小寺信良の週刊 Electric Zooma!

第973回

Zooma!:ズームレンズ、ズームすること、ズームする人、ズズーンの造語

PC録画から「PSX」、そして全録へ。20年でレコーダはどう変化した?

時代を彩った「レコーダ」

先週からAV Watch創刊20周年を記念して、過去20年のAV機器の歴史を振り返っている。今回はテレビ録画用レコーダを取り上げるが、これも世の中の動きを色濃く反映した製品であった。HDデジタル放送のスタートとアナログ停波、DVD規格戦争から次世代メディア戦争、コピーワンスからダビング10、B-CASカード不正利用、まねきTV裁判、ロクラク裁判、東芝補償金裁判などなど、まさに21世紀初頭のドタバタを煮詰めたようなデジタル家電と言える。

本連載が始まる2001年より少し前、PC業界では動画ファイルを扱うのがホットだった。DVカメラから“デジタル to デジタル”で映像が取り込めたり、プロ業界でも「ノンリニア編集」、すなわちAvidやMedia100といったシステムで放送完パケまで編集するのが現実的になりつつあった。

2000年にPlayStation 2が発売されたのを契機に、VHSに代わるコンテンツの入れ物としてDVD Videoの普及が始まった。記録型大容量光ディスクとしてはすでにDVD-RAMはあったが、DVD Videoと互換性がなく、主にPC用リムーバブルメディアとして利用されていた。

そんな中で21世紀のデジタルレコーダは、PCに追いつけ追い越せからスタートした。

記録型DVD乱立時代

連載が始まった2001年当初、テレビ録画の主役はまだPCだった。PC用テレビチューナーが大ヒットし、録画した番組をビデオCDに「焼く」という、CD-Rバーニング文化が開花していた。カノープス「MTV」や、NEC「SmartVision」の名前をご記憶の方も多いだろう。また当時はアナログ放送をいかにクリーンに、かつコンパクトに残すかということで、MPEGエンコーダに注目が集まった。「TMPGEnc」の名前を見て目頭を熱くした人は、当時相当エンコードやった人だ。

カノープス MTV1000

テレビキャプチャカードの最高峰「カノープス MTV1000」カノープスこだわりの画質を検証する(2001年5月30日)

そんなカノープスも今はなく、多くの技術は米Grass Valley傘下でプロ向け製品に生かされている。

また2001年はDVD Videoが自分で作れる記録型DVDドライブが登場した年であり、まずPCでDVD製作ブームが起こった。ソニーのVAIOデスクトップシリーズの目玉は「テレビチューナー内蔵」であり、当時のVHS録画ではできなかった多くの機能を実現した。そこから誰でも簡単に録画や保存ができる光ディスク搭載レコーダに注目が集まっていったという流れがある。

「VAIO RX」

DVD-R/RW搭載新型「VAIO RX」を世界最速!?レビュー スカッと焼けた! DVD-R(2001年5月17日)

記録型DVDドライブはその後、パイオニアのDVD-R/RW、リコーのDVD+R/RW、パナソニックのDVD-RAM/Rが乱立した。2003年には早くも全部が焼ける「スーパーマルチドライブ」が登場するのだが、合計5種類ものフォーマットの違いが理解できるのは濃いPCユーザーぐらいで、レコーダメーカーは規格推進アライアンス上の立場もあり、3派に別れたままであった。

レコーダとして本連載ではじめてとりあげたのは、パナソニックの「DMR-HS1」だった。当時レコーダは、光ディスクに直接書くか、HDDに書くかの2タイプが主力であり、HDDに録画したものをDVDに移すのが1台でできるというのは画期的なことだった。

パナソニック「DMR-HS1」

これが究極のハイブリッドDVDレコーダー!? できることいろいろ、HDD+DVD搭載「DMR-HS1」を試す(2001年11月14日)

とはいえ、当時のデジタルレコーダは20万円以上する、高級機器だった。PCを持っている人なら、チューナーやドライブを追加して録画した方がコスト的には安かった。そんな中、HDDのみのレコーダは価格を下げ、PCと連携することでユーザーを取り込むという方向性を打ち出した。2002年には、のちに裁判によって名前が知られることになる「ロクラク」がデビューしている。

「ロクラク」

おやぁなにげに最強ですかぁ!? 一見怪しい49,800円の「ロクラク」はスゴイぞ(2002年2月20日)

本機では、本体で録画したファイルをPCに転送できる。なんでそんなことができるかというと、当時地上波はまだアナログ放送だったからである。VHS時代から連綿と続くレコーダという大手家電メーカーが牛耳る世界にベンチャーが参入するというのも、当時は珍しかった。

レコーダとして独自路線をとったのが、ソニーだ。HDDレコーダとして2000年に「Clip-On」を発売、その後2002年には「チャンネルサーバ」や「CoCoon」といったパーソナル分析型の製品をリリースした。当時ソニーは、テレビ番組を残すよりも、録って見て消化するというルーチンに注力していた。のちに大化けすることになる「ルームリンク」の初号機が出たのもこの年だった。その背景には、当時米国で爆発的にヒットした「Tivo」的な発想があったのだろう。しかし日本市場の興味は、とにかく光ディスクだった。

ソニー「CoCoon」

こんなマシンほかにない!! 「CoCoon」登場 あなたに合わせて成長するHDDレコーダとは?(2002年11月13日)

SONYが起こす小さな大革命 ルームリンク + 新VAIO RZで超極楽環境(2002年10月9日)

2003年になる頃には、他社は順調にDVDレコーダを成熟させ、競争も激化していった。そしてついにソニーも方向転換を強いられることとなった。自社製ドライブでDVD-R/RWとDVD+RWの両陣営をサポートするという戦略で、シリーズ名も「スゴ録」というコテコテのネーミングとなった。

ソニー「スゴ録 RDR-HX10」

名機となるか!? 「スゴ録 RDR-HX10」 ソニー入魂の「後出しジャンケン」(2003年12月10日)

その一方で旧ソニー・コンピュータエンタテインメントからは、PS2をベースにしたレコーダ「PSX」が発売された。のちにtorneやnasneといった製品につながる第1歩だが、筆者の高評価とは裏腹に、当時の世間の評判はあまり芳しくなかった。

ソニー「PSX」

予想外にイイ出来!? ソニー「PSX」これならOK!! 黙って買っとけ(2003年12月15日)

その動きとは別に、2003年には早くも次世代DVDとして、Blu-rayレコーダが待望されるようになる。DVDブームの反省もあり、この年早速ソニーから第1号機が出た。

ソニー「BDZ-S77」

ついに出ちゃいます「SONY BDZ-S77」これがブルーレイディスクレコーダの正体だ!(2003年4月2日)

当時HD放送はBSしかなく、Blu-rayディスクも初期型はケースに入ったままだった。またHDDを搭載しておらず、Blu-rayに直接録画する方式だった。メディアはのちにケースなしが主流になるわけだが、このケース入りBlu-rayディスクの知見は、のちに放送用アーカイブストレージ「オプティカルディスク」に生かされた。

2003年12月には地上波デジタル放送が首都圏をはじめとする都市部でスタート。ただレコーダは、デジタルとアナログのハイブリッド機が多かった。2004年に登場したNECの「AX300」は、SmartVisionの流れを汲むアナログ放送集大成とも言える面白いレコーダだった。リアルタイム以上のスピードでハードウェア高速レート変換を行なうといった機能があり、個人的にも長く使った、思い出深い機器だ。

NEC「AX300」

ミョーにマニア受けする待望のAX新モデル「AX300」最高7倍速圧縮の高速レート変換とは(2004年2月18日)

2005年「デジタル放送の夜明け」と「次世代DVD戦争」

2005年になると、地上デジタル放送もエリアが拡大し、都市部のユーザーだけでなく全国レベルでデジタル放送対応レコーダが注目されるようになった。この頃がレコーダの全盛期で、春と秋の2回、各社から新製品が発表され、レビューも追いつかない状態であった。

地デジがダブル録画できる機能を初めて搭載したのは、意外にもアナログ放送時代には遅れをとっていた日立だった。チューナーは2つあるがエンコーダが1つしかないので、片側はTS録画になるが、この実装方法は長らく他社のダブルチューナー機でも採用された。

日立「DV-DH500W」

ついに登場! ダブル地デジ録画 日立「DV-DH500W」デジタル放送時代へ向けて本格的な第一歩(2005年9月21日)

またこの頃にホームネットワーク内でコンテンツを伝送する「DLNA」が立ちあがったが、普及させたいメーカーの思惑は著作権保護技術の厳しい壁に阻まれ、停滞した。2012年以降にまた少し盛り上がるのだが、そのときには「ユーザーが自由に」という考え方ではなくなっていた。

2006年は、レコーダの転換期として記憶されたい。長らく東芝レコーダは、型番の「RD」がほぼほぼブランド名として通用していたが、この年「VARDIA」が正式なブランド名となった。同年テレビも「REGZA」ブランドが立ち上がっている。

東芝「VARDIA」の「RD-XD92D」

東芝レコーダの新ブランド 「VARDIA」登場 TSもW録「RD-XD92D」を試す(2006年5月31日)

また同年、次世代DVDの座を巡ってBlu-ray陣営と争ったHD DVD初のレコーダが登場している。HDDも搭載しており、完成度は高かった。

東芝「RD-A1」

次世代初めの一歩、東芝「RD-A1」史上初、HD DVDレコーダ登場(2006年7月19日)

しかし同年すぐにパナソニックとソニーから新Blu-rayレコーダが登場し、DVD時代の混乱が再び再現される結果となった。

DIGA「DMR-BW200」
ソニー「BDZ-V9」

え、うちはもうBDですけど? DIGA「DMR-BW200」 気負いなくBlu-rayを搭載した現実路線モデル(2006年10月10日)

来た! もう一つのBlu-ray、ソニー「BDZ-V9」ソニーのBDはハイビジョンワールドの中核を担うか?(2006年12月6日)

ただこうしたメーカー間の争いは、ハリウッドスタジオの派閥争いの代理戦争の様相を呈しており、ユーザー不在のフォーマット戦争という批判は起こっていた。ユーザーとしてはこのままではどちらも買えないので、メディア価格も下がらない。そうなれば両方普及しないという未来もあり得る。

そうした両陣営の対立構造は、DVDを使ってHDを記録する下位互換フォーマットを誕生させた。Blu-ray陣営は「AVCREC」を立ち上げ、HD DVD陣営は「HD Rec」を立ち上げ、2007年には早くもパナソニックから、「AVCREC」搭載のレコーダが登場した。

パナソニック「DMR-BW900」

次世代レコーダの革命児、Panasonic「DMR-BW900」 世界初、DVDにハイビジョン記録するレコーダ(2007年11月14日)

どっちも普及しないと見て、リムーバブルHDDはアリなのではという考え方もある。そういう流れで考えると、iVDRのデュアルドライブ搭載レコーダも記憶しておくべきだろう。日立には傘下にHDDメーカー(HGST)があったこともあってiVDRのサポートを長く続けたが、2019年にメディアは販売終了となった。

リムーバブルHDD搭載レコーダ「日立 IV-R1000」iVDR-Secure応用製品第二弾登場(2007年11月7日)

翌2008年2月に東芝がHD DVDの撤退を表明し、次世代DVD戦争は終結した。東芝はすぐにBlu-ray傘下に下るとは明言せず、同年には戦争の残滓とも言える「HD Rec」搭載のレコーダが出ている。だが歴史が示すとおり、DVDにHD記録というソリューションは、両陣営共に長続きしなかった。コーデックはH.264だが、映画1本をDVD1枚に入れるとビットレートが5Mbpsぐらいになるというのでは、残すという意義も薄れる。

東芝「RD-A301」

HD Recを実装した意欲作、東芝「RD-A301」 ダイレクト録画はお預け?(2008年1月16日)

2009年「デジタル放送全録」の幕開け

次世代DVD戦争は終結したが、そこからテレビ録画の方向性は徐々に変わっていった。「全チャンネル録画」は夢のレコーダで、アナログ時代の2004年には7チャンネル録画の「VAIO type X」が登場している。また2008年には業務用ではあるがPTPの「SPIDER PRO」が出ており、番組のデータベース化というニーズが生まれた。

「SPIDER PRO」

全部録りを超える全部録り、「SPIDER PRO」テレビ+ネット並みの検索性のすごさ(2008年6月11日)

アナログ放送で全録はできたが、HD化されてデータ量が増えた「地デジを全部録る」は難易度が高かった。そこに果敢に挑んだのが、2009年発売の東芝CELL REGZAであった。テレビではあるが、ボックス部に11系統の地上デジタルチューナ、3系統のBS/110度CSデジタルチューナ、1系統の地上アナログチューナを搭載した。

実売約100万円という価格は、もちろんテレビとしてもレコーダとしても破格だったが、技術的には可能、市場にも期待感があるということがわかり、あとはコストの問題となった。

また2009年には、東芝とパナソニックがデジタルレコーダには録画補償金は不要として徴収を停止、支払い期限が早かった東芝と私的録画補償金管理協会(SARVH)との間で裁判となった。この裁判は最高裁までもつれ込むことになる。

そんな折、2010年と2011年には相次いでデジタル放送のワンセグだけをマルチで録画するというレコーダが出た。PC周辺機器という事になるが、データが軽いワンセグなら気軽に扱え、実用化した第一歩だった。

「ARecX6 チューナーレコーダー」
ガラポンTV弐号機

6chワンセグ丸録り! 「ARecX6 チューナーレコーダー」簡単設定で見逃しなし、PCで見るもう一つのTV環境(2010年5月12日)

TVメディアをガラガラポン、ガラポンTV弐号機 外出先からも視聴可能な7ch/24時間録画機(2011年6月22日)

東芝は2010年に同社初となるBlu-rayレコーダを登場させているが、当時の他社水準から考えれば周回遅れの感があり、精彩を欠く結果となった。

東芝「RD-BZ800」

ようやく登場したBlu-ray RD、東芝「RD-BZ800」メディア・番組をいじる人のための一台(2010年10月6日)

2011年3月、メーカー各社は東日本大震災により大きな被害を受けた。世の中は原発関係のニュースに釘付けになった事もあり、年末にはバッファローが10万円を切る全録レコーダをひっさげて参入、東芝も全録路線へ切り替えた。以降東芝は続々と全録商品をヒットさせていった。

東芝レグザサーバー「DBR-M190」

来るか全録ブーム! バッファロー「DVR-Z8」8チャンネル8日間録画で10万円を切る低価格(2011年12月21日)

来たぞ全録! 東芝レグザサーバー「DBR-M190」6ch丸録り+2番組録画機の気になる実力は?(2012年1月25日)

2012年には、デジタルレコーダに対する録画補償金を巡る裁判、俗に言う「東芝補償金裁判」で最高裁が上告を退け、東芝の勝訴が確定した。これにより、コピーコントロールされたデジタル放送レコーダには補償金がかからないこととなり、のちに私的録画補償金管理協会(SARVH)は解散した。

一方全録機の他社参入は意外に時間がかかり、パナソニックDIGAの全録機は2013年まで待たなければならなった。

パナソニック「DMR-BXT3000」

ついに登場、パナソニックの全録機「DMR-BXT3000」全録でも“DIGA流”を実現。リーズナブルな意欲作(2013年2月27日)

その後全録機は東芝とパナソニックがリードするが、2015年夏に東芝の不正会計が発覚し、同社のテレビ・レコーダといった事業は減速を余儀なくされた。また2016年には鴻海精密工業によるシャープ買収が決定するなど、日本の大手家電メーカーの苦境が浮き彫りになっていった。

4Kテレビは2015年頃から低価格化が進み、普及が始まっている。また同年にはNetflixが日本参入を果たし、Ultra HD Blu-rayも展開が始まるなど、ソースの多様化が一気に進行した。

パナソニックDIGA「DMR-UBZ2020」

UHD BD入門に最適、CDリッピングもできるパナソニックDIGA「DMR-UBZ2020」(2016年11月2日)

さらに2018年12月からBSで4K・8Kの本放送がスタートしたが、レコーダにおいては4K録画需要は盛り上がっていないように見える。現在のレコーダの売れ筋を見ても、低価格全録モデルに人気が集まっている。「画質がいい」という評価軸はすでに各社とも一定水準をクリアしてしまい、消費者からあまり重要視されていないように見える。

今はむしろ、いかに快適にマルチソースを扱えるかに重点が置かれており、録画機能もテレビの中に組み込まれるようになった。各社の新モデルリリースも次第に数は減っているが、売上そのものは横ばいである。地デジが4Kにでもなればまた話は変わってくるかもしれないが、レコーダという商品はすでに最先端技術を争うものではなく、どちらかといえばレガシー家電扱いになってきているのではないだろうか。

レコーダ20年史を振り返って

今回は主に、技術的にエポックメイキングな製品を取り上げた。だが、本当のヒット商品というのは、大抵そのあとの2世代目や3世代目にやってくる。レコーダは買えば大抵は壊れるまで使うので、最先端を追うよりも、値段もこなれて評判のいいものを選びがちだ。最初が失敗するのではなく、市場が保守的なのである。

したがって今回の切り口では、本当にヒットした商品がご紹介できていないので、皆さんがお使いの機種はあまり出てこなかったのではないだろうか。逆に今回取り上げた製品を数々お持ちの方は、きっちり最先端技術を追いかけたというわけである。

全録レコーダに人気が集まる理由は、今はテレビ番組情報はラテ欄のような事前情報ではなく、むしろSNS等による事後情報として拡散されるようになったところが大きい。放送後に話題になった番組も後追いで見られる、そうしたゼイタクが全録機にはある。

しかしテレビ局自身も録画してタダで見られるぐらいだったら、自分たちで見逃し配信サービスをやって利益を得たいと考えるようになり、TVerをはじめ各社の見逃し配信サービスも好調に推移している。ネットに強い人たちはレコーダで録画しておくことを古くさい行為と捉えるようになり、その点でレコーダは中高年向けの保守的なニーズを捉える商品となっている。

また、この20年間に、多くの人が自ら情報発信するようになり、「人がコンテンツ化していく」という流れもあるわけだが、それはまた何かの機会にまとめられればと思う。

最後に、2週にわたり長文にお付き合いいただいたことに感謝する。

小寺 信良

テレビ番組、CM、プロモーションビデオのテクニカルディレクターとして10数年のキャリアを持ち、「難しい話を簡単に、簡単な話を難しく」をモットーに、ビデオ・オーディオとコンテンツのフィールドで幅広く執筆を行なう。メールマガジン「小寺・西田のマンデーランチビュッフェ」( http://yakan-hiko.com/kodera.html )も好評配信中。