが、この様に一足飛びでいきなり8Kを導入するのは、実際問題としてなかなか難しいでしょう。
でも4Kの右旋放送ならば、現行のBS受信用の環境と全く変わらないので、4Kテレビですぐに導入が可能。以前のモデルはHDRや60pに非対応だったりしますが、昨年くらいからのモデルはこの辺りに全て対応しています。最近の4Kテレビを持っている人は、数万円程度のチューナーを追加するだけで4Kライフを始められます。コンテンツの操作性も含めると、ディスクに焼けるレコーダーならば将来性も期待できます。なのでまずこの辺を試してみて、後々に段階的に入れてゆけば良いでしょう。
肝心の画質ですが、4Kでも充分に素晴らしい絵が観られます。少なくともNHK SHV 4Kは右旋で真水の4Kが安定的に出てきており、画質的にも内容的にも素晴らしい番組が多い。8Kには4Kと圧倒的に違う感動がありますが、設備もかなり違い、アンテナ/ケーブル/変換器/コンセントなど、かなりの部分で更新が必要となるでしょう。でも私の経験では、8Kで得られる感動と比較するとその様な点は些末な問題で、8Kを導入すると素晴らしい未知の世界が広がっている事は確かです。
ただし、バラエティ番組や深夜番組などが大好きな人には期待はずれだと思われます。と言うのも、2Kまではズームやスイッチングなどが一般的なのに対して、4K・8Kはもの凄くアーティスティック。BSも含めて、2Kまでと4Kからは映像の作り方が全然違うのです。地デジ的なシャキッとしたフレーバーやバラエティ性を4Kに求めるのは間違いで、そういうニーズは2Kの地デジ・BSへ求めた方が幸せです。ですが、そうではない芸術性が全ての分野にある。音楽や自然モノはもちろん、スポーツだって通販だって、芸術性を追求することは可能です。
1年を振り返ってみて、今年も大変収穫がありました。来年はおそらくシャープ以外にも8Kテレビが出てくるだろうから、大いに期待したいと思います。
――「夢」はまだ始まったばかり。これからどの様な世界が見られるのか、楽しみでなりません!