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懐かしのラジオやテレビに会える。愛宕山のNHK放送博物館に行ってきた

NHK放送博物館

NHKは9日、2025年の“ラジオ放送100周年”に先立ち、東京・愛宕山(あたごやま)に建つ放送専門ミュージアム「NHK放送博物館」をメディア関係者に紹介するツアーを実施した。館内では、8K/22.2ch放送が体験できるコーナーのほか、100年前の高級ラジオ、反射型テレビ、玉音盤、カラー中継カメラ、世界初のハイビジョンカメラなどなど、日本の放送に関する貴重な資料が展示されていた。

本稿では、展示の中から一部資料をピックアップして紹介する。

NHK放送博物館

・開館時間:9時30分~16時30分
・入場料:無料
・休館日:月曜日・年末年始(祝日・振替休日の場合は翌日)
・住所:東京都港区愛宕2-1-1
・URL:https://www.nhk.or.jp/museum/

1階エントランス

NHK放送博物館ってどんなところ?

NHK放送博物館は、日本初のテレビ放送から3年後の1956年3月に“世界最初の放送専門ミュージアム”として開館。以来、70年近くに渡り、日本の放送の歴史を伝える資料や機器を保存、展示してきた。

博物館があるのは、東京都港区の愛宕山の一角。標高25.7mの愛宕山は、東京23区内の自然地形では最も標高が高く、電波を広範囲に飛ばしやすい場所であることから、社団法人東京放送局がこの地に局舎を設けラジオ放送を行なっていた場所。そのため、愛宕山は“日本の放送のふるさと”と呼ばれているのだという。

愛宕トンネル。写真左の階段(西参道の階段)を上った先に、NHK放送博物館がある
NHK放送博物館

館長を務める山本雅士氏は、「4階のライブラリーコーナーではコンテンツも楽しめるが、この放送博物館では主に機材と、そうした放送機材によって放送がどのように進化してきたのか? という歴史が辿れる展示が中心だ。博物館での収蔵資料は30,000点あまりで、そのうち厳選された300点程度を2階・3階の常設展などで展示し、一部は期間限定の企画展などで展示している」と説明。

「“放送”をテーマにした博物館は、世界に目を向けても非常に稀で、あまり例を見ないものだと認識している。利用者の多くは、学生の社会見学や御高齢の団体客などだが、誰でも利用できる施設なので、さまざまな展示や体験コーナーを通じて、放送の歴史や魅力に触れてもらえれば」と語った。

スクリーンに投影された資料を説明する山本雅士館長
ツアーガイドを務めた磯崎咲美学芸員

なお、来年の放送100周年に合わせ、館内展示の一部アップデートを計画中とのこと。「放送100年に合わせた限定のイベントという形ではなくて、できれば放送の100年間がよりわかるような常設の中身を充実して行くようにしたい」という。

2階はテーマ展示。五輪中継のカラーカメラやゴン太・にこにこ、ぷんも

2階はテーマ展示ゾーンとなっており、8Kスーパーハイビジョンや放送体験スタジオのほか、「ドラマ」「オリンピック放送」「音楽番組」「こども番組」の4つのテーマを通じて放送の歴史や技術が体験できるようになっている。

愛宕山8Kシアター

200インチのスクリーンに、8K映像と22.2マルチチャンネルの音響を体験できる「愛宕山8Kシアター」
シアター入り口には、チコちゃんとキョエちゃんの巨大ぬいぐるみが
1階エントランスでは、ソニーの85型8Kテレビ「Z9H」で8K放送番組を表示

テーマ展示「ドラマ」

NHKテレビドラマの年表。ケース内には当時の台本も展示されている
大河ドラマ・第46作「風林火山」の躑躅々崎(つつじがさき)館のセット模型
連続テレビ小説・第86作「梅ちゃん先生」のタイトルバックジオラマ

テーマ展示「オリンピック」

2IO分離輝度方式カラー中継カメラ。東京五輪開会式の中継で使われたカラーカメラ
オリンピックと放送技術の歴史がまとめられている
刈屋富士雄アナウンサーが書き込んだという選手資料

テーマ展示「音楽番組」

紅白優勝旗を展示した紅白コーナー
NHKの長寿番組「のど自慢」の歴史を紹介する展示も

テーマ展示「こども番組」

懐かしい「ひょっこりひょうたん島」や、2022年まで放送されていた番組「シャキーン!」も
人気番組「にこにこ、ぷん」「できるかな」のキャラクターも展示されている。写真左から、ふくろこうじ・じゃじゃまる、ふぉるてしも・ぴっころ、ぽろり・カジリアッチIII世、ゴン太
左から、サルの谷のサル、悪の心を持ったプリンプリン、怪盗ロールパン

放送博物館の真骨頂! 貴重な資料が展示されている「ヒストリー」

3階「ヒストリー」ゾーンでは、貴重な放送機器や紙資料が歴史順に展示されており、1920年代からの約100年の放送の歴史が、わかりやすい解説と共に学習できるようになっている。

日本のラジオ放送最初期の様子を再現したコーナー。テーブルの上には「373型ダブルボタンマイク」、その横には室内を涼しくするための“氷柱”が置かれていたという。なお、1925年3月22日の日本初のラジオ放送が行なわれた場所は、東京・芝浦にある東京高等工芸学校図書室の隅に設けられた「東京放送局仮放送所」だった
日本初の放送機となったGE製「AT-702型送信機」
1925年当時の高級ラジオ「ラジオラ AR-812型 電池式6球 スーパーヘテロダインラジオ」。“家一軒が購入できる”ほど高価だったという
安価なラジオとして広く使われていたのが「鉱石ラジオ」。なお、JOAKは25年3月に開局した東京放送局のコールサイン。同年6月開局した大阪放送局は“JOBK”、7月開局した名古屋放送局は“JOCK”となっている。東京・大阪・名古屋の各社団法人はその後解散し、1926年8月に社団法人日本放送協会が発足した
ラジオ放送が始まる以前から、研究開発が進められていたのが「テレビ」。1926年12月25日には、高柳健次郎氏が「イ」の文字をブラウン管に映し出すことに成功。日本放送協会は1930年にテレビ放送のための研究施設(現在のNHK技術研究所)を設立した
1940年の東京五輪に向け、テレビ放送の研究が進んだ。写真は1939年のアイコノスコープカメラ
ブラウン管の丈が長かったため、ブラウン管を縦に取り付けて、鏡に反射させて映像を見るようにした1939年の「反射型テレビ」
幻となった1940年東京五輪のテレビ実況放送計画書
テレフンケン型電音円盤録音機。昭和天皇が国民に向け終戦の証書を読み上げた「玉音放送」の録音時に使用した円盤録音機の同型
玉音盤。皇居内に持ち込んだ4台の録音機で、昭和天皇の声を収録した「玉音盤」のうちの1枚、とのこと
東京・新橋駅西口広場での大型投写式テレビジョン受信公開の様子(1954年ころ)。当時のテレビはまだ高価だったため、街頭テレビは人気を博したという
街頭テレビのイメージ
街頭テレビで使われた投写式テレビ用のシュミット・レンズ。実験機では、開口部に5インチサイズのブラウン管を取りつけ、その映像を反射鏡に当てて、約2m先の縦75cm、横100cmの曇りガラスを透過スクリーンとして使用して映像を映し出した
最初期の日本のテレビカメラ「RCA TK-30型」
テレビ受信契約第1号となった世帯で購入されたテレビ「ハリクラフター 17-816型」(1952)。17インチのアメリカ製で当時の価格は28万円(当時の公務員の初任給は約9,000円)
1957年頃の普及型テレビ「三菱 14T-210型テレビ」。普及型は7~8万円だった
テレビ放送開始当時のPR誌・パンフレット。ミッキーマウスやバッグス・バニーのようなキャラも登場
カラー放送を支えた「NHK-1型 3イメージオルシコンカラーカメラ」
初の日米間テレビ衛星中継実験に成功したのが1963年11月23日。衛星中継(当時の名称は宇宙中継)が初めて伝えたのは、米テキサス州ダラスにおいてジョン・F・ケネディ大統領が暗殺されるニュースだった
1960年9月のカラーテレビ放送開始に合わせて、テレビメーカーからカラーテレビが続々と発売。1971年10月には総合テレビが全時間カラー化され、1972年にはカラーの受信契約者数が白黒テレビを上回ったという
カラーテレビを正しく楽しむためのリーフレット。受信状態による不具合と、テレビの故障による不具合の例が案内されている
1970年代になって、ようやく番組を記録するVTR技術が登場。ただし当時は番組の製作費よりも、VTR1本の方が高額だったため、VTRは何度も再利用された。古い番組の映像が残っていないのは、このテープの再利用のためだという。写真は「日立電子 SV-7400型 2インチVTR」(1976)
1976年にソニーが開発した1インチ、1.5ヘッド方式のヘリカルスキャンVTR「BVH-1000」
1980年にNHKが世界で初めて開発したハイビジョンカメラ
BS受信用のアンテナと、1984年5月の衛星放送開始を知らせるポスター
1991年11月のハイビジョン試験放送開始を案内するポスター
東日本大震災が発生した2011年3月11日の映像
2002年に技研が試作したスーパーハイビジョンカメラのプロトタイプ1号機