西田宗千佳のRandomTracking
第496回
4月16日に日本サービス開始、「360 Reality Audio」の本質とはなにか
2021年4月9日 08:30
ソニーが開発し、すでに海外で展開していた「360 Reality Audio」(以下360RA)の、日本での製品展開が始まる。
ソニーからは対応スピーカーが発売され、同社製ヘッドフォンへの最適化も完了、各パートナーから、邦楽を含む楽曲提供も開始される。
いよいよ国内展開ということで、ようやく「国内向け楽曲」かつ「最新の環境」で実際の音を試すことができた。360RAについては1月にも記事にしているが、あの時はCES期間中のオンライン取材ということもあり、実際の音は、手元で試せる一部のデモのみに限られていた。今回は開発者同席のもと、色々な環境でチェックしてみた。
今回お話を伺ったのは、ソニー ホームエンタテインメント&サウンドプロダクツ事業本部 V&S事業開発部の横山達也氏、そしてライセンスビジネス推進室の澤志聡彦氏のお二人だ。
360RAとはどんな技術なのか
幾度も紹介してはいるが、改めて360RAとはなにかを解説するところからはじめよう。360RAとは、ソニーによる「MPEG-H 3D Audioでの立体音響を使った音楽配信関連技術とビジネス全般」を指す言葉である。
左右2チャンネル、もしくは多チャンネルサラウンドによる音楽配信とは異なる、いわゆる「オブジェクトオーディオ」であり、音源を空間に配置し、そこから発せられる音が耳にどう届くかを演算し、表現する。スピーカーを使う場合にはスピーカーで、ヘッドフォンを使う場合にはヘッドフォンで、それぞれに合わせた出力が行なわれる。その性質上、スマホアプリで処理した上でのヘッドフォン視聴、もしくは対応スピーカーでの視聴ということになる。
360度に音が聴こえる、というととても特別で人工的……、ニュアンスとしては「ギミック的」な音になる、と思われがちだ。だが、詳しくは後述するが、今回テストで聴いた音は、そうした印象とは異なる。
ヘッドフォンで音楽を聴くときには、どうしても音の定位が頭の中央に感じる「頭内定位」がつきものだ。気になる人もそうでない人もいるとは思うが、「広がりに欠ける」と感じるのは共通した感想かと思う。
360RA、なかでもヘッドフォンで聴くものは、この欠点を解消するための手法と言っていい。音が頭にこもるような感覚ではなく、より広がりのある音を楽しめるようになる。もちろん、音が移動したり上から聴こえたりすることを体感できるのも魅力ではあるのだが、それはある種の「余録」でもある。
横山氏は狙いをこう説明する。
横山氏(以下敬称略):目指すのは「超臨場感」です。ソニーのオーディオに対する取り組みとしては、「音質」についてハイレゾをずいぶんやりましたし、「音圧」については「EXTRA BASS」シリーズでやってきました。その次の要素として取り組んでいます。
すなわち、音楽を楽しむ上での「基本的な要素のアップデート」として捉えているわけだ。
すでに海外ではサービス展開が行なわれていたが、日本では一部楽曲が「Amazon Music HD」を経由し、同社のスピーカー「Echo Studio」向けに提供されていただけに留まっており、目立たなかった。
しかし、4月16日から日本でもようやく本格展開がスタートする。Amazon Musicに加え「Deezer」と「nugs.net」が国内で、360RA対応楽曲の配信をスタートすることになった。前者2つでは、大瀧詠一やLittle Glee Monsterなどの国内楽曲も配信され、nugs.netは海外楽曲での配信となる。
Amazon Musicは当面、従来と同じくEcho Studioを軸としたスピーカーでの対応となる。
Deezerは高音質ストリーミングサービスだが、「360 by Deezer」というスマホ用の別アプリが用意され、それにヘッドフォンを組み合わせて利用する。
nugs.netは海外のライブ音源を中心としたサービスで、360RAの「ライブ感を楽しむ」という特性に合ったサービス。こちらもまずはスマホアプリ+ヘッドフォンで楽しむことになるが、後日スピーカーへの対応も予定されている。
360RAで使っているフォーマットは独自形式ではなく、MPEGの標準規格として定められた「MPEG-H 3D Audio」を使う。その上で、「どうマスタリングするか」「配信システムの中でどう扱うのか」「各デバイスでどう再生するのか」といったトータルパッケージをソニーが作り、提供する。自社製品やサービスで使うだけでなく、他の配信事業者やハードメーカーに対してもライセンス提供を行なっている。
個人のHRTFとヘッドフォンに合わせて「最適化」して音質向上
というわけで、「スマホ+ヘッドフォン、もしくは対応スピーカーでオブジェクトオーディオを楽しむもの」が、今の360RA、ということになる。
やはり基本は「スマホ+ヘッドフォン」の組み合わせだ。
ソニーの規格、ということでソニーのヘッドフォンでないと視聴できない……というイメージを持ちそうだが、実際にはそうではない。360RA対応のサービスは、なにもしなくても、どのヘッドフォンでも視聴できる。理由は、スマホアプリ側に、ヘッドフォンで立体音響を再現するために必要な仕組みが備わっており、どのヘッドフォンでも、誰にとっても標準的な「頭部伝達関数(HRTF)」が組み込まれているからだ。だから、とりあえずすぐに聴くことはできる。
ただ、そのままでは最適とは言い難い。というわけで、ソニーが、自社製品とライセンス提供メーカーに対して差別化要素として用意するのが「最適化技術」である。
ヘッドフォンやスピーカーの音響特性に合わせたパラメーターを用意し、さらに、聴く個人に合わせたHRTFを検出して組み込む仕組みとすることで、最適化のない「デフォルト」である場合との差別化を行なうわけだ。
360RAでは「スマホアプリで耳の写真を撮ってHRTFを最適化する」という話は、色々なところで記事化されているが、それは360RAとイコールの存在というより、「ソニーのビジネスとしてのキモ」なのである。エコシステム構築がソニーのビジネスであり、その中でも「聴く人に向けたアピール点」が、最適化技術なのである。
澤志氏はその詳細を次のように話す。
澤志:HRTFは耳の形に影響されることが多く、差分は一人一人かなりずれています。特に高音域で差が出ます。低音はあまり差がないようです。
ヘッドフォンの音もクラウド側でパラメータを合わせています。HRTFには「響き」などの情報はありません。音楽再生などにニュアンスなどのメタデータを組み合わせて、音質を最適化します。完全にスタジオと同じように……というわけではなく、360RAにあった響き感を目指したものです。
ソニーのヘッドフォン用アプリ「Headphones Connect」に搭載された機能を使い両耳の写真を撮影し、クラウドでそこから「個人に最適化されたHRTF」のためのパラメータを生み出す。そこにさらに、ヘッドフォンそれぞれに合わせたパラメータを加え、アプリから「各サービスの再生アプリ」へとデータを転送し、聴くことになる。ちなみに、Bluetoothヘッドフォンは機種名が自動判別され、有線ヘッドフォンの場合には、リストから選ぶ形になっているという。
正直、HRTFの測定と対象アプリへのデータ展開はちょっと面倒でわかりにくい部分がある。操作方法はもう一工夫必要か、とも思う。だが、1度やればそれでよく、サービスを複数使う場合であっても、一度計測したHRTFはそのまま使える。なんとか乗り越えていただきたい。
音質は「日本ローンチ」向けにさらに向上、自然な音の広がりこそが最大の価値
実は、今回提供される「最適化データ」は、日本でのサービスに合わせ、さらに最適化を進めたものだ。1月のCESの際に日本でも最適化を行なってデモを体験できるようになっていたのだが、その時とは音質がまた変わっている。
聴いてみたイメージとしては、水平より少し上を取り囲むような領域の響きがよりはっきりし、全体としての自然さが増しているように感じた。
今回は、大瀧詠一の「君は天然色」やマイケル・ジャクソンの「BAD」など、誰もが知っていて過去にはステレオ音源として配信していた楽曲を、360RA向けに再度マスタリングした曲を聴くこともできた。
これらの場合、360RAとはいえ、音がぐるぐる回るようなオーサリングはされていない。まさに「音場が頭の外まで自然に広がるような」作りになっている。とはいえ、不自然にソフトウエアでむりやり補正した……という印象も、また少ない。
正しい例えかは難しいが、非常に高級・高価な開放型のヘッドフォン(いわゆるン十万クラスのもの)で聴いた感覚にちょっと近い。もちろん違いはあって、「数万円のヘッドフォンが10倍の価格のものに進化!」というのは言い過ぎ……というか違う。じっくりと没入するような高級ヘッドフォンの繊細さは、やはりあれらの製品にしかない価値だ。
だが、高級な開放型ヘッドフォンの持つ「広がりのある音」を、スマートフォン+数千円から数万円のヘッドフォンでも感じられて、さらに上斜め方向からの音の感覚がある……というと理解していただけるだろうか。どこでも広がりのある音を楽しめるわけだ。これは、ハイレゾとはまた違う方向での体感、と言える。
ではどう作るのか?
各楽曲は収録の際、楽器やボーカルなどの要素ごとにトラック分けされている。ステレオではそれをミックスしてマスタリングしているわけだが、360RA向けには、各トラックを空間的に配置してマスタリングする。「君は天然色」や「BAD」もそうした作り方がなされており、それが「広がり感」の拡大につながっているのだろう。
もちろん、最終的にはソフトウェア補正された音であり、聴いてみての感想は人それぞれだ。従来通りのステレオの方が好ましい、もしくは効果が小さい、と感じる人もいるだろう。だが、筆者の印象としては、ステレオのまま音の帯域を伸ばすハイレゾとはまた違う体験であり、確かに新しい提案だと思う。
これがライブ収録になると、マイク位置を定めて「その場をよりよく再現する」形になっていく。今回試聴した音源では、その辺の価値はまだ測りきれていないが、楽しみである。
一方、こうしたことは360RAだけにある要素ではなく、Dolby Atmos収録楽曲などでも体感できることは申し添えておきたい。ただ、Dolby Atmosはやはりライブ楽曲での利用が中心、というイメージも強い。今後は360RAと競い合いながら広がっていくのだろう。
「音場の体験をふたたびリビングに」を狙う360RA対応スピーカー
スマホ+ヘッドフォンの体験に加え、もう一つの体験が「スピーカー」だ。すでにアマゾンが「Echo Studio」を発売しているが、ソニーも4月16日から、「SRS-RA5000」と「SRS-RA3000」が発売になる。
スピーカーとはいうが、実のところ、これらもスマホ連携で使うことが前提となっている。要はWi-Fiスピーカーであり、スマホと同じネットワークにWi-Fiで接続し、スマホのアプリ(Amazon Musicもしくはnugs.net)から「キャスト」して再生する。使うのはGoogle Castだ。だから、Google Castに対応したオーディオ機器を使うのと同じ感覚になる。おそらく、今後出てくるスピーカーも同様の仕組みになるだろう。
では狙いはどこにあるのか?
対応スピーカーに共通しているのは「一体型」である、ということだ。どれもマルチアレイ型のスピーカーで、ソフトウエア処理によって音場を構成する。いわゆる「音が360度に広がって部屋を包む」タイプのものである。
とはいえ、ちょっと面白いのが、特に360RA対応楽曲を聴いた場合、「ステレオ定位がはっきりしてくる」ことだ。一体型スピーカーはステレオ感が……という印象があるかもしれないが、少なくとも「SRS-RA5000」と「SRS-RA3000」では、単に音が広がるだけのものにはなっていない。特に、より高価な「SRS-RA5000」の方が、ボディ1つで定位感のある音に感じられる。それに対して「SRS-RA3000」の方は、よりカジュアルに音が広がる印象だ。
こうした形になっているのは、「オーディオをよりいろんな人に楽しんでもらうため」、という狙いだという。ケーブルを引き回すステレオスピーカーやサラウンドスピーカーは、「オーディオ機器よりも部屋のレイアウトにこだわりがある」家人には評判が悪いものだ。家庭で特定の人が聴くものではなく、みんなが使えるものがいい訳だが、利用が広がっている「単体型のBluetoothスピーカー」「単体型スマートスピーカー」では、音質以上に音場感が物足りない。
そこで、シンプルな置き方という最近好まれるトレンドを維持しつつ、360RAで音の広がりを生んだのが、360RA対応スピーカー……と言えるだろう。
実はこれらのスピーカーには、スマホ+ヘッドフォンにもない要素がある。それが、「ステレオ音源の擬似360RA化」だ。単体スピーカーで音場を重視して鳴らす以上必要な機能ではあるのだが、「360RA楽曲を解析した上でその要素をある程度シミュレーションする形で実現している」という。
こうした要素は、スマホ+ヘッドフォンにも必要かもしれない。スピーカーに比べ効果は薄まるかとは思うが、ソニーは搭載を検討して欲しいと思う。