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第476回

外観以上に中身が変わった。開発者に聞くソニー「WH-1000XM4」

ソニー「WH-1000XM4」

ソニーが新ノイズキャンセルヘッドフォン「WH-1000XM4」(以下XM4)を9月4日から発売する。人気の高いこのシリーズは、同社にとってドル箱。それだけに毎回気合が入っている。

今回もそうだ。発売前に試用したが、確かに前モデルの「WH-1000XM3」とは違う。音も良くなったし機能もアップしている。デザインこそほとんど変わらないが「これは相当なリニューアルではないか」と感じた。

その辺は、製品情報や小寺信良氏のレビューなども併読していただくとありがたい。

左が「WH-1000XM3」、右が「WH-1000XM4」。外観的にな変化は少ないが……

特に感じたのは「マイク音質の改良」だ。テレワークの関係もあり、ヘッドフォンにおけるマイク品質には、過去以上に注目が集まっている。XM4ではどのような改良が行なわれたのだろうか?

設計と商品企画について、担当者に聞いた。

取材にご対応いただいたのは、ソニーホームエンタテインメント&サウンドプロダクツ株式会社 V&S事業本部 モバイルプロダクト事業部 モバイル商品設計部の吉村 誠氏、同 小松英治氏、同 商品技術1部の飛世速光氏の3名だ。ちなみに取材時には、筆者以外全員がWH-1000XM4をつけての参加だったことを書き添えておく。

ソニーホームエンタテインメント&サウンドプロダクツ株式会社 V&S事業本部 モバイルプロダクト事業部 モバイル商品設計部の吉村 誠氏(左上)、同 小松英治氏(右上)、同 商品技術1部の飛世速光氏(左下)。右下は筆者

ハイエンドAV機器「ES」のノウハウでヘッドフォンを再設計

筆者がまず感じたのは「音質の違い」だ。XM3と比較してもより聴きやすい。全体にクリアであり、特に低音の明瞭さが際立つ。低音が強くなったのではない、低域もクリアな印象なのだ。もちろん人によって好みは違うし、印象も違うとは思うが、少なくとも筆者は「XM4は音質が大きく改善された」ことがなによりのポイントだと思っている。

では、XM4の設計はどう変わったのか? 飛世氏は次のように説明する。

飛世氏(以下敬称略):XM3では、ノイズキャンセル(NC)のために「QN1」というチップを搭載しました。今回はそれに加えて、Bluetoothを制御するSoCも連携し、より高度なNCを目指しました。結果、基礎となるNCの能力が上がり、人の声やカフェなどで耳触りな生活音が消え、あらゆる場所で高音質に楽しんでいただけるようになりました。

音作りの方向性としては、全帯域での改善を目指しています。その結果、ボーカルの明瞭さが上がり、クリアかつ自然に聴こえるようになっていると思います。

特に最近は、生音の楽器が使われることが増えてきましたので、そのことは意識し、より気持ちよく音を聴けるようにチューニングしています。結果として、低域の楽器が自然になっているのではないでしょうか。

独自の高音質NCプロセッサ「QN1」

では、XM4ではヘッドフォンのドライバーを含めた部材を大きく変更したのだろう……と思われそうだ。だが、「今回は、デバイスは変更をかけていない」(飛世氏)という。デザインが変わっていないことに加え、デバイスがスペック上変わっていないことで、「あまり大きなアップデートではない」と思った人も多いかもしれない。だが、すでに述べたように、実際の聴感にはかなりの差がある。

それはなぜか?「主に信号処理の見直しと、電気回路の見直しによる」と飛世氏は言う。

どう見直したのだろう? 電気回路担当の小松氏はこう説明する。

小松:確かにQN1自体は変更していないのですが、周りの回路パターンはかなり変えました。

実は私はこれまで、ソニーのハイエンドAV機器である「ESシリーズ」の設計に携わってきたんです。

もちろん、NCヘッドフォンとは構成がずいぶん違います。そこで、BluetoothをHDMI、QN1をアンプに見立てて、AVアンプのノウハウを入れて、パフォーマンスを最大限に出せるよう、回路パターンの設計を行なっています。

音色自体は変化しないのですが、今回は特に音の“配置”、左右の広がりや高さ、ボーカルの位置などをかなり丁寧に見直しています。

AVアンプの「ES」シリーズのノウハウを使って「NCヘッドフォン」の回路設計を見直した結果、オーディオ品質が大きく改善した、ということのようだ。これはなかなか面白い。

小松:Bluetoothというのはまだまだデバイスが進化する領域です。そうすると、デバイスが進化するたびに構成を考えていかないといけません。そこでオーディオ設計のノウハウを持っていないと、“慣れた作り”と言いますか、デバイスを使いこなすだけで精一杯な設計になってしまうかもしれない……とは、設計していて思いました。

コンポーネント・オーディオは、音が良ければその分重く、消費電力が大きくても許されるところがあります。

しかし、ヘッドフォンは軽くないといけないし、電池の持ちも良くないといけない。制限としては一般のオーディオ機器より多いです。

そこに対するブレイクスルーはなく、性能はトントンと上がるものではありません。コツコツやっていくしかないでしょう。

すなわち、SoCの変化に頼るだけでない、「オーディオ的ノウハウ」で改善していくアプローチの一つが回路設計の最適化である、ということなのだろう。

aptXはなぜ非採用か? ソニーは「実用上問題ない」と分析

音質という面で気掛かりなことがある。XM3まではコーデックとしてSBC・AAC・LDAC系に加え、「aptX」系にも対応していた。だがXM4では、aptXやaptX HDなどに対応しない。

このことは、これらのコーデックを使っていた人々に対して不安を抱かせる部分がある。
今回のコーデック選択はどのような理由に基づくのか? 吉村氏は次のように説明する。

吉村:コーデックについてはおっしゃる通り、お客様からコメントいただいていることは認識しています。

搭載するコーデックについては、ユーザーの使用状況や、ソース機器のコーデック対応状況などを鑑み、総合的に判断しています。

私たちとしてはハイレゾワイヤレスと認定されているLDACを、よりお客様に使っていただきたいという思いが強くあります。

LDACを使えない場合であっても、音質やレーテンシーなどに大きな問題はなく、お客様のニーズは満たせると考えています。

現実問題として、SBCは決して悪いコーデックではなく、Bluetoothの帯域が十分に取れる場合には、聴感上の問題は出づらい、と筆者は考えている。

おそらく本質はある種の「不安感」だ。

アップル系はAACなのであまり関係ないし、AndroidもAndroid 8.0 以降の環境であれば、LDACとaptX HDの両方に標準対応しているので、LDACが使える。Windowsの場合aptX系はサポートされていてもLDACがサポートされていない関係で、特にWindowsから使う人や、日常的にこれまでaptX系を使っていた人から不安感が出ているのだろう。

WindowsでもLDACのサポートが広がれば、こうした問題は解決される。当然これまでもやっているものと思うが、マイクロソフト側にLDAC採用を働きかけて欲しいと思う。

飛行機から家庭へ。コロナで変わる「NCヘッドフォン」のニーズ

いうまでもなく、ヘッドフォンの本質は「音楽を聴く」こと。だが、消費者のニーズの多様化と機器の変化により、ワイヤレスヘッドフォンに求められるのは「音楽性能」だけでは無くなっている。ソニーの「1000X」シリーズだけでなく、多くのモダンな構造を持つヘッドフォンが、スマートフォンアプリやOSとの連動によって機能拡張を行なっているのはそのためだ。

そうした傾向は、XM4を開発する上でも重視されている。特に大きな要素が、「どこで使うのか」「いつ使うのか」「音楽以外にどう使うか」だ。いわゆるテレワーク需要の拡大により、“長時間自宅内で音声通話のために使う”という点だ。

吉村:今回のことでわかったことが一つあります。従来我々は、「ノイズキャンセルといえば飛行機や電車内」と考えてきました。しかし、コロナ以降、“家の中でより便利に使いたい”というユースケースが増えています。より長時間快適に使えるよう、装着性の向上しました。イヤーパッドは10%設置面積を増やして、装着性を向上しています。パッドも非常に柔らかくなりました。

スマート機能の向上も同様です。今回、自分で話し始めるとヘッドフォンの音がオフになる「スピーク・トゥ・チャット」という機能を搭載しましたが、これも使いやすくするためのものです。先ほども述べましたが、ノイズキャンセルにおいて、低音だけでなく中音、家庭内騒音のキャンセル性能を高めたのも、ニーズの変化によるものです。

自由度の多くはスマホアプリ側で実現していくことになりますが、タッチセンサーの利用など、音質以外にヘッドフォン側でできることはたくさんある、と考えています。

お客様の生活の一部になるよう、今後も改善を続けていきます。

誤解がないよう補足しておくが、XM4の機能のすべてが「コロナ後」に企画・開発されたわけではない点に留意が必要だ。機器の設計・開発には時間がかかるもので、新型コロナウィルス感染症の拡大以前、すなわち去年のうちから仕込んでおかないと、この時期の製品には間に合わない。だから今回搭載された機能の多くは「もともと開発が進んでいたものが、今の時流にあった」と考えるべきだろう。だが同時に、そうした機能をうまく今の時流に合わせて見せ方を調整していくのも、また重要な要素でもある。

マイク品質をテスト。機種が違うとこんなにも違う

テレワーク用途という意味で、XM4の改善点として注目したいのが「マイク音質」の向上だ。マイク音質について、ソニー側はこうコメントしている。

飛世:通話時のノイズ抑制は進めています。特に、周囲の音の抑制アルゴリズムのチューニングを進化させ、周りが騒がしいところでも話しやすくしています。


というわけで、ちょっと試してみた。

WH-1000XM4の貸し出しを受けた際、手元にあった「WH-1000XM3」「WF-1000XM3」、それにリファレンスとして「AirPods Pro」を用意し、それぞれをWindowsマシンにBluetoothで接続、Windows側でビデオ会議などのアプリに送られるのと同じ音声を、そのまま記録してみた。以下、聞き比べていただきたい。

WF-1000XM3
AirPods Pro

WAV形式のファイルでも用意しているが、YouTubeに動画でアップしたものでも、十分に違いはわかるのではないか、と思う。気になる方はWAV形式のファイルをダウンロードして比べていただきたい。

テスト音声ファイルを繋げて動画にしたもの。参考として、「音をオンにした」上で聞いていただきたい。

傾向としては、AirPods Proよりソニー製品の方が明らかにノイズが少ない。WH-1000XM3とXM4を比べると、確かに周囲のノイズがグッと減り、XM4の方がずっと音がいい。意外とWF-1000XM3が健闘している印象だ。しかし、録音データではあまり目立たないものの、テスト中には電波の不安定さに起因すると思われる音の歪み(一時的に帯域が狭くなったような音)が感じられた。全体的には、WH-1000XM4が好印象だ。なお、Macでも同じようなテストを行なっているが、傾向に大きな差はない。

とはいえ、単純な音質で言えば、有線でちゃんとしたマイクを用意するのにはかなわない。「ワイヤレスゆえ」の音質の限界を感じる。

Bluetoothでは、音楽には「A2DP」、音声通話には「HSP」という別のプロファイルを使っており、HSPでは使うコーデックも帯域も限られている。「音楽はきれいな音なのに、ビデオ会議でBluetoothヘッドフォンを使うと音が悪く聞こえる」のはこのためだ。そのため、あくまでヘッドフォンは「再生用」に使い、マイクは別途用意する方が音質が向上する……というテクニックが存在する。この辺のコントロールは複雑で難しい。HSPの仕様が「ちょっと電話をするとき」のためのもので、長時間のビデオ会議やカンファレンス向けなどのニーズと合わなくなっているのでは……とは感じる。

一方、XM4の仕様に目を向けると、面白い点が1つある。それは、「2つの機器との同時ペアリングに対応している」ことだ。別に珍しくない……と思われそうだが、重要な点は、「A2DPとHSP、それぞれの待受を、2つの機器と同時に行なっている」ということにある。

例えば、プロファイルごとに機器を分け、「スマホは通話(HSP)のみ」「音楽(A2DP)はPCのみ」という使い方はできたが、XM4では「スマホとPC、両方でHSPとA2DPでペアリングし、通信を待ち受ける」形で使える。要はよりシンプルに、ペアリングの切り替えを行なわず、「スマホとPCで使いたい方を使う」ことができるようになっているわけだ。

この点は「現在の機器の使い方に合わせた変更」(吉村氏)だという。

一方、この機能の制約として、2デバイスでの同時ペアリングをオンにすると「LDACは使えなくなる」旨の警告が出る。ちょっと残念な仕様だが、理由は「Bluetoothの帯域の中でLDACを2ストリーム流すには厳しく、音質劣化の可能性があるため」(吉村氏)だという。

こうした仕様を見ていくと、Bluetoothの制約の中で、ヘッドフォンメーカーが色々苦労している様子も見えてくる。あちらが立てばこちらが立たず、で難しい部分もあるが、現在のようなニーズを考えると、Bluetooth規格のオーディオ仕様自体に、大きな変更が必要とされている時期なのかもしれない、と感じる。

西田 宗千佳

1971年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主に、取材記事と個人向け解説記事を担当。朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、週刊朝日、AERA、週刊東洋経済、GetNavi、デジモノステーションなどに寄稿する他、テレビ番組・雑誌などの監修も手がける。
 近著に、「顧客を売り場へ直送する」「漂流するソニーのDNAプレイステーションで世界と戦った男たち」(講談社)、「電子書籍革命の真実未来の本 本のミライ」(エンターブレイン)、「ソニーとアップル」(朝日新聞出版)、「スマートテレビ」(KADOKAWA)などがある。
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