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第461回

「NHKプラス」に感じるテレビの新時代。“あたりまえ”がようやく形に

3月1日から、NHKがテレビ放送のIP同時再配信・見逃し配信サービス「NHKプラス」を試験的にスタートする。

iPhone版の「NHKプラス」アプリ。3月1日の試験運用開始に合わせて配信される。正式な開始は4月1日。利用は、受信契約者に対しては無料

NHKのネット同時&見逃し配信「NHKプラス」機能詳細が明らかに。チャプタ再生も

すでにアプリの機能などは本誌でも伝えられているが、その狙いと価値について、改めて解説したい。

意外なほど「よくできた」作り、同時再配信と見逃しに対応

「NHKがアプリを作る」というと、みなさんはどんなイメージを持つだろうか。正直、あまり大きな期待をしてはいないのではないか、と思う。「NHKオンデマンド」アプリも含め、過去にNHKが出してきたアプリは、あまり使いやすくない。良く言って「水準程度の出来」だったように思う。

記者向けの体験会に行く時、筆者もあまり大きな期待は抱いていなかった。

だが、である。

予想に反し、「NHKプラス」はかなり完成度の高いアプリになっていた。細かなところに戸惑いはある。だが、機能・価値の面で「地上波テレビ放送を見る」ことを考えると、満足度の高いものになっている。

体験できたのはiPhone版のみだが、アプリはAndroid版も用意される。PCとタブレットについてはウェブ版を利用するのが基本だが、iPadについては、iOS版を併用することも可能だ。

NHKプラスの解説ページより。PCやタブレットのブラウザー上ではこのような画面になる

構成としてはシンプルだ。アプリを開くとまず「リアルタイムでの同時配信」が見られる。視聴できるのはNHK総合とEテレ。同時といいつつ、放送とは最低30秒の時差がある。これはしょうがない。起動時にも告知がある。

アプリ起動時には「放送から30秒程度の遅れがある」ことが示される

実のところ、単に見るだけならこれでいい。NHKの受信契約に基づく登録手続きはあり、そこがハードルではあるが、一度やってしまえばそれで終わり。日常的には、「とりあえず難しいことは考えず、アプリを開けばOK」という建て付けになっている。

縦画面で放送の同時配信を視聴。単に見るだけなら、難しいところはない

「追いかけ再生」もできる。見始めた段階で番組の途中だった場合にも、番組の頭に戻るボタンを押せば、そこから再生を始められる。ライブ配信との違いは、「ライブ」ボタンが赤く光っているかどうかで確認できる。

横画面で視聴。「LIVE」の表示が赤くなっている時は同時再配信。追いかけ再生時には白くなる。タップすれば「LIVE」に以降する

当然ながら、こうした配信はすべて電子番組表(EPG)に従って流れている。なので、番組名や番組情報も、EPGに従って挿入されている。番組検索も可能だ。

EPG情報に応じて、同時再配信のものも含め、グループ化して表示される

過去一週間の番組を視聴できる「見逃し配信」もシームレスに統合されている。画面下の「キーワード」や「配信カレンダー」、「プレイリスト」からは、番組を自由に探せる。キーワードからの検索はもちろん、EPGに沿って時系列で探していくこともできる。ポイントは「プレイリスト」だろう。「ドラマ」や「ニュース」などのカテゴリ別にまとまっているだけでなく、「#新型肺炎」などのキーワードによるプレイリスト化も行なわれている。そのキーワードに沿って、過去の番組がまとめ見できるようになっている、と思えばいいだろう。

番組はカテゴリ分けされており、まとめて見やすい工夫がなされている。「#」つきで表示されているのがグループ名。「まとめ」という表記も含め、ネット的文化の影響が見える

キーワードは「#」つきで表示されているが、別にSNSなどハッシュタグを取得しているわけではない。20ほどのキーワードが、あくまで「人力」によって設定されている。ネットっぽく見せるために「#」ということなのだろう。NHK側の説明によれば、10ほどはジャンルなどの固定タグが指定され、残りはその時期に応じて、トレンドにあったものをNHK側が選択してつけているのだとか。

見逃し配信の場合、注目なのは、ニュース番組(おはよう日本・正午のニュース・NHKニュース7・ニュースウォッチ9)の場合、ニュースの項目ごとにチャプターリストがつくことだ。ニュースを見出し単位で短時間で見られるので、とても便利だ。

ニュース番組の見逃し再生時には、「チャプター」ごとにニュースを見られる

ただ、こちらも現状は「人力」とのことで、リアルタイム再配信時にはチャプターはなく、見逃し配信がスタートして1、2時間後に設定されるという。

番組単位でのシェア機能もある。NHKプラスを視聴するためのURLが作られる仕組みで、番組単位でサムネイルも用意されている。番組の冒頭からシェアすることもできれば、番組の途中、特定の場所からシェアすることも可能だ。

「共有」ボタンも。「番組を共有」が番組最初からの共有で、「場面を共有」が、再生している場所を指定しての共有だ

画質は最大で960×540ドット・1.5Mbpsから、最低416×232ドット・192kbps。字幕にも対応していて、番組外に表示するのか、番組内に表示するのかも選べる。スマホ視聴の場合音声を出せないこともあるので、字幕機能は必須といえる。

アプリの設定項目。Wi-Fi・セルラーそれぞれでのデータ量も指定できる

なお、伝送に使われている技術は、iOS向けとPC/Androidで異なる。iOS向けにはHLS(HTTP Live Streaming)が、PC/Android向けにはMPEG-DASHが使われている。どちらも、回線速度に応じて自動的にビットレートを切り換える「アダプティブ・ビットレート」技術として、ごくごく普通に使われているものだ。NHK側も「あまり奇をてらったことはせず、標準的な技術を採用している」と話す。

テレビの前にいなくてもテレビ番組の価値を感じる

「NHKプラス」アプリは、この種のアプリをまったく使ったことがないと、正直戸惑いはあるかもしれない。だが、UIとしては標準的なもので、そこまで突飛なことはしていない。YouTubeやAbemaTV、TVerなど、先行する同種の機能を備えたアプリをよく研究し、必要な機能をシンプルに搭載したもの、といっていい。コストも工期もかけた、ちゃんとしたアプリだ。

使ってみて筆者が感じたのは、「テレビの前にいなくても、これでいいな」という感触だ。もちろん、画質や遅延の問題はある。だが、放送にない「オンデマンドとライブ配信の融合」がちゃんとここにある。日本のテレビでは、このあたりまえのことができているサービスがない。TVerは「見逃し配信」が基本で、まだライブ配信はテスト段階だ。AbemaTVは似たことができていたが、「放送」ではない。AbemaTVが一歩先んじて実現していた「放送に近い感覚の配信」と「コンテンツライブラリーとしてのオンデマンド」の両立に、ようやく放送が追いついた、といってもいい。

放送局は、日常的にコンテンツを生み出す巨大な産業である。方向性に疑問を感じることはあっても、その「質」と「量」はバカにできない。なにしろ、いまだ配信を見ている人は少数派であり、お金は放送のためのコンテンツに回っているのだから。

放送局が「放送」という仕組みのためのものでなく、「コンテンツを生み出す機構」だと考えれば、価値と接触機会の最大化のために、ネット配信を整備するのは自明のことだ。NHKプラスではやっと、その「あたりまえの姿」が実現されている。

コンテンツ視聴の機会最大化という意味では、「一週間」という見逃し視聴の制限もうまく調整されている。次回の放送が「始まる時間」で配信が終わるのではなく、「終わる時間」で配信が終了するようになっているからだ。例えば、ドラマのある回をたまたま見忘れたとする。テレビをつけると、次回(すなわち今週分)が始まっている。その時にも、NHKプラスでの見逃し視聴は可能だ。見逃しを見てから、改めて、その週放送分の見逃し配信(すなわち最新の回)を見て追いつけるようになっている。

シェア機能があるのも、面白いと思った番組を活用するためだ。ブラウザーやアプリから誰もが利用できて、しかも、リアルタイムでも見逃し視聴でもいい。SNSでウェブの記事がシェアされてくるのと同じように、ようやくテレビ番組が「あたりまえのようにシェアできる」状況になるのだ。これは、radiko(ラジコ)で一足先に実現されていた姿だ。

このように考えれば、NHKプラスがやっていることは、AbemaTVやradikoのような「価値をネット側に倒した」サービスですでに行なわれていることである。TVerで一部やっていたことといってもいい。だが、TVerが「リアルタイムでの再配信をやっていない」がゆえにできていなかった部分を、ようやくちゃんと実現している。

一方、単なるネット配信やオンデマンド配信とは違う部分もある。

大きな地震などの緊急時には、追いかけ再生やオンデマンド再生をしている最中でも、放送との同時配信へと切り替わることだ。30秒遅れなので緊急地震速報などには間に合わないが、切り替わらないよりはいい。自動的に切り替わった後も、自分で明示的にオンデマンド再生へ切り替えることは可能だ。

こういった点を含め、「放送をネット側に持ってくるには」ということを、かなりよく考えたアプリになっている。本当にようやく、「テレビが今後あるべき姿」のスタート地点に立てた印象がある。

課題はあるが「画期的」であるのは間違いない

もちろん課題はある。

まずは、NHKならではの「放送受信契約」の問題だ。NHKプラスは地上波放送の付帯サービスという扱いなので、NHKと地上波の放送受信契約をしていれば、無料(追加料金不要)で見られる。文句を言う人が多々いるのは理解しているが、日本においてはテレビをもっていれば放送受信契約をするのが決まりになっている。しかも、NHKの放送受信契約は「世帯契約」なので、自宅に何人家族がいようが、同じ家計を共にする家族で、離れて住んでいなくて、テレビを別々に買ったのでなければ、ひとつの支払いに紐付けて無料で見られる。

なんかもうすでに文章がわかりづらいが、要は、NHKと放送受信契約をしているなら、「世帯主の名前」「住所」などを入力すれば、NHKの側で支払い状況とマッチングし、NHKプラスで使うIDが発行される。

NHKプラスのホームページより引用。IDの取得には、NHK受信契約者の氏名などの入力が必要になる

契約世帯の場合、制約は「同一IDで同時に5ストリーム」。端末数での制御などはしていないそうなので、本当に5台以上で同時に見るシチュエーションがなければ、特に問題は発生しない。離れて住む家族同士でも問題は起きない。

一方、「テレビの付帯サービス」であるだけに、テレビでの契約を伴わない利用は想定されていない。NHKプラスはスマホ・PCなどに対応しているが、スマートテレビなどでの利用は想定されていない。これも、こうした部分の矛盾に基づく。

契約しない=IDを入力しない状態で使う場合、警告のメッセージが画面に重ねて表示される。これはBSと同じ処理である。スクランブルやIDによる完全なアクセス制御が導入されているわけではなく、「見られないわけではない」ため、利用者にとって公平ではない……という指摘もあるのだが、「では完全排除で本当に幸せか」というとそうとも思えないので、今の形が妥当だと筆者は考える。

NHKプラスのホームページより引用。ID登録がない場合も視聴が不可能になるのではなく、警告表示をかぶせての配信になる

なにより、NHKプラスの場合には、IDがないと、もっとも大きな価値ともいえる「見逃し」が使えない。その点を加味しても、今のNHKプラスの制約は妥当だ。

なお、災害時などには「IDによる制約」もなくなり、警告表示は消える。これも過去のNHKでの運用ルールに基づく。

次に「ローカル性」の問題。現状では、東京を中心とした南関東向けの放送がすべての地域に流れる。地域制御によってローカルニュースなどを流すべきところだが、今はできていない。この点は、利用者側が選べる形へと切り換えてゆくべきだろう。

もうひとつ、筆者が気になったのは「NHKオンデマンド」との関係だ。NHKオンデマンドはあくまで、NHKの放送事業とは切り離した付加価値サービスである。そのため、NHKプラスとNHKオンデマンドは一体化することができない。

しかし、消費者にとってわかりやすいものではない。NHKオンデマンドのアプリ自体も作り直し、NHKプラスに近いUIと使い勝手を備えたものにしていくべきだと思う。本当は、両方がひとつになって、支払う料金によって使える機能・視聴できるコンテンツが選べるべきだろう。

とはいえ、NHKが現状のままでは、ここを一体化することはできない。他の民放が戦う場合には、こういう「NHKの事情で統合できないところ」をうまくUX的に改善するのがベストではないか。

細かい点のようだが「検索」「番組のグループ化」などには、もっとテクノロジーを活用すべきだと思う。

現状は「ぴったり同じ」キーワードでないと検索にひっかからない。芸能人の名前や番組名などは、おどろくほどうろ覚えであるコトも多い。その時に見つからないと興ざめだ。ある程度のあいまい検索を導入すべきだし、そのための技術はすでにある。

番組のグループ化に使うキーワードや、ニュース番組のインデックス化は人力で行なわれている。まあそれでもいいのだが、ネットからうまく「話題のキーワード」をピックアップし、そこから自動抽出したり、機械学習を使った映像の自動インデックス化などは検討してもいい。運営にかかる人手を減らし、改善などにコストを回すにはそうした方がいい。テクノロジーは日進月歩なので、遠くない時期に、こうしたことは自動化できるはずだ。

このようにいくつもの課題はあるが、「NHKプラスがおおむね使いやすいアプリになっている」ことは間違いない。人々のテレビ観は変わる可能性があるサービスだ。

だが、その「変わりうるテレビ観」とは、海外では5年・10年前に実現されていたものであり、AbemaTVが「ネットネイティブ」で見せていたものでもある。

NHKを含むテレビ局は、もっと前に同じことができていたはずだ。それがなぜ今になったのか? その点は反省すべきだし、そこに、日本の大きな課題が隠れているとも思う。

西田 宗千佳

1971年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主に、取材記事と個人向け解説記事を担当。朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、週刊朝日、AERA、週刊東洋経済、GetNavi、デジモノステーションなどに寄稿する他、テレビ番組・雑誌などの監修も手がける。
 近著に、「顧客を売り場へ直送する」「漂流するソニーのDNAプレイステーションで世界と戦った男たち」(講談社)、「電子書籍革命の真実未来の本 本のミライ」(エンターブレイン)、「ソニーとアップル」(朝日新聞出版)、「スマートテレビ」(KADOKAWA)などがある。
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